新しい空へ(四)

 お互いの顔を見合わせ、うなずき会う。

『気づかれた様子はない。襲撃をどうぞ』

 水野さんが懐から、暗殺者と言われても通りそうな風貌にはやや不釣り合いなカラフルな銃器を取り出してドアに向けた。同時に七海礼さんも銃器を、こちらは窓へ。

 この建物にはドアが二つあるし、窓もそれぞれの面に一組はある。同時に向こうでも同じことが行われているだろう。

 破砕音が響く。ドアが破壊され窓が割れ砕け散る。〈飛行能力〉を発動し、わたしは窓に突進する。恵人さんも慌ててついてくる。

 でも窓枠を二人でなんとか通過し、内部に入る。明るい外から暗い屋内に一気に入り、一瞬だけ、目がくらんだようになる。

 でも無理矢理目を開けて見た。物の少ない倉庫らしい建物内の広く灰色の空間。驚いているいくつもの顔と、向かい側の窓やドアからも侵入している襲撃者たち。

 ――今のうちだ!

 それは自分の思考か、それともコビーの声だったかもしれない。

 フォーチュンカードを投げる。襲撃者全員が攻撃を開始する。

「なんだ!」

「誰だ、襲撃か!?」

 悲鳴や叫びが上がり、足がすくんで動けない者が倒れる中、どうにか最初の一撃を逃れた者が逃げ惑う。

「敵襲だ! 守りを固めろ!」

 どこかで上がった声に反応し、特殊能力を発動しようとした者もいた。しかし、空気が凍り付くような音が鳴ったくらいで、何も起こらない。

『防御能力はこちらで抑えている。相手も残り十人くらいだ』

 立っている相手は、次々沈められていく。相手もバトルスキルを持っているはずだが、その攻撃もどうやらコビーに止められているようだ。銃器や槍など、〈シルバーアロウ〉のメンバーが武器を取り出してもかまえる前に、武器は消滅する。そこへこちらの一斉攻撃。わたしもカードを投げ、恵人さんも〈射撃〉を行っていた。

 その中で、逃げ惑いながらもある方向へ向かおうとしている背中を見つける。あのひょろ長いシルエット、リフォルトだ。

 わたしは恵人さんの手を引き、とっさに逃げていく背中を追った。復讐心を完全に消せた訳でもないけど、リフォルトだから、ではない。この瞬間のわたしは割と冷静で場もしっかりと見えている。視界の端、下の方で逃げ出した別の敵を追いかけて見事に体落としを決める暁美さんや転がっている敵に手錠をかける水野さん、窓に駆け寄ったところで捕縛の槍に絡め捕られる敵も認識していた。

 もちろん、一番注意を向けているのは正面の背中。その動きを見たとき、放っておいてはいけないような、危険な予感がしたのだ。

「一体どこへ……?」

 ただ離れたいだけではない。あきらかに何か目的を持って鉄板を踏み鳴らしながら階段を上っていく背中を見ると、恵人さんもその違和感に気づく。

 階段の上に飛び上がると、目的地と思しきものが見えた。この殺風景なプレハブ倉庫らしき建物には少し似つかわしくないようなゴテゴテした機械が壁際に設置され、銀色の大きなレバーがあった。

 リフォルトがレバーに手を伸ばすと、頭の奥で警報が鳴る。

「リフォルト!」

 恵人さんが大声で呼ぶ。色々な感情が混じり合ったような声。すると名前を呼ばれた男は思わず足を止めて振り返った。彼の目に、自分が裏切った相手の姿は映らないだろうが。

 彼がレバーへ向き直る前に、わたしは内ポケットのカードを取り出す。すでに手に馴染んだ武器の感触に、修行の記憶が脳裏をよぎる。

 修行と言っても難しいことや工夫を凝らしたようなことはなく、わたしが行ったのは単純なことだ。色々な角度や速さ、投げ方で何度も投擲する。少しずつ夢やふとした瞬間に記憶が甦るのと同じく、何度もカードに触れ投げる動作をすることで、身体に染みついた慣れた投げ方も思い出すのでは、と思ったのだ。

 そして狙いは当たり、記憶に刻まれ直した投げ方のひとつ。カードを二枚指の間に挟む。

 横に滑らせるように投げ放つ。

 一週間の間、何度も夢の中の自分に追いつこうと動きを思い返して練習し――そして、それだけじゃ駄目だ、記憶の中の自分以上のことができなければ、と新たな技も開発していた。このダブルショットもそのひとつ。

