火宅交尾
ぶざますぎる
火宅交尾
[1]
往時の私は、とにかくセックスがしたかった。
私は男で、異性愛者で――男の裸体にも、多少は煽情的なものを感じるが――女を抱きたかった。併し、私の生活は女旱りだった。否、女旱りと書くと、正確では無い。生来、私は、女との縁がまったく無かった。彼女というものが、いたためしが無かった。女から愛されたことなぞ、一度も無かった。それは往時に限らず、本稿を叙する今でも同じ。ならば、そうした人間がセックスをするには、(犯罪行為は別として)プロの女に相手をしてもらう他、方法は無い。
そもそも貴様は、彼女をつくる努力をしたのか。なにも努力せず、棚から牡丹餅式の幸福を待つが如く、自分を愛してくれる女が無から出来するのを待っていただけではないのか。読者諸賢の裡、少なからぬ方々が、そう苛察されるやもしれん。
端的に答えよう。した。した上で、現況。その努力の一々を書き連ねるマネはせぬが……そうだ、モテ云々についての――モテるための努力という話柄とは少しズレるが――鉄板ネタがあるので、ひとつご紹介しよう。
学生時分、「●●ちゃんがぶざま君のことを好きだって」と、同級生に嘘を吹き込まれ、度外れに魯鈍だった私はそれを真に受け、該女生徒へ淫眼の眼差しと秋波を送り続けたことがあった。転帰、その娘には気味悪がられ、後には娘の彼氏――相当に悪筋の不良であった――が出て来、私はそいつにシメられ、糅てて加えて、「てめえが女に愛される面かよ! 」と嘲罵され、挙句顔面へ唾まで吐きかけられたのである。
てめえが女に愛される面かよ。何とひどいセリフであろうか。血も涙も無いとはこのこと。そして、このセリフからも判るだろうが、私は度外れの不細工。このアグリーフェイスが因となり、私は曩時より、苛虐の限りを受けてきた。やはり世間に於いては、美男と醜男の扱われ方の違いには截然たるものがあり、顔の悪い男というのは、とりわけ女の前であれば、息をするにも跼蹐めいた思いをせねばならぬ。
とにかく、努力はしたが失敗し、且つ、不器量故のぶざまな体験を多々経てて来、結句、私は学習性無気力めいた、悴けた心持になってしまった。復、生来度外れに卑屈で、且つ、度外れの不貞腐れ根性の持ち主である私は、そうした失敗体験により、その捻くれの度が増し、どうで自分が積極性を出した処で、ストーカー扱いされるのが関の山だろうとの、自棄ぱっち惆悵を爆発させ、こと異性関係に於いては、一切の主体的行動をしなくなった。
併し、あくまで積極性を失くしたというだけで、それで性欲や女愛への希求が失われることはなく、惨めな懸想やノーホープな岡惚れ自体は爾後も重ね続け、やはり女の姿は、蠱惑の妖灯として我が目に映った。
が、ただでさえ性的魅力に乏しい男が、なにもせずアホ面をぶら下げて、女を待つのである。恋人なぞできようはずがない。
[2]
はて、私は何を叙したかったのか。そうだ、其時、私は20代前半で、とにかく、性欲が身の裡で湧きに湧いていたのである。曩に述べた通り、私のような人間が性欲を解消するには、(やはり犯罪行為は別として)自慰か淫購をする他無い。
ただ往時は、えらい性的欲求に付随し、如何ともし難い、えらい落莫が存していた。性欲は自慰で解消できようが、落莫、つまりは寂しさ、復、換言すれば、人恋しさまでは解消できぬ。
となれば、残る詮術は淫購。優しさの造花を購める他、無い。
ただ、私は変なこだわりというか、度外れの糞不細工且つ、度外れの低能糞馬鹿の分際で、分不相応にプライドが高く、淫購するにしても、なるたけ値の高い、所謂、超高級店か高級店でしか、用を足したくなかった(こうしたことに不案内な諸氏のため補足すれば、例外はあるが相場は高ければ20万、低ければ7万ほどである。復、同じ店でもコースによっては料金にえらい差があり……仔細を書き出せばキリが無いので、これにて割愛する)。
