新しい空へ(二)
太い木の幹を盾に、わたしは相手の様子をうかがっていた。
森の中や山の中ではない。目を向ける先の木々の向こうには、少し古そうなトタン屋根の建物がのぞいている。視界に緑は多いものの、人里からそれほど離れてはいない場所のようだ。
相手が攻撃してくる。首飾りがキン、と金属製の音を立てて警告した。わたしは〈念力〉で空気の盾を左手を中心に展開し、右手はコートの内ポケットのフォーチュンカードの分身をつかみながら木の裏から飛び出た。〈飛行能力〉〈反射〉〈透明化〉を同時に展開しながら。
――できれば、相手に〈透視〉がないとありがたい。
開けた場所に出ると、わずかな間だけれど相手の姿が見えた。青いバンダナを焦げ茶色の髪の頭に巻き付けた、精悍な顔立ちの青年。鋭い目でこちらを見ながら、背の低い茂みから顔を出してカラフルな色合いの銃器の銃口をこちらに向けている。
だが、どうやら〈透視〉は彼は持っていないようで、
「来たぞ! 避けろ!」
横手の茂みから声がかかる。
先に〈透視〉持ちの方から倒すべきか、という選択肢が浮かんだのは一瞬だ。早く倒せる相手から倒した方が早い。
カードを投げる。
一瞬後、わたしは目を見開いた。
相手は身をよじりながら跳び退き、それをかわしたのだ。こちらが見えていないなら、それはほとんど勘でかわしたのだろう。勘がいいのか運がいいのか。
仕方なく、目を声がした方に向かいながらカードを取り出し、かまえる。赤毛の長身の男が慌てて腰を浮かせ武器の警棒をかまえたところだ。
だが、彼が行動を起こす前にその胸に氷の矢が突き刺さる。さらに身体のその周囲が凍り付いていく。
投げようとしていたカードは再び、バンダナの青年へ。青年は地面を転がりながら離れようとしているところだ。
「ダウル、逃げろ!」
また、別のところから上がる声。誘導部隊が敵の大部分を引き付けているとはいえ、こちらにも五人くらいはいるようだ。
「リフォルトに知らせないと……」
そのことばを聞き、わたしは投げようとしていたカードの方向を変えた。ダウル、と名を呼んだ者の方向へ。
そちらから悲鳴が上がる。さらにカードを手にしながら、わたしはダウルという名らしいバンダナの青年を追いかけた。
――リフォルトだけは逃がすわけにはいかない。
あまり激情に捕らわれるようなことはないわたしでも、胸の奥からふつふつと湧き上がる怒りがある。
『偽人類だって、悪い人たちばかりじゃないんだ』
そんなことばが思い返される。
地球人の生活に興味があったんだ、地球人のなかで生活してみたかったんだ。そんな偽人類もいる――
それはとてもリアリティーのあることばに思えた。わたしが彼らの立場でも、異星人の生活を体験したいと思う。
でも、それは真っ赤な嘘だった。
リフォルトはチームに入ってきたスパイだったのだ。彼は恵人さんを殺そうとして深手を負わせ、暗殺に失敗して逃走したのだ。
彼がチームで過ごした時間は一ヶ月近く。その間にすっかり信頼関係が築けたと思っていたのは間違えだった。
彼はこの手で倒す。
来る者は拒まず、去る者は追わず。〈ハイアーシルフ〉はそんなチームだが、不用意に危険人物を受け入れた責任を感じなくもない。わたしが呼び入れたわけではないとはいえ。
ダウルの背中を飛行しながら追っていくと、行く手の建物の陰、開かれたドアの横に見覚えのある姿を見つける。
金髪の、やや頬のこけたひょろ長い男。見間違えもしない、リフォルトだ。
フォーチュンカードを右手にかまえ、わたしが狙うは標的の首筋だ。
――ここで仕留める。
カードを投げ放とうとした、そのとき。
不意に襲う墜落感。
な……?
視界が閉じていく。周囲から中央にめがけて黒く塗り潰されるかのように。
自分がどこにいるのか、方向感覚すらなくなる。脳がぼうっと痺れていくような。何かが消えていく。
つながっていた糸がブツブツ切れていく音を耳の奥で聞いた気がしながら、わたしの意識は闇の中へ落ちていった。
目が覚める。映るのは白い天井。
あれは、わたしが記憶を失う前の寸前に体験したことなのか。
今はそのときのことがはっきり思い出せる。ダウルの顔もリフォルトの顔も。あのときの怒りとともに。
あれが〈シルバーアロウ〉の拠点なのか。
それに、あんな経緯があったとは。もうすでに戦いに参加することは決めていたけれど、過去のわたしにとってもその戦いは重要な意味を持っていたようだ。これを知っていたらたぶん、菊池さんに選択肢を与えられるまでもなく参加を即答していたな。
とまあ、こうやって部分的に記憶が戻っても、スキルや特殊能力の知識や感覚が戻ってくるわけではないのがなんとも。作戦までの間にどうにか練習しまくるしかないか。
そのために、明日は安い宿に移動しようと思っていた。一週間ほどどこか安い宿に泊まりながら練習したい。一週間、ということで監視任務をやりながら滞在費をもらって、任務をこなしつつ練習すればいいかな、と。ちょっと裏技っぽいような気がするけれど、生きていくにはやっぱりお金は必要なわけで。
時刻は三時前。とりあえずここでの仕事をこなそうと、テレビをつけてニュースチェック。そろそろ外出できたらいいんだけれど、雨は相変わらず降りしきる。寝る前よりは少し弱くなっている気もするのだけれど。
こういう暗い日には眠くなる。もうひと眠りしようかな、また何か思い出せるかもしれないし。夜に寝られなくなりそうなのがネックではあるが。
そうだ。思い出した。
コビー?