 緩やかなカーブを描きつつも高速で標的に向かったカードは狙い違わず、相手の首の後ろと手首に突き立った。


 リフォルトが下ろそうとしていたレバーは、〈シルバーアロウ〉のメンバーを〈第五世界の二重線〉から引き離すためのものだったらしかった。

『危ないところだった。レバーを下ろされたら逃げられていたかもしれないね。無事、全員こちらで確保したよ』

「それは良かった」

 全員に聞こえるよう、恵人さんが声に出して言う。

「佐々良さんのおかげだよ。良く一度に二枚も命中させられたね」

「そりゃあ、練習したから」

 これで、足手まといにならなかったと胸を張って言えるはず。作戦に参加して何も後悔することはない。

「このレバーの機械は解体して回収する必要があるな。あとは人工造体も。それで撤収すれば、このゲームも終わりだ」

 水野さんが言い、「あと、外の犬も」と言いつつ七海伸さんが工具を持って歩み寄ってくるのが見えた。

 犬の鳴き声は突入直後に少し聞こえたが、今は何も聞こえていない。誰かがなだめているらしい。たぶん三浦くんかな。

 ――このゲームも終わり、か。

 少し寂しい。能力もアイテムもこの身から消え去る。ホームフィールドもチームの拠点にも行けなくなるし、いずれはコビーとの連絡も途絶するだろう。

『わたしの文明の者たちは、きみたちに大きな負担をかけたことを深く謝罪し感謝してもいる。まず、きみたちはバトルスキルか特殊能力をひとつと、アイテムをひとつ持ったままにできる』

 コビーのことばに、皆は一瞬動きを止める。

「へえ、それは太っ腹な。でも、偽人類みたいに悪用する者もいるのでは?」

『それはわたしが監視しているよ。このゲームは当面、わたしの管理下に置かれる。運営者も充分な安全管理を怠ったとして厳重注意を受け、処分が下るだろう』

 一番悪いのはゲームフィールドを地球にまで拡大したという偽人類だけれど、まあ、運営者が処分されるのも仕方のない話か。

『それと、もうひとつ。ひとつだけきみたちそれぞれの望むことを実現しよう。もちろん、実現可能な範囲でね。いくらわたしでも、太陽をもうひとつ作ってくださいとか、今すぐ顔を有名俳優と同じものに取り換えてくださいとか言うのは無理だ』

 でも、コビーのできる範囲のことは結構広いだろうな。

 宝くじを当てて大金を得る。何かの抽選に当てる。人を誘導する。何かを探す――ネットにつながっているシステムでできることに限定はされるだろうけれど。

『ひさめが望むことは決まっているね』

 そう、わたしの望みは、将来的に宇宙旅行してコビーの母星を見学すること。その前にまだ地球のことも日本のことも大した知らないので、少し未来に取っておくけれど。

「僕は何にしようかな」

「迷いますね。望みと言われると」

 それぞれに望みや残す能力やアイテムについてあーだこーだ言いながら、人工造体を用意してあったブルーシートに包んでいく。はた目には遺体の片づけに見えて不気味だろうけれど、もうみんな慣れきっているようだ。

 わたしは残すアイテムはすぐに決まった。回復薬だ。これなら重傷者もかなりの確率で救える。〈治療〉の使い手たちはやはり〈治療〉を残すことにしたみたいだし、リアルで怪我人を治せるのは凄いことだ。

 で、スキルや能力でどれを残すことにしたかというと。

 実用性を考えると〈念力〉がいいかもしれないと考えた。もちろん飛びたいと思うが、〈飛行能力〉は〈透明化〉と一緒じゃないと色々と面倒くさい。恵人さんみたいなグライダーに擬態できるような道具もないし、たとえそれを持っていても、使い勝手が悪いと思う。飛び立つときも着陸するときも、グライダーらしくなければ成り立たないわけで。ちょっと街中で飛び上がってそこまで、みたいなことはできないわけだ。

 その点、炎も氷も出せる〈念力〉は旅をするにも便利な上ちょっと人の目を盗んで使えばいいだけ。必要な持ち物も少しは減る。

 でも、〈飛行能力〉を消し去ることを考えると言い知れない喪失感に襲われた。飛ぶことを夢に見続けた、あの頃に戻るのか? 誰にも見られていない山の中に行ったときなど、飛べる機会はこれから先も訪れるかもしれないじゃないか。

 色々考えて、結局、〈飛行能力〉を選んだ。実用性のない、記念に持ってるだけの特殊能力かもしれないが。

「僕も〈飛行能力〉を残すよ。また一緒に飛べるといいね」

 恵人さんが笑顔を向ける。彼とも今日でお別れかも知れない。少しずつ断片的に甦る記憶から、記憶を失う前の彼はわたしにとって大切な存在だとわかりかけてきている。

 ここれ別れていいのか。いや、でも、これだって今生の別れというわけではないはず。

「どこか人里離れたところで、上手く待ち合わせでもしないと難しいだろうけどね」

 それとも、二人でグライダーに乗っている風を装えば飛べるのだろうか。

 しかし、それは飛び方もグライダーらしい移動の仕方を装わなければならないだろうし、自由に空を飛べるとは言い難いんじゃないだろうか。

 ――空を飛ぶときは、できるだけ解放感を感じながら飛びたいものだ。

 今日が過ぎてもいつかそんな日が来るようにと、わたしは祈った。


 偽人類が消えた世界で、わたしはいくつかの選択肢を持っていた。

 このまま佐々良ひさめとして生きていくか。

 元の名前に戻るか。

 ――元の名前に戻ったところで、戻るべき家はない。でも、家族が入っている墓はある。墓を見るべき者がいないなんて不憫じゃないか……実に、日本人らしい考え方だな。でもそんなものが、わたしと家族の間の今は細い絆をつないだ。