なんというか、誠、みみっちい自意識であるが、私は安い店で淫購すれば、こと性において完全なる敗北者たる己を、更に下の下の次元へと叩き落してしまうのだという、ほぼ疾病めいた思い込みをしていた。
仮令そうした拘泥が無くとも、斯様な高級店では、私のような不細工ゴブリンであろうと、まるで殿様の如くウェルカミングな扱いをしてもらえる。そうした作り物の優しさによって、生来度外れに捻くれ曲がっている私の心根も、癒されるのだった。
だからこそ、生来度外れに愛情乞食的な気質が強い私に、高級風俗通いという奢侈な陋習が身についたのも、誠、致し方無い処があった。
併し、高ランク店へ執着していたが、そのくせ、往時の私には金が無かった。私は無職だった。
[3]
とにかく、私は働くことが厭で仕方なかった。就職しても直ぐ辞める。それの繰り返しであった。
先ず、私は度外れに痴鈍で復、度外れに要領が悪かった。
職場の人間は、私の頓馬に腹を立てた。最初の裡こそ皆、鷹揚に私のミスを赦してくれるのだが、併し、幾ら日を経てても、私の職能は欠片も発展の気配を見せぬ
復、私は度外れに骨惜しみであったから、無能なりに一所懸命努力して、健気さを演出するということもできなかった。だから終いには皆、私の無能と怠惰に激昂してしまうのであった。
それに、私は度外れに狷介で人づき合いが苦手だった。つまり無能を補い得る愛嬌というものが欠如していた。おまけに、曩に述べた通り、私は度外れの不細工であった。無能、怠慢、不細工、愛想も無い。こうした人間が疎まれ、嫌われ、蔑まれるのは、当然の転帰。而して、職場での居心地は悪くなり、その気ぶっせいに耐え切れず、職を辞したことが多々あった。
糅てて加えて、私は生来度外れの居直り体質且つ、度外れに不貞腐れ体質であった。だから職場で叱呵されようものなら大抵は逆ギレ、その後はずっと舌打ちをしながらブツブツと悪態を吐き続けた。
復、私は度外れに堪え性が無かったので、怒られた翌日にはほぼ、職場をバックレし、怒られずとも、あまりに仕事がキツい場合は、半日も経てずに職場を逃げ出すのであった。
とにかく、仕事が長続きしなかった。だから往時も、数日前にバイトをバックレて居、私は無職であった。
そんな人間が、高級風俗に必要なお銭を持とうはずが無かった。併し、そんな状況においても性欲は待ってくれぬ。往時、我が身の裡にて、女体への希求は火炎が如くに激烈で膏肓としており、体が裂けんばかりの苦しみであった。
格安店や激安店であれば、往けぬことはなかった。併し、曩に述べた理由で、私はそうした安い店のことなぞ、ハナ念頭に置かなかったのである。
大金が欲しかった。出来れば一切の労苦無しに、大金を手に入れたかった。
[4]
転帰、私が思いついた金策は、懇意にしていた近所の老人にタカる、というものであった。
私は生来、度外れに誇り高き
[5]
往時私が借りていた室の近く、えらい年季の入った、えらいガタのきている、庭つき二階建ての一軒家があった。庭は、あまり手入れされておらず、草がボーボー。復、家の壁を、よう判らぬ植物たちが覆っていた。
なんというか、自然が人工を打ち負かす一歩手前、といった観。
そこに、田中という姓の老夫婦が住んでいた。とは言い条、私は夫の姿しか見たことがない。その夫によれば、妻は寝たきり、家から出られぬとのことだった。
[6]
田中幹雄は東北の生まれ、大学進学を機に上京。両親の所期は、幹雄が大学を卒えれば直ぐ帰郷し、家業を継ぐことであった。併し、幹雄はそうせず、卒業後も東京へ残った。而して、学友と共に事業を立ち上げ、それが成功した。
後、幹雄はある女と出会った。女は名をカヨコといった。幹雄とカヨコは惹かれ合い、成婚と相成った。男の子が生まれた。サトルと名付けた。
