音楽のよろこび

モグラ研二

1番目


わたしの家族はみんなが音楽を嗜んでいました。生活の中に音楽が染みわたっていたのです。


お父さんはヴァイオリン、お母さんはピアノ、お兄ちゃんはクラリネット。

そしてわたしはピアニカを吹いていました。


わたしたち家族は食卓で、食事の前に必ず演奏会を始めるのでした。


「では今日の一曲目」とお父さんが言うと、お母さんがピアノを弾いてくれます。

そしてみんなで好きな曲を演奏していくのです。


バッハ。ヘンデル。モーツァルト。ハイドン。ベートーヴェン。シューベルト。メンデルスゾーン。シューマン。ショパン。リスト。ワーグナー。ブラームス。ドヴォルザーク。ブルックナー。チャイコフスキー。サンーサーンス。シベリウス。マーラー。等々。


みんながバラバラに、違う曲を演奏するので、すさまじい不協和音が生まれ、その不協和音はふくらんでふくらんで、近所に響き渡りました。


不協和音の影響で、隣に住んでいる老夫婦は、精神に異常をきたしたと言います。


精神に異常をきたしたので、老夫婦は毎日のように「イギャ!イギャギャ!」と叫びながら殺し合いをし、ついにお互いの首を包丁で突き刺して死んでしまったのでした。


でもそれは、わたしたち家族にはどうでもいいことなので全て無視しました。


馬鹿みたいにわたしたち家族を批判してくる連中もいましたが、そういう人たちにはバケツに入れた水をぶっかけてやりました。


演奏が終わると、お父さんが大きな拍手をして、それからみんなでご飯を食べ始めました。


ご飯はオムライス。ケチャップで「音楽バンザイ」と書かれています。


お母さんの作るオムライスは卵がふわとろで、いつでも美味しい。


わたしがご飯を食べながらピアニカでオッフェンバックの天国と地獄を演奏していると、お兄ちゃんが口でご飯を食べ、お尻の穴でクラリネットを吹いたのでした。


みんなが笑います。


そんなふうに毎日を過ごしてきたわたしにとって、音楽はなくてはならない存在です。


でも、今思えば、わたしたちの家族はとても幸せだったと思います。


なぜなら、わたしたちは音楽を通して繋がっていたからです。

音楽はいつもわたしたち家族のそばにありました。

もちろん、それは今も同じです。


わたしのお父さんもお母さんもお兄ちゃんも、もうこの世にはいません。


三人の乗っていたワゴン車が突然自我を持ち始め「もう人生に疲れた」と叫ぶと同時に壮絶な爆発をしたからです。三人は爆死しました。


お兄ちゃんの国際クラリネットコンクールの日でした。


三人は会場に向かっていたんです。

お兄ちゃんはそこで、モーツァルトのクラリネット協奏曲を演奏し、世界的なクラリネット奏者としてデビューするはずだった。


でも…でも…。


わたしは事故現場に行き、三人の肉片を拾い集めました。


お兄ちゃんのお尻の破片が落ちていて、その穴にはクラリネットが、しっかりと刺さっていました。


死ぬまで、クラリネットを吹き続けたお兄ちゃん……。


泣きながら、わたしは三人の肉片、ミンチ状になったものをバケツに入れていきました。


手が、三人の血や汚物や色々な粘液で汚れました。


三人はこの世界にはもういない。

けれど、その想い出は消えることなく、いつまでも心の中にあります。

だからわたしはこう思うんです。


人はいつか死んでしまうかもしれないけど、その人を愛する気持ちは決して色あせることはないって……。


わたしはずっとお父さんやお母さん、お兄ちゃんのことを愛しています。


そうしてこれからも、わたしの中で大切な人たちへの想いが募っていくんだろうなって思います。


だってそれが……、人を好きになるということだと思うから。


わたしは、奇跡的に無事だった三人の脳みそを拾い上げ「好きだよ」と言いながら、それぞれの脳みそにキスし、バケツに入れました。


「お願いしま~す」

黒いスーツを着た男の人にバケツを渡して丁寧に埋葬しました。


その頃には涙はかわいていて、わたしは帰りに行きつけのステーキハウスに行って2キロのステーキを食べたのでした。


***


今日は日曜日なので、わたしは朝早くから家を出て、病院へと向かっています。

入院しているお友達のお見舞いに行くためです。


本当は昨日行く予定だったのですが、急用ができてしまい行けなかったのです。

なので、こうして急いでいるわけなんですが……。


「うわぁ~! 寝坊しちゃったよぉ!」

どうやら目覚まし時計をかけ忘れていたようです。


むかつく!と叫びながら、わたしは役立たずな目覚まし時計を壁に叩きつけて破壊しました。目覚まし時計は不愉快な音をだしてぶっ壊れました。


しかも、慌てて準備をしていたせいか、お気に入りのティラノザウルスの髪留めを落として壊してしまいました。


わたしは肩を落とすと同時に大きな溜息をつきました。


それはお母さんの形見でした。大切な形見。この世界にひとつしかないものでした。


けれど、すぐに気を取り直します。

「まあいっか! また買いに行けばいいだけだもんね」


わたしは笑顔を浮かべながらそう言いました。


するとその時――。


突然目の前に大きな影が現れました。

なんだろうと思って見上げると、そこには一匹の大きな黒猫がいました。

赤いリボンと金色の鈴の首輪をしているところを見ると飼い猫みたいです。

「あらっ? あなたもしかして迷子なのかしら?」

わたしが問いかけると、その黒猫さんは大きなあくびをしていました。

まるで、「ふああ~っ!」と言っているように見えます。

なんだかちょっとかわいいかもと思いました。


「ねえ、よかったら一緒に来る? 病院まで連れていってあげるよ」

そう言って手を差し出すと、その黒猫さんはじっと見つめてきました。

