新しい空へ(三)

 ホームフィールドから戻ったときには、雨は上がり外は明るくなっていた。とはいえ、もうすぐ夕日に向かっていくくらいの時間帯だけれども。

 コートの内ポケットに財布を入れたまま、雨合羽をたたんで戻したリュックサックを背負い、部屋を出て歩いてホテルの外へ。向かう先は近くのコンビニだ。

 まずはネットプリンタへ。教えてもらったコードはメモ帳にメモしてある。コビーの配慮か、無料でプリントできたのはB4サイズの画像が五枚。どんな画像なのかは後のお楽しみにとっておいて、見ないでリュックに入れておく。

 もうひとつの目的は夕食だ。それと、明日以降の食料も考えないと。

 色々考えた末、結局買ったのは食パン五枚入りとカップ焼きそば、ゆで卵二個入とピザソースとリンゴジュースを購入。

 買い物袋ごとリュックに入れてコンビニを出る。空を見上げると雲の切れ目が大きく開いており、そこから青空が、そして虹が見えていた。

 ――綺麗だな。

 思わず足を止める。

 ああ、そうだ。こんな光景こそカメラに収めなくては。これを見逃したらカメラマン魂がすたるってものだ。まだカメラマン見習いくらいだけれど。どんぐりリュックからカメラを取り出し、何度かシャッターを切る。

 それから、三〇分で三〇〇円というインターネットカフェを見つけて入る。明日の午前中を調べものに回すつもりだったけれど、明日は早めに出発したい。

 二〇分ほどこの周辺の情報から偽人類の気配を探す続き。残り十分は近くの町に安いホテルがないかを調べた。すると、一週間泊まると二万円と少しというウィークリーホテルを見つける。ここに予約を入れておこう。

 ネットで予約まで済ませると、もう時間切れ。ホテルに戻って仕事を片付けないと……なんて考えていると、まるでキャリアウーマンのようだな。

 部屋に戻り、冷蔵庫に入れるべきものは入れ、メモ帳にレポートをまとめてコビーに報告を伝えてもらう。

『では、そのレポートの通りに伝えてもらうよ。ところで、わたしの性能の一端は確認したのかい?』

 そうだった。まだしっかり見てはいない。

 リュックサックからコンビニでプリントした用紙を取り出して並べる。

 そこには見たことのない街並みや惑星が写っていた。色々な色の四角い足場が集まって土星に似た建造物を形作っている遠景。手前側には空中を行く乗り物も見える。

 白い筋をまとった緑の惑星や、恒星を奥にしてその周囲を巡っていると思われる惑星が並んでいる画像もある。それに、宇宙船らしき尖塔のような機体や魚に似た機体の並ぶ駐車場に似たところもある。

 これは宇宙港かな。

『そうだよ。探索用の航宙機と定期便や民間所有の航宙機は分かれている。画像の宇宙港は探索機のポートだ』

 へえ。こっちは街並み?

『そう。奥の土星に似た建物はVRセンターだ。仮想現実へのコネクタがある。現在主流なのはVPポッドという、大きなカプセル状のベッドに利用者が寝そべって接続する方法だね。偽人類もゲームの端末として利用する際はVPポッドを使っているよ』

 なるほど。仮想現実のゲーム利用者が使うんだね。それぞれの家にそれがあって、家で使う感じではないんだ。

『高価な代物なのでね。わたしの管理する文化圏では生きていくために必要なものは無償提供されるが、専用のVPポッドは多くの一般人にとっては娯楽品だ』

 そういうことか。

 この惑星や星系は、母星や母星の星系?

『そう。構造や大気成分は地球によく似ているよ。第四惑星だけれどね。現在は生物の定住に適さない一部の惑星を除き、星系全体に文化圏は広がっている。その外にもね』

 最後の一枚は、なんとも芸術的な一枚に見えた。水槽のような、でもおそらく水槽ではない四角形を囲む、立方体と球体を組み合わせたものを内側から見たような白い壁。壁の膨らんだ中央には穴が開いており、向こう側には四角いパネルの並びや人影が見える。

 水槽に似たものは深い水色の中に、星々の瞬きにも色とりどりの小魚が泳いでいるようにも見える光が見える。それは芸術家の作った作品のようでもある。

 とはいえ、美術館にも見えないけれど。これは一体どこなの?