あとひと月で、サトルが1歳を迎えたハズだった。
カヨコは近所のス―パーへ、ベビーカーに乗せたサトルを連れ、買い物に往った。カヨコは気づかなかったが、先刻から一人の男が、カヨコとサトルのことを、遠目よりジッっと窺っていた。
青果コーナー、カヨコは果物が積まれた売り台の横にベビーカーをつけた。カヨコは棚に積まれたりんごを眺めていた。りんごは幹雄の好物であった。其日は幹雄の誕生日。「アップルパイでも作ってくれよ」冗談半ば、幹雄は朝、カヨコへ頼んだ。
10秒も経たなかった。
カヨコがベビーカーから目を離していた隙、曩より機を計っていた男が近づいて来、着ていたジャンパーのポケットからナイフを抜き出し、一切躊躇せず、ベビーカーに乗っていたサトルの脳天へ振り下ろした。
ナイフの刃がサトルの頭蓋骨へめり込み、バキョッという音がした。
カヨコは音に驚き、ベビーカーを見た。
カヨコの目に、頭へナイフをおっ立てたサトルが映った。
サトルは一瞬、「ビュエ」という音を発した。
カヨコは、顔を上げた。サトルにナイフを突き立てた男と目が合った。
「気の毒だとは思いますけどね」カヨコを見つめ返しながら男は言った「僕だって、やりたくてやった訳じゃないんですよ」
カヨコは声無くへたり込んだ。
カヨコの姿を、男は黙って見つめていた。
どこかで悲鳴があがった。ナイフが突き刺さったサトルの頭から、噴水が如く血が飛び散った。サトルは白目を剥いて痙攣していた。
その後、店員たちが来、男を取り押さえた。男は抵抗しなかった。到着した警官に、男は連れて往かれた。
カヨコは店員と警官からの声掛けに、ピクリとも反応しなかった。
サトルは即死。幹雄は、カヨコの無事とサトルの死を、会社に掛かってきた電話で識った。
「熾天使に命令されて、男の子を殺した」
サトルを殺した男は、後の調べに於いて、そう供述した。
ナイフの刃は、よく手入れされていた。
「私が目を離したせいです」カヨコは言った。
それを聞いて幹雄は、自分がアップルパイなぞ所望したせいだと思ったが、黙っていた。それを口に出して、カヨコに首肯されてしまったら、とても耐えられなかった。併し、黙っていることは、幹雄がカヨコの自責を首肯することでもあった。幹雄自身、その点は十全に理解していたが、やはり黙っていた。
爾後、二人は子を作ろうとはしなかった。二人きりで日を経てた。
2人とも60を過ぎた。
ある日、カヨコは脳の血管を切った。
トイレで排便をする際、息張り過ぎた。半身不随、寝たきりと相成った。
その裡、寝ダコができ、後に褥瘡となった。幹雄は職を辞していた。カヨコと共に、余生を静かに過ごすことを望んでいた。蓄えは十全過ぎる程、あった。
幹雄にとって、カヨコの介護は苦でなかった。併し、カヨコにはすべてが苦だった。「ごめんなさい」「殺してください」「楽にしてください」平生より同じセリフを吐き続けた。
その度に、幹雄はカヨコを叱った。
幹雄は、疲れた。
これまでの生活で、仕事の他、何ら打ち込んだものはなかった。仕事は生き血を搾る塩梅。共に事業を立ち上げた友は、とっくの昔に切り捨てた。転帰、その友は、妻と子を道連れに無理心中した。友は深更、寝ている妻と子の首を絞め、その後、包丁で自らの首を切って死んだ。
幹雄には、カヨコの他、語り合う人間がなかった。併し、カヨコは「ごめんなさい」「殺してください」「楽にしてください」以外の言葉を発さなかった。
幹雄は痩せた。
幹雄は、子ども時分に近所の寺で見た地獄絵図のことを思い出した。絵の中で、衆生は火に焼かれていた。住職は幹雄に言った「地獄ですが。生きるも死ぬも、地獄ですが」その翌月、住職は庫裏で縊死した。
起きている間、ずっと、幹雄の頭裡に、その地獄絵図が、浮かぶようになった。
幹雄は家の裡で、サトルと、それから自分が裏切った友と、その妻子の幻覚を見るようになった。家に居るのが怖くなった。