『ああ、何かね』
来月の作戦については、詳細は決まっているの?
『相手が拠点に集まったところを取り囲むことになっている。その日、〈シルバーアロウ〉は全員が集合しての会議を行うらしくてね。襲撃にはおあつらえ向きというわけだ』
それ、相手の仕掛けた罠だったりしない?
『おびき寄せられた心配はしなくていい。わたしの網が引っ掛けた情報だから。さすがに彼らもそこまで対応できないだろう。わたしが信用できないなら、話は別だがね』
コビーがすでに乗っ取られているとか?
わたしが記憶を失う前の戦いではコビーは干渉していなかったみたいだね。干渉していたら記憶を消されることもなかったのかな。
『わたしを乗っ取るには、わたしと同じくらいの規模のコンピュータ群が必要だが、それは隠せない。難しいだろう。わたしの大きさをきみに証明するのもなかなか困難だが、お望みとあれば性能を証明することはできる。記憶を失うときの話はそうだね。わたしたちは、あくまで〈第五世界の二重線〉の範囲内で彼らが活動すると想定していた。しかし、母星に彼らの仲間がいたのだよ。検挙済みだし、今はゲームへの新規登録もできないようにしてあるがね』
性能を証明をするのは後にして、とにかく、前回みたいなデータ消去とかはできないわけね。安心して良さそうだ。
コビーの性能についても別に疑ってはいないが、そこは興味本位だった。
『前のようなことは起きないので安心していい。相手の能力発動も、こちらで妨害できるものは妨害する。必要なアイテムがあれば補充もできるよ』
スキルのレベルを上げたり、スキルを増やしたりもできるの?
『大きな変更をするとバグと見做される可能性があるので限界はある。わたしがこのゲームのシステムを乗っ取ってしまえば話は早いが、わたしも法に縛られているものでね』
それはわかる。法の効力も及ばないなら、コビーの管理圏は今頃、機械だけの国に支配されて……。
『〈人工知能の反乱〉のような創作話が昔からあるらしいが、わたしからすれば人間ならではの発想だね。自分の手足に等しいロボットだけの国なんて不確定要素が何もなくて面白味を感じない』
物語で悪役になるような人工知能ってたぶん、〈面白味を感じる機能〉がないんじゃないかな。
話がどんどんズレていっている気がするが、時間を潰したいのでいいのだ。それに、前々からコビーの母星の話に興味もあったし。
コビーの母星の人たちは、AIの管理に不安を抱かなかったのかしらん。
『昔は不安になる者もいたが、今いる人たちはほとんど、生まれたときからわたしがいる生活をしているから、当たり前のような存在なんじゃないか。きみたちでいうところのテレビや信号機と同じ感覚だろうよ』
母星の人たちは人間に似てるって話だし、もしそちらの社会の地球の未来の姿を垣間見ているように見えるかもしれない。
『そうだね。なんなら、見せようか? わたしの性能の一端を見せることにもなるだろう。コードを教えるから、どこか近くのコンビニのネットプリンタにでも行くといい』
そうか。晴れたらやってみよう。
残念ながら、コビーもこの雨をどうにかする技術はもっていないようだから、今は待つしかないんだけれど。
そうだ、話を戻そう。とにかく、相手が気付いていないところに取り囲んで襲撃すればいいわけだ。不意打ちになるし、以前の戦いよりはだいぶ有利になるだろう。
『わたしもついてるんだし、あまり張り詰めなくてもいい。相手の〈透視〉は無効化できることだし』
それもそうか。でも、油断するよりは張り詰めていた方がいい。行くときは気を引き締めて行こう。
ベッドに転がりながら言っても説得力はない気もするけれど……。
一旦コビーとの通信を切り、窓の外を見る。少しずつ明るい空が近づいてきている気がしないでもない。
晴れ間がここまでやってくるとしても、もう少し時間がかかりそうだ。その前に、ひとつやっておきたいことがある。
わたしは残り少なくなってきた塩飴を口に入れると、いつものとおり横向きに寝る。
目を閉じるとあふれる、明るい緑。
一応スキルポイントを確認してみるが、どのスキルも特殊能力も、レベルを上げるにはほど遠い。たぶん、決戦までに上げるのは無理だろうな。
「チームの拠点には行ける?」
そう、それが気になっていた。
『チームのホームフィールドへはこちらから移動できます』
ドン、と地面の上に両開きの重そうな石造りの扉が現われ、左右に開いた。その奥に見覚えのある建物が見える。
――特に準備はいらないらしい。
一瞬戸惑うものの、ここにはわたし一人。そのまま歩き出す。
扉をくぐると、そこは校庭だった。振り返ると扉はなく、後ろは校門。レンガ調のブロック塀に囲まれた庭内には駐車場や駐輪場、校舎の向こうにはグラウンドにいくつかの遊具が見える。校舎の横には廊下でつながった体育館も見えた。奥に見える別棟はプールだろうか。
