君に触れる

蒼夜

第1話 代わり映えのしない毎日

「気を付けて帰るように」


 そんなありきたりな言葉を合図に教室で整然としていた生徒たちがまばらに散っていく。今日もいつもと変わらない下校時間がやってきたのだ。部活をしていない私は、わいわいとまだ騒がしい教室を背に下駄箱へと向かう。

 下駄箱に着いたタイミングで、私は鞄の中のスマホがブーと震えたのに気付いた。鞄からは出さずにメッセージを確認する。


『今日も図書館で勉強してくるのよね?』


教育熱心な母からのいつもと変わらないメッセージに大きなため息を溢した。


『うん、今日もぎりぎりまで勉強していくつもり』


そう返すとすぐに既読が付いたが、私は母からの返事は待たず鞄のチャックを閉めた。どうせ、しっかりやりなさい、とかそんなつまらない事しか言わないのだ。鞄の中で小刻みに震えるスマホに二度目の大きなため息をついた。

 そして私は靴を履くとため息の重さと反対に、軽やかな足取りで街の図書館とは反対の方向へと歩きだした。


 いつもと同じ時間に起き学校へ行く、そして面白くもない授業を受け帰る。家に帰れば口煩い母親が「勉強したの」と私をせっつく。そんな当たり前な日常に飽き飽きしていた。

 何か変わったことが起これば良いと最近は日常の中のスパイス、そう非日常を求めるようになっていた。


 じめじめした季節が過ぎセミが鳴き始めた頃、私は母親へのささやかな抵抗も兼ねて街中散策を始めるようになった。これは母親や知り合いみ見つかってはいけないという緊張感や図書館で勉強をしていると嘘をついているという少しの罪悪感、そして何よりいつもと違った何かが起こるかもしれないという未知の高揚感が私を病みつきにさせた。

 そして先日、私は遂に何かが潜んでいそうな廃墟を見つけた。それを発見した日は帰らなければいけないギリギリの時間で廃墟内を探索することは出来なかった。

 しかし、今日は廃墟探索を目的にやってきた。時間は沢山ある!


 私はわくわく感を胸に廃墟へと侵入した。


 しかし、中を探索するもそんな簡単に日常とは違う何かが転がっているわけでもなく、そこにはただ埃っぽいだけの空間が広がっているだけだった。


「つまんな」


 廃墟の階段を上がりきった私は辺りを見渡して、はあと肩を落した。そして引き返そうと登ってきた階段へ踵を返した時だった。


 歌が、聞こえた。


 どこか悲し気なメロディを奏でるその歌はどうやら一階から聞こえてくるようだった。私はごくりと唾を飲み込むと足音をたてないようにひっそりと階段を下りた。

 

 そして物陰から歌が聞こえる方向を覗き見た。


 そこには整った顔立ちをした青年が佇んでいた。彼は玄関から夕陽を背に廃墟一階の奥へと歌を歌いながら歩いている。

 私の目には夕陽を浴びる彼がキラキラと輝いているように見えた。


「綺麗」


 青年の幻想的な姿にポロリと零れた言葉。私はハッとして口を抑えたが、声は青年に届いてしまっようで彼はこちらを振り返った。


「誰か、いるの?」


 歌が止まり、青年の透き通った声が埃を被った建物に響いた。きっと悪い人ではない、私の直感はそう言っていたが身体は正直で背中に冷や汗が伝っていた。

 私は自分の嫌に速まる鼓動を聞きながら隠れるのを止めて青年の前に姿を現した。


「ごめんなさい」


 先手必勝、私は怒られるより速く勢いよく頭を下げ謝った。というのも迷いなくこの建物を歩いていた感じからきっとここの持ち主か、この場所をよく知っている人(なわばりにしている人)だと思ったからだ。

 自分のテリトリーに知らない人が勝手に入ってきたら、例えそこが廃墟でも怒るだろうと、親に連絡されるのだけは避けたいと、そんな事を考えながら恐る恐る下げたままだった顔を上げた。


 眉を吊り上げて眉間に皺を寄せているだろうと思っていたのだが、予想とは反対に彼は目をこれでもかという程丸くし、驚きで満たした表情をしていた。

 それから数秒の後、驚きから戸惑いの表情に替えた青年は私を見つめながらやっと口を開いた。


「君は…僕が見えるの?僕と話せるの?」

「は?」


 頭の可笑しな発言に眉間の皺を寄せたのは私の方だった。


 そしてこれが私と彼の出会い、そして短く儚い非日常の始まりだった。

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