「殺してください」
カヨコはそれ以外に口を利かなかった。カヨコが「殺してください」と言うと、幻のサトルと、幻の友とその妻子がウンウンと頷いた。幻のサトルの頭にはナイフが突き立っていて、たまに血がピュッピュッと噴き出た。
幹雄は家に居るのが辛くなった。
その裡、カヨコが落ち着いて昼寝を始めると、幹雄は近所の公園に往き、ベンチに座り、ボーッとするのが習慣になった。家の外に出れば、幻影たちを見なくて済んだ。併し、件の地獄絵図は、ずっと脳内に浮かび続けていた。その苦痛の風景は、実に鮮明なものであった。
ある日、公園へ往くと、見識らぬ男がベンチに座っていた。見た目は20代前半。顔の造形は、世辞にも好いとは言えぬものだった。幹雄が近づくと、男は緩頬し、軽く会釈した。不図、幹雄は、サトルが生きていれば、このくらいの歳だなと考えた。
男はどこか卑屈な感じがしつつも、人懐っこい口吻で幹雄に挨拶した。幹雄は軽く会釈を返して、男が座るのとは別のベンチへ腰を下ろした。男はペラペラと話しかけてきた。
不快ではなかった。それは曩の、サトルが生きていたら云々という感慨が、おそらくは影響した。
少し、頭裡の地獄絵図が、鮮明さを失った様に、幹雄は感じた。
[7]
往時に私が住んでいた室の近くには、小さな公園があった。
金の無い私は、暇な時なぞはそこへ赴き、ベンチに座ってボーッとしたり、古本屋で安く購めた文庫本を読み耽っていた。
私の室の上階には、子連れ一家が住んで居、そこのガキが朝から晩まで家中を走り回っていた。凄まじい騒音だったので、とてもではないが、室に居てもリラックスできなかった。だから、私は避難する心積もり、公園へ出ていた。
ある日、私はベンチに座って本を読んで居た。不図、気配がしたので顔を上げると、なんとも草臥れた感じの悲惨な老人が、私を見つめていた。
<何見てやがるんだ、このジジイ。呆けちまってんのか? 追っ払うか? しかし、随分としょぼくれたジジイだな。歳はとりたくねえもんだ。人間、こうなったら死んだ方がマシじゃねえのか。糞、折角、落ち着く場所を見つけたってのによ、何だよ、この邪魔なジジイは。蹴跳ばしてやろうか。厭だねえ、こんなに薄汚く老いさらばえてまで、生きていたいものかねぇ>
生来度外れに自己中心的で復、度外れに老人差別主義的人間であった私は、心中毒づいた。
私という人間は、老人と子どもが度外れに厭らいだった。老人は見ているだけで悲惨であるし、口は臭いし、トロくて邪魔。加えて、その凄惨なヨボヨボ姿は、将来の自分に訪れるであろう悲惨の予告でもあったから、見ていて甚だ不愉快だった。
一方の子どもは五月蠅いし、ウロチョロして邪魔だし、汚いし、未来があって憎たらしいしで、老人以上に厭らいだった。正直言って、子どものことは ""他人が勝手に生殖した小さい糞尿袋"" としか思えず、巷間言われる、子どもが可愛いという意見が、皆目理解できぬのだった。
併し、私は生来度外れに小心だったので、老人に対する身の裡での悪口雑言を口に出せるハズもなく、とりあえずの愛想として老人へ、ニコッと笑顔を向け、適当な挨拶を飛ばしてしまったのである。
[8]
爾後、老人とは2回、3回……と何回も公園で顔を合わせるようになった。
私は公園の他、特別往く処も無かったし、それは老人も同じようだった。老人は徐々に饒舌となった。私が訊きもしないのに、身の上話を始めた。出会った頃は病的に痩せて居、およそ生気というものを欠いていた老人は、徐々に顔色が好くなり、心なしか、少し太った様子。
正味、私はこの老人が鬱陶しかったが、やはり私は、公園の他に往く処も無かったから、ずっと公園へ通い続けた。復、そうしている裡に、この寂しく惨めでぶざまな
[9]
