異世界への使者episode5 蝶…幽閉の地
@wakumo
異世界への使者episode5 蝶…幽閉の地
パピヨンは旅路の果てにこの谷あいの村に出会いました。見渡す限りの麦畑。何処にもその景色を遮る冷たい建造物はなく絵になる風景が遠く遠く広がっていました。耕し育てる毎日の中で自分らしい暮らし方を見つけ、心を落ち着けて、目に映るすべてのものを貪欲に写し取っていきました。
自然と親しむうちに鳥のさえずりも覚え会話をすることが出来るようになりました。植物の声を聞いてのんびりと優しい毎日を過ごしながら、このまま此処で暮らそうと決め、心穏やかに筆を執る毎日の中で、ブリザードに出会いました。
ブリザードはパピヨンの絵を自分が世界の誰よりも先に見つけたと、そしてこの絵を自分の画廊で代々的に発表したいと言う喜びが湧き上がり興奮していました。
「是非、この絵を渡しの画廊で発表したい。いくらか描き溜めたら連絡を…」
突然の申し入れで呆然としたパピヨンも、話をするうちに自分の夢が叶うかもしれないと心が躍る思いでした。
ブリザードは素晴らしい画商でした。話をしているだけで行ったこともない土地の画廊の正面玄関に据えられたパピヨンの絵。それを賛辞する群衆の姿が目に浮かぶようでした。
そして…その日から毎日カンバスを抱えてあちこちの路地、街角、人々の顔、沢山の絵を描き始めました。
まとまった数の絵を描き溜めれば正式な契約を結ぶことになっていました。そのことで頭が一杯で、わけもなくスラスラ描けていたのも束の間。だんだん筆が遅くなりやがて、描けなくなりました。
見えているはずの花が目に映りません。薫り高い花なのになにも感じることが出来ません。パピヨンには何も見えなくなっていたのです。
「この村に来たときのことを覚えているか?」
キャンバスはパピヨンに話しかけます。
「来たときのこと?」
「お前は、絵など描けた状態ではなかった。貧しすぎてヨボヨボでお腹が空いて何も出来ず、ただただ空腹を満たすことのみに囚われていた」
「もう、忘れてしまった。自分の過去など遠すぎて思い出せない」
「そうだろう、その頃のお前はキャンバスを抱え、絵の具を携えていたが絵描きでも何でもなくただのさすらい人だった」
「……」
「今はどうだ?仕事をしながら絵も描いて、人から慕われ、満足している」
「満足…」
「そう、人は何故身を粉にして働くと清々しい気持ちになるのか?何の為に絵を描くのか?」
「……」
パピヨンはその答えを知ろうとしました。毎晩、パピヨンに問いかけるのみで答えてくれないキャンバスは真っ白のまま、パピヨンの前に立ちはだかっていました。
この闇を通り抜ければ、パピヨンは一人前の画家として、辛い産みの苦しみに悩む毎日から救われるはずでした。
遠くには、青く輝く水平線が待っていました。色取りどりに咲き乱れる香り高い花の美しさに、何度夢の中で息を詰まらせた事でしょう。そのたびに、パピヨンは、ベットの上に跳ね起き、また、突然彼の前に現れたブリザードとの約束を思い返すのでした。
ブリザードがこの街にやって来てからすでに三年の月日が流れていました。思い出せば、それは、空の青く澄んだ秋の日の事でした。道端でカンバスに向かって風景画を描いているパピヨンを一目みるなり、ブリザードはこう言いました。
「ほほう、これはなかなか良い絵だ。どうかね君、僕のところへやってきてひとつ修業をしてみないか。きっと良い絵描きになれると思うんだがねえ」
そう言って一枚の名刺を差し出しました。名刺には“画廊 ブリザード”
と、かかれていました。
長い間絵を描き続けてきたパピヨンにとっては夢のような話でした。何度も大きな画廊で個展を開いて飛ぶように売れる絵を放心状態で眺める自分を夢見たりしました。そんな夢のような時が、ついに訪れた気がしたのです。
絵を売ることの意味を考えたことはありませんでした。少しでも収入になれば暮らしが楽になると、それしか考えませんでした。直ぐにブリザードのもとへ飛んでいくことも出来たでしょう。
でも、彼には、この街で描いておきたい場所が数知れず残っていました。もともと、彼がこの街に住むことにしたのも、街のあちらこちらに彼の大好きな、星色のハナニラの花や愛らしいオーブリエチアの花が咲き乱れていたからでした。
パピヨンのカンバスにはそれらたくさんの花が、いつも、美しく描かれていました。その中で、人々も家々もキラキラ息づいていました。パピヨンは自分の描く絵を心から愛していました。しかし、その頃はまだ、その絵が人に売れるとは思っていませんでした。貧しくても絵を描いていられれば幸せでした。なのに心のどこかで…画家として生きていけたら…と、欲張る気持ちが有ったのかもしれません。
全ての欲を断ち切って描きたいものを描くだけの生活を手に入れたと思った頃、彼はブリザードに出会いました。