それからゆっくりと近づいてきて、差し出した手をペロリと舐めてくれました。

「フフッ、ありがとう」

わたしはその頭を優しく撫でてから抱き上げます。

そうして黒猫さんを連れて歩き出しました。


病院までは少し距離があるので、その間はゆっくり歩いていくことにしました。


途中、電信柱のところにアップライトピアノが設置されていて、そこでオランウータンに酷似した全裸の毛深い男性が、滅茶苦茶な演奏をしているのに遭遇しました。


「ウギイ!ウギギイ!」耳障りな甲高い声で叫んでいます。


「変な人。気持ち悪いわ」

わたしは、昔から、奇をてらったことをして人にかまってほしい、そんな思惑を持つ人が嫌いでした。


だから、その男の人のことも、無視しました。


道中、黒猫さんはおとなしく抱かれています。

たまに身じろぎするだけで、暴れたりすることはありませんでした。


もし暴れたらぶん殴ってやろうと思っていましたが、そうはなりません。


やがて、目的の病院が見えてきました。


白い建物です。窓がいくつもあり、窓際に、人が立っているのが見えました。

みんな痩せていて、虚ろな目をして、外を見ています。


病院の前には包帯を巻いた子供たちが並んでいて、その列の先はクレープ屋さんでした。クレープ屋さんは子供たちに笑顔で、クレープを渡していました。


「餃子クレープだよお!」

クレープ屋さんのおじさんが叫んでいました。


別に、誰に求められたわけでもないのに、一生懸命に叫んでいるのでした。


わたしは入り口の前で立ち止まります。

すると、腕の中の黒猫さんはスウッと飛び降りました。

「あっ」

そしてそのままスタタタッと走り去っていきます。

「バイバイ……」

わたしはその姿を見送ってから中に入りました。


受付の人に事情を説明します。

受付の人は女の人で、凄く痩せていて、目玉が飛び出していました。

声をだしにくい様子で「あちらです」と言いました。


「目玉が飛び出しています。痛そうです」

わたしが言っても、ツンと澄ました様子で、何にも反応がありません。


わたしは、エレベーターに乗って三階へ上がりました。


病室に入ると、ベッドの上には一人の少女の姿がありました。

彼女は窓の外を眺めているようでしたが、わたしが来たことに気づくとこちらを振り返ります。


「あっ、こんにちは結衣ちゃん。久しぶりだね」

そう挨拶をするわたしに向かって、彼女――天音結衣ちゃんはニッコリと微笑みかけてくれた。


わたしの名前は笹倉桜子といいます。年齢は十六歳で高校二年生です。血液型はA型。身長は百五十センチくらいで体重は四十キロ前後といったところでしょう。自分で言うのもなんですが、容姿はけっこう整っているほうだと思います。趣味は読書と料理。特に好きな本はロマンチックでエモい恋愛小説です。将来は小説家になりたいと思っているんですが、なかなか上手くいかないものです。あと、最近は音楽にも興味があって、よくピアノを弾いています。ピアノといっても電子ピアノなんですけどね。


昔、お父さんがよく弾いてくれるヴァイオリンの音が好きだったのですが、今はもう聴けないと思うと残念です。


そんなふうにわたしのことを紹介していきましたが、次は結衣ちゃんのことを話したいと思います。


彼女の名前は天音結衣ちゃん。年齢はわたしの一つ下である十四歳。誕生日は十一月二十一日なので、もうすぐ十五歳になるはずです。血液型はB型で、身長は百六十センチ以上はあると思います。スリーサイズは上から八十・五十八・八十九という感じでしょうか。スタイル抜群です。羨ましいかぎりですね。


さて、それでは今度はわたしから見た結衣ちゃんを紹介していきましょうか。

まずは顔について。結衣ちゃんは目が大きく、鼻筋も通っていてとても整った顔をしています。肌も透きとおるように白くて綺麗だし、唇もぷるんとしていて柔らかそうです。髪は背中にかかるほど長く、艶やかな黒色をしていて、それが太陽の光を受けて輝いている様はとても美しいものでした。さらに注目すべきはその瞳でしょう。吸い込まれそうな黒い宝石のような輝きを放つそれは、どこか神秘的な雰囲気を感じさせました。まるでブラックホールのようにすべてを呑み込んでしまいそうですが、同時に強い意志を感じさせるような不思議な魅力があるのです。


こんな美少女は見たことがありません。いえ、あるいは天使や女神さまという表現のほうが正しいかもしれません。それほどまでに彼女は可憐で美しかったのですから。


次に体つきですが、やはり全体的に細い印象を受けました。けれど、必要なところにはしっかりと肉がついているので、健康的だと思えます。手足はスラリと長いし、胸元には二つの膨らみもあって、腰回りはキュッとくびれていて、お尻は小さくて可愛らしい形をしています。まさにモデル体型といえるでしょう。


そして、性格ですが、明るくて優しい女の子です。誰に対しても分け隔てなく接することができて、困った人がいればすぐに助けてあげようとします。そして、いつも笑顔を絶やさず、他人のために一生懸命になれる人です。まさに聖人君子と呼ぶにふさわしい人物と言えるのではないでしょうか。そんな結衣ちゃんですから、当然のことながら学校でも人気者です。


……。


「さっきからぶつぶつ言ってるけど、あんただれ?」

わたしが顔をあげると、顔面に異様な、紫色のデキモノが大量にある顔の丸い女の子が言いました。


そのグロテスクな女の子はティーシャツを着ていて、そのティーシャツには「アイアム・サカナワールド」と書いてある。


あきらかに結衣ちゃんじゃない……。


わたしは悟りました。それで「まちがえました」と言い、病室からでたのでした。


(2番目に続く……)

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