何度も男と顔を合わせていると、幹雄の身の裡に、男への憐憫めいた情が出来した。男の挙動は、明らかに社会適合能力の欠如を表していた。この男は仕事ができないのだろうなと、幹雄は思った。
実際、男の話によると、男は仕事が長続きせず、今は無職。加えて、男は既に親を亡くして居、兄弟とも絶縁状態、何ら頼る当てがない由。そうした開陳を、男は明らかに同情を乞うような、わざとらしい口吻で語るのだった。
それを聴いている裡、幹雄は、何というか、父性めいたものを男に抱きはじめた。その心の動きは、やはり初見に男へ抱いた、サトルが生きていれば云々という考えが影響したものだった。
公園通いを続け、男と言葉を重ねる裡、幹雄は、地獄絵図のことを考えなくなった。それと同時、サトルはじめ、幻影たちの姿を、家で目にしなくなった。
幹雄は太った。
[10]
私がはじめて、その老人から万札を渡された時、さすがに喜びではなく、驚きと恐れを感じた。
その日、私は老人相手へ愚痴を吐いていた。えらい労働環境の悪いバイト先で、えらい横暴な店長と、えらい冷酷な同僚に虐められ、理不尽に馘首されたのだと、できるだけ憐憫の情を得られるような口吻で語った。
実際、それは嘘であった。
公平に言って、バイト先の環境は好かったし、店長も同僚も善人であった。悪人は私ひとりだった。
居酒屋のバイトだったが、私は無断欠勤と遅刻を繰り返し、度々、客に暴言を吐いた。仕事は雑で、同じミスを繰り返した。レジから、ちょくちょく小銭をチョロまかした。冷蔵庫の食材と酒を、隠れて頂戴した。復、私は男女兼用の更衣室に置いてあった女同僚の靴下へ思い切り顔を埋めて、その匂いを嗅ぐことを習慣にしていた。
転帰、ほぼすべて(靴下の匂いを嗅いだこと以外)が露見し、我慢の限界を越えた店長と同僚たちに叱呵されたのだが、私はそれに対して逆ギレ、更衣室のロッカーをすべて引き倒し、前から気に入らなかった年下のイケメン同僚――公平に言って彼は善人であり、落ち度は欠片も無かったし、寧ろ最後まで私を庇ってくれた恩人なのだが、彼がイケメンだという一点のみで以て、私は彼を激しく憎んだ――の私物を、(バレぬように隠れて)生ゴミ用のバケツへ叩き込み、そこに向かって「外道めが!!!」と鬼の一喝をした。トドメに店の床へ(バレぬようにこっそり)痰を吐き散らしてから、""所詮、おれは何処にも居場所を作れねえ傾奇な
まあ取り合えず、私は徹底的に被害者ぶって、とことん自分に都合好く脚色した話を、老人へ聴かせたのである。
私の話を聴いて、老人は暫時、黙っていた。それから、少し待っていろと私に命じ、公園を出ていった。数分後、老人は戻って来、ベンチに座ると、上着のポケットから万札を2枚取り出し、「やる」と言って私に寄越した。
[11]
生来度外れに低能で、そこから寄ってきたる処の糞馬鹿オプティミズムを持つ私でも、こんな美味い話は無いだろうと、警戒した。どこの馬鹿が、好き好んで見ず識らずの人間へ万札を渡すものか。ローズウォーターさん気取りか? この老人は気が狂っているのではないか。若しくは、これは詐欺の一種で、後々になって、私から金を強奪されたなぞと言い出し、私のことを陥穽へと叩き落すつもりに相違なかろう。
しかし、老人の様子には、そういった悪意のようなものは感じ取れなかったし、たとえ将来に破滅をするのだとしても、取りあえずは、この場で万札が手に入るのだから、それはそれで好いのではないかと、やはり私は度外れの糞馬鹿であったし、復、生来、目先の誘惑へ度外れに弱かったので、転帰、老人から万札を受け取ったのである。
爾後、さすがに毎回ではないが、私が身の上の悲惨――それは9割方嘘か誇張、自分に都合好く脚色したもの――を語ると、老人は私へ万札を渡すようになった。
「大丈夫なんですか、こんなにお金を頂戴して。さすがに申し訳ないですよ」