『それはわたしの中枢部だよ。部屋の中心にあるのが本体とも言うべき基体だ。わたしのパーソナリティはそこにある。わたしの性能を形作っているのはそれだけではないがね』

 へえ、思ったより小さいように見える。

『専門的な部分はそれぞれの場所に振り分けているからね。遠方でもほぼノータイムの大容量通信が可能だからできる業だ』

 まだ地球上では難しい技術なんだろうね。

 それにしても、ここに住む人々のことももっと見てみたいものだ。できれば地球ではない惑星にも行ってみたい。でも、コビーの文化圏の人々は地球はまだ接触するには早いと判断しているんだから、無理な話だろうな。

 それだけならまだしも、もしかしたら、偽人類をすべて追放出来たら記憶を消されるんじゃないかと思っていたり。地球人たちは〈第五世界の二重線〉を忘れてそれぞれの日常へと帰っていく。よくあるエピローグ。

『そんなことにはならないよ』

 頭の中に響く合成音声は、苦笑の色を含んでいた。

『きみたちにとって〈第五世界の二重線〉は日常の延長のようなものだから、それに関わる記憶を消すと、だいぶ日常の記憶にも齟齬が出るだろう。それに、きみにはすでに偽人類の捕獲のためにかなり世話になっているからね。お礼として招待する可能性はある』

 え、本当に?

 まさか、地球を出て異星に行けてしまうんだろうか。

『生身のままだとすぐには無理だな。仮想現実の中の母星を旅することはできるけれど、それも偽人類がいなくなってからだ』

 そうか。できれば生身で、と言いたいところだけれど、クリアしないといけない問題が多そう。

 それに、宇宙を旅する前にまず日本くらい旅をし終えてから、という気もしてきた。いつまでこの旅を続けるのかを考えると。

『まあ、きみが生きている間には宇宙の旅を経験できるだろう。きみが望むのなら』

 そうなると嬉しいね。

 こちらの方はわたしが生きている間に実現するか微妙だが、いつの日か地球の文明レベルが充分になったと認められ、異星との交流が始まるのかもしれない。そんな白昼夢が目の前を行き過ぎた気がした。


 夕食はスライスしたゆで卵と生ハムとチーズを挟んだサンドイッチで済まし、翌朝の朝食はレストランで和食。チェックアウトしてホテルを出る。

 空は雲がまばらに散っているものの、今のところ雨が降りそうな気配はない。

 足は南へ。海岸沿いに南下し予約したウィークリーホテルに泊まりながら町の周辺情報を調べつつバトルスキルや特殊能力の練習をするつもりだ。

 ホテルでも、暇さえ見つけては練習していた。こうして歩いている今も。人の目がないところに来ると小石を拾い上げ、遠くの別の石や、木の枝についた葉を狙って投げてみる。速度や届く距離はレベルに依存するけれど、命中率はプレイヤーの腕次第というのがこのゲームのリアルなところ。

 それからさらに〈念力〉を試したり、周囲に完全に人の目が消えると〈透明化〉してから空へ飛び立ち色々な飛び方を試す。危うくポケットの物を落としかけたけど。

 これからの一週間。

 作戦の日までは、修行の日だ。

 わたしは決意して、次の街へと進み続けた。


 ――そして一週間。

 集合場所がコビーにより伝えられ、わたしは一時間ほど飛んで街の郊外で降り、喫茶店〈ブラボー〉という店に辿り着いた。ここで教えられた通り、『菊池で赤の部屋を予約した者の友人です』と伝えると、店員に個室のひとつに案内される。

 名前のとおり、〈赤の部屋〉という赤いプレートがドアに打ち付けられていた。しかしドアも、室内も木目調だ。

「やあ、来たね。お疲れさま」

 声をかけてきたのは恵人さんだ。暁美さんと水野さん、それに初対面の姿が二人。

 初対面のうちの一人は男子高校生で、三浦くんというらしい。〈透視〉と〈透明化〉の使い手だとか。

 もう一人はわたしより少し年上の女性。ゆるくウェーブのかかったショートヘアで、大きな目のせいか幼い印象がある。実際は初対面ではなく、わたしが記憶を失う前は何度か交流はあったようだ。名前は越智真奈美。うーん、思い出せない。

 彼女は〈治療〉の名手で、〈結界〉も持っている。防御型のようだ。

「もう五人ほど来るよ。出発は二時だからね。それまでは食事にしようか。ここは菊池さんが奢ってくれるそうだし」

「腹が減っては戦はできぬ、とも言いますからね」

 恵人さんのことばに、三浦くんと越智さんも目を輝かせてメニューを見る。特に三浦くんは育ちざかりだろうからなあ。

 メニューを見ると、和食を中心に種類が豊富だ。腹が減っては戦は、とはいうものの、あまりガッツリ食べ過ぎても動きにくい気がするなあ。

 わたしはカニチャーハンとオレンジジュースと杏仁豆腐に決めた。三浦くんは奢りということもあって、結構な量を注文している。恵人さんと暁美さんはデザートの写真を見ながら楽し気にどれを頼むか話し合い、甘いものが得意ではないらしい水野さんが写真から目を逸らす。

