第2話 幽霊の扱い方
「僕さ、多分幽霊なんだよね」
「……」
困った顔してそう告げた顔の良い男を訝し気な顔で見つめながら私は後ろへ一歩引いた。そんな私の様子を見て青年は慌てた。
「いや、ちょっと、怪しい人ではないから!
どちらかというと…怪しい幽霊、みたいな?」
やはり頭のおかしい事を述べる彼は、何も変わっていない現状を誤魔化すようにあははと笑った。私はそんな彼に毒気が抜かれ肩を落した。
「…みたいなって言われても、どっちにしろ怪しいことには変わりないですよね。
むしろ幽霊より人間の方がましだったかも」
「それは確かに、そうかも…」
怪訝そうな顔をしたままの私に青年はしゅんとした。彼に犬のような耳があればきっと悲し気に垂れていることだろう。
「僕だって、最初は自分が幽霊だなんて思いもしませんでした。
けど、人と話すどころか誰も僕の存在にすら気づいてくれなくて」
そう話す彼は捨てられた子犬のような瞳で私を見つめた。そんな瞳のせいか、私よりもだいぶ背が高いはずなのに見上げられているような感覚さえした。
青年の様子からは嘘をついているようには思えなかった。しかし、嘘をついていないとしたらこの状況には矛盾が生まれてしまう。考えれば考えるほど良く分からない状況に私は項垂れた。
「でも私と今話してるじゃないですか。
私にはあなたがちゃんと見えますし、それに足がないようには見えませんけど」
「そうなんだよね。やっぱ足、あるよね!だから多分なの」
私の言葉を聞いた青年は先ほどの落ち込みようはどこへ行ったのか、何故か嬉しそうに詰め寄ってきた。表情がころころと変わる彼がおかしくてつい笑ってしまいそうになった時、鞄の中で小さな振動を感じた。その振動は青年につられてふわふわしそうだった私の気持ちを現実にとどめるには十分だった。
私は彼に、あぁそうですか、と淡白に答え背を向けた。鞄から取り出したスマホの画面にはいつもと変わらない見慣れたメッセージが表示される。
『お迎えはいつもと同じ時間で良い?』
「じゃあ私、帰ります。お邪魔しました」
私は返信する為スマホを弄りながらその場に色のない言葉を残し、それから青年の横を通り抜けた。
「そっかぁ」
背中にかかった彼の寂しそうな声がやけに耳に残った。
「で、なんでついてくるんですか」
図書館に向かい暫くして振り返ると、そこにはにこりと笑顔を浮かべる青年が立っていた。不服そうな私に青年はあっけらかんと答える。
「え?いやぁほら、他に行くとこないしさ、それに初めてお話できる人に出会えたわけだし!」
「いやそうじゃなくて、その、親とか…困ります」
口ごもる私に対して青年は笑顔を咲かせ続ける。
「大丈夫!僕どうせ見えないから」
青年の返答を聞いて、他にもっと良い言い訳なんていくらでもあっただろう、これではまるで一緒にいるのは問題ないといっているみたいだ、と先ほどの自分の発言を後悔した。
しかしふと、一緒に居ることを嫌とは思わなかった自分の気持ちに気が付き、驚いた。この顔が良いだけのおかしな青年に懐柔されているとでもいうのだろうか…。
そんな考えに耽っていると、私たちの進行方向から犬の散歩をしているおばさんが歩いて来るのが見えた。犬は短い足をせわしなく動かし、おばさんを引っ張り青年のもとまで来ると、彼に向かってキャンキャンと吠え始めた。青年は吠えられると驚いたのかビクッと体を大きく揺らし大きく一歩退いた。
「こら、吠えないの。ごめんなさいね」
おばさんは私たちに軽く会釈すると、今度はおばさんが立ち止まった犬を引っ張りながら青年の方へと歩き出した。
「え、危な」
ぶつかると思ってつい出た言葉。しかし、おばさんは青年にぶつかることなく、青年に重りそしてそのまま何事もなかったかのように歩いていった。おばさんが重なる瞬間、私には青年が一瞬透き通って見えた。
おばさんは私の声が聞こえたのだろう、一旦立ち止まり振り返ったが、目を丸くして固まっている私を見ると小首をかしげて犬と一緒にこの場を去って行った。
「ね、大丈夫でしょ」
軽い声色とは反対に少しだけ悲しそうな色を乗せた声を発した青年は私の驚いた顔を見ると、信じてなかったんだあ、とふわりと笑った。
私は驚きで硬直した体をほぐすように、はあ、と息を吐いて、もう透き通ってはいない青年と向き合った。
「ほんとうに幽霊だったんですね」
「みたいだね」
青年はそう言って顔を少し後ろへ向けた。きっと彼の眼には、今、あのおばさんの背中が映っているのだろう。
そんな姿を見て、きっと青年もどこかで自分は人間であると期待していたのだろうと思った。
「幽霊なんてやっぱ怖いよね」
青年は後ろを見ていた顔を戻すと目を伏せ、そう溢した。きっと今、怖がっているのは彼の方だ。
ちゃんと言葉にはしないものの、一緒に居ない方が良いのではないか、そう言っているような気がした。もし、ここで私が怖いと答えたらきっとこの青年はあの廃墟に帰るのだろう。青年が一人、廃墟で歌を口ずさんでいた姿を思いだして胸がぎゅっとなった。
私は何を探してあの廃墟に行ったのか。そうつまらない毎日に刺激を与えてくれる、そんな出来事を探していた。
だから、私は今更怖いかと聞く彼に自然と口角が上がっていた。
「犬に吠えられてびっくりいていた人が、怖い?」
「え、いやだってあれは急に吠えられて……」
青年は想像もしていなかった返答に戸惑っているようだった。そんな彼を見て私は目を細め笑った。
「あ、人じゃなくて幽霊か」
「ちょっと!」
茶化されたのだと気づいた青年は子供のように頬を膨らませ拗ねてしまった。そんな様子が面白くて今度は声を出して笑った。
私はひとしきり笑うと、恨めしそうにこちらを見ていた青年に改めて言葉を掛けた。
「わかると思いますけど、今後人目があるとこでは話しませんから
それでもいいなら、まあ、勝手にしたらいいんじゃないですか」
「はあい」
青年は一瞬ポカンとするも、すぐに言いたいことを理解したようで、今度は気の抜けた返事をして笑顔を咲かせた。
「ほんとに分かってんのかな、この幽霊」
そんな様子につい出た言葉は、呆れつつもどこか嬉しさを滲ませていた。
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