いくで!戦闘態勢!
アンリエット伯爵令嬢との縁談は、前当主であるシルヴェルトルの父親が手配したものだった。
「評判のご令嬢だそうだよ」
美しい人なら心動かされるかもしれないと、息子に最適な人選をしたつもりだったらしい。
輝くブロンドに翠の目、華奢な腰に豊かな胸を持ち、さらには白磁の肌。
その美しさに、あらゆる独身貴族からの縁談が殺到していたそうだが――シルヴェルトルには全く興味がないし、誰とも結婚する気には、なれなかった。
父が亡くなる前のこと。
少しでいいから会ってみてくれと頼まれて、食事などは御免被ると言ったならば、王宮にある美術回廊(国王の趣味で収集された、絵画や陶器をはじめとした数々の調度品を飾っている)での立ち話となった。
いざ接してみると、知性も教養もなく、下から見上げてくるのが鬱陶しかった記憶しかない。
「シルヴェルトル様ぁ、こういったものってぇ~」
甘ったるい話し方も、まったく受け入れられない。
どう早く切り上げようか、と頭を悩ませる黒獅子の目に入ったのは、一枚の絵画だった。
「!」
幼いニコラのお披露目会と称して催されたガーデンパーティの様子を、宮廷画家に描かせていたらしい。
不機嫌な顔で父親の足元に立つ、幼い自分もいた。
「この絵が、なにか? ……あらぁ、ニコラ様! 可愛らしくていらっしゃいますわぁ」
シルヴェルトルの見つめる一点が、アンリエットも気になったらしい。
「シルヴェルトル様もいらっしゃるのねぇ。あら? あら……なにかしらこの子、汚らしい」
腕に黒猫を抱いて無邪気に笑う、黒髪の少女がいる。猫が暴れたのか、髪もドレスも乱れて頬が汚れているところまで、忠実に描かれている。
「もしかして、ジゼル嬢? あらやだ、こんな時から無作法でいらしたのねぇ。こんな方がニコラ様の婚約者だなんてぇ。学校でも粗野で……」
「うるさい。さっきからベラベラと……やかましい口だな」
「!」
「脳みそ足りないバカ女と話す時間がもったいない。失礼する」
背後でギャアギャア騒ぐアンリエットを置いて、シルヴェルトルは振り返りもせずその場を去った。
それ以降、「乱暴者」「暴虐」「非道」と陰口を言われるようになったが、くだらなすぎたので気にしていなかった。
愛する母を亡くした父の落ち込みを見て育ってきた彼にとって、人を愛するのは辛いこと。
愛する人以外との結婚など考えられないし、愛したとて失うのなら、一生一人でいよう。そう、思っていたのだが。
「ジジ……」
それでも会いたくて、一目見て諦めるつもりで、プロムに行った。
王子にべったりしていた、あの
初恋の人を救えたのなら、行って良かった。ましてや、こうして側に居てくれるなどと。
腕の中にいるジゼルの髪の毛に鼻を埋めて――シルヴェルトルは、ようやく自分の生を生きる気になれたのだった。
◇ ◇ ◇
あの暴虐公爵とジゼルが、婚約!?
しかも、国王の誕生日パーティに呼ばれている!? なんでよ! あの女っ、ニコラを奪ってわざわざみんなの前でミジメにしてやったのに! 信じられない!
