四国の黙示録(6-4)
目の前が真っ暗になったような気分で、カナエは失意に暮れていた。加藤はこの日本で亜人と人間を和解させる指導者になれる器を持った人間だった。カナエは一つ希望を失った。
蒼井も明石もカナエの喪失感を理解していた。又聞き話に過ぎないが、彼女が理想とする国のあり方を創り上げ、そして、カナエとは大きく異なった思想を持ちながらも、彼女の目的を果たしていた。カナエの境遇を鑑みると、彼女の最も尊敬する人物が目の前で殺されたのだ。尊敬するものの死というものが人に与える影響は計り知れない。二人ともカナエに何も話しかけず、膝をつき小さくなった背中を見ていた。
「何の為に加藤は死ななければならなかったのでしょうか?」とカナエは蒼井に訊いた。蒼井も明石も何も答えない。加藤の死に理由はあるが、義務も必要性はない。彼はただ、社会や国家といった集団が抱える闇の犠牲になっただけだった。加藤の正義感やカリスマ性はこの亜人社会には手に余るほど大きなうねりだった。
「私たちが末永たちの不正の証拠を見つけ出せば、彼はこの地の新しい理想の統治者になれた。この亜人社会のあるべき姿を日本中に示せる能力のある人物だった」カナエは涙をこぼし、悔しさを露わにしている。
「悔しいな」蒼井はカナエに寄り添うように、たった一言だけ声をかけた。
森の中から一斉に鳥たちが飛び出した。不吉にも愛媛の上空は、カラスがけたたましく鳴き声を上げている。空は鈍色に曇りだした。カナエたちの頭上から、愛媛県警が所有するヘリコプターのプロペラ音が聞こえてきた。ヘリはカナエたちに向かって一直線に降下してくる。プロペラの風がカナエたちに吹き付けて、勢いよくヘリコプターのドアが開けられた。
「湯川さん、それに課長。それに、け、警察庁長官?」と明石は髪の毛を耳にかけている課長に向かって言い、その奥に座っている意外な人物に目を奪われた。課長が父親の三船士郎を連れてきていたことに何よりも驚いていた。三船は正義感の強そうな、課長には似ても似つかない、険しい顔をした男だった。
「蒼井君、明石君、そして望月、細かい説明をしている暇はないわ。とにかく乗って」と課長は三人に命令した。課長の命令に従い、蒼井と明石はヘリに乗り込んだ。カナエだけは、まだ、座ったままだった。
「おい、望月何をしているんだ」と蒼井が声をかけると、地面は大きな音を立てて揺れ始めた。そして、カナエの座っていた大地は割れ始め、大きな穴が空いた。落ちそうになったカナエの手を蒼井は掴み、思い切りヘリに引き上げた。
ヘリが上空まで昇り、愛媛の大地を見下ろすと、カナエたちは言葉を失った。至る所で、大地が割れ、地盤が沈下し、山は雪崩を起こし、川が氾濫し始めた。雪崩は畑の作物ごと、カナエたち抹殺のために集まった武装した亜人たちを飲み込み、愛媛の至るとこにある建物が、地盤沈下のために崩壊し始めた。愛媛にいる人間も亜人も次々と、悲鳴を上げながら、土に飲まれていった。
そして大きな鬨をあげて、武装した地下都市の住人たちが地下から登ってきた。地下都市の住人たちは、無抵抗になった亜人や人間を見境なく虐殺しながら、愛媛にある末永商事の本社ビルと、末永邸に目がけ走って行った。加藤は愛媛の地下空間の至るところに爆弾を仕掛けていた。計画は前倒しになった、と言っていたくらいだから、ゆくゆくは、眼下に広がる無惨な光景を四国全土で再現するつもりだったのだろう。カナエは結局止められなかった事態の大きさを再認識し、加藤の本気の決意を恐ろしく思った。彼は人の残虐性を憂いていた。カナエは確信した。加藤自身もこの残虐性を持ち合わせていることに絶望し、葛藤していたのだと。
末永たちを乗せていたヘリは末永邸目がけ、飛んで行った。末永は自分が創り上げたこの愛媛の町が、自分が見下していた者たちに蹂躙されている様を見て、憤っていた。そして、彼はこの地で初めて身の危険を感じていた。地下都市の住民たちは、末永に特に深く関わりのある建物を目がけて進んでいっていることに気がついていた。末永は理解した、彼らは本気で自分の命だけでなく、自分が築き上げたものを奪いにきたことを。そして、末永には自分の身を守ってくれるものはいなかった。腕輪の毒を彼らに流し込んで殺しても良いが、彼はどの亜人が侵略者か把握していない。見境なく、一斉に毒を流し、亜人を殺害すれば、四国中の亜人が死に、自分のビジネスモデルが崩壊し、彼はこの地だけでなく、全てを失う。加藤は、末永のビジネスモデルを人質にとり、彼が亜人の大量消失に関与し、そのことに微塵も悪気がないことを逆手にとっていた。末永はシステムを使って、一斉に亜人を殺すことができない。末永は考えたが窮余の一策すら思い浮かばなかった。そんな彼に後藤は悪魔のように囁き始めた。
「今自衛隊が徳島で大規模の軍事演習を行なっているのはご存知で?」
末永は後藤の脈絡もない言葉に憤り、「それがどうした。今はそれどころじゃないんだ」声を荒げた。
後藤は侵略者たちを指差して、
「彼らは統率された兵隊だ。よく訓練されている。あなたが虐げていた程度の亜人たちじゃ、歯も立たないでしょう。どうでしょうここは。戦闘のプロにお任せするのは?」と提案した。
「徳島の自衛隊を派遣してくれるのか?」末永は救われたような表情を浮かべ、後藤に言った。
「ええ」
「頼む」
「しかし、もちろん無料でとはいきません。彼らを制圧したら、防衛省に多大な資金提供を約束してください」後藤は末永にスマートフォンを差し出しながら言った。
「お前は俺に営業をかけるのか?」
「ええ、こんな顔をしていなければ、戦地から帰ってきたら営業マンになろうと思っていたくらいですから。フフフ」と自分の顔の傷を指で撫でながら言った。
「もう一仕事、と言っていたのは、そういうことか。お前、もしかして、俺から軍事予算をもぎ取るために。この地に赴いたのか?」
後藤は大きな笑い声をあげ、
「まさか、全て偶然ですよ。それでどうします?別にこのまま放っておいても、私は構わないのですよ」と言った。
末永は怒りを湛え、後藤からスマートフォンをもぎ取った。後藤に指示された通りに操作し、防衛省の役人に電話をかけた。
「末永だ。ああそうだ、資金提供をしてやるから。奴らを制圧しろ。ああ、いくらでも出す。十兆、でも百兆でも好きなだけ持っていけ。ああわかった。後藤に代わる」末永は舌打ちをして、後藤にスマートフォンを手渡した。
「後藤だ。そうか。最近新設されたサイボーグ部隊をだせ。そうだ。撮影器具の準備はできているよな。いいかしっかり戦場の様子を撮れよ。海外諸国に我が国の軍事力を見せつける、いい機会だ」と言って、電話を切った。
「彼らを止めないと」カナエは蒼井に言った。蒼井も彼らの侵攻を止めるためにひたすら頭を回転させている。
「どうしましょう、蒼井さん、どうしましょう」と明石は狼狽えている。
「うるさい。今考え中だ」
そして、外を見ていた課長と警察庁長官は自分達とは逆方向に進んでいく自衛隊のヘリコプターたちに気がついた。
「あれは自衛隊の軍用ヘリ、確か徳島で大規模の軍事演習中だったが。あまりにも対応が早すぎるな」と三船は言った。
迷彩服を着ているだけにしか見えない、彼らは生身のまま、数十メートルの高さから、ロープも使わずジャンプして地上に降り立った。
「あれはもしかして、自衛隊のサイボーグ部隊?」と課長は目を疑っていた。まだ試用段階のはずだったのに、いきなり実戦投入するとは、と。サイボーグ部隊だけでなく、全長四メートル近くある、ロボットスーツ部隊も投入されている。剥き出しの操縦席に隊員は乗り、人間でいう首から下だけの機械を操縦している。自衛隊員は、侵略者たちの前に立ちはだかった。そして、化け物のような姿をした亜人たちの集団と、最新兵器を装備した自衛隊の戦闘が始まった。
最初のうちは押しも押されぬ展開が両者に続いていたが、戦況はみるみると自衛隊側が有利になっていった。自衛隊には戦地に赴いた経験があった。彼らは戦争がどんなものか知っていた。そして、戦闘への心構えについて理解していた。一方で、地下都市の住民たちにとって、戦闘は初めてだった。何より加藤という指導者を失っていた。心構えはなかったが、拠り所はあったはずだった。その心の支えが今はいない。加藤と言うカリスマがいたら、また戦況は違ったものになっていたのかもしれない。一人一人と仲間が死んでいくうちに、みるみると戦意を喪失していった。何人かは降伏していたが、自衛隊は彼らを制圧する手を決して緩めなかった。皆が、戦闘に目を奪われている中、蒼井はこの戦闘が、撮影されていることに気がついた。視線の先には、ヘリに乗りながらカメラで戦地を撮影している不自然な自衛隊員がいた。蒼井はこれが後藤が仕組んだものなのかもしれない、と考え古畑に電話した。
「おい古畑か、お前どこにいる」
「今、屋敷にいるけど、どうした」と古畑は電話越しに言った。
「そこに後藤とか言う男はいるか」と訊いた。
「いるぞ。それがどうした?」と古畑が訊くと、すぐに電話を切り、ヘリのパイロットに向かって、「末永邸へ、急いで」と言った。
「この戦争を止めないと」とカナエが言うと、「ああ、だから、後藤を説得して、自衛隊を止めさせる」と返した。
後藤はまだ散乱したままになっているチェス盤の前に座り、部下からの戦況報告を聞いていた。新設されたサイボーグ部隊の破壊力は想像以上で、地下都市から侵略しに来た亜人たちを次々と殺戮していることに満足していた。彼は別に亜人を差別しているわけではない。彼にとって日本への狂気的な愛国心が全ての行動原理であった。徳島に自衛隊を配備していていたのは、後藤の指示によるものだった。彼はこの国の軍事力の発展と、海外諸国への軍事力の誇示のために、日本中に幾重にも網を張っていた。徹底的なリアリストでありながら、後藤は運命というものを確かに信じていた。他者と後藤が違うのは、運命というものは、与えられたものでなく、自分で選ぶものだと捉えていることだった。今の愛媛の惨状は後藤が全て演出したものではなく偶然だった。彼は計画を練っていたわけではない。しかし、偶然をその手に手繰り寄せるための準備を入念にしていた。
末永は流石に今回の一連の出来事にこたえたのか、バーカウンターでひたすらウイスキーを煽り、パイプをふかしている。後藤は床に散らばったチェスの駒をチェス盤の上に戻していた。彼は蒼井と末永の試合経過を思い出しながら、駒を配置していった。
そこに、蒼井がやってきた。蒼井は難しい顔をしながら、後藤の真向かいの椅子に、ドカリ、と座った。後藤は蒼井の様子を気にする素振りすら見せず、黙々と駒を拾っている。おい、と蒼井が呼びかけると、ようやく蒼井の方を向いた。末永が酔った勢いで「よくも俺の土地で好き放題してくれたな」と言ったが、蒼井の黒く濁った瞳は、後藤を見据え、決して視線を逸らそうとしなかった。
「そんな怖い顔をしないでくださいよ」後藤は慇懃に言った。
「今すぐ自衛隊を止めろ」と蒼井は後藤に命令した。所属している省庁は違えど、蒼井より後藤の方が明らかに立場は上だった。
「彼らは侵略者ですよ。自衛隊が出動して何が悪い。それとも何かな?警察官のあなたが、国民を虐殺している彼らの行為を見逃せとおっしゃるのですか?」と丁寧に言葉を選んで主張する。
「もう彼らに戦う意志はない。これ以上はただの自衛ではなく虐殺行為だ」と主張した。
カナエたちは遅れてやってきた。末永は、途轍もない美人が急に部屋に入ってきたので、課長に見惚れ、カナエの存在にしばらく気がつかなかった。三人が入ってきて、しばらく経ってから、カナエを指差し「あっ、亜人の女」と叫んだ。
部屋にいた亜人がカナエの方を睨みつけ、褒美欲しさに敵意を剥き出しにすると「その亜人の女を殺すのはやめた方がいい。そこにいる美しい御仁は、警察庁長官の娘さんだ。そして彼女はその部下。君らが彼女を殺せば、君らのご主人はこの後、多大な事後処理が残っているのに、警察庁まで敵に回したら、余計に首を絞めるだけですよ」と言った。
そして、後藤は課長の方を向き、「一ヶ月ぶりですね。京都ではどうも。相変わらずお美しい」と賛辞を述べた。
「あなたも相変わらずね。その人を食ったような態度」課長は腕を組み、忖度することなく嫌味を言った。
「公安の亜人捜査課は、彼といい、礼儀というものをきちんと学んだ方がいい。どうですか、陸自で合同訓練など?上下関係から、しっかり教えて差し上げますよ」と言った。
「生憎、うちの課は、どこかの部署が仕事を大量に回してくるもんだから。忙しいのよ」と言った。課長は古畑に向かって言っているのだろうが、古畑は全く気がつかない。明石は間抜けな古畑を見て、よくこの人に亜人管理課の仕事が務まるな、と見ていた。
蒼井は、課長と後藤のやりとりなど、どこ吹く風、といった感じで、自分の顎に手をそえながら、考え事をしている。彼は、この戦争をどうやって止めるかについてひたすら考えていた。蒼井は、集中し、周りの雑音を無意識に排除し、自分の思考の探究の旅に出かけていた。四国に来てから、自分が見聞きした全ての情報を統合させ、自衛隊の虐殺行為を止めるための策を編み出そうとしていた。カナエのみが、蒼井が答えを導き出そうとしていることに気がついていた。カナエは蒼井が、この戦争を止め彼らを救い出してくれると信じ、祈り、そして、見守るように蒼井を見ていた。
ついに、蒼井は何かに気がついたような表情をし、考えるのをやめ、後藤に話しかけた。
今回のサイボーグ部隊は、亜人への憎しみや差別意識の強い者を中心に選抜されていた。彼らが、自衛隊に入隊したのは、亜人が企業に優先的に採用されることにより失業し、海外の戦地に赴く以外に貧困から抜け出す方法がなかったからだ。彼らも鬼ではない。もちろん、貧困の原因が全て亜人のせいだけではないことは理解していた。しかし、彼らは人間だった。紛争地帯で銃声に怯え、戦地で敵を殺さなくてはならない境遇に陥った時に、『俺は亜人たちのせいでここにいる、俺はどうしてこんな目に遭わなくてはいけないんだ』、と微塵も思わなかった者はほとんどいない。戦争の異常さは、亜人への憎しみを増幅させ、簡単に人の思想や人格を歪めた。
彼らの目の前には、自分たちをあの地獄に送り込んだ種族がほとんどだった。そして、彼らは国のために四国で侵略者を排除する大義を得ていた。彼らは引き金を引く指の力を緩めることなど考えもしていない。むしろ、近代兵器や最先端技術を取り込んだ俺らが、特別な能力で俺らを苦しめた奴らを圧倒している、と考えている。中には優越感すら感じているものすらいた。
亜人にはそんな自衛隊たちが本当の悪魔に見えていた。戦意を失い、武器を捨て、抵抗の意思がないことを示しても、隣で、どんどん、仲間が死んでいった。悦に浸り、充実感のようなものを感じている自衛隊と対照的に、亜人たちは泣き叫び、許しをこうていた。四国の地は、みるみると、血を吸い地獄へと変貌して行った。
地下都市からの侵略者たち皆が命を諦めたその時、自衛隊は攻撃をやめた。サイボーグ部隊はヘリに飛び乗り、アンドロイドやロボットスーツは回収された。戦争は終わった。侵略者たちは、今回の侵攻を激しく悔やみ、茫然自失で、血と砂の香りが瀰漫している戦場に座り込んでいた。しばらくすると、愛媛県警がやってきて彼らを逮捕した。侵略者は人間への恐れのあまり、誰も抵抗しなかった。
戦闘が終わる十分前。
蒼井は目の前で加藤が殺されているのを見ていながらも、あえて、後藤に訊いた。
「お前が加藤を殺したんじゃないのか。死体は上がっていないみたいだが、加藤の死体をどこに隠した?」
「加藤を殺す?なんのために?本当にあなた方は失礼だ。私は軍人ですが、戦地以外で人を殺したりしませんよ」としらばっくれた。
「加藤が見つかったのですか?そんな口ぶりだ」後藤は続けて、揚げ足をとった。
蒼井は鼻で笑った。加藤の射殺が後藤の指示によるものなら、後藤は今みたいにしらばっくれるだろうと予想していたからだ。蒼井の余裕な表情に、後藤は初めて表情を曇らせた。
「実はうちも加藤がどこにいるのかわからないんだ。そして、四国には亜人たちが身を寄せる地下空間があり、今回、彼らは地下から四国に侵略してきた。そこで俺は彼らの計画を予想した。今回は残念ながら、自衛隊が出動していたせいで上手く計画が進まなかったが、おそらく、彼らがこの地を占拠した後、加藤を人質にとって、政府に身の安全の保障を要求するつもりだったのだろう。加藤は警察庁内でも指折りの傑物だ。この国を背負って立つに足りうる人物だ。そんな貴重な人材を日本政府が放っておくことはない。おそらく侵略者たちは、加藤を拉致している。そこで警察庁は彼らを加藤拉致監禁の疑いの重要参考人として、身柄を拘束することにした。要は俺は彼らを逮捕する」
後藤は、まだ、蒼井の意図が読めなかった。眉を顰めて、静かに蒼井の話を聞いている。
「言っている意味が分からないと言った面だな」課長は何かに気がついたのか、亜人捜査課に連絡をした。
「七年前、亜人の大脱走により、亜人たちは日本に放たれた。そこで、頻発していたのは亜人の能力を使った、人間たちの完全犯罪。亜人の能力を使えば、人間が立証不可能な犯罪なんていくらでも可能だからな。そして、人間たちが犯罪を犯した後、口封じのために亜人を殺す事案が多発した。逃げ出した亜人を殺すことは、大した犯罪ではないが、彼らは生ける証拠品な訳だ。警察からしたら、そんな簡単に証拠隠滅されては困ってしまう。そこで、警察は、犯罪に関与したと思われる亜人を証拠品として、一時的に警察の所有品として扱うことを許されるようになった」
蒼井は得意げだった。後藤はまだ納得していないようだった。
「まだ腑に落ちないと言った感じだな。あんたは元軍人、法律の専門家じゃない。いいだろう、もう少し説明しよう。特定の団体及び個人が所有している亜人の殺害、暴行及び拉致監禁は法律で禁止されていることは知っているか?。そして、警察が所有している亜人を殺害することは犯罪だ。もう一度言う、俺は彼ら侵略者たちを行方不明になった加藤の拉致監禁の疑いで逮捕する。彼らはこれから警察庁の所有物になる。このまま自衛隊が戦闘をやめなければ、あんたの部下たちは犯罪者になる」
蒼井の強引な理論に、後藤は思い切り笑った。
「フハハハ。そんな屁理屈が通用するとでも。そんなもの誰が許可する。彼らは侵略者だ。侵略者の身柄の安全のために、そんなことを認可する奴がいるのか?。まして亜人を」と言うと、「いいだろう私が許可しよう」と後ろで手を組んで、警察庁長官が部屋に入ってきた。
後藤は全てを悟った顔をして「警察庁長官だと」と言った。
「さあ、どうする?。あんたは、法の番人の前でも、俺の言っていることを屁理屈だと罵るか?。そんなに大事な部下を刑務所送りにしたいなら、俺は止めないがな」と蒼井は挑発した。
後藤は防衛省に電話をかけた。
「後藤だ。自衛隊を撤退させろ」と命令を出した。そして、簡単な事情を説明した。
「そうだ、撤退だ。いいんだ。私たちの目的は果たせた、これ以上は欲だ。いつも言っているだろう、引き際を見極めろと。そうだ、よろしく頼む」と言って、電話を切った。
警察庁長官の三船士郎は課長に向かって、「玲、早く、令状を用意しなさい。そして、愛媛県警に連絡を」と指示を出した。
「お父さん。もう連絡しているわ」と言った。スマートウォッチを通じて会話しているので、捜査課の皆の声が聞こえる。「やれやれ、蒼井くんは、また無茶苦茶なこと考えるわね」と柳が呆れている。
蒼井は立ち上がり、カナエと明石たちを連れて、現場に向かおうとしていた。部屋を出て行こうとすると、後藤は蒼井を呼び止めた。
「そんな法律の使い方をしてくるとはな」と後藤が蒼井に言った。
「もとより、法律は、国民を大きな権力や、不当な侵害から守るためにある。これが正しい法律の使い方だと、俺は思うが」と振り向き後藤に返した。
「国民?。亜人捜査課に所属し、放たれた亜人を捕まえている君が、亜人を日本の国民だとみなすのかね。なかなか、アンビバレントな男だ。まあいいだろう、今回は両者引き分けということで手を打とう」と言った。カナエは、引き分けなんて、そんな生優しいものじゃない、国の不正を隠すために、と静かに憤った。カナエにとって、加藤という指導者の喪失はあまりに大きなものだった。
カナエの気持ちを代弁するように、蒼井は「いいか。国を裏から操っているからっていい気になるなよ」と後藤に言った。そして末永の方を向き、蒼井はカナエの肩に手を添え「おい末永。いいか、俺らの顔をよく覚えておけよ。今度四国に来るときは、令状を持ってやってくる時だ。俺らがあんたをブタ箱に叩き込んでやる」と言って、部屋を出て行った。
末永は蒼井の失礼な態度に憤り、持っていたブランデーグラスを部屋の壁に投げつけ「なんなんだ、あいつらは」と言って、自室に戻って行き、古畑と柴田は、オロオロしながら、末永について行った。
後藤はしばらく席を立とうとせず、チェスの駒を並べ直し、蒼井と末永の試合を再開した。召使たちは、そんな後藤の様子を観察するように眺めている。
「そうかそうか、このまま行けば、彼が勝っていたわけか。蒼井慶喜、道理でなかなか手強い男なわけだ」と駒を動かすのを止め、満足そうな顔をした。
静まり返った一室に加藤を撃ち殺した部下が後藤の元にやってきた。
「ご苦労だった」と後藤は部下を労った。
「いえ勿体無いお言葉であります」と銃を捧げるように抱え、背筋を伸ばした。部下は、後藤を慕っていた。
しばらく、業務上のやりとりをして、「下がってよろしい」と後藤が言うと部下が振り返り、歩き始めた。すると後藤は背後から拳銃で部下を口封じのために撃ち殺した。召使たちは、悲鳴をあげ、返り血を浴びた後藤と、後藤の部下を震えながら見ている。
「そこの君」と後藤は、召使の一人を指差した。私?と女の亜人の召使が自分を指差すと、後藤は「この死体を戦場に捨ててきなさい」と命令した。
なかなか、召使が行動に移さないため、召使に銃を向けて「早く」と静かに急かした。召使は死体の脇を掴み、床に一筋の血の汚れを残しながら一生懸命運んだ。後藤は、ポケットから取り出したハンカチで、自分の顔と、銃を丁寧に拭いている。
後藤は、椅子に座り、フフフフ、ハハハハハ、と一人で大爆笑し始めた。
「張り合いのある相手だ。これで、また、やりがいが増えたわけだ。これでいい、仕事はこうでないと。本当にやりがいのある仕事だ。やりがいのある仕事は、俺に生きる活力を与え、俺の人生を善良にしてくれる」と高らかに叫んだ。
静まり返った戦場をヘリから眺め、蒼井は警察庁長官に「自分の独断でお手を煩わせてしまい、本当に申し訳ございません」と非礼を詫びた。
「構わないよ。どんな事情があれ虐殺を放っておいてはいけない。それに若者はそうやって、あまり後先考えず、情熱的に仕事をするものだ。手綱を握り、その情熱に判断を下すのは、分別のある老人の役目だ」と返答した。
「君、そこの亜人のお嬢さん。今回は大変な目に遭ったね」とカナエに声をかけた。
「ああはい。いえ」と、初めて見る警察のトップに声をかけられ、なんて返して良いか分からず、困惑していた。
「娘から、聞いたが、君は亜人の人権回復のためにウチで働いているようだね」
「はい」
「この惨劇を見て、その決意は揺るがないかね?」と訊いた。
カナエは一度迷って「はい」と答えた。
「君の歩む道は厳しいぞ。それでも良いのかね?」と断言するように厳かに言った。
「確かに厳しいかもしれません、ただ社会がいい方向に向かって進んで行くことができるのであれば、私は歩みを止めたくありません。それに、亜人と人間が分かり合えることを知っているので」カナエは地下都市の住民や、刃物男、江ノ口フミノリの事件を思い出し、決意を改めるように言った。
「そうか、よろしい。今後も、娘と彼らをよろしく頼むよ」と三船はようやく表情を和らげた。
ヘリは愛媛県警に向かっていた。なんか、今回の俺は良いとこなしだなあ、と考えていた明石は、何かに気がつき、カナエに話しかけた。
「カナエちゃん、そういえば、ヘリは大丈夫なの?」と訊いた。
カナエは冷や水を浴びせかけられたように、ハッと我に返り。みるみると青ざめ、凍ったように固まったあと、
思い切り、キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、とヘリの中で叫んだ。そのせいなのかヘリが少し不自然に揺れた。
陽が傾き始め、暗くなっていくリビングの中で、ニコライと明智と、その他数名はニコライの家のリビングで四国で起きた事件を夕方のワイドショーで観ていた。皆が、モニターに釘付けになっている中、草壁が立ち上がり、部屋の電気をつけた。スイッチを入れると、部屋はパッと明るくなり、明智がニコライに話しかけた。
「もしかして、これもお前が画策したものじゃないだろうな」明智はこの一連の虐殺事件の黒幕がニコライなのではないかと疑っていた。
「まさか、これに関しては、全くの無関与だよ。君が僕のことを疑うのもわかるけどね」と明智の質問の意図を汲み取り、否定した。鈴木ケンスケはポテトチップスを食べながら、ニコライの話を聞いている。
「この事件のせいで、また亜人への風評被害は大きくなるな。それに末永の事業もどうなるか?」と草壁が席について言った。
「どう言うこと?」ミヅキはニコライに訊いた。ミヅキはこの事件が今後日本に与える影響がわかっていないようだった。
ニコライは誰も説明しないなら、僕がしようか、と言った具合に部屋の皆の様子を伺った。
「四国の大農場は、この事件のせいで大きな被害を受けた。作物や家畜は、地面に埋もれ、食品加工工場は崩壊し、稼働できなくなるだろう。しばらくは、食料品の物価上昇が起こり続ける。そして、一部の貧困層はより生活が苦しくなる。侵略者のほとんどが四国の亜人で構成されていたことを踏まえると、国民の怒りの矛先は間違いなく、亜人に向く」ニコライは日本で起こることをミヅキに簡単に説明した。「なるほど」とミヅキは頷いた。
「それにしても、失敗に終わったものの、この侵略計画はよくできている」とニコライは感心した。
「ああ、末永商事の亜人を使ったビジネスモデルの脆さが露呈したな。おそらく、末永商事とその関連会社の株価は急激に落ち始めるだろう。そして、亜人を不当に働かせている輩は、末永の二の舞を恐れて、労働環境の改善や、亜人の扱いの見直しを始めるだろう」と草壁は予言した。
本来の加藤の予定では、侵略が完遂し四国を制圧した後は、虐げられた者の叛逆という形で末永商事のビジネスモデルを完全に崩壊させ、株価が急落し価値のなくなった末永商事を加藤の息のかかった資産家に買収させるつもりだった。そして、加藤は役員の席に座り、一から立て直しを図り、政治とビジネスの両方から、完全に四国を掌握しようとしていた。
「計らずともあんたの計画を進めたわけだ」と明智はニコライに言った。
ニコライは、この一連の虐殺事件の本当の意図や全容を読めていたのか、「まったく、恐ろしいことを考える奴らがいたものだよ」と言って、席を外した。
Evil Ape【第一部】 真船遥 @SangatsuYayoi
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