機動令嬢ヴィラネス〜婚約者に殺されそうになったので愛機で逃げたら、流れ着いた先で安息を得ました〜

@Rigen0811

機動令嬢ヴィラネス〜婚約者に殺されそうになったので愛機で逃げたら、流れ着いた先で安息を得ました〜

「イオニア、お前との婚約は破棄する。そして、このまま死んでもらおう」


 戦勝に沸く王宮のパーティー会場。片隅のバルコニーから、乾いた音が夜空に溶ける。


 鮮やかな紫のドレスを纏う金髪の若い女性、イオニア。

 その紅い瞳が彼女の婚約者、キュオレ王国第一王子のアロンを映す。


 彼の隣では、民たちが『聖女』と慕う白い髪に水色の瞳の美女――ベルテットが、イオニアより豪奢な青いドレス姿でほくそ笑む。


「アロンさま……どうして、こんな……」


 問いかけるイオニア。細い身体の脇腹に開いた小さな穴から、鮮血が伝う。


「うまく避ける……。冥途の土産に教えてあげるよ。お前を愛してなんていないからさ」


 アロンがイオニアへ向ける拳銃の銃口から、煙が消えた。


「僕の言うことを聞かず戦場を好き放題に飛び回り、帝国で囚われの身にすらなった。そんなお前を愛するとでも?」

「わからないのぉ? あなたの居場所なんてもうないのよ。オ・ネ・エ・サ・マ?」


 ベルテットがイオニアを呼ぶ。かつて敬愛をこめて呼んでくれた名を、踏みにじるように。


「私は戦争を終わらせるために必要なことをしたんです! 前にもそう説明したはず……っ!」


 叫んだ拍子に痛みが走り、声が止まる。


「そのうえで切り捨てるんだ。目障りなんだよ。僕の思い通りにならない女なんて」

「そんな……」

「戦うしか能がないお前より、ベルを妻に迎えたいんだ。親同士が勝手に婚約を決めて、いい迷惑だった」

「なら、あの夜に誓った愛も、嘘だったのですか!」

「老人どもを安心させる芝居に決まってるだろ。彼らはちゃんと、何も知らないまま死んでくれた。我ながら名演技だった」


 銃を持ってない方のアロンの腕に、ベルテットは自分の腕を絡めた。


「あとはお姉さまが消えれば、アロンさまは権力もお姉さまの家の財産も、みんな手に入れるってわけ!」

「ベル、あなた……!」


 拳を握るイオニア。アロンは銃の引き金に再び力を入れた。


「世間には、お前は暗殺されたと広めるよ」

「遺体はおじ様たちと同じように、ちゃぁんと、消し炭にしてあげますね?」


 二人の別れの言葉は、どこまでも汚れている。


「……ふ、ふふ……」


 イオニアの喉奥から、笑いがこぼれた。


「あらあら。お姉さまったら、とうとう狂っちゃった?」

「笑わずにいられないわ。だって……全部予想通りだったもの!」


 地面が揺れる。会場のざわめきがここまで聞こえてくる。


「きゃあっ!」


 よろけたベルデットを支えたアロンが、イオニアを睨んだ。


「くっ! イオニア!」


 叫びとともに放たれる弾丸。だが、イオニアに届くことはない。


『失礼いたしまあああああすっ!」


 床を突き破った巨大な鋼の手が、弾丸を阻んだからだ。

 バルコニーの一部ごとイオニアを持ち上げた紅鉄こうてつの巨人。成人男性の十倍の大きさはある。そのシルエットは鋭くもしなやかだ。


『ドンピシャでございますね、お嬢さま!』

「そうみたいね……!」


 イオニアが巨人の発した機械音声に応じる。声と連動して、巨人の目に当たる部分が青く点滅した。


 巨大人型兵器『ネクスビーク』。


 兵士の能力を物理的に引き上げつつ、多様な戦地に投入できる汎用性を持ったネクスビークは、キュオレ王国の切り札となった。


 イオニアの父はネクスビークの開発と量産を実現したが、戦争中期に帝国の大陸焼却兵器によって先代国王らとともに死亡。


 深紅のネクスビーク――ヴィラネスは、イオニアの専用機にして、父からの最期の贈り物だった。


『お急ぎを! アロン王子の護衛たちが来ます!』


 頷いて、イオニアはドレスの胸元、母の形見のブローチに触れる。

 ブローチの輝きに呼応して、イオニアを包むドレスは一瞬の量子分解のあと、ネクスビーク用のパイロットスーツに再構築された。


 イオニアはコックピットに飛び移り、左右の操縦桿を握る。閉じたコックピットカバーに弾丸の跳ねる音が響いた。


『お嬢さま!? 撃たれてるじゃないですか!? やっぱりあの二人殺します!?』


 女性めいた声が慌てふためく。

 声の正体はヴィラネスに搭載された人工知能――ラネ。

 ヴィラネスの火器管制や索敵担当にして、簡単な操縦もできる、イオニアの頼れる相棒だ。


「これくらい平気! それより、最後の仕上げよ……!」


 フルスクリーンのモニター越しに銃を撃ち続けるアロンを……愛そうとしたはずの彼を見る。

 あの夜のような優しい眼差しとは、もう二度と出会えないだろう。

 そう予感して、イオニアは小さく震える両手に力を入れた。


『それが、あなたの望みなら。……レゾンエンジン、最大出力で稼働します!』


 バルコニーの残骸を捨てたヴィラネスが、一対の鋭い翼を広げ、空を駆け上がる。王宮も、アロンもベルテットも、瞬く間に小さくなっていった。


『王宮護衛用ネクスビークが接近中! 数は四! どうします!?』


 白い機体を駆り、こちらと同じく飛んで追ってくる近衛兵たち。戦友だったはずの彼らの敵意が、痛む身体を刺してくる。


「振り切って! もう誰も、死なせたくない……っ!」

『お任せを! この機体に追いつけるやつなんていません!』


 ネクスビークは基本、バッテリーを電源に、磁力調整によって駆動する。


 唯一の例外がヴィラネスだ。


 次世代動力『レゾンエンジン』を搭載し、その性能は他の機体の比ではない。

 白い機体たちを引き離して、ヴィラネスは雲より高い位置にきた。


『ルデート粒子、チャージ完了! お嬢様、いつでも!』


 ヴィラネスを撃ち落とすために飛んでくるミサイルやビームが、眼下の故郷を覆い隠す。


「ラネ、跳んで!」

『超・長距離空間跳躍、開始します!』


 まばゆい光が、イオニアの視界を埋め尽くした。



◇◇◇



 真っ黒の空間を、いくつもの光の線が後ろへ流れていく。

 ここは空間跳躍のときに通る亜空間。

 入ることができるのは、亜空間への門を開く『ルデート粒子』を操るレゾンエンジンを積んだヴィラネスのみ。


『亜空間航行、安定を確認。もう大丈夫ですよ。お嬢さま』


 ラネの声に緊張を解いて、イオニアは操縦桿を手放し、シートに身体を預ける。

 アロンの撃った弾丸はイオニアを貫通していた。スーツの自動止血機能により、背中にねばつく嫌な感触が広がるが、それは大事には至ってない証拠だ。

 モニターに反射する自分の顔は、二十歳を迎えたばかりとは思えないほど疲れていた。


「……なによ。


 彼女は、転生者だ。


 もともとは、恋愛ゲームが趣味のただの日本の女子高生だった。

 死因は学校帰りの交通事故。そのあと神様を名乗る老人に予定外の死を謝罪された。


 『お詫びに転生させよう』と言われ、気づけば彼女はクリアしたばかりのゲームの世界にいた。生まれたばかりの赤ん坊の姿で。


 ただ、肝心のチートなどはなく、行われたのは自我を残した転生のみ。

 そして原作知識から、転生先が主人公と敵対する悪役令嬢イオニアだとすぐにわかった。


 彼女がクリアしたゲームは、SFと中世ヨーロッパ風の文化が融合した世界で、王国と帝国の戦乱を生きるキャラクターたちと愛を育むもの。

 普段遊ぶのとは毛色の違う作風に、なかなか楽しめたことを覚えている。


 だが、彼女にとって問題はそこではなかった。


 イオニアは、原作では王国を裏切って帝国の兵士になる。

 そして主人公にヴィラネスを破壊されコックピットを這い出たところで、主人公への好感度が最も高い攻略対象キャラの専用機に踏み潰されて死ぬ。


 そんな運命を回避するため、彼女は全力で取り組んだ。


 貴族の作法やこの世界の法則といった勉強に。

 複雑化する諸々のトラブルの早期解決に。

 鍛錬やネクスビークの操縦訓練に。


 そして、『悪役令嬢』になどならないよう、周囲の人たちに親切にすることに。


 その結果、見事に運命は変わった。


 イオニアは王国軍でヴィラネスを駆り、王国を勝利に導いた。


 けれどそれは、原作から逸脱した、誰も知らない物語になるということ。


 その最たるものがアロンと、本来の主人公であるベルテットだ。


『いやはやしかし、アロン王子が自らお嬢さまに手を下そうとするとは』

「いざってときは自分でやる男よ。小さい頃からそうだった。ベルがアロンのためなら手段を選ばないのもね」


 ささいなきっかけで、アロンの性格は原作から外れた野心家になった。

 戦乱に苦しむ民たちを慰安する聖女のはずのベルテットも、似つかわしくない側面を持った。


 だがイオニアもまた、さまざまな経験を経て転生前から大きく変わった。

 イオニアとして生きる覚悟を決めるほどに。

 謀略を予見し、その対策ができるほどに。


「……戦うしか能がない、か」


 それが幸か不幸かは、彼女にもよくわかっていない。


「全部うまくいくと、思ってたのになぁ……」

『元気出してください、お嬢さま。お嬢さまがなされたことは、すべて正しいことでしたよ』

「そうかな。結局、こんな風に飛び出しちゃった」


 自虐的に笑う。

 国を救おうと。戦いを終わらせようと。自分は何ひとつ、


『それでも、生きております。以前お話しされていた、死の運命を乗り越えて』

「ラネ……」

『私にとってのお嬢さまは、今のお嬢さまです。あなたにお仕えすることが、私の喜びであり、誇りです。それは決して変わりません。最後まで、私はお嬢さまのそばにおりますよ!』


 イオニアはほほ笑んで、正面のディスプレイを指先で撫でた。


「ありがとう。これからもよろしくね」

『ええ。こちらこ――』


 コックピットが大きく揺れ、けたたましい警報が鳴った。


「なに!?」

『エンジンに異常発生! 時限式の強制停止プログラム!?』


 ディスプレイが明らかに正常な挙動ではない点滅を繰り返す。


『技術部の連中……! エンジンを解析できないからって、なんてものを!』

「ど、どうなるの!?」

『亜空間を弾き出されます! どこに出るかわかりません! 機体制御不能! お嬢さま、お気を確かに!』


 悲鳴のようなラネの報告と、強い衝撃。

 イオニアの意識は、眩い光を見た後に暗転した。



◇◇◇



 どこまでも沈むような闇の中。

 無数の顔がこちらを見下ろしている。

 皆、イオニアである彼女の心を抉った者たちだ。


――勘がいいだけの小娘かと思っていたが、今となっては恐ろしい……


――父親や周りの人間を操って、王にでもなるつもりか


――ひとりだけのうのうと生き残って! 私たちの子を返せ!


――帝国に捕まったとき、殺されちまえばよかったんだ!


 無数の罵声が響く。

 だが、身体は動かず耳を塞ぐことも、反論することもできない。


(私は……)


 うつろに開いた目から、涙がこぼれる。


(なんのために、頑張ったんだっけ……)


 ふと、闇の彼方に、小さな光が見えた。

 近づく光は、次第にその形を鮮明にしてい


(手……?)


 優しく温かな光の手が、イオニアを優しく包み込んで……。



◇◇◇



「……ら……くりか……だ……!」

「あ……が……のに……ろう……!」


 遠くで、誰かが口論をしている。

 内容を聞き取れないが、そんな気がした。

 温かく、柔らかい。ベッドの中にいる。


「私……生きてる……」


 静かに身体を起こす。鋭い痛みが腹部に走り、意識が鮮明になる。


「そうだ……私、撃たれて、跳んで、それから……」


 そこで気づく。自分が今、見覚えのない患者衣を纏っていることに。

 ラネとの通信機能も持つブローチも外されている。

 広い部屋の中を見渡すが、整頓されていることがわかるばかりで、どこかもわからない。


「ラネ! どこにいるの!? ラネッ!?」


 呼びかける。口論の声が途絶えて、扉が開いた。


「気がついたか、イオニア!」


 現れたのは、艶やかな黒髪を短く整え、理知的な印象を抱かせる翡翠の瞳をした、二十代半ばの男。

 突然のことでも、その顔と名前だけはわかった。


「ゼスト陛下!? ならここはフルム共和国……!?」

「その通り! ここはフルム城。私の家だ!」


 ニッと笑うゼストの隣で、執事と思しき老人がため息をついた。


「やれやれ。起きてくださって安心しました……」


 フルム共和国。

 遠く海を隔てたキュオレ王国と帝国の戦争には不干渉を貫き、動乱する世界にあって平穏を維持する国家。ゼストはその若き王だ。


 原作のゲームには国の存在と同じく登場しないキャラクターだが、イオニアは社交界で何度か顔を合わせたことがある。


 パニック寸前の気持ちを深呼吸で落ち着かせ、イオニアはゼストを見つめた。


「あの、陛下。ヴィラネス……私のネクスビークは?」

「地下の倉庫に置いてるよ。それから……ほら」


 ゼストは懐からブローチを取り出し、イオニアに手渡した。


「大切なものだと聞いた。返しておくよ」

「ああ……! ありがとうございます! 大切な、母の形見なんです!」


 目立った損傷がないことを確認し、イオニアはブローチに語りかけた。


「ラネ、聞こえる?」

『お嬢さま! お目覚めになられたのですね! 本当によかった!』


 ブローチが明滅し、ラネの声が響く。


『お嬢さまを救ってくださったこと、感謝します! ゼスト陛下!』

「なぁに。あれだけ必死なお願いをされたら無下にはできないさ」


 朗らかに笑ったゼストの横で執事が声を荒げた。


「陛下! あれは脅迫ですぞ! 断ればこの場で自爆するなどと!」

「そう言うなノイマン。見事な忠義じゃないか」


 二人のやり取りにイオニアは疑問符を浮かべた。


「あの……前後の記憶がないのですが、ラネはいったい何を……?」

「中庭に突然降ってきたと思ったら、コックピットの中にいる君の救助を求めてきたんだ。私の名を呼んでね」

『お嬢さまの対面した方の記録を、すべて保存しておいて正解でした』

「私が近づいたらコックピットが開いて、血を流して気を失った君がいたんだ」


 そこでイオニアは思い至る。


「そういえば、私のこの服は……」

「え? あっ……! い、いや! いやいや! ちゃんと着替えはうちの侍女に頼んだ! 安心してくれ!」


 真っ赤な顔を激しく横に振るゼスト。イオニアは少し頬を緩ませた。


「本当に、ありがとうございます。陛下は、命の恩人です」

「……そのこと、なんだが」


 ゼストは少し気まずそうに膝を折り、ベッドの上のイオニアと目線を合わせる。


「ラネ君から聞いたよ。アロンに撃たれたと」

「………………」

「ヴィラネス以外のすべてを失うとわかって、あてのない逃避行に出たともね」

「ラネったら、そんなことまで……」

『もはやあの国に義理立ての必要はありませんから』


 ブローチがラネの声を発して明滅した。


「フルムに来たのは不幸中の幸いだ。傷が癒えるまでゆっくりしていくといい」

「ですが、私がいたら、周辺国に誤解を招いてしまうのでは……」

「誤解されるのは慣れてるよ。中立国の宿命だね。ノイマン、彼女をくれぐれも丁重に扱ってくれ」

「承知いたしました。当面の危機も去りましたし、安心して仕事ができます」


 それから、イオニアのフルムでの生活が始まった。


 生活と言っても治療が大半で外を出歩くことはない。


 ただ、公務の合間を縫って会いに来るゼストとの時間は、ラネとのやりとりとは違った安心感があり、イオニアの密かな楽しみになっていた。


 そしてイオニアはまだ知らなったが、ゼストもまた、優しく聡明なイオニアに好意を募らせていくのだった。



◇◇◇



 根を保護した木を両手に乗せたヴィラネスが、ややおぼつかない動きでフルム城の中庭を進む。


「そうです。そのままゆっくり……」


 だが、コックピットで操縦桿を握っているのは、イオニアではない。

 ゼストだった。イオニアと同じように、作業着に袖を通している。

 ヴィラネスは、掘られていた穴に木を置くと、人間が苗木を植えるように、両側から土を押し込んだ。


「ふう……。 見るのとやるのとでは、結構違うな」


 ゼストは操縦桿から放した右手で額の汗を拭う。


「イオニアの手本の倍以上はかかってしまったよ」

「いえ、お上手ですよ、陛下。とても初めてとは思えません」

『同意します。現時点で王国新兵より筋がいいかと』

「ラネ、失礼よ」

「ははは、ラネ君に言われたら自信にしなくては」


 イオニアがフルムに滞在して三週間。

 身体は自由に動けるまでに回復し、ヴィラネスの操縦もできるようになっていた。


 こうしてゼストに操縦を任せているのは、彼が照れ笑いを浮かべながら『一度でいいからネクスビークを動かしてみたい』と頼んできたからだ。


 ヴィラネスは生体認証により、イオニアが乗っていないと十全には動かない。そのため二人はコックピットで身体を寄せ合っていた。


「陛下、改めてお礼を。技師の方々も不慣れでしょうに、ヴィラネスの整備までしていただいて」

「ラネ君の指示が明瞭だったからさ。彼らも王国の最新技術に触れて喜んでいたよ」


 ヴィラネスがゼストの操縦で静かに片膝をつき、待機姿勢に移る。


「本当に素晴らしい。力仕事もこれがあれば一気に効率的になる。すぐにでも民たちに広めたいよ。この国は農業が主産業で、体力がいるからね!」

「……そう考えられる陛下を、私は尊敬します」

「い、いやぁ、それほどでも……」

「父も、ネクスビークの行きつく先は平和利用だと、そう話しておりました」

「え……」

「戦いに使うのは、この戦争が最初で最後だと」


 寂しそうに笑う横顔に、ゼストはどう声をかけていいかわからなかった。

 そのうちにコックピットが開く。


「降りましょう。ノイマンさんたちが心配します」

「あ、ああ……」


 二人が乗ったヴィラネスの手を、ラネの自動操縦が地上に近づける。

 先んじて芝の上に降りたゼストは、イオニアに手を差し伸べた。

 きょとんとしたイオニアだったが、すぐに意味を理解し、微笑とともに彼の手を取った。


「陛下ぁー! 本当に乗っておられたのですかー!」


 中庭と城をつなぐ扉から、ノイマンが叫んでいる。


「あはは……予感的中。陛下、行きましょう」


 凛とした姿勢で歩くイオニアの背が、どこか遠くへ行ってしまいそうだった。


「――イオニア」


 気が付けば、声が出ていた。振り向いたイオニアの、後ろに束ねた金の髪が揺れる。


「君さえよければ、この国で暮らさないか? 私と一緒に。私の妻として」

「それって……」

「私と、結婚してほしい」


 二人の間を、一陣の風が通り抜けた。

 見つめ合う二人。先に言葉を紡いだのは、イオニアだった。


「ありがとうございます、陛下。光栄です」


 ゼストの顔に安堵が咲く。


「……でも、ごめんなさい」


 イオニアの拒絶に、膝から崩れそうになった。


「な、なぜ!? 王国、いや、アロンは君を――」

「ラネから聞いています。不慮の事故で私が死んだことになっていることも。王に即位したアロンが、私の家の財産を得たことも。キュオレにはもう、私の帰る場所はありません」

「だったら……」

「でも、私が生きていると知ったら、彼は今度こそ私を消そうとするはずです。私が関わる気がなくても、自分の保身のために」


 ブローチが輝き、パイロットスーツ姿のイオニアが現れる。


「私はこの国を、争いに巻き込みたくないのです」

「待ってくれ、イオニア!」

「陛下の優しさも、触れ合ったこの国の人たちの温かさも、決して忘れません」


 ゼストの横を通り、イオニアが再びヴィラネスの手に乗る。


「助けてくださった恩も返せない無礼な女などではなく、陛下に相応しい人が現れますよ。きっと」


 ヴィラネスの手が上昇していく。イオニアの笑みは、ひどく悲しく見えた。


「イオニア、私は――!」


 ゼストの言葉を遮るように、世界が揺れた。


「じ、地震!?」


 立っていられないほどの振動に、イオニアはヴィラネスの親指を掴む。


『そんな、まさか』

「ラネ?」


 空を見上げるヴィラネスから、ラネのうわごとのような声がこぼれる。

 ヴィラネスと同じ方を向いたイオニアは、信じられない光景を目にした。


「空が割れる……!?」


 ひび割れていく青空。その隙間から、禍々しい闇が漏れている。


「――同じだ」


 足元で、ゼストがつぶやいた。


「陛下……?」

「ヴィラネスが落ちてきたときと、同じ空なんだ!」


 鏡の割れるような音ともに。空を内側から突き破って、それは現れた。

 全身が黒く輝く鉄の巨人。ヴィラネスより一回り大きく、太い身体は、暴力的な印象を押し付けてくる。その頭部には赤い単眼が怪しく光っていた。


「ラネ、あれって……」

『機体情報、該当なし。ですが、間違いなくネクスビークです。それも空間を跳躍してきました!』


 嵐に近い暴風が吹き荒れて、割れた空が修復される。

 黒いネクスビークは、挙動を確認するように身体をぐんと伸ばした。


「どうして……! 跳躍はヴィラネスにしかできないはずなのに!」

『機体胸部に大型のレゾンエンジンを確認。おそらく、空間跳躍の技術を得るために造られた試作機かと』

「試作機……。パイロットは?」

『生体反応はありません。コックピットブロックまでエンジンで埋まっています。もとからパイロットの搭乗は想定していないみたいです』


 つばを飲むイオニア。嫌な想像が頭をよぎった。


「ラネ、ヴィラネスのデータを持ってるのは……」

『王直属の技術部だけです。それも三七日前、ヴィラネスに無理な接続をした際に取得した、断片的なものに過ぎません』


 空間跳躍がヴィラネスしかできないのは、これ以上の争いを生まないようにとイオニアの父が技術とデータをヴィラネスに封印したからだ。


 加えて、帝国との講和条約で、互いに新たなヘリテージの生産と開発はしないことを決めたはず。


 だが、目の前に現れたのは跳躍能力を持った新型。


 つまり王国側が条約を破り、さらなる戦力を作ろうとしているということだ。


「アロン、あなたはまだ……!」


 歯噛みするイオニア。宙に浮く黒い機体の目が、こちらに動いた。


『ロック反応! 気づかれました!』


 ラネの声が言い終えるより先に、イオニアはコックピットに飛び移る。


「い、イオニア!? どうする気だ!?」

「あれの相手をします! 陛下は城の中へ!」

「危険だ! 君の怪我も完全に癒えたわけじゃない! イオニア!」


 コックピットカバーが閉じ、ゼストの姿が一瞬だけ見えなくなる。

 点灯したモニターに、ノイマンや侍女たちに引っ張られていくゼストが見えた。


「……ありがとう、ゼスト。さっきの言葉、本当に嬉しかった」

『来ます!』


 イオニアの操作で、ヴィラネスが右腕を前に出す。

 腕の装甲がせり上がり、青い色の光の盾が出現した。


 黒い機体が目から放ったビームが盾と激突し、振動がコックピットに押し寄せる。


「なんて威力……!」

『レゾンエンジンが生み出すルデート粒子を収束、放射しています。武装の原理はこちらと同じですが、大型な分、あちらの方が出力は上です!』

「なら、速度でカバーする!」


 ビームの終了に合わせて、翼を広げて飛んだヴィラネスが黒い機体に肉迫する。

 右腕の装甲が動き、粒子によって構成された光の剣が伸びた。


『お嬢さま! 狙いは胸部のエンジンです!』

「ええ! わかってるわ!」


 懐に飛び込むヴィラネス。

 だが、即座に対応され、二機は組み合うかたちになった。


「ヴィラネスに追いつく……!?」

『接触による高速解析の結果が出ました! 機体名称ムアルマ! この機体、持っていかれたヴィラネスの戦闘データを取り込んでいます!』

「なんですって!?」

『机上の空論だった、跳躍する無人機部隊! その試作機にあたるものです!』


 再び赤い目が輝き、ヴィラネスの右肩の装甲が焼かれる。


「こいつっ!」


 反撃に繰り出した剣が黒い機体――ムアルマの右腕を斬り落とす。


「いけない! 街に落ちる!」


 飛んでいく黒い腕に剣先を向け、その先端から粒子を圧縮した弾丸を連射する。

 炸裂した粒子弾が腕を破砕し、街には細かい欠片が降り注ぐのみに終わった。


『お嬢さま! 危ない!』


 その隙を突き、ムアルマがヴィラネスの胴体を蹴りつけた。

 ヴィラネスは街の広場に落ちかけるが、ラネの補助操作でどうにか軟着陸する。


 ただ、街にはまだ大勢の人が、事態を飲み込めないまま逃げ惑っていた。


「ラネ! 音声を外部出力モードに!」

『了解! どうぞ!』

「ここは危険です! 急いで安全な場所に避難してください!」


 叫んだイオニアは、モニターの端にぬいぐるみを抱いて立ちすくむ短い三つ編みの少女を見た。


「あの子……!?」


 リハビリの名目でゼストに連れ出された城下で立ち寄った、花屋の店主の娘だ。

 少女の頭上が、突然暗くなる。

 降りてくる黒い足の位置と、少女が重なっていた。


「だっ、だめっ!」


 最大速度で跳んだヴィラネスが少女の上に覆いかぶさった。

 再びの衝撃がイオニアを揺さぶる。ムアルマがヴィラネスを踏みつけているが、少女は無事だ。


「大丈夫!? 怪我はない!?」

「その声……この前のお姉ちゃん?」

「覚えていてくれたのね。でも、今はお話してる場合じゃないの!」


 何かを言いかけた少女が、横から走って来た父親に抱えられて離れていく

 それを確認したイオニアは、瞳に鋭い光を灯して、操縦桿を全力で引いた。


 ヴィラネスが勢いよく起き上がり、バランスを崩したムアルマが仰向けで倒れる。


「あぐ……っ!?」


 その身体に、千切れるような音と痛みが駆けた。


『お嬢さま、傷が!』

「平気……っ! それより、やつは――」


 ムアルマが起き上がり、空に浮かぶ。その四肢を広げ、不気味な振動を始めた。


「何をしてるの……?」

『胸部に高濃度のルデート粒子を確認! やつの最大火力と推測します!』


 ムアルマの胸が開き、銀色の心臓――レゾンエンジンが剥き出しになる。

 折り畳まれていたエンジン直結型の砲身が展開し、ヴィラネスに向けられた。


「あれ、避けたらどうなる?」

『街と城を含めた周辺地域は消滅。空に向けて撃たせたとしても、発射の余波で無事では済まないでしょう。今のヴィラネスの武装で止めるには……』


 イオニアも、ラネと同じ結論に至っていた。


「突っ込むしかない、か。皇帝を倒したときと同じね」

『エンジンはここの技師の方々のおかげでプログラム含めて修復済みです。あとは――お嬢さま次第ですよ』


 迷うことなどなかった。もとより、王国を飛び出した目的も似たようなものだ。


「……次も、誰かになったりするのかな」


 笑みを消して、イオニアはムアルマを睨みつけた。


「レゾンエンジン、リミッター解除!」

『リミッター解除! 翼と剣に粒子を集中します!』


 立ち上がったヴィラネスの背に、青く輝く六枚の翼が広がる。光の剣も、右腕全体を覆うように巨大化した。


「行くよ、ヴィラネスッ!」


 紅の機人が飛び立つ。突き出した剣が、ムアルマを捉えた。

 砲身を貫き、そのエンジンを刺し穿つ。

 だが、止まらない。


『ムアルマの粒子増大、止まりません! このままでは暴発します!』

「空に持っていくわ! 地上に被害の出ない高度を計算して! 私たちの安全優先度は最低値で!』

『……了解!』


 翼の光が強まり、ヴィラネスはムアルマごと浮上する。

 眼下の景色が小さくなっていく。王国を出たときと同じように。


『ムアルマの機体温度上昇! エネルギー臨界まで、あと八秒!』

「……っ! 間に合えええええっ!」


 高い空で響くイオニアの絶叫。

 ムアルマが、爆発と閃光の中に消えた。

 地上からも確認できるほどの黒煙が漂う。


「はあ、はあ……! や、やった……!」


 ヴィラネスは無事だった。


『機体損傷度、許容値です。お疲れさまでした、お嬢さま』


 宙に浮くヴィラネスの翼が霧散する。


『落下する破片も少なく、地上の被害はありません』

「そう。よかった、本当に……」


 ほぼ無意識に操作したモニターが、城を拡大する。だが、イオニアはすぐに視線を外した。


「……ラネ、行くわよ」


 ヴィラネスを旋回させるため、操縦桿を倒す。


『お断りします』


 だが、ヴィラネスは動かなかった。

 それどころか、ゼストのいる城の方へ緩やかに降下していく。


「ど、どうしたの!? ヴィラネス壊れちゃった!?」


 いくら操縦桿を動かしてペダルを踏んでも反応がなく、イオニアは焦りを募らせる。


『いいえ。これは、私の意志です』

「なんでこんなことを……!」

『私はお嬢さまが寂しくないようにと、あなたを産んですぐに亡くなった奥さまの代わりとして、旦那さまが造った対話用の人工知能です』


 ラネが、唐突に回顧する言葉を発した。


『それがこうして、ともに戦場に立つまでに至りました。いろいろなことがありましたね。ヘリブルの山越えも、ゴッツェロンの撤退戦も、帝国の処刑場の破壊も、すべてを覚えています。あなたと同じように』

「……何が、言いたいの?」

『もういいと思いますよ。ご自身を責めるのは』


 イオニアの両手が、ぴくりと震える。


『ずっと負い目に思われていたんですよね。こうなったのは、全て自分が悪いのだと』


 ヴィラネスのコックピットに、茜が混じる陽光が差し込んだ。


『お嬢さまは誰にも理解されない戦いを、たった一人で続けてこられました。その報酬が、孤独であり続けることだなんて、間違っています』

「ラネ……」

『私はデータの集合体。真にお嬢さまに寄り添うことはできません。でも、主の幸福を願うことはできます。お嬢さまはもう、十分頑張りましたよ』


 口が震えるのを、力を入れて止める。


「ず、ずるいよ。急にそんなこと言うの……」

『これも、お嬢さまが私に心を教えてくれたからです。あなたのしたことは、間違いなどではありません』


 自分が死にたくないからと始めたことだった。


 だが、裏切られて痛感した。自分はこの世界に生きる人たちの運命を歪めてしまった。その責任を取らなければいけない。


 だから、幸せになどなってはいけないと、そう思った。そのはずなのに。


「でも……っ!」


 視界が滲んでいく。覚悟が、揺らいでいく。


「私にはもう、あなたとヴィラネスしか……!」

『はい。残っていません。だから、また、集めていけばいいんです』

「怖いよラネ……! また裏切られるのが、怖くてたまらない……!」

『大丈夫。顔を上げて、よく見てください』


 ヴィラネスのモニターが、笑顔で両手を大きく振るゼストが映し出した。

 彼だけではない。次々と表示される街の人々は、一様にヴィラネスと、イオニアを歓迎している。


『ここに、お嬢さまを傷つけるものはありませんよ』


 感謝の声に包まれながら。

 イオニアはコックピットで、子どものように声をあげて泣き続けた。


 やがて、城の中庭にヴィラネスが静かに着地する。

 城で働く者たちや、ヴィラネスを追いかけてきた住民たちが見守る中、イオニアはコックピットを出て芝生の上に立った。


「イオニア……」


 最前にいたゼストが、イオニアに真剣な顔で歩み寄る。


「この国を、民たちを守ってくれてありがとう。感謝してもしきれないよ」

「いえ……。国の過ちは、国の人間が処理すべきです。できることを、やっただけです」


 イオニアも赤く充血した目にゼストを映す。だが、ゼストは目を伏せた。


「イオニア、さっきは悪かった」

「え……?」

「自分でも抑えきれなかったんだ。あんな気持ちは初めてで……。離したくない。そばにいたいと。だから……!」


 熱くなっていくのを自覚したのか、ゼストの声がまた小さくなる。


「……すまない。君の気持ちを考えていなかった」

「陛下。私にも、言わせてください」

「な、なんだい?」

「先ほどの件、お返事の変更は……間に合いますか?」

「ああ……本当にすま――え?」


 頓狂な声を上げたゼストが見たのは、微笑むイオニア。

 その笑みの意味を理解してゼストは跪き、イオニアの右手にそっと口づけをする。


 鮮やかな夕焼けの空に、歓声が湧き上がった。



◇◇◇



 キュオレ王国。王となったアロンは、パイロットスーツに身を包み、王城地下の格納庫で薄笑いを浮かべていた。


「く、くく……ははは……! ついに完成したか! 新たなレゾンエンジン搭載機!」


 彼の見上げる先には、ヴィラネスに似た青い機体が立っている。

 アロンの周囲には、数人の文官と、技術部の人間だけがいた。

 皆疲れ切った顔をしているが、アロンは目を爛々と輝かせていた。


 結論から言って、アロンに政治の才はなかった。


 戦争の勝利を自分の手柄のように喧伝し、民や政治は文官らとベルテットに任せ、ヴィラネスで支えていた戦力の補強に躍起になっていたのだ。


「アロン王、この機体の開発で帝国から接収した資産も含め、財源は底を尽きました! 国の治安も荒れ果てて、戦中よりひどくなっています!」

「これでは、いつまた戦争が起きるか……!」

「うるさいっ! それもこれも無能なお前たちの仕事が遅いからだ! ムアルマを亜空間で見失うなんて、全員処刑しても良かったんだぞ」

「王……!」


 文官たちを叱責するアロンだが、すぐに笑顔を刻んだ。


「金がないだって? 金なんて、いくらでも民から搾り取れるさ。ベルテットの泣き落としでな。くく、聖女さまさまだ!」

「で、ですが、ベルテット王妃も、昼夜問わずの公務で疲れ、今朝倒れられてしまいましたよ!」

「むしろ好都合! 弱った彼女を見れば、民は自分たちの命すら差し出すだろう! すぐ叩き起こせ!」


 政治的な要人のほとんどを戦中に失い、もはや、誰もアロンを止めることは出来なかった。


「これで、もっとこの国は強くなる! 無人機なんて性に合わない。今度は僕自身が、戦場で英雄になる! この、《アヴィロン》で!」


 アロンはコックピットに入ると、早速レゾンエンジンを起動した。


「そこで見ていろ! 王国が最強の国家になる、歴史的瞬間をな! レゾンエンジン、出力最大!」


 アヴィロンが震え出す。

 そこへ、ひとりの女性技術者が息を切らせて格納庫に飛び込んできた。


「ま、待ってください!」


 慌てる部下の姿に技術部長は戸惑う。


「おい、何をしに来た!」

「この機体のレゾンエンジンは、未完成なんです!」

「未完成!?」

「ルデート粒子の制御ができるほど、エンジンもシステムも完成していないんです! 時間がなくて間に合わせるしかなくて……。今、エンジンを動かしたら――!」


 その日、キュオレ王国は地図から消えた。


 周辺国からも観測できた巨大な亜空間の門は、発生と同時にキュオレの全てを飲み込んだ。後に残ったのは、文字通り何もない原野だけ。


 当然、王国の最期はイオニアの耳にも届いた。


 だが、彼女の目にもう涙はなかった。


 ゼストやフルム共和国の人々とともに過ごす、穏やかで温かな日々が彼女の心を満たし続けているのだから。

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機動令嬢ヴィラネス〜婚約者に殺されそうになったので愛機で逃げたら、流れ着いた先で安息を得ました〜 @Rigen0811

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