それなりに心が可憐である私は、一応は健気に心配するフリをしてみせた。併し実際は、心配なぞ微塵もしていなかったし、申し訳ないなぞ、欠片も思っていなかった。その時分には、この老人からできるだけの金を搾りそうと、私は決めていた。
<ははぁ、このしょぼくれたジジイは、寂しくて仕方がないんだな。相方のババアは寝たきりらしいし、どうで友達もいねえんだろう。で、折角にできた友達、つまりは孤独を紛らわすことができる唯一の相手である、おれとの縁が切れるのが怖いんだ。惨めなジジイだよ、ホント。こうなったら人間、御終いだよな>
なぞと、生来度外れの忘恩気質且つ、度外れの己惚れ人間であった私は、身の裡で老人を嗤った。
「蓄えは腐る程ある」老人は言った「どうで、家内とおれとでは使いきれん。お前が好きに使えや」
「ありがとうございます。貴方様の温情の御蔭で、私は死なずに済みます」
私はやたらに演技くさい涙声で、形ばかりの深謝を捧げた。
すると、その自らの声の響きに自分で感動して了い、気づけば、私の双眸には本当に涙が浮かび始めたのである。併し、それはあくまで自分の声への感動であって、老人の布施に対しては、欠片の感謝もなかった。それ処か、馬鹿なジジイが騙されてやがらぁと、身の裡で老人のことを嘲罵していたのである。
<それにしても、結婚ってのも考え物だよなぁ。おれは女縁が、からきしだが、それは却って好いことなのかもしれん。そうだよ、嫁ができたって老ける一方だもんな。それに、おれが一所懸命稼いだ金を、何が悲しくてドンドン老けていく嫁に吸い取られなきゃならんのだ。だったら、プロの若い女を相手にして、優しさや温もりは金で購めるものと割り切った方が好いわな。このジジイみたいに惨めに老いて、同じように老いさらばえた醜いババア嫁が、糅てて加えて寝たきりになっちまったんじゃ、救いようが無えや。そうさ、おれは向後を無頼の一本独鈷、クールなローンウルフとして生きてやらぁ!!!>
生来度外れに自己中心的、度外れに我儘坊ちゃん的気質の強い私は、正味、老人への同情なぞ欠片も抱いていなかったし、この頃には、老人のことは体の好い金蔓としか思っていなかった。
[12]
話は本稿冒頭へと戻る。
私は高級風俗に往きたかったが、お銭が無かった。だから、この老人へ無心しようと、つまりは、万札を1,2枚ではなく、一度にドカンと10万ほど、頂戴しようと思ったのである。
因みに、それまでに老人から恵えられていた金は、手に入れた傍から使ってしまっていた。ハナ、それを貯めておけば、高級風俗だろうがなんだろうが問題なく往けたハズなのだが、私は目先の誘惑に対し、度外れな脆弱性を有していたから、すべては酒や煙草などに消えた。
閑話休題、老人と会話をする裡に識ったことだが、どうも老人は、銀行だけでなく、自宅の金庫にも、それなりの金を容れているらしかった。だから、出そうと思えば、数十万だろうと出せるハズなのである。
私は生来度外れな小心でもあるから、どうしても他人へのヅケ取りに必死になる処があり、この老人に対しても、最初の裡は気褄合わせをしようと、できる限り至誠な振舞いをするため、卑屈な努力をしていた。併し、老人が私に金を恵えだしてからというもの、生来度外れな調子コキでもある私は、度外れに驕慢となり、態度も横柄なものへと変化した。曩にも述べた通り、この金蔓老人のことを、人として完全に見下すようになっていたのである。
だから従前までは、一応は老人の同情を乞うための努力、つまり、その憫諒を刺激して金を毟り取るために、己が生活の悲惨をでっち上げていたのだが、ことここに至れば、下手な工夫をせずとも、正直に風俗のお銭をくれと嘆願してしまっても、金は手に入るのではないかと、私は考えた。