 わたしは〈佐々良ひさめ〉ではなくなった。

 名前なんて変えなくても、わたしの未来はわたしの手の中にある。どこへ行こうと何をしようと自由だ。相変わらず財布の中身とっ口座の金額とにらめっこしながらだが、それでもしばらく旅を続けることにした。もっと地球を、日本を知っておこう。異星に行ったときに自分の住んでいる惑星のことを訊かれても全然答えられない、なんてことになったら、格好がつかない。

 ちなみに、口座や住民データの書き換えなどもコビーがささっとやってくれた。

 旅立つ前、恵人さんも菊池さんも自分のところで働かないかと誘ってくれたが、一応多少の貯金もできたし。〈ハイアーシルフ〉も今月末で解散することになっており、これからは自分で食い扶持を探さなければならないけれど。

 とりあえず、今まで撮った写真から色々なところに応募している。カメラはほぼ常に首から提げていた。

 今歩いているのは浜辺で、周囲に人の気配もない。海の向こうに船も出ていない時間のようだ。

 今なら飛んでもいいかも。

 念じると、身体が重力から放たれる。この感覚を味わえるだけでも、〈飛行能力〉を残した意味があるってものだ。

 しかし、不意に腕を引かれてバランスを崩しそうになる。

 何事?

 と、引かれた左手を見ると、そこには忽然と、悪戯っぽく笑う恵人さんの姿が出現していた。灰色のコートを着て、背中には黒地に灰色の雲が描かれたリュックサックを背負っている。

「恵人さん? 確か〈飛行能力〉を残すって言っていたはずで……」

 と、ちゃんと見ると、恵人さんの足は砂浜の地面にはついていない。だから飛べるのは確かなのに、一瞬前までその姿は見えなかったのだ。

 どういうことなのか。

「ひとつだけ望みを叶えるって言われたときに、僕は〈飛んでいるときだけでもいいから透明化能力が欲しい〉って願ったんだ」

 なるほど。わたしもそうすれば良かったかも、と一瞬だけ思うが、宇宙旅行とは天秤にかけられない。空を飛ぶのも好きだけど、宇宙を飛ぶのもそれに負けずと楽しそうな上、希少な経験だもの。

「触れた相手も見えなくなる、ってところも〈透明化〉のままだよ。一緒に飛ぼう」

 言われるがまま、手を引かれるがままにわたしは飛んだ。

 青い空に水平線まで続く海。気兼ねなくどこへでも飛べる。いや、今も精神力というシステムには縛られているらしいけれど、この圧倒的な解放感は人目を気にしながらでは感じられないものだ。

 まあ、手を引かれながらだから今は少しの拘束感はあるけど。でも、その拘束感はあまり不快なものではなかった。一度は何もかも棄てたつもりになっていたのに、わたしもまだ、人間同士のつながりを失いたくない気持ちに縛られているらしい。

 それに、〈透明化〉しながらの飛行が移動手段として圧倒的に便利なのは変わりない。

 眼下を海鳥が飛んでいく。

 しばらく海の上を飛んでから、恵人さんが思い切ったように口を開いた。

「あのさ、きみの旅に一緒についていっていい?」

 突然の申し出。でも、確か前にも一度聞いた。いや、忘れているだけで、もしかして一度ではないのかもしれない。

 あのときは、二人旅はもっと先に取っておきたいと冗談交じりに答えたはずだけれど。

「恵人さんは、自分の職場があるはずじゃ?」

 確か、自分のデザイン事務所を持っているって、そこでわたしを雇ってもいいとかいう話だったような。そこを放置したまま旅に出てもいいのだろうか。それに、仕事は?

「デザイン自体はどこでもできるからね。旅先でデザインして画像を送ればいい。それに、いろいろな景色を見て歩いた方がいいデザインのアイデアも生まれそうじゃない?」

 なんか、芸術家が言いそう。

「べつにいいけど、自分の生活費は自分で出してね」

 わたしのことばに、彼は苦笑した。

「それはもちろん。でも、男性と二人きりで旅をすることには何か抵抗はないの?」

 いや、それを言ったら二人でバンガローに泊まった時点で抵抗すると思うけれど。それに、わたしは彼と二人で食事に行ったこともあるらしいし。

 どう答えるか少し迷った。

「わたしの記憶が信用していいと言っている。たぶん」

「なんか、ことば選んでない?」

「いや、そんなことはないよ」

 わたしは笑いながら返す。

 この先何かあるなら、それはそれでいいんじゃないか。それもひっくるめての信用なんだけれど、そんなことは言えない。

 再び鳥が行き過ぎるのを見るまで、わたしたちは海の上空を気の向くまま遊泳していた。あのお気に入りの鼻唄をどちらともなくうたいながら。



    〈了〉

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5thワールド//~空飛ぶ世棄て人と偽人類~ 宇多川 流 @Lui_Utakawa

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