毎日小説No.8 テストの神様

五月雨前線

1話完結


 勉強が大嫌いだった。毎日高校に行って授業を受けるのが耐え難い苦痛だった。そんな私が最も毛嫌いしていたのが定期テストだ。一定の点数を取るため、自宅での勉強を強制されるのがただただ不愉快だった。勉強なんて楽しくない。何で楽しくない勉強をわざわざ家でやらなければいけないのか? 本や漫画を読んだり、テレビを観たりする方がよっぽど楽しいではないか。

 そんな訳で勉強が大嫌いな私の前に、本当に突然、何の前触れもなく、神様が現れた。四月の中旬、よく晴れた日の放課後のことだった。

「悪中京香さん」

「……」

「悪中京香さーん」

「……あ?」

 家までの道のりをのんびり歩いていると、どこからか私を呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると、大学生風の若い男が宙に浮きながら笑みを浮かべていた。

「やば……逃げよ」

「ストップストップ! 僕は決して怪しいものじゃないよ!」

 謎の男はものすごい速さで宙を移動し、逃げようとした私の進路を塞いできた。

「何なのお前……」

「僕は神様! テストの神様だよ!」

 えっへん、と胸を張る謎の男に、私は白けた視線を向ける。

「何だ、ただのヤバい奴か」

「あ、信じてないな? じゃあ僕が神様である証拠を見せてあげよう。君の名前は悪中京香。宗和高校普通科三年生。勉強が大嫌いで、趣味はランニングと読書。恋愛に興味があるもののかなり奥手で、現時点で彼氏いない歴=ねんれ」

 言葉を遮るように私が放った前蹴りを、男はひらりとかわした。

「急に何? ウザいんだけど」

「神様に前蹴りするなんて……なんて罰当たりな……」

 「何で私の名前や趣味知ってるの? 気持ち悪い」

「だーかーらー、僕は神様なんだって。僕はね、君の人生を豊かにするために天界から降臨したんだ」

「余計なお世話だっつーの」

「まあまあ最後まで聞いて。今日はね、君にチャンスをあげに来たんだ。もし君が望むなら、特殊な能力を君に授けてあげよう。その能力とはズバリ、『テスト完全正解パワー』! この能力を使えば、どんなテストの問題でも簡単に解けてしまうんだ! どう? この能力、欲しい?」

「え……定期テストの問題も簡単に解けちゃうってことだよね? じゃあ欲しい。欲しいに決まってるじゃん」

「本当にいいの?」

「何それ、いいよ。本当にそんな能力くれるならちょうだい」

「……分かった。じゃあ能力を授けるよ、えい!」

 男の叫び声と同時に、眩い光が私を包み込んだ。思わず目を覆い、少ししてからゆっくり目を開けると、男の姿はどこにもなかった。

「何だったんだろう今の……」


 次の日。3限の数学の授業で、私は運悪く教師に指名されてしまった。指名された生徒は前に出て黒板に自身の回答を書かなければならない。

「悪中さん、回答を書いてね〜」

 あーもう、何で私が選ばれるんだ。私が勉強が大嫌いで勉強出来ないって分かった上で指名したのだろうか? この意地悪教師、と心の中でぐちぐち言いながら、ゆっくりと黒板の前まで移動する。黒板に書かれている数式は意味不明で理解出来ない。一年以上前から数学でつまづいているから当然と言えば当然だ。

 クラスメイトの好奇の視線が痛い。勉強が出来ないことを皆知っているから、同情と好奇心が混ざったような視線が向けられる。

 黒板に向かい合ったその時、前日出会った謎の男の言葉を思い出した。確か男は、『テスト完全正解パワー』とか何とか言っていたはずだ。そのパワーとやらを使えば目の前の問題を解けるんじゃないか?

 半ばやけくそ気味にそう思い至った私は、頭の中で念じた。お願いします、この問題の答えを教えてください、と。

 すると、奇跡が起きた。突然頭の中に答えとその途中式が湧き出てきたのだ。頭の中に湧き出てきた内容をそのまま黒板に書き写すと、数学教師が驚いた表情を浮かべた。

「……驚きましたね。少々発展的な問題だったのに、答えも途中式もバッチリです。悪中さん、どうしちゃったんですか?」

 どうしちゃったんですか? と聞かれても、私が一番混乱しているのだから答えようがない。結局愛想笑いでその場を誤魔化したが、その出来事をきっかけに私はクラスメイトの間で話題になってしまった。

 あの悪中が、数学の問題を完璧に解いた。しかも発展的な内容を。多くのクラスメイト達が驚き、口々に「すごいじゃん」「見直したよ」と言ってきた。こんなことは初めてだった。今まではどこか軽蔑的な視線で見られていたのを自覚していたから、クラスメイト達の変わりようにかなり驚いた。

