初恋の人やて!?


 

 実は、シルヴェルトルは次男だ。

 長男は

「わりぃな、シル。俺、領地経営より剣振ってる方が性に合ってる!」

 と家を飛び出した明るく豪放な性格で、今や『銀獅子』の名を冠する次期騎士団長候補。妻も子供もいる。

 

 本当は、兄のことが羨ましい。

 

 やりたいことを見つける。愛する人と添い遂げる。シルヴェルトルにとって、そのどちらも自分には程遠い夢のようなものだからだ。

 天井を仰ぎ、思わず手を伸ばす――掴みたいものは……

 

 

 コンコン。


「……? 誰だ」


 来客の予定はないはずだ、と我に返ったシルヴェルトルは、

 

「旦那様。ジゼル様がお会いになりたいと」


 そんな執事の声掛けに反対する材料を、持ち合わせていなかった。

 

「入れ」

 

 プロムから三日目。

 

 昨日のジゼルは屋敷中を見て回り、コンサバトリーでのお茶を楽しんだ、と報告を受けていた。

 大人しくしているのを意外に思っていたシルヴェルトルだったが(てっきりすぐに実家に帰りたい、と言われると思っていた)、ようやく動いたのかもしれないなと少し気を引き締める。


「ごきげんよう」


 開いた扉から執務室に入ってきたのは、シンプルな紺色のデイドレスを着たジゼル。黒髪によく似合っている、と思ったが、それを口に出して良いものかと逡巡しているうちに、

「ひま! です!」

 と言いながら、ずかずかと執務机に近寄ってきた。


「暇、か」

「退屈すぎて、死にそうやねんけど!」

「ふむ……」


 扉の脇で眉間に深いしわを寄せるクレマンを、シルヴェルトルは手だけで追い払った。

 ジゼルが、その執事の背中に、盛大に舌を出している。

 

「ジゼル嬢」

「オホホ! すみません、わたくしったら! 思わず」

「何かされたか……言われたりしたのか?」

「へ」

「クレマンは、先代から尽くしてくれている執事だが、頭が固い」

「石頭ですね。でも大丈夫です。やられたらやり返すんで。倍返しです」


 きょとん、とした後で、シルヴェルトルは小さく笑みを漏らした。

 

「ふ。そうか」


 ジゼルは、それをなぜだか嬉しいと思ったが――それを悟られるのが恥ずかしく

「暴虐でも笑うんやねえ」

 とからかうことにした。

 

「まだ言うか」


 シルヴェルトルが苦笑しながら立ち上がり、脇の本棚へと歩くのを、ジゼルは目で追いかける。

 本当に背が高い。脚立いらないな、と眺めつつ

「で。一体、何を暴虐しちゃったんです?」

 となおも聞いてみると、若い公爵は顎に拳を当て、本を目で探しながら

「それ、使い方合ってるか? ――うるさいバカ女に、うるさいバカって言っただけだ」

 事も無げに言い捨てる。

 

「うわお。なかなかの暴虐やん!」


 貴族社会では、ありえない振る舞いだ。

 だがジゼルは逆に、シルヴェルトルに好感を持ってしまった。

 

「あ! ……まさかその、バカ女がー?」

「アンなんとかだな」

「アンなんとかって……アンリエットでしょ」

「そうだったか。バカな上に、王子寝取り女だな」

「うぶっふ」


 吹いたジゼルは、しかし同時に気づいてしまった。


「うおあ! ほんまや、これク●ゲーだけやない、ネトラレもやんか……ウチの地雷や! うそやん~ありえへん~~~~」


 うおおおお、と両手で頭を抱える伯爵令嬢? に

「すまない、何を言っているのかさっぱり分からないのだが。バルニエの言葉なのだろうか?」

 真面目に問うてくるシルヴェルトル。とても心配そうな顔に、良心が痛む。

 

「あー、閣下。どうぞお気になさらずですわよ、オホホ」

「そうか?」

「といいますか。婚約するのですよね? わたくしたち」

「……ああ」


 シルヴェルトルは、手を止めてジゼルに向き合ってくれた。片手間ではなく真正面から対応してくれることに、ジゼルは彼の誠実さを感じた。ジゼルも正面から改めて、シルヴェルトルを見据える。


 黒いくせっ毛は少し伸ばして耳にかけている。

 琥珀色の瞳は、光加減によっては金色に見える。通った鼻筋に、薄い唇。

 長身だけでなく、剣の鍛錬も欠かさないと執事から聞いた通り(勝手に色々喋ってくれた)、鍛えていることが分かる体躯。その上所作はさすが公爵、綺麗である。


「どうした?」

「あーのー、あー……あ! ずっと、閣下呼びで良いのです?」


 婚約者なら、愛称で呼び合うと親密さが増す。

 ジゼルが気になっていたのは、この距離感だった。本当に婚約する気があるのか疑わしいぐらいに、シルヴェルトルはジゼルと最低限度しか接しない。

 