 なんだか、懐かしい雰囲気にも感じる。

 一週間の間にも、ふとした瞬間に断片的な記憶が甦ったりそれらしい夢を見たりもした。しかしまだ記憶は完全には戻っていない。

 食べていると残りのメンバーも来る。モデルのように綺麗な女性、井上雪さん。陸上の選手だという三石隼人さん。いかにもサラリーマン風の風貌の七海礼さんと伸さんの兄弟。

 恵人さんと〈治療〉の使い手二名の三名以外は〈透明化〉の特殊能力を持っているので、ほかのみんなで透明になって先行して、姿が見えている三名は後からという戦略かな。

 すでに頭の中が戦闘モードだが、料理が運ばれてくると引き戻される。味覚っていうのは偉大だ。

 すぐ後から来た顔ぶれの分もそろい、和気あいあいと食事を楽しむ。そこでいくつかチームのホームフィールドの思い出を聞いた。

 七海伸さんは〈アイテム強化〉という名前のとおりアイテムを強化したり複数のアイテムを掛け合わせて新しいアイテムを作る特殊能力を持っており、果たして〈おいしい料理〉はアイテムとして作成できるのかと試していて、わたしもたまに試食していたそうだ。ちなみに成功した試しはない。

 女性たちが集まったときは恋のお悩み相談なんかもあったらしい。そこまでいかなくても、職場にいるカッコイイ男性の話をしたり。わたしも火事になる前の職場にいた先輩の話をしていたとか。

 ――確かにあの先輩は格好よかったな。お洒落ですらりと背が高くて、寡黙だけど後輩に優しかった。恋心とかではないけど。

 恵人さんとは良く空の散歩に出ていたという。以前見たあの夢もその一コマか。

 と考えたところで思い出した。手をつないでいれば〈透明化〉がない相手も透明になれる。じゃあ、作戦中も〈透明化〉を所持してない能力者は所持してる能力者と手をつないでいればいいわけだ。

「段々作戦決行時間が近づいてきたな」

 わたしたちがデザートまでしっかり食べ終えるのを待って、とっくに食事を終えていた水野さんがつぶやく。

「そうだね。そろそろ決めるべきことを決めておこう」

 恵人さんが同意して、目的の建物の見取り図をテーブルに広げる。

 誰が先行するのかを、特殊能力やバトルスキルの兼ね合いで決める。三浦くんが〈透明化〉のない暁美さんと雪さんの間に入って手をつなぎ、わたしは恵人さんと手をつないでおくことになった。

 それと、重要なことがひとつ。

『今から作戦終了までは通信は切らないでおくよ。以前のようにデータをいじられることもないし、わたしが干渉可能な攻撃は妨害できる。まあ、大船に乗った気でいるといい』

 それぞれの頭の中に同時に響くコビーの声。自信満々の様子だ。

 これで準備は完了か、と思ったところ。

「こんなものを作ってみたんだけれど、どうかな?」

 と、七海伸さんが鞄から取り出したのは、緑色の布だ。頭から被ったときに首もとに紐がついており、すっぽり足もと近くまで隠れるようになっている。

「目的地の周りの緑に寄せてみたよ。匂いを消す効果のある〈消臭粉〉と、〈身かわしのマント〉を掛け合わせてみたんだ」

 なるほど。〈透明化〉しているだけで充分ではとも思わないでもないけれど、あるなら別に使わない理由もないか。

 さすがに街中から来ていくのは問題があるので、店を出てちょっと街並みを離れ、郊外に出てから緑のマントを羽織る。結構厚みがあって、ある程度の衝撃は吸収しそうだ。

 着終えると木々の間に散開し、建物を囲むように移動。木々の向こうに見えるのは、夢の中で見た建物だ。

 わたしのとなりには恵人さん。手をつないで普通に歩くのは深く考えるとちょっと照れ臭いが、今は気にしている場合じゃない。

 それにしても、この緑のマント、なかなか迷彩が効いている。まだ〈透明化〉していなくても、みんなの姿もすでに視界の中で埋没しているし。

『そろそろ相手の視認範囲内に入るよ』

 コビーの声を合図に、〈透明化〉を使う。となりを見ると恵人さんと目が合い、お互いうなずいて歩き出す。

 木々の間から建物に近づいていくと、すぐに、緑のマントを着ていたのが正解だったことがわかった。

 わたしたちが向かう側の建物の外に、小さな家に似たものが見える。そのそばの柱につながれていたのは、黒っぽいボクサー犬だ。マントのおかげで匂いも誤魔化せるだろう。そのうち物音に反応するかもしれないが、そのときには突入は済んでいるはず。

 包囲網を狭めていくと、〈透明化〉しているそれぞれの姿が見える。建物の向こうはさすがに見えないけれど。

 あの中にはリフォルトもダウルもいる。そう思うと記憶の底に刻まれた怒りを思い出すが、できるだけ見て見ぬふりをすることにしていた。怒りは火事場の馬鹿力を呼ぶこともあるが、命中率というものに対しては邪魔になることの方が多い。

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