 勉強が出来れば、凄い。勉強が出来れば、皆に一目置かれる。その事実に気付いた私は、男からもらった能力を事あるごとに使いまくった。五月の中間テストでその能力をフル活用し、なんと六教科全て満点という異次元の成績を叩き出してしまったのだ。クラスメイト、そして先生達は大いに驚き、そして称賛した。どうした悪中、生まれ変わったのか悪中、凄いぞ悪中、と。そんなに称賛を集めたのは生まれて初めてだったので、私はとても幸せだった。

 調子に乗った私は中間テスト後に受けた全国模試で能力を使い、なんと全国一位の成績をとってしまった。能力を使えば答えが頭に浮かんでくるので当然の成績といえるが、周りの反応はとても言葉では言い表せないものだった。ある先生はただ驚き、ある生徒は不正だ、カンニングだ、と陰口を叩いた。しかし私は何も気にならなかった。他人の上に立つ、という優越感がとても心地よかったのだ。もっと称賛されたい。もっと皆の注目を集めたい。その思いから私は必要以上に多くの模試に応募し、神がかった成績を出しまくった。一位という文字を見る度に私は心躍った。もうあの頃の馬鹿な自分はどこにもいない。自分は凄い存在なのだということを再認識出来て嬉しかった。

 そんなことを数ヶ月続けていると、やがて新聞記者や受験業界の関係者が私の前に現れ、取材を依頼されるようになった。全国模試で一位しかとらない天才、と報じられ、私は一躍時の人になった。街を歩いていると声をかけられる機会が増え、自分が誇らしくなった。


 そんなこんなで時が過ぎ、年が明け、ついに共通テストの日を迎えた。ついに、とはいうものの、いつも通り能力を使っていつも通り満点をとるだけだ。試験会場の電車の中で、緊張に押しつぶされそうになっている同い年の受験生を何人も見かけた。可哀想に、と私は心の中で彼らを蔑んだ。

 このテストで全教科満点をとって最難関の東大を受験する。そして東大に合格し、私は称賛される……。人生なんてちょろいもんだな。電車の中で最後の追い込みをかける受験生を尻目に、私はスマホのリズムゲームに熱中していた。

 そして受験会場に着き、いよいよ試験が始まった。最初は地歴公民だ。一時間何して暇を潰そうかな〜などと考えながら問題用紙をめくり、いつものように能力を発動させた。

 ……あれ? 答えが浮かんでこない。

 私はもう一度頭の中で強く念じた。答えよ出てこい、と。いつもならその段階で頭の中に答えが浮かんできていたのに。今までずっとそうやっていい結果を出してきたのに。

 答えが、浮かんでこない。

 手が震える。汗が額に滲む。呼吸が乱れる。そんな。そんな。嘘だ。何で今、よりによって何でこのタイミングで能力が発動しないんだ。時計の秒針が時を刻む音、そして周りの受験生達が筆記用具を動かす音が私の焦りをさらに助長させる。お願いします、私に答えを教えてください……!! 何十回、何百回と祈ったが何も変わらなかった。答えは湧き出てこない。天才と称賛された私は消え失せ、勉強が大嫌いな馬鹿な私が復活してしまったのだ。共通テストの受験中という、最悪のタイミングで。

 それから先のことは、よく覚えていない。過呼吸気味かつ半泣きになりながら、何とかマークシートを埋めた。点数が限りなく低いことは、採点する前から分かっていた。能力があることにかまけて、全く勉強をしてこなかったのだから当然だ。二日間、全ての教科が終わるまでずっと地獄のような状態が続いた。

「はい、それまで」

 二日目の午後、最後の受験科目の終了を告げられると、受験生達の間に広がっていた緊張がどっと和らいだ。やりきった、という表情を浮かべた受験生達の中で、私は一人茫然自失の状態だった。

「何で……何で……」

 会場を後にした私は、家に帰らず近くの公園のベンチで泣きじゃくっていた。家に帰るのが怖かった。親は、当然私がいい成績をとってくると確信している。全国模試で馬鹿みたいにいい点数をとったのだから当然だ。新聞記者も話を聞きたがっているだろう。

 もう終わりだ。おしまいだ。どうしようもない現実を突きつけられ、私は声を上げて泣いた。泣き続けた。一月の夜はひどく寒く、吹き付ける風が体に当たって痛いほど寒さを感じた。


「試験、お疲れ様」

 聞き覚えのある声。顔を上げると、目の前にあの男が佇んでいた。神様を自称し、私に能力を授けたあの男だ。以前とは異なり、今は文字通り地に足がついている。

「お……お前……!」

「手応えはどうだった? 帰ったら自己採点を忘れずにね」

 笑顔を浮かべながら男は言う。こいつ、私に何が起きたのか知った上で言ってるのか? 無性に怒りが込み上げてきた私は、足元に落ちていた石を拾って男に投げつけた。

「クソ野郎!! この裏切り者っ!!」

「……」

 私が投げた石を男は素手でキャッチし、そして首をかしげた。

「裏切り者? 何のこと?」

「はああ!? アンタがくれた能力、共通テストの時には使えなかったのよ!! そのせいで試験はぼろぼろ! 全部アンタのせいよ! どうせ意地悪して今日能力が使えないように細工したんでしょ! この鬼!! 悪魔!!」