「……あまりにも急だった。ニコラに心が残っていたらと思っ」

「最初っから、全くこれっぽっちもございません」


 かぶせる勢いで言い切ったジゼルに、シルヴェルトルは

「そ、うか。ならば、気軽にシルと呼んでくれ」

 圧倒されつつも、言った。

 

「シル。わたくしは」

「ジジ、で良いか」

「! はい」


 家族しか知らない愛称を、なぜこの人は知っているのだろう? とジゼルは疑問に思ったが、それよりも

「ところで何をお探しです?」

 本棚の前で、何かを探し続けるシルヴェルトルの方が気になった。

 

「税収記録だ。最近のはあるが、過去の」

「なるほど。お手伝いしても?」

「良いのか?」

「ひまやし!」

「そうだった。じゃあ、手伝ってもらいたい」

「はい喜んでえ!」

「ふっ、くくく」

「ふふふ! あ、こんなに下にありました。背高いから探しづらかったんでしょう。はい、どうぞ」

「……ありがとう」

 

 そういってジゼルを見下ろすシルヴェルトルの微笑みが、柔らかい。初めて見る表情に、ジゼルは少し動揺する。

 じんわり赤くなってきた頬をごまかすように、シルヴェルトルがめくり始めたページを、横から見る。


「ふーむ? なかなかどうして厳しそう」

「お恥ずかしい限りだが、そうだ。やはり毎年税収が減っている」

「一緒に分析しましょう。もう少し過去のものも比較して、あと天候記録」

「! 助かる」


 本棚に近寄り、目当ての背表紙を探していると、ジゼルにまたしても別の疑問がわいた。


「そういえば、普通はこういうのって、侍従がいるのでは? 護衛とか」

「それがな……見習いは何人か付けてみたんだが、辞めてもらった」

「なぜ?」

「厳選した結果だ。まあ俺ひとりしかいないから、今のところは」

「それが、支障出まくりですわ」

「……なに?」

「昨日一日で分かったことが色々ございまして。それを話に来たのもあるのです」


 ジゼルの発言に、目を丸くしたシルヴェルトル。

 琥珀色の瞳に浮かぶのは、驚きと好奇だ。なるほど、『黒獅子』とはうまいことを言う。獰猛な肉食獣に狙われると、このような気分になるのだな、とジゼルは少し後ずさった。


「さすがジジだな」

「それほどでも?」


 え、この人ウチのこと前から知ってた? とまた疑問に思ったところで――



 コンコン。



 ノックに遮られた。

 

「なんだ」

「旦那様。ダニエラ・レジュナー様がおみえです」

「……はあ。わかった」


 誰? とジゼルが見上げると

「母方の叔母だ」

 シンプルな答えが返ってきた。

「同席しましょうか?」

「間違いなく、とても嫌な思いをさせるぞ」

「でも、結婚するなら避けて通れない。やろ?」

「!」


 息を呑むシルヴェルトルに、ジゼルは

「こうなったら、なんでもござれやで」

 にかっと笑って見せた。

「頼もしいな、婚約者殿」

 それににやりと返すシルヴェルトルが、わざとキザな仕草で肘を出したので、わざと同じ文言で返す。

「それほどでも?」

 思いっきりおすましの顔でそのエスコートを受けたら、なぜか笑われた。

 

 

 ――獅子って笑うと、可愛いんやね……



 不思議な人だ、とジゼルは思う。


 彼と話す度に、心がほどけていくような感覚がある。

 ほどける、ということは、自分でも気づかないうちに、がんじがらめになっていたということだ。

 王太子妃になるという重責は、そんなにだったか? 過去に思いを馳せても、答えはすぐに見つからない。


「ジジ。途中で耐えられなくなったら、無礼でも構わない。すぐに退室してくれ」

「はいもう、遠慮なく!」

「それでいい」

 

 少なくとも今は、この人が誠実で優しいと知ることができている――なら良いか、とジゼルは思った。

 

 


 ◇ ◇ ◇



 

「ちょお、シル! いい加減もう、笑うんやめてやあっ」

「ぶっは、ぶふふふふふ、す、まんんんぶっふふふふふ」


 ダイニングルームで、シルヴェルトルは顔面が崩壊する勢いで笑っていた。拳を口に当てて、顔をそらしたり四方八方を向いたりしているが、一向に収まらない。

 