学校でこのわたくしを見下していたの、一生許さないんだから。
もう、ニコラだけじゃ、物足りない。ジゼルを、徹底的に辱めてやりたいわ。
夜会、夜会なら……うん! いいこと思いついちゃった~! うふふふ……まあ、見てなさいよ。幸せになんて、絶対にさせないんだから。
――絶対に。
◇ ◇ ◇
「ジゼルー! ジゼルは、どこだあっ!」
六日目の早朝。
デュゲ公爵家に響き渡るのは、怒号だ。
「ジジー!」
バタバタと焦って対応に出たクレマンは、卒倒しそうになった。
鎧を着こんだ男ふたりが、門番をなぎ倒して玄関までやってきたのだと分かったからだ。
「ひい! ごごご強盗!」
「はあ!? 金なんかいらん! ジゼルを出せ!」
「あああああ……」
クレマンはその迫力に、画面蒼白で泡を吹いて、床に尻もちを突いてしまった。これでは話にならない、と押し通ろうとする男を、もう一人が
「兄上、さすがに無礼です。どうかそれぐらいに」
と止めた。
「だが、ルイゾン。これは到底許されないことだぞ。妹が誘拐されたんだぞ!」
「まず本人から話を聞きましょう。ね?」
「ぐぬぬぬ」
押し問答をしていると、
「一体何の騒ぎか」
シルヴェルトル本人が出てきた。手には当然、剣を持っている。
「出たな暴虐野郎!」
「は?」
「兄上!」
ルイゾンと呼ばれた青年が、自身の兄を後ろから羽交い絞めにしながら
「あのう、我らバルニエの者です。突然すみませんが、ジゼルに会えます?」
とかろうじて告げ、シルヴェルトルは――
「なるほど、辺境伯のご子息殿でしたか。これは遠路はるばるのご訪問、感謝申し上げる。クレマン! 歓迎しろ!」
「は、はい!」
一瞬で事態を収束させ、ルイゾンに
「兄上、大丈夫そうですよ」
と言わせしめた。
「ふぬぬぬ」
「はいはい。可愛い妹を取られたんですもんね。気持ちは分かりますから。いきますよ、ジョアキム」
リオネル、ジョアキム、ルイゾンは、この王国だけでなく、隣国、果ては遠方の国々にまで辺境三兄弟と呼ばれ恐れられている。
長兄のリオネルがバルニエ伯爵家の家督を継ぐ予定で、次兄のジョアキムはそれを補佐しつつ辺境騎士団の団長を務め、三番目のルイゾンは修行中の身だ。
「うげ! 兄さま!」
ジゼルは、そんな武装姿のふたりを応接室で迎えるや否や、思わず頭を抱えてしまった。
「ジジ!」
立ち上がったジョアキムがハグをしに近寄ってきたので
「その姿でやめてください。絶対痛いし! ……あせくっさ!」
と即座に非難した。
妹の嫁ぎ先になる予定の、しかも公爵家に帯剣したまま入るなど、言語道断! と言いたいが
「だって! 婚約破棄の後、誘拐だぞ! 心配だろう!?」
致し方ないか、と危うく出かけた言葉をかろうじて飲み込んだ。
「まあまあ、落ち着いてくださいよ、兄上」
ルイゾンは、三兄弟の中で一番冷静だが
「公爵閣下がジゼルの旦那失格なら、後でやっちゃえばいいんだからさ」
一番残忍だ。
「ごほん……あー、それは勘弁願いたいものです」
「んもう! ルイ! シルはね! クロちゃんなの!」
「……ん!?」
「おい……クロちゃんてまさか、ジジの初恋か!?」
兄たちに筒抜けか、とシルヴェルトルは苦笑する。
だが話が早い、と切り替えて
「はい。遅くなりましたが、お迎えに上がった次第です」
と言ってのけた。
「ふぐお!」
「うわあ」
のけぞる兄二人に、
「という次第です!」
と胸を張るジゼルに、男たちは瞬間でデレデレになった。
「えーと? てことは俺ら」
「無駄足……でしたかね?」
だがシルヴェルトルは
「いえ。お会いできて光栄です。きちんとご挨拶申し上げたかった」
立ち上がって、綺麗に礼をした。
「ジゼル嬢を――ジジを、愛しているのです。どうか、私に頂きたい」
