3.夕食を君と
「とりあえず病院行って来い」
帰って早々に私を出迎えた店主は、皿洗いはいいからと渋い顔でそういった。すわ正気を失ったか、あるいはこれが鬼の霍乱というやつかと言ったら容赦なく頭を叩かれて誰が鬼だとボヤかれた。
貴方ですが?
「お前が餌付けされてる小僧がな、うちに昼飯食いに来て電話立ち聞きしてたんだよ」
「カゲツが?」
ああ、とうなずいた店主は皿洗いは自分がやるからお前を病院にいかせてやってくれってんでな、そうしてやることにしたと顎を撫でながら言う。
「まあ小僧のほうがお前より皿洗いもうまいし愛想もいいからな、俺に損はねえ」
「わざわざ私のことを下げる必要ありましたかね今の流れ」
「運転以外にお前に褒める所が一つでもあるのか?」
刺身包丁並に鋭利な事実でバッサリと切り捨てられ、あんまりだと顔を覆う。容赦がないこの鬼。鬼爺。
「無いですけども、人間には自尊心というものが搭載されてるんです、鬼目鬼科の鬼爺はご存知ないかもしれませんが」
「それだけ軽口叩けるなら何ら問題ねえだろ、さっさと病院いってこい」
「私の繊細な心をなんだと思ってるんですか、戻ってきたらまかないの米びつを空にします」
損害と賠償を物品で請求してやりますと口をへの字にしてのたまう。ガラスのハートが傷ついたので、美味しいご飯で修復する必要がある。間違いない。
「繊細な人間は5合入ってる米びつを空にしてやるとは言わん。というかそれだけ一人で飯食えるならお前がもう鬼みたいなもんだろうが」
呆れたように言う店主に、私は繊細な大食いなんですと捨てぜりふを残してバイクに跨り、近くの外科に向かった。かかりつけ医でもあるこの病院も他の建物と変わらず白く外装だが、内装はモスグリーンのソファや木目調のカウンターで整えられて柔らかい印象を持っている。
診察の順番が回ってくると、内装の柔らかな印象をすっかり人間に落とし込んだかのようにまるまるとした人好きのする笑顔のかかりつけ医が災難だったねと苦笑しながら私の怪我をひと通り見てくれた。
やり方こそ打撲を一通り押し込んで骨折していないか確認するという人の心を失ったような容赦のなさだったが、この外科医は人好きのする顔で麻酔無しで膿んだ傷口をざっくりえぐるなどの容赦ない治療をするタイプの医者なので仕方がない。調べたところ骨折している箇所もないらしく、頭を打ったなら一応と脳のMRIも撮られたが脳出血している様子も無いし安静にしていれば大丈夫だろうと軟膏の処方箋をもらうにとどまった。あまりにあっさりしていたので大事無いならこれなら診察してもらわなくても良かったかもしれませんねと軽口をたたけばかかりつけ医は渋い顔をして馬鹿を言っちゃいけないよと首を振る。
「頭の怪我は怖いんだから。階段から落ちてくも膜下出血する人だっているんだよ」
「それはわかるんですが……MRI高いじゃないですか、レントゲンも」
結構な金額が懐から出ていくんで辛いんですといえば、相変わらずカツカツの生活しすぎだよ君、と渋い顔をしたかかりつけ医が健康診断と違って今回は保険適応だからもうちょっと安いから安心しなよと笑った。懐へのダメージが少ないことにひっそりと安堵していると、思ってることが素直に顔に出るねえ君はと笑われる。
「最初にうちの病院にかかってきたときは骨格標本みたいに痩せ過ぎて何考えてるかわからなかったけど、心も体も健康になったようで何よりだよ。体重も増えてきたみたいだしね」
「それいいことなんですか?」
「いいことだよ、ようやく適正体重って感じなんだから。偏食癖も程々にするんだよ。」
痩せすぎも痩せすぎで健康に悪いんだからね、僕がこんなに丸いから皆説得力がないっていうけれどもさと渋い顔をするかかりつけ医に苦笑して、気をつけますと返事をする。
「偏食家というか、料理が下手というのが正確なんですが」
「料理下手でBMI15割る人間は君くらいなんだよ」
君が始めてきたとき、内蔵が本当に入ってるのか疑ったんだからね、とジト目でみられる。あははと冷や汗を垂らして苦笑する私が反省していないと見てとったのか、前の君なら骨を折っててもおかしくないぐらい細かったんだからねと苦言が重ねられる。
「そこまでですか」
「骨粗鬆症寸前までやせ細ってたんだよ昔の君。なんだったら今だってもうちょっと太ってもいいんだから。若い子はすぐダイエットとか言うけどね、それで健康崩しちゃいみないんだよ」
「返す言葉もございません」
かかりつけ医のお小言に苦笑しながら、カゲツが作ってくれる食事で改善された肉体のおかげで怪我が少なかったことに感謝する。これは帰ったらカゲツにお礼を沢山言わないとなあ、と苦笑しながら病院を後にして、弁当屋に向かってバイクをまた走らせた。
風を切りながら走り、夕日が落ち始めた白い街を見つめる。