 悲しさと悔しさ、そして惨めな思いが込み上げてきて泣きじゃくりながら叫ぶ私。そんな私を見て男は溜め息をついた。

「君は大きな勘違いをしているね。そもそも僕は能力の説明をする際、いつまでこの能力が使えるのか、という話はしてないよ。共通テストの時にこの能力が使える、って勘違いしたのは君。そして、僕は君に協力した覚えは一切ないから、裏切り者だという主張はおかしい。能力があることにかまけて勉強してこなかった自分を恨みなよ」

「……そんな……」

「これでよく分かっただろう? 自分で努力して力をつけないと何の意味もないんだ。今の君は、自分一人では何も出来ない負け犬以下の存在だよ。君が電車の中で蔑んでいた受験生達は、必死に勉強して学力を身につけて結果を出そうとしている。君は、勉強が嫌いだということを口実にして、やるべきことから逃げ続けた敗者だ。そのことをよく胸に刻み、もう一度最初からやり直すがいい」

「……え?」

 男がぱちんと指を鳴らすと、突然視界がぐにゃりと歪んだ。目の前に広がっていたはずの景色が瞬時に消え失せ、色とりどりの光に包まれていく。呆気にとられる私の目の前で白い光が爆発し、そのショックで私の意識は混濁していった。


***

「……さん! 悪中さん!」

「は、はいっ!!」

 いつの間にか、私は教室の中にいた。黒板の真ん前に立ち、よく分からない数式と向き合っている。

「大丈夫? いくら呼びかけても反応しないから心配しちゃったよ」

 教師が心配そうな表情を浮かべてている。そこで私はようやく気付いた。今日は四月十六日。あの男と出会い、能力をもらった次の日だ。

「えと、すいませんでした。ちょっとぼーっとしてたみたいで」

「全く……。ほら、早くこの問題を解いて」

 ああそうだ。私は教師に指名されていたんだ。黒板に視線を向ける。書いてある数式の意味は全く分からない。いつものように能力を使おうとして、やめた。あの男の言葉を思い出したからだ。私は深々と頭を下げ、「ごめんなさい!」と叫んだ。

「全く分かりません! 一から教えてください!」

 一瞬の静寂の後、教室の中は大爆笑に包まれた。

「何だそりゃ!」

「素直でいいじゃねえか悪中!!」

「てか俺もその問題分かんねえ」

「あー私も! 先生もう一回教えてよ〜!」

「せ、静粛に! 仕方ないですね……。では、この問題の解き方をもう一度復習するとしましょう。悪中さん、席に戻っていいですよ」


「京香、何か変なものでも食べた?」

 昼休みに勉強していると、親友の綾香に突然質問をぶつけられた。

「え、何その質問」

「最近人が変わったかのように勉強してるじゃん。先週は数学の授業でめっちゃ質問してたし、今も昼休みなのに勉強してるし。一体何があったんだ、ってクラスの皆がよく話してるよ」

「いや、勉強はするでしょ。だって私達受験生だよ?」

 綾香は私の顔をまじまじと見つめ、額にそっと手を置いた。

「熱あるの?」

「失礼な!」

「マジで京香変わったよね。前までは勉強大嫌い、って叫んでたのに、今は勉強好きになってるじゃん」

「いや、勉強が好きになったわけではないよ」と苦笑を返す私。

「ただ、どんなに嫌いでもやらなきゃいけないんだよ。特に勉強はね」

「ふーん。まあ言われてみればそうか」

「……それに」

「それに?」

「あんな思いは、もう二度としたくないから」

 共通テストを受けた時の記憶が蘇る。何故か私の頭の中には共通テストを受けた記憶があるのだ。全く問題が解けず、恐怖に怯え続けた二日間だった。あんな惨めな思いは二度と御免だ。

「あんな思い、って何?」

「いや、何でもないよ。とにかく、自分で努力して力をつけなきゃ勝てないからね。綾香も頭いい大学行きたいんでしょ? 一緒に頑張ろうよ」

 綾香は一瞬きょとんとした表情を浮かべていたが、やがて大きく頷いた。

「……うん、そうだね。やるべきことから逃げても結局自分が苦しむだけだもんね! よーし、今日から本気出すぞ〜!」

「おー!」

 私は京香と拳を突き合わせた。その意気です、という神様の声がどこかで聞こえた気がした。


                              完

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