<どうで惨めで寂しい老人なんだからよ。金でおれとの時間を手に入れようとしている哀れな老いぼれなんだからよ。ここでおれに金を渡すのを止めれば、おれとの縁が切れちまうって怯えるに相違ねえよ。仮令、あのジジイが拒否をしてもよ、おれが開き直って、貴様とは縁を切る、二度と貴様とは口を効かん、とでも脅せば、あのジジイは孤独の恐怖に顫え上がって、必死におれへ許しを請いながら、それこそ土下座でもしながら金を出すに相違ねえや。そうでなくとも相手は弱っちい老人だ。おれが胴間声で以て一喝してやりゃあ、あのジジイ、小便漏らしながら金を渡すだろうよ>
私は生来、自分よりも弱いと見做した相手に対しては、徹底的に強気且つ、冷酷になる癖があり、復、ここまでに何度も叙した様に、度外れの低能糞間抜けであった。で、そこから生ずる糞馬鹿オプティミズムによって、大分無理のある自らの計画を、採用することにした。
転帰、最早病疾めいた行き腰を構え、老人に金を強請ることを決起したのである。
[13]
幹雄の目の前、男がワザとらしい涙声で以て、叩頭している。
風俗に往きたいのだと、己は昔から女性と縁が無かったのだと、とんでもなく性に飢えているのだと、このままでは獣になってしまうと、目についた女性を手あたり次第に襲ってしまいかねないと、だからこそ風俗へ往きたいと、だが金が無いと、だからその金を寄越してくれと、言っている。
幹雄の中で、この男に対する、情のようなものが、すべて消えた。
高々、風俗で情交したいがために、地面へ額を擦り付け、土下座までしてみせる男の姿を見、これまで向けていた感情のすべてが、鼻白む心地。
ハナ、幹雄は、この男に、幼くして帰天した我が息子の姿を空目した。男と何度も会っている裡、幹雄は、例の地獄絵図のことを忘れていたし、家の中で、サトルたちの幻影を目にしなくなっていた。
再び、幹雄の頭裡に、あの地獄絵図が広がった。
おそらくは、自宅に戻れば、幻影たちが幹雄を出迎えることだろう。たとえ代償行為により、後悔や負い目から目を逸らせたとしても、逸らせたに過ぎないのである。それは罪や十字架と同様、決して消えないものだった。
転帰、幹雄は「待っていろ」と、土下座をしているソレに告げ、公園を出た。その際、幹雄がソレの方を振り返ってみると、ソレが土下座の姿勢を解く処であった。ソレはズボンについた砂を払いながら、笑みを口元に浮かべていた。幹雄が見ていることに、ソレは気づかぬ様子。不思議と、その姿を見ても、幹雄には何らの痛みも無かった。
家に帰った。玄関で、頭にナイフを突き立てたサトルと、友人とその妻子が待っていた。彼らは消えてなど居なかったのだ。彼らはずっと居た。
「お前たちは、もう死んでいるんだぞ」幹雄は言った。
家で適当な紙袋を探した。金庫から札をすべて出した。金庫に金を容れておくのは、万が一の備えであったし、幹雄の趣味でもあった。札束を紙袋に入れた。
別室から呻き声が聞こえた。カヨコが目を覚ましたらしかった。幹雄がカヨコの部屋へ往けば、またぞろ「殺してください」と言うだろう。
玄関で靴を履く幹雄のことを、幻影たちが見つめていた。
「言いたいことは判る。心配すんなや、お望み通りになるから」
幻影に向かって、幹雄は言った。サトルの頭から、ピュッピュッと血が噴き出た。
幹雄は家を出た。もう金庫は空のままで好い。
[14]
私は、老人が差し出した紙袋を強奪まがいに受け取ると、礼も述べず、老人を後に残し、自宅へ戻った。私はエチケット尊重主義であったが、曩に述べたように、この頃には老人のことを完全に見下していたので、礼を払うべき相手とは見做していなかった。復、金を目にした瞬間から、私は女陰の他、何も考えることができなくなっていたのである。
私はハナ、老人を恫喝してでも金を手に入れようとの、馬鹿みたいな行き腰でいたくせに、実際は、老人に会った初手から土下座をかまし、地面へ頭を擦り付ける、文字通り叩頭の体で以て、己が性欲の切実さを、子犬の鼻泣きが如く甲高い声で訴えたのであった。