投げかけられた太陽の光が白い街を黄金の色に染めあげていて、この時間の街は、すっかりと黄金の街になる。それを見るのが、私は好きだ。本の一時だけ現れる、この美しい黄金の都が。
日が沈むまでの僅かな時間だけ見られる美しさをずっと見続けていたい気持ちを振り切るように弁当屋の裏口にバイクを停めれば、音を聞きとったカゲツがドアを開けて顔を出す。顔を出した彼の髪も、夕暮れの光に染まって黄金色の輪郭を帯びていた。
「おかえり!ニチカ」
手をふって、カゲツにただいま、と笑いかける。皿洗いの最中だったのか、割烹着姿の彼の鼻には少し泡がついている。それを指で拭き取ってやれば、カゲツが恥ずかしそうに笑った。
「病院はどうだった?」
「大事無いよ、捻挫だけ。軟膏で済むってさ」
「よかった」
ホッとしたようにカゲツが笑って、それから女の人なんだから体もうちょっと大事にしなよね、と唇を尖らせる。私のような薹が立った女が怪我したところで誤差みたいなものだといえば俺が気にするの、とカゲツはぼやいた。紳士な子だなあと笑えば、すっかりカゲツがすねた顔で私の服の袖を掴む。こうするとまるで、この子のお母さんになった気分になる。子供どころか夫さえ、持ったことはないのだけれど。
「そうだね、大事にする」
「そうして」
「うん」
そういってそっぽを向いた彼に目線を合わせて少しかがむ。はっきりと見つめた彼の瞳も街と同じ黄金色で、今のカゲツは黄金でできているみたいだった。
「それから、午後は釣りの予定だったのに、邪魔してしまってごめんね」
「いいよ、おかげで美味しいまかないにありつけるし」
私の目を真正面から見つめ返したカゲツが服の袖をつかんで、ぐり、と私の腹に頭を押し付けてる。ちょっとした報復だろうかと思って、すぐにそうではないことに気がついた。頭を押し付けられたあたりが少しだけ濡れている。泣いているのだろう。
「ニチカがちゃんと帰ってきてくれたから、いい」
グリグリと腹に頭を押し付けてくる小さな友人の顔は見えないけれど、まだ未発達な細い肩は少し震えていて、ずいぶん心配させてしまったらしいと遅れて理解する。どんな風に状況を又聞きしたのかはわからないが、本当に身を案じてくれていたのだろうことは、その震えで手にとるようにわかった。
「……心配してくれて、ありがとうね」
彼の背中をぽん、ぽん、と叩く。どういうふうに話を聞き取ったのかはわからないが、ずいぶん大きな事故に巻き込まれかけたことを、この気のいい友人は本当に心配してくれたのだろう。その純粋な気遣いがなんとも面映ゆくて、笑う。笑うというのは間違っているかもしれないが、なんだか嬉しかった。
今日は不幸といえば不幸な一日だった。事故には巻き込まれかけるし、人使いの荒い店主にずいぶんと働かされたし、友人は泣かせてしまった。でも、それと同じくらい優しい気持ちを沢山受け取った日だったから、その気持ちが……心配をかけてしまった申し訳無さにまさるほどに嬉しいと感じてしまったのだ。
「さ、そろそろお店に入ろう。爺さんにどやされちゃう、皿洗いサボるなって」
「うん」
泣き顔を見られ見られないようにそっぽを向いたカゲツが私の服の袖をつかんだままついてくる。それに気が付かないふりをして、私は焼き魚の匂いが漂い始めた弁当屋の店の中に足を踏み入れた。
「おせえぞ青二才共。」
飯が冷めるだろうがとぼやく店主の眉間には深いシワが刻まれていて、鬼瓦みたいだ。でも出されたまかないにはいつもより一品、おかずが多い。おや、と店主の顔を見れば、唇を引き結ばれてそっぽを向かれた。ふふ、とまた笑みがこぼれて、なんだかひどく幸せな気持ちになる。
くじらの街は、厳しい。
子供だからというそれだけで守ってもらえるわけではないし、得た居場所をたやすく失うこともあるし、配達途中に上から人が降ってくることもある。
でもそれと同じだけ、街に住む人間はタフで優しい。ぶっきらぼうな優しさが好きで、そういう人々をずっと見ていられる仕事が、私は好きだ。
今日は、不幸な一日だった。
それと同じだけ、人の優しさに触れられた日だった。
「主よ、今日与えられた糧と、それを作ってくれた人と、それから今日の出会いに感謝して」
手をパチン、と合わせる。
「「いただきます」」
そう、カゲツと声を合わせて私は食事に手を付ける。まかないからはいつもと変わらないぶっきらぼうで優しい味がして、窓から空はもうすっかりと日が沈んでいる。
くじらの街の夜が訪れるのを見ながら、私は少し不幸で愛しい一日の余韻をただ、楽しみ続けた。またやってくる、厳しい明日に負けないように。
夜がふける。
小さな弁当屋に灯された団らんの明かりは、消えることなく、まだ灯り続けていた。
Drifting whales 陸野エビ @ebinest01
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