そうして、深々とまた、頭を下げた。
――うわぁ、これ全然ク●ゲーやなかった……愛してるなんて、人生で初めて言われた……
何も言わなくても、ジゼルから喜びがあふれてくるのを見て取った兄二人は
「ジジの初恋相手なら、仕方ねえな。王子よか千倍マシだ」
「ですね。親父には、俺たちから話をしますよ」
とあっという間に矛を収めてくれた。
「ルイ! さすが! ありがと!」
ジゼルが立ち上がるや、ソファの背もたれ側からルイゾンの首に抱き着いたので、また別の争いが勃発しかけた(バックハグだとお! と色めき立つジョアキムとシルヴェルトル)。
ところが、
「ついでにお願いがあんねん、ルイ」
ジゼルは気づかず、その姿勢のまま話を続ける。
ルイゾンは自然とジゼルの腕に手を添え、頬をくっつけるので、男ふたりのヘイトはみるみる溜まっていっている。
「ん?」
「デュゲに仕えてくれへん!?」
「……ん!?」
妹の言葉がおかしくなっていることよりも、その内容に驚いたルイゾンはしかし、
「あー、わかった。いいよ」
あっさりと一言で了承してしまった。
「え」
動揺するシルヴェルトルに対して
「そりゃあいい。警備はザルだし、影も抱えてないだろう。ルイゾンが適任さ」
ふうふうと熱いお茶を冷ましながら、のんびりと言うジョアキム。
「え……?」
「てなわけでお世話になります、閣下。ルイゾン・バルニエ、二十二歳、独身。侍従も影もできます」
首にジゼルを巻き付けたまま、立ち上がったルイゾンは笑う。
「ええと、よろしく?」
「今日から張り付きますんで」
「はあ」
「では、正式採用ということで。早速」
シャッ、とルイゾンが片手でさくっと放ったナイフが、応接室の壁に刺さるや、窓際を人影がさっと横切った。
「脇がガラ空きですよ、閣下。情報駄々洩れ。早急な人材確保と警備体制の構築を進言しますね」
「……! 頼む!」
シルヴェルトルは、ナイフを放った後のルイゾンの手をがっしりと両手で握り、ルイゾンは
「わは! いい上司だな」
と笑った。
ジゼルは
「でしょーっ!」
とまたドヤ顔をし、ジョアキムは
「ふぬう。俺もいいところ見せたい!」
と地団駄を踏んだ。
◇ ◇ ◇
「ルイには頭が上がらないな」
シルヴェルトルは、タキシード姿で読んでいた手紙を丁寧に折りたたみ、封筒へ戻してから机の引き出しに大切そうにしまった。
「へっへ~。ま、親父も単純なんでね」
ルイゾンは、気楽に話してくれという雇い主の言を受け入れて、侍従におさまってもこの口調をあえて貫いている。
仲の良さを対外的に周知するのが、主な目的だったわけだが、年も近いので本当に仲良くなった。
先ほどの封筒の中身は、バルニエ辺境伯の正式な署名が入った『婚約届』だ。
二コラ王子との『婚約破棄』が認められてすぐに、取りかかってくれたのだろうと分かる。
シルヴェルトルが、思ったよりも早かったなと考えていると
「国王は、親父を怒らせたらマズイってよーく分かってるからな」
そう眉尻を下げるルイゾン。
「それはそうだな」
隣国との国境防衛を一任されているのが、勇壮勇猛なバルニエ辺境領だ。
その武力たるや『一朝一夕で一国を制す』とまで言われている。
そんな辺境伯が最も溺愛する、唯一の娘であるジゼル。縁談でより強固な絆をと考えた国王の思惑を、考えなしにぶち壊したのがニコラ王子だ。
「さあて、どんな態度で来るかね?」
ニヤニヤするルイゾンは、侍従としてシルヴェルトルの背後に付き従う。
「どうでもいい。それよりジジのドレス姿だ」
「……! だな!」
コンコン。
「ジゼル様のお支度が、整いました!」
元気な新人メイドのイリスの声で、男二人は先を争うようにして、玄関ホールへと向かう。