 応接室で出迎えた『母方の叔母』であるダニエラ・レジュナーは、なかなか人物だった。

 まず香水の匂いがものすごい。部屋に入った瞬間から、鼻が曲がりそうになる。

 次に、出した紅茶や菓子に難癖をつける。ジゼルたちはすでに鼻が死んでいるので(多分目も死んでいたに違いない)、味が薄いやらなにやら文句を言われても、さっぱり同意できない。

 さらには

「勝手に婚約取りやめだなんて! 貴方は由緒正しいデュゲ公爵家の跡取りなんですから、一生独り身なんて許されないのですよっ!!」

 と一方的にまくしたてた挙句、自身の親戚筋のだれだれと婚約しろと言ってきた。これに対し

「断る。俺には前から想い人がいて、今回婚約する運びとなった」

 とシルヴェルトルがジゼルを紹介したら、勝手に卒倒しそうになり、よりにもよって

「婚約破棄された女性だなんてっ! 欠陥品じゃないの!」

 などと暴言を吐かれた。

 さすがに怒ったシルヴェルトルが行動する前に、

「くっさいし、うるっさ!」

 ジゼルがすくっと立ち上がる。

 

「シルの叔母だからって気を遣って黙っていたら、なんとまあ無礼で下品なこと。先触れもなくいきなりやってきて、なんです? その振りまいた香水、泥水ですの? せっかく淹れたうちのお茶が台無しですわ。それにね、愛する者同士を引き裂くのは、猫にひっかかれて死ぬ呪いにかかりますのよ。覚えてらして?」

 

 そうまくしたてると、ダニエラは金魚が水面で空気を求めるかのように、口をぱくぱくさせていた。だからジゼルは、さらに追い討ちをかけることにする――二度と家の敷居は、跨がせまへんでぇ! である。

 

「わたくしを『欠陥品』と仰いましたわね。これでも、王太子妃教育を叩きこまれた身ですのよ。ですから、よおーく存じ上げておりますわ、レジュナー伯爵夫人。ご主人の事業が傾いて、家計が火の車でいらっしゃる。デュゲから何か搾り取ろうとお考えかしら? 残念だけれど、わたくし、このような無礼なお方の手を取ろうなんて思いませんの。今すぐお引き取りを。クレマン!」


 パンパン! と手を叩いて執事を呼びつけ、

「お帰りよ。玄関までご案内を」

 言い切った。

 

 これにはさすがのクレマンも呆気に取られて固まっていると

「こちらで失礼する。行こう、ジジ」

「ええ、シル!」

 立ち上がって颯爽と肘を差し出すシルヴェルトル。もちろん、これ見よがしに巻き付いてみせた(お手本はアンなんとか嬢だ)ジゼルである。


 そうしてダイニングに避難して来た二人だったのだが――シルヴェルトルの腹筋が死ぬ勢いで、笑い続けている。


「あー、ジジ。ぶふふ。控えめに言っても、最高だった」

「それほどでも?」

「あの顔! くっくっく。俺は今まで、いったい何を我慢してきたんだろうな」

「シル……」


 ジゼルは悟る。

 公爵の重責たるや、いかほどかと。

 

 この公爵領に住む人間全員の命が、たった一人――しかも若干二十歳! ――の両肩にのしかかっていると言っても、過言では無い。だってこの屋敷には……


「ほんまや、めっちゃ逆境やんか! ウチ、燃えてきたでえええ!」

「ジジ?」

「シル。とりあえず! いっぱい話! しよ!」


 シルヴェルトルはそれを聞くや真顔になり、

「ああ! たくさん話をしよう」

 と応えた。

 



 ◇ ◇ ◇




 ――王子のお披露目会など、来たくはなかった。

 公爵家の息子だから、王子と仲良くしなければならないなどと、一体誰が決めたのだ?

 

「うへー。黒い髪って、きったない」


 シルヴェルトルのくせっ毛でもつれた髪を、散々引っ張って遊んだくせに――そう言い捨てる八歳の王子を、誰も咎めずむしろ笑って見ている。


 ニコラは、手に絡んだシルヴェルトルから抜けた髪を、反吐が出そうな顔で嫌々取っている。そんな金髪碧眼で同い年の王子は、容姿端麗との評判だが――その顔はとてつもなく醜悪だと思った。


 無抵抗で耐えきった。頭皮のあちこちがズキズキする。痛い。が、泣かない。悔しいが、泣き顔を見られたらもっと悔しいだろうから。


 こんな時に庇ってくれるはずの母は、病であっという間に空の向こうに行ってしまって、もういない。

 こんなことなら、ずっと喪に服していたかった……と庭の片隅になんとか避難して膝を抱えていると、

 