思いがけない彼の言葉に、欲張っていた気持ちが突然大きくなりました。そして、知らず知らずのうちに自分の才能を気にするようになっていました。それ以来、筆を持つ日がだんだん億劫になり、少しでも良い絵を描きたいと思えば思うほど、思いどおりの絵が描けなくなってしまったのでした。
良い絵を描きたい。それは自分の絵に価値を見出そうとするパピヨンの心の揺れでした。パピヨンは焦っていました。描きたい物がいっぱい有りました。それを少しでも早く描き上げて翔んで行きたいところがありました。
鳥たちのさえずりは聞こえなくなりました。小さな動物が通ってくれた獣道は草で塞がれました。パピヨンの世界が閉ざされた小さな闇の世界になりました。
そのうちまた冬が来ました。家に篭もりがちの日が続くようになりました。外は真っ白な雪景色。パピヨンの心は、ひどく沈んでいました。ふと見上げるとまるで幻想の中の景色のように…
部屋の中のいたるところに四季の花ばなが咲いていました。彼が今まで一つ一つ心を込めて描き上げてきた絵でした。まさに今咲かんと蕾を持ち上げ首を伸ばし頭を振ってひとつ、またひとつ、部屋中に花が咲きました。
パピヨンの花に寄せる温かい思いが溢れていました。声を上げて泣きました。涙が後から後から流れて胸が苦しくなりました。
カンバスを見つめながら、彼は大きな溜め息をつきます。そのため息とともに喉につかえた欠片がコトリと床に落ちました。
誰からも何も言われず、好きな絵だけに打ち込んでいた毎日がたまらなく懐かしく甦ってきました。大好きなハナニラやハナビシソウやネジリバナに囲まれて、一日中飽きもせず絵筆を握っていたあの頃をようやく思い出したのです。
彼は、これまで心に重くのしかかっていた画家になる。ということを止めようと決心しました。それよりも大好きな景色をのんびりと描き続ける事を選びました。
今まであんなに悩んでいたことが嘘のようにすっきりしていました。
三年の間、何度も引き出しから取り出しては見つめ続けた、ブリザードの名刺は、パピヨンの手で真っ赤に燃える暖炉に投げ入れられ、あっというまに真っ白な灰になってしまいました。
パピヨンはベットに寝転んで、すすけた天井を見つめました。そして、ゆっくりと目を閉じて…ブリザードの事は忘れよう…と決めました。
四度目の秋がやってきました。パピヨンは稲の刈り入れに追われていました。あぜ道に据えられたカンバスには村人の稲刈りの様子が生き生きと描かれていました。
「やあ!パピヨン」
突然彼を呼ぶ声が聞こえました。
「また、会いたくなってやってきた。どうだね絵は、はかどっているかね」
それは、ブリザードでした。何度も夢に見た懐かしい顔が、にこにこと笑って、パピヨンをみつめていました。
パピヨンも急いでそばに駆け寄りました。でもかわす言葉が見つかりません。
二人は土手の上に腰をおろしました。ブリザードは忙しそうに彼に話し始めました画廊を新しく建て直したこと。パピヨンの為にアトリエを造ったこと。連絡が無いので様子を見に来たこと。絵を何点か持って帰りたいこと。
矢継ぎ早の話に目が眩みそうでした。
最後に、娘のネモフィラも一緒について来たこと。大急ぎでそれだけ言い終わるとブリザードは顔を上げてネモフィラに合図をしました。遠くで小さな影がちょこんと頭を下げました。
美しい髪をなびかせてネモフィラはパピヨンの大好きなフィンの丘に立っていました。
パピヨンの目にどれほど美しく写ったことでしょう…
その日から、パピヨンはネモフィラを相手にたくさんの絵を描きました。ネモフィラも飾りのないパピヨンの絵に魅せられて、料理から掃除、洗濯、なんでもやりました。
稲刈りもすっかり終り、日の短くなった秋の日の朝、パピヨンは、ブリザードの申し出をすべて断りました。その上一人娘のネモフィラとハナニラの街で暮らしたいとブリザードに打ち明けました。
ブリザードは残念でしたが二人の申し出を承知しました。その代わり季節ごとに一枚だけ娘の気に入った絵を譲ってくれるようにとパピヨンに頼みました。
やがて冬のやってくる少し前、ブリザードは、色取りどりの秋の野の花に囲まれたネモフィラの美しい肖像画を携えて帰りの船に乗りました。
海を渡ることの出来なかったパピヨンだけどその絵は、はるか遠く運河を渡り、新しく出来あがった゛Gallery ブリザード″ の正面玄関を飾りました。いつまでもいつまでも無名の画家パピヨンは隠れ住んだ村からブリザードのところへ絵を発信し続けました。
最初の一枚…花とネモフィラは、パピヨンの最高傑作として、長く人々に愛され続けました。
パピヨンのもとに届いたネモフィラはいつまでも美しいままパピヨンに愛されました。
FIN
異世界への使者episode5 蝶…幽閉の地 @wakumo
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