私は生来度外れにプライドが高く、ある種の
だが一方、度外れに結果主義的な処がある私は、淫購のお銭を手に入れたことで、曩の土下座の屈辱はすっかり忘却、身の裡において高らかに勝利宣言をすることができた。
<チョロいジジイだよ、マジでさ>
私は有頂天だった。
全速力で走って帰宅した。相変わらず、上階ではガキが走り回っていた。部屋にすさまじい振動。ガキの金切り声が、我が室にも届いた。
私は携帯を操作、お気に入りの風俗店へ電話した。
「あ、当日予約なんですけど、あ、リオさんって入れますか? あ、できれば口明けが好いんですけど……」
老人のことなぞ、頭に無かった。
上階で、復、小さな糞尿袋が金切声を上げた。
[15]
私は店で、リオという若く美しい嬢から、サービスを受けた。
リオを指名するのは2度目。リオはランカーだった。私はリオの胸に顔を埋めて「ボクちゃん、寂ちい寂ちい、優ちくちてー、ママー」と、猫撫で声で懇望した。
「ヨシヨシ、いい子でちゅねー」
リオは金を介した優しさで以て、私の頭を撫でた。
私がリオの女陰へ挿入し、その体を抱いている時、田中幹雄は、妻カヨコの首を絞めて殺した。
それから、幹雄は近所のガソリンスタンドへと赴き、ガソリンを購めた。
帰宅後、幹雄はカヨコの死骸の横でガソリンを被り、我が身に火をつけた。
幹雄は燃えながら、カヨコだったものに抱き着いた。その際、幹雄の頭裡に在ったのは、愛情というより、性欲に近い、プリミティブな情動であった。
火は家を全焼させ、近所数件を巻き込んだ。
[16]
「ヤダヤダ、ボクちゃん帰りたくないよう。寂ちいよう」私は言った。
「ダーメ。ワガママ言わないの。今度、たっくさん愛してあげるからね」
「ママーッ! 」私は哀叫した。
プレイを終え、部屋を出る折、私はリオから別れのキスを恵えられた。
<間違いねえ。この女、客と嬢の関係を越えて、マジでおれに惚れてやがらあ! おれの小型犬的な愛くるしさに、母性本能をくすぐられたに相違ねえや。向後に復、おれがこいつを予約してやったら、直ぐに股をビショビショにして喜ぶに決まってらぁ。まったく、おれは罪深きジコロだぜ>
と、不細工の分際で度外れに自己評価の高い私は思った。が、実際の処、リオはこの裏で私にNGを出して居、爾後、私は2度とリオに会うことができなかった。
そうとも識らず、私はルンルン気分で待合室へ戻ると、慇懃なボーイからアンケート用紙を渡された。私は椅子に座し、それに記入しはじめた。
「うんうん。リオ嬢は満点でございましたぞ」
えらい満足感。生きていて好かったと思った。
併し、アンケートを書いている私の頭裡、その満足とは不似合いな追想が始まっていた。
[17]
小学生時分、教室後方、虫籠が置いてあり、沢山のバッタが入っていた。馬鹿な男子生徒が、そこへカマキリを入れた。バッタは、カマキリに喰い殺され始めた。悲惨の裡、未だ殺されずに居たバッタが、交尾をはじめた。転帰、籠中にバッタの残骸と、卵が転がった。
クラス担任の若い女教師が、その光景をえらい気味悪がった。昼業間、女教師は虫籠を抱え、焼却炉――曩時の学校には設置されていた――へと向かった。私と他、数名の生徒がついて往った。焼却炉では、老用務員が何かを燃していた。女教師は用務員に、虫籠の中身を掻き出し、焼却炉へとぶち込むよう命じた。
「地獄やの」
用務員はそう言って、虫籠を受け取った。
而して、殺戮を続けるカマキリも、喰われたバッタの残骸も、交尾に熱中している生き残りのバッタも、籠の隅に残ったバッタの卵も、すべてが焼却炉に捨てられて、燃えた。
<了>
火宅交尾 ぶざますぎる @buzamasugiru
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