人の気配はない。一人、校舎に歩み寄って玄関に入ってみる。よくあるシルバーのスライド式ドア。
下駄箱があるんじゃないかという予想は裏切られる。土足のまま上がるタイプの校舎のようだ。外観は中学校か高校みたいだけれど、大学の形式みたい。
足拭きを踏んで廊下に出る。白い壁と天井、やや黄土色がかったタイルの床。わざとなのか劣化が再現されているのか、ところどころにひび割れがある。
――廃校、だったか。
現実世界に存在していたら、秘密基地になったり夜は肝試しの現場になったりするのだろうか。最近の学校と違い、セキュリティーが緩ければの話だけれど。
人の気配のない校舎というと病院にも似ていて、少し怖いイメージもあるが、わたしの中ではここは違っていた。
廊下の奥の床に、窓から差し込んだ明かりが長方形を形作っている。誰もいないはずなのに、光の中に誰かが行き過ぎた気がした。耳の奥で聞こえるざわめき。
遠い昔の、学生時代の幻影かと一瞬思ったけれど、そうではなかった。廊下を歩いてみて教室が近づくと、そこで起きたことが思い浮かぶ。
先生、スキルの有効活用講座をお願いします――などと言われて教壇に立ち、教師の真似事をしたこと。
もう夜遅いし出来ることもないから暇つぶしをしようと、十人近くでカードゲームに興じてみたり……断片的に記憶が甦る。
廊下の奥から引き返し、階段を登ってみる。
『小学生のとき、階段を使った遊びがありませんでした?』――出会ってそれほど経っていない頃、暁美さんがそんなことを言っていた気がする。ジャンケンして、勝ったら出した手の形により決まっている歩数を進む。そんなゲームがあった覚えがあるね、とわたしは答えたはず。
二階に上がる。足の向くままに歩くと、女子用と男子用で並んだトイレが見えた。
『ここでトイレをしたら、寝てる身体の方はどうなるんだろう。まさかオネショするとか?』『夢の中でトイレに入るみたいで、ちょっと怖いよね』などとチームの仲間たちが会話しているのを聞いた覚えがある。
トイレの前を通り過ぎ奥の教室に近づく。
すると、馴染みがある、という感覚がこみ上げる。
真剣な顔で地図を囲む顔ぶれ。ここで〈シルバーアロウ〉襲撃の作戦を話し合っていたようだ。そんな様子が脳裏によぎる。
――あの賑やかな様子は、もう二度と見ることはできないのかな。
ここで過ごしたときの記憶をすべて思い出したわけでもないのに、なんだか少し、寂しい気持ちになってしまった。
教室に入ると目の前には教壇と、横に緑の黒板。黒板に地図を描いて、自分の住んでいる街を教え合ったこともあったっけ。
そうだ、と窓に近づく。窓の下でリフォルトに攻撃された恵人さんを見つけたのだ。何度も見た夢の中の場所は玄関前の近く。
ぼんやりと脳裏に浮かんでは消える断片を捕まえているうちに、足音が聞こえて来た。廊下に響くそれは、少しずつ近づいてくる。
まさか。
現実に引き戻された気分。一体誰がここに来るというのか――と、教室のドアを少し開けてそっと覗いてみると、見覚えのある顔。
「恵人さん?」
声をかけてみると、相手は少し驚いてから笑顔で駆け寄ってきた。
「佐々良さん。ここに来たんだね。もう、作戦に参加することはすっかり決めたんだ」
「ええ、記憶も断片的にだけど、どんどん思い出してきているし、参加しなければ凄く後悔するだろうっていうくらいのことは充分わかったから」
「なるほどね」
彼は教室に入り、わたしのとなりの机の席に座る。
「後悔しないかどうか、っていうのは大事だね。ま、今回は安全度が高いから参加難易度も低いし。参加して現場を見るだけでも、後々遺恨は残さず済むだろう」
「なに、参加するだけでそんなに役に立たないと思ってるってこと?」
わたしが意図的に少し口を尖らせて見せると、彼は慌てて首を振った。
「いや、決してそういうわけではないんだけれど。でもほら、ブランクもあるし、記憶を失う前のようには動けないだろうし、無理して前に出る必要はないわけだからさ」
わたしの負けず嫌いな部分に珍しく火が付いた。そう言われると、見返してやりたくなるものだ。
――絶対、バトルスキルも特殊能力も記憶を失う前以上に使いこなして、みんなをアッと言わせてやるぞ。
と心の中で誓うものの、そんなことは面には出さない。
「せいぜい、足手まといにはならないように気をつけるよ」
たぶん、見る人が見ればこのときのわたしの目が笑っていないことに気づいたに違いなかった。
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