灯瑠と夜の怪
@tanukichi57
第1話
家の壁が動くってどういうことだろう。
灯瑠はあまりのことに食べかけの麺をすすらず、そのまま壁を直視した。
地震や近くで何か工事をしている場合、動くことはあるだろう。
でも、今は夜で、また近所での工事のお知らせはなく、スマホやテレビでの地震速報は確認出来なかった。
なにより、普通そういう場合、動き方は縦か横に震え動くのが普通だろう。それが上へゆっくりと伸びるように動いたのだった。昨日の徹夜が災いしているのかと思い、目を擦り、壁を直視する。そうすると嘘のように止まり、逆に一抹の不安が生まれるものの、今は何の変哲もない壁にきっと見間違いだとけりを付け、灯瑠は気を取り直し、引っ越し祝いで作ったカップラーメンをもうこれ以上のびないようにと、すすり上げ、かっ込んだ。
津島灯瑠、十六歳。
あかる、と読み、趣味は散歩にレトロなもの巡り、純喫茶、骨董、寺、城……と、幅広くアクティブで古風な高校男子である。ガッチリとした男らしい体型ではなく、中肉中背。目立った特徴は皆無。どっからどうみても普通の高校生であるが、ひょっとしたら、ガッチリ化粧して、女装したら案外いけるのかもしれない…………男子ウケしそうだ……というのが灯瑠自身の素直な感想であり、率直な自分に対する評価であった。
今年の春、受かった高校が家から遠いという理由で、何か手はないかと考えた灯瑠の母が不動産業をやっている親戚を思い出し、半ば強引に入学祝と称してこのアパートの一室を格安で貸しってもらうことになった。
今日は引っ越し当日で、早朝、灯瑠は自分の部屋の荷物をまとめ終え、厳つい二トントラックで迎えに来てくれた初対面の親戚の叔父さんと短い挨拶を二言三言交わした。夜に映えそうな煌びやかな大型車から休日のお父さんのような格好をした小柄な男性。一人息子の引っ越しだというのに家族旅行へ出掛けた母にいつもながらあまり説明されず、迎えた引っ越し作業に少々の戸惑いと色々な疑問点と突っ込みどころ覚えたが、挨拶を最後に無表情で淡々と作業し始める叔父を目の当たりにし、灯瑠は黙って衣装ケースをつかんだ。世間話はおろか、一言も発せずの超無言状態。その中、二人でトラックへ荷物を黙々と運び、積み込む。積み終わるとどちらからともなくトラックへと