「ねえ。ねこ、好き?」


 唐突に、自分よりも年下の女の子に話しかけられた。

 その子は、自分の頭を指差しながら、シルヴェルトルに笑いかける。


「わたしも黒髪なの。おそろいだね!」

「君は……」

「わたし、ジジ!」

「僕は、シル。おそろいだね。猫も、好きだよ」

「ほんと! あっちに、くろねこがいたの」

「黒猫? じゃあ猫も、僕たちとおそろいだね」

「うん!」


 ガーデンパーティを二人でこっそり抜け出して、猫を探した。

 やがて見つかった黒猫は人懐っこく、素直に触らせてくれたので、ジジの膝に乗せて二人で撫でながら話をした。

 

「あのおーじってひと、くろい髪の毛がきらいなのに、わたしとこんやく? するんだって。やだな」

「そんな……それは嫌だね」

「シルだったらよかったのに!」

「僕も婚約するならジジがいい。……そうだ! 大人になったら迎えにいくから、そしたら僕と結婚しようよ!」

「えっ! ほんと?」

「うん。それまでに、王子よりえらくなる!」

「ふふ! ぜったいだよ! やくそくね!」

「約束するよ!」




 ◇ ◇ ◇



 

「え、自分、クロちゃんなん……?」

「ん?」

「うそやん!」

「おい。クロちゃんて……猫の方だぞ」

「マジ!? あかん! ウチ、勘違いしてテレコで覚えてもうてたんやな……シルのこと、クロちゃんて……」

「テレ……? とりあえず、覚えていてくれて良かった」

「そんなの、当たり前やんか! クロちゃーん!」

「……」

「ごめんてー! 今だけ!」

「はは。わかった、わかった」


 四日目の夜。二人は、コンサバトリーに居た。

 

 夕食後、湯浴みを終えて寝るまでの間。

 眠くないし、寝室に戻るのもなあと、廊下をうろつくジゼルを目ざとく見つけたシルヴェルトル。眠くないなら、少し飲むか? という誘いに、ジゼルは頷いた。

 ガラス温室に溜まった昼間の熱のお陰で、寒くはない。ランプの穏やかに揺らめく明かりを頼りに、カウチソファに並んで腰掛けて、ゆっくりとグラスを傾けるふたりは、ぽつぽつと様々な話をしている。


 酔いの勢いもあって、ニコラのことは本当に好きではないのか? と聞かれたジゼルが、実は昔、結婚の約束をした男の子がいたんだと話すと――それがシルヴェルトルだと打ち明けられたのだ。

 

「約束を、半分しか果たせていなくてすまない」

「それでも! 嬉しいよ!」


 ジゼルの胸は、じんわりと温かくなる。

 アルコールのせいだけではない。

 あの日から何も変わっていない、同じ黒髪の『初恋の人』が目の前にいるのだ。


「ジジ……」


 シルヴェルトルがそっと手を差し出したので、ジゼルはグラスをテーブルに置いて、その手を取る。


 ぐいっと引き寄せられ、その甲にキスを落とされ――


「まだ俺は正式な婚約者じゃない。それに……この傾きかけた公爵家では、貴女を幸せにできないかもしれない。それでも、どうか……抱きしめさせてくれ」


 黄金にきらめく瞳が、自分を求めているのが嬉しくて、

「うん……! シル……」

 ジゼルがそう返事をすると、恐る恐る抱き寄せられ、やがてぐっと力が入った。

 

 熱くて優しいその腕の中で、ようやくジゼルは安心して、その背に手を添える。


 

 ――生まれて初めて、呼吸ができた気がした。




 ◇ ◇ ◇



 

 プロムでの婚約破棄騒動から、五日。

 そろそろジゼルの実家であるバルニエ伯爵家から返事が来るかもしれないと思うと、大変に憂鬱なシルヴェルトル。

 だが、公爵領経営に休みはない。


「どうにも厳しいですねえ」

「そうか……」


 公爵家の当主執務室で、そんなシルヴェルトルに相対するのは、公爵領の主だった商会の代表者たちだ。手には大量の書類。全員が渋面である。

 

 王都から近いデュゲ公爵領は、広大な土地と港が強み。

 海洋貿易も盛んで、畑から採れる作物と、魚。都会に隣接している強みから、ドレスやアクセサリーなどの服飾産業も盛んだ。


 だが現在、その税収は減る一方になってしまっている。

 不運な長雨が続いての不作。天候不順だと漁にも出られず、民は支出を抑える。

 すると服飾などに割ける金もおのずと減り、職人たちの収入が減れば、税金は払えなくなっていく。

 そんな、悪循環に陥っていた。天候は回復したものの、一度絞られた財布はなかなか元に戻らないのだ。


「わかった。対策を考える」

「はい。我々も協力は惜しまないつもりです」

「ありがとう」

 

 先代からの長い付き合いである男たちの報告を、いつものしかめっ面で聞いていたシルヴェルトルは、思わず出そうになった溜息を飲み込んだ。

 現状、デュゲの金庫は目減りしていく一方だ。このままでは下手をすると本当に結婚どころではない。言い訳したくはないが、後継としての教育は、顔合わせも含めてまだまだ足りていなかった。


 言っても仕方がないことだ、と皆を送り出そうと立ち上がった瞬間、前触れもなく扉が開いた。


「!?」

 

 驚く一同の前に現れたのは、ジゼル・バルニエ。

 なんと両手でも大変なぐらいに大きな銀トレイを持っており、その上には色とりどりの焼き菓子が乗っている。

 

「あら!? もうお開きですの?」


 呆気に取られる一同を尻目に、ジゼルはずかずかと部屋に入り、


「お菓子を持って参りましたの。せっかくですし、どうぞ召し上がって?」


 と笑顔で告げた。

 そしてトレイをテーブルに置くや商会の代表者たちに

「わたくし、シルヴェルトルの婚約者、ジゼル・バルニエと申しますわ。閣下はもちろんのこと、も大変お世話になっております」

 それはそれは綺麗なカーテシーを行い――当然おじさまたちは、突如として現れた令嬢に夢中になった。

 

「バルニエの!」

「驚きましたぞ! てっきり王太子妃になられるのではと」

「いやはや、このようなお美しい方とは存じ上げず……ニコラ殿下は、なんともったいないことを」

 

 ジゼルの思った通り、『白王子の婚約破棄騒動』は、貴族の間だけでなく商会にまで響き渡っていた。

 であれば、シルヴェルトルの『悪評』もまた然りだ。それを払拭しないと、恐らくデュゲの商売は成り立たなくなると判断し、強引にやってきたのだ。

 

「皆様方にはご心配をおかけして申し訳ございませんわ。でもこうして……」

 ジゼルは、シルヴェルトルに寄り添い、潤んだ目で見上げる。

「優秀で誠実な閣下と、添い遂げる機会をいただけましたの。ニコラ殿下には感謝いたしておりますわ!」

「おお」

「ジゼル様!」

「なんと健気な……」

「皆様。閣下は……シルは、こんな風に照れ屋さんで、いつもしかめっ面ですけれど、本当はお優しいお方なのですよ。今後とも一緒にデュゲ領を盛り立てて頂きたいですわ!」


 それを聞いた一番の古株が

「なんと、不機嫌ではなく、照れていらしたのですか!」

 と言うと、シルヴェルトルは

「……そ、そうなのだ。皆にはいつも良くしてもらっているから。感謝している」

 と応え、少しだけ口角を上げた。


 それを受けて、たちまち全員が破顔した。

 

「なんとまあ! 照れる必要はございませんぞ」

「てっきり、ご不満であらせられるのかと! 勘違いで失礼いたしました!」

「いやはや、良かった、良かった! これはジゼル様のお陰ですなあ!」

 

 それからは楽しいお茶会となり、ジゼルは甲斐甲斐しくおじさまたちのお世話をし――皆がニコニコで去って行くのを、シルヴェルトルと並んで玄関ホールで見送った。

 

「はあ……ジゼル……」

「何も言わず合わせてくださり、ありがたく存じます、閣下」

「いや。感謝する。助かった」

「ふふ。商人とは、仲良くすることが肝要。商売は『人となり』と『風評』が何よりも大事やねんで! てことですわ。これで商会の方は大丈夫でしょう。――まだまだやること盛りだくさんですわよ。次は帳簿の精査。経費の無駄遣いを、徹底的に暴きますわよ!」

「うむ。徹底的にやろう」


 笑い合い、シルヴェルトルの執務室に戻る二人は、まるでずっと以前からの夫婦のようだ。

 そして――


「あー、ジジ。憂鬱な招待状が来てるぞ」


 シルヴェルトルは、執務机の上に乗っていた一通の封筒を開封したかと思うと、眉間にシワを寄せた。


「なんです? ……あぁ、またその時期ですか」

「うむ。ドレスは作るとしてだな」

「ねえ、シル」

「ん?」

「ちょっと思いついたこと、あんねん!」


 シルヴェルトルは、ニヤリと口角を上げた。


「ほう? 聞こうじゃないか」

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