階段を下りていくと、いつもよりもぴんと張った背筋で、既にジゼルが待っていた。
「ひぃ~やっぱり緊張するぅ! ……あ、シル! ルイ! どうこれ、におてる!?」
「最高に美しい」
「うちの妹、世界一」
だがジゼルには、不安しかない。
「たはー。あかん、溺愛メンズに聞いても無駄やった……」
「とってもお綺麗ですよ、ジゼル様!」
ふん、と両こぶしを握って言ってくれるのは、イリスだ。
「イリスー! ありがと!」
シルヴェルトルの目が行き届かないところで、執事のクレマンはまだしも、他の古参の人間たちが傲慢になった結果、働きづらい環境へと成り下がっていた公爵家。ジゼルは屋敷内見学ですぐにそれらを見抜いた。
長いこと女主人が不在だったことから、メイド頭であるヘルガの権力も相当なところまで及んでしまっていた。それらの是正のためジゼルは、王太子妃教育でお世話になった教師たちを、一定期間公爵家に呼んで再教育を行うことを思いついたのだ。
思惑通り、『王宮お抱え教師』のブランドは大変効果があった。
さらに『未だにジゼルは、王宮とつながりがある』と見せることへの相乗効果で、一気に使用人たちの態度が改まり
「ジジは、政治もできるのだな」
とシルヴェルトルが舌を巻いていたのは余談である。
「えへへ! お世話になった先生たちやし」
王宮勤めということは、腕にプライドがあるはず。公爵家での実績も、経歴に箔がつくと思いついたのだった。
さらに――
「ジゼル様っ! ぎりっぎりで、たいっへんに申し訳ないっ!!」
ルイゾンの元々の部下や、きちんとした面談後に修行をさせた者たちが護衛をしつつ、やってきたのは宝石商の代表である。
過剰な護衛も無理はない。なぜなら。
「やっと! やっと、できました!」
「間に合ったのね! でかしたーっ!」
この世界でのプラチナは、希少鉱石なのはもちろんだが、素材の用途としては武器防具にしか使われてこなかった。
ジゼルの故郷であるバルニエ辺境領では、少量だがプラチナが取れる。それらが『強い辺境騎士団』の源でもあるわけだが(耐熱性に優れ、酸にも強い)、平和な世の中で富を生むには、とジゼルは考えた――アクセサリーにしたろ! と。柔らかくて加工しやすい反面、技術の腕はものすごく必要な素材だが、宝石商や職人たちは気合を入れて取り組んでくれた。
シルヴェルトルが受け取って、すぐにジゼルの背後から付けてくれる。
繊細な細工で繋がれたプラチナの鎖が、レースのようにジゼルの華奢な首元から鎖骨までを覆うデザインだ。
先端には大粒のダイヤと、それを取り囲むサファイヤとダイヤが惜しみなく付けられている。ヘアアクセサリーもイヤリングもお揃いのデザインで、そちらはイリスが付けてくれた。
玄関ホールにおいてさえキラキラと輝く、それらの「斬新な」ジュエリーを身に着けたジゼルが会場に入ったら……と想像しただけで、シルヴェルトルの口元は緩みっぱなしだ。
「わあ……!」
イリスの持つ手鏡でジゼル自身もチェックをし、満足のいく出来栄えに、満面の笑みで宝石商を振り返った。
「ほんまにようやった! めちゃくちゃおすすめしてくるわ!」
「頼みましたよ! 奥様!」
「まだ奥様ちゃうし!」
笑顔で送り出され、馬車に乗る。
シルヴェルトル、ジゼル、そしてお付きのルイゾンが向かう先は――国王の誕生日パーティとして催される、夜会だ。
「いざ、戦場へ! やな!」
「ふは、戦場とは言いえて妙だな」
あの『テンプレ婚約破棄劇場』から、数か月ぶりの再会となるはずだ。
ルイゾンが片方の口角をこれでもか、と上げる。
「存分にやっちまえよ。シル、ジジ」
「「おう」」
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