第1幕

星埜銀杏

*****

 どもどもです。星埜銀杏です。


 なんだか、私の創作歴というか、どういった事があって星埜銀杏が作られたのか?


 という事を、まとめておきたいと思い立ちました。


 一応、今回は第1幕という事で、かるく語ります。


 私が、漫画〔……この時点では落書き〕を初めて描きたいと思ったのは小学生の頃です。親が、ラーメン屋をやっていたのですが、隣が飲み屋で、その隣が喫茶店でした。で、喫茶店の店主さんの子供と仲が良かったのです。凄くですね。


 そして、


 ある日、その喫茶店の子供が、私の家に忍び込んできたわけです。


 あ、私たち家族の店舗も、飲み屋も、喫茶店も2階が住めるようになっておりまして3軒とも2階に住んでいたのです。で、私も、喫茶店の子もベランダ伝いに互いの家に行き来する仲だったのです。もちろん居ない時は忍び込むのも普通でした。


 そんなわけで、その日も、いつもの事とばかり喫茶店の子が忍び込んできて……、


 あるイタズラをしたわけです。


 まあ、イタズラとはいえ、小学生低学年の子がやる事ですから、可愛いもので、マッサージチェアに落書きしたわけですね。それはドラえもんの顔でありました。しかし、その絵こそが、私の人生を決定づけました。それほどまでに、なのです。


 そう。凄い上手かったんです。


 いや、今、見ると、そんなに上手いものでもなかったのかもしれません。なにせ、小学生低学年の子が描いたものですから。しかしながら衝撃を受けました。すげぇ。すげぇって。語彙死亡。そして、こんな絵を描きたいと思ってしまったのです。


 それから、無事〔?〕、あらゆる場所、物に落書きをしまくるようになりました。


 でも、この時点では漫画は描いておりませんよ~。


 そして、


 中学生になった時、遂に、漫画描きデビューです。


 とはいえ、原稿用紙などを使って描いたわけではありません。ノートに漫画形式で描いたわけでもありません。ノートの1ページを破って真ん中で折り、小さな本が作れるのですが、その冊子で見開きで4コマの8ページの漫画を描いておりました。


 1ページ目が表紙なので、合計、7ページ、7コマの漫画ですね。


 熱血4人組だとか、迷盗と名盗だとか、怪盗ドランクなどといった題名の作品を描きまくっていました。珍しいところで言えば、ギャンブラー自己中心派に感銘を受けて、ケッヂーの三羽などという麻雀漫画を描いた事もありましたぞ。うほほ。


 ただし、


 この小さな冊子、本当に1コマが小さいのですよ。


 なので、


 ほとんどのコマがバストアップ構成という、とてもとても残念な仕様であります。


 まあ、この頃から絵を描くのが好きというよりは、絵も楽しいけど、それより、お話が作りたいと思っていたのです。なので、バストアップばかりでも、まったく気にしてなかったという。そして、これは不思議で不可思議なのでありますが……、


 何故か、私の描いた漫画モドキが学校で大人気だったのです。なんでだろう~?w


 だからといってはなんですが調子に乗ったのであります。星埜銀杏という阿呆は。


 漫画を描くの楽しいってわさ。


 と……。


 ただ、ここで漫画家になりたいと思ったわけではありません。小学生6年生の時の将来なりたい職業はプロ棋士〔※ある棋士に憧れていてです〕で、中学生の頃は、なんも考えてなくて、ハァ、高校、どこ、行くべぇくらいしか考えてませんでした。


 で、高校生になると、漫画を描いているってオタク臭いと穿ちまくりまして……、


 高校の3年間で描いた漫画を発表するという行動は0という事態に相成りました。


 まあ、一応、例の小冊子で弟妹に向けては描いていたわけですが。


 ちょこちょこと少しだけです。


 なので高校で出会った親友にすら漫画を描いているところを見せませんでした。むしろ、その正反対とも言える、徹夜でカラオケの、喫茶店でのダベりの、深夜の自販機の前でのイキりぃの、原付や軽自動車などでの遠出など阿呆三昧でありました。


 そう。高校デビューなのですw


 それから、その頃、妙に芸能界に憧れていまして、映画の出演者オーディションを受けた事もありますね。まあ、中学生を募集しているところに高校生の私が応募したわけですから、当然、書類選考で落とされましたがね。阿呆は阿呆であります。


 兎も角、


 高校生の時、描いた漫画はしれています。むしろ描かなかったといった方が正確なのであります。漫画を描いていると知られたくない、それよりも遊びたいと。まあ、今、思えば、単なる偏見で、大切な3年間を無駄にしたなぁと思っちょります。


 そして、


 また運命の歯車が回り出します。ぐるぐるとです。


 商業高校に行っていたのですが、卒業前、担任にドコに就職するかを聞かれます。


 またまた阿呆は、なにも考えておらず、まだ働きたくねぇなぁ~、くらいにしか考えていません。そこで担任から、ある提案が。それはNSC〔※お笑いの吉本興業が主催する芸人養成所〕に行かないか? と言われてしまったのです。おほほw


 てか、NSCに行けば、まだ働かなくていいんじゃねぇの? なんて思いましてw


 二つ返事でNSC行きを決めます。無論、大阪の。


 あ、この頃は芸能界にも憧れていたので、一石二鳥なんて思っていたかもですね。


 とはいえ、一応、書類選考〔※ここは担任が上手い事やってくれたような気がしますぞぉ〕を経て面接を受けて合格したわけですが。まあ、結果から言えば半年で実家に帰るんですが。じゃ、運命の歯車じゃねぇじゃん、という話にも。違うんです。


 その時、


 お笑いのネタを4コマ漫画で作っていたわけです。


 その時、


 ノートの1ページを使い、いわゆる世の中で言う漫画というものを初めて描いたわけです。4コマではありますがね。加えて、その時、漫画を描くのが楽しいという事を思い出してしまい、それから真剣に漫画道へと足を踏み入れるわけです。


 まあ、ここから、少しの間、駆け足でいきますよ。


 そして、


 NSCで挫折〔……なのかなぁ。真剣に芸人になりたかったわけじゃないし。うむむ〕して実家に帰り、生まれて初めて漫画の原稿用紙を買います。ただ、この頃は漫画を、どうやって描くのか、なにも知らなかったので画用紙を買いました。


 そして、1本目、桃ジローを描き、……なんか、そのまんまのひねり無しな題名w


 次はケント紙〔1枚40円也〕を買って人間になりかった人形を描きあげました。


 3作目は、ビリィーブマン、4作目が、縁組み天使〔※名前忘れた〕を描きます。


 この時、ちょっとした事故があり、小指の骨を折っていまして、最後のページ、1枚を使った絵のペン入れを妹に代筆してもらいました。この頃からですかね。ようやく漫画というものの描き方というものをマスターした気がします。あ、でも……、


 描き方ですからね? 飽くまで描き方であります。


 基本というか、スタートラインなのでありますよ。


 こう描けば上手い下手は別にして漫画に見えるよ、というものと、どんな道具を使えば漫画を描けるのかといった、本当に基本中の基本を習得したというだけです。そして、5本目、ケルビム・アトランタを描き上げます。そして、この頃……、


 独学の限界を感じておりまして、漫画の専門に行こうと決めます。


 まあ、東京に出るという意味でも、この行動には大きな意味がありました。そして新聞奨学生での専門学校行きが決まります。その頃、やっていたプログラマーの仕事を辞めて、一路、関東へ。その間に、6本目、それぞれの季節を描きました。


 そして、


 在学中の学園同人誌に、Short・Story・Xmas、と、え〔題名〕、ANGEL、そして、Girl・Of・Invincible、説法、と描きました。まあ、短いページのものばかりなので、さほど苦労はしなかったのですがね。


 ここで、例によって、運命の歯車が噛み合います。


 またです。……実は、こんなんばっかで、ここまできたのですがw


 まず、学園同人誌での評価、A評価〔A~Eまでで評価される。Aが一番上〕を獲れなければ漫画を止めようと思っていました。で、最後の最後、説法という漫画でA-を獲ったわけですね。ギリギリセーフ。それと、もう一つ、枷があったのです。


 それは、


 卒業してから漫画関係の仕事に就けなければ、漫画を止めようと考えていました。


 そして、


 卒業の数ヶ月前、学校の掲示板に漫画アシスタント募集の文字。速攻で教師に話をつけ、そのあと、トントン拍子で漫画アシスタント職を手に入れました。まあ、ドコの誰という明言は避けておきますが、これまた、これでセーフなのであります。


 ギリギリな人生、まったなしですわw 真面目にw


 兎も角、


 そのアシスタントの仕事は、本当に濃密でありました。濃い濃い。


 技術も、さる事ながら漫画家としての生き方など、色々、学ばせてもらいました。


 いまだに勝手にも、その方を師匠呼ばわりして尊敬しております。


 ただ、でも、色々、あって〔※主に私の身勝手〕名乗り出られないですし、むしろ、罪悪感から会いたくないのであります。若気の至りで、例によって阿呆な事をやってしまったのですよ。トホホ。いまさらなのですが、本当に、ごめんなさい。


 兎に角、アシスタントで、色々なものを得た私の漫画は一気にパワーアップです。


 この間に描いたのが、有能なる人々へ、解消屋ラプトン、Mokurin、いつかきっと、です。このあと、一本、描いたのですが、訳あってネームに移行してネームをコネコネ、何本も描きました。その果てで、焔の玉を原稿化。しかし……、


 モブの髪型を人参を模したものにしてしまって、担当さんに、めっちゃ怒られてw


 病気に一直線なのであります。


 とはいえ、別に担当さんに怒られた事で落ち込んでしまってなのではありません。


 その頃、


 ボランティアなアシスタントさんを頼んでいたのが大きな原因の一つです。無論、他にも原因はありますが、これが一番でしょう。つまり、無報酬な代わりに絶対に彼を漫画家にすると豪語していたのです。自分が漫画家になってもいないのにw


 やっぱり、阿呆ですな。阿呆。


 それで勝手に追い込まれて……、頑張れ、私、無理、もう、頑張れ、私、と……。


 ああぁ、自滅ってやつですわ。


 まさに。


 と、ここまでにしておきます。この後、病気になって関東から強制送還されて実家に帰る事で第二幕の幕があがるのですが、それは、また別の機会に。兎に角、今は第三幕。遂に漫画家になるの巻のわけなのですよ。自分的には。間違いなくッ!


 なので、


 気合いを入れて頑張ります。ただ無理しない程度に。……病気をして学んだ阿呆。


 チャオ。

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第1幕 星埜銀杏 @iyo_hoshino

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