有名な文学賞や大賞であるほど、投稿される作品の数は膨大なものになります。
大賞や佳作、特別賞や奨励賞など併せても最大10くらいの合格枠を、1000や2000を超える作品が奪い合う、なんてことは最早当たり前の光景。そんな中でライバル達を蹴落とし、評価を得るというのはとても困難な道のりと言えます。
審査員から良い評価をもらうために文章を練り上げるのは当たり前の行動ですが、それ以外の部分でも他人と差をつけ、少しでも目立ちたいと思ってしまう作家の卵は沢山いるはず。勿論私もその一人です。例えば、タイトルを奇抜なものにして他の作品と差をつける、とか。しかし、果たしてそれは有効なのでしょうか? 今回のノートではそれについて考察していこうと思います。
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私は以前、コバルト短編小説新人賞に作品を投稿する際にタイトルで攻めました。「奇抜なタイトルで他の人と差をつけたるわ!」と思ったのです。その時投稿した作品のタイトルがこちら。
『君でいて君じゃない君』
「キミキミうるせーな」と思うでしょうが、私の狙いはまさにその「うるせーな」だったのです。全く目に留まらないよりも、何かしらの興味を引いた方がよっぽどマシだと当時の私は考えたのです。では、タイトルで攻めた結果はどうだったのでしょうか?
……1次選考落選(´・ω・`)……
まあそもそも、作品としてのクオリティが低かったのだと思いますし、そもそもこのタイトルが攻めたタイトルになっているのはどうか不明ですよね。
私が一時選考で落ちた話は置いておいて、続いては著名な小説家達のデビュー作のタイトルに目を向けてみましょう。果たして偉大な小説家達は、タイトルで攻めていたのでしょうか?
(Wikipedia の情報を参照)
東野圭吾 『放課後』
宮部みゆき 『我らが隣人の犯罪』
伊坂幸太郎 『オーデュボンの祈り』
川原礫 『アクセル・ワールド』
どうでしょうか? こうして見たところ、どれもそこまで攻めている感じはしませんよね。この中ですと伊坂幸太郎のタイトルが一番目を引くというか、あまり見かけない単語を使っていますが、これは攻めているというよりも自然につけられたタイトルのように思えます(この本読んだことないからよく分からん……)。
他にも幾つかの作品を思い返してみましたが、どの作品のタイトルも攻めているというより、その小説の登場人物や世界観について説明してる感じのタイトルが多いですね。
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私個人の見解ですが、「タイトルで攻める」という意識はあまり持たない方がいいと思いました。勿論、「攻めたタイトルで他人と差をつける」という狙いがハマった時は良い結果に結びつくとは思いますが、タイトルは所詮タイトル。物語の中身の方が何百倍も大事なのです。タイトルは、あまり淡白になりすぎない程度だったら何でもいいんじゃないでしょうか。
そんな私が、今日投稿した小説のタイトルは「健康診断」。攻め、とは真逆のシンプルなタイトルですね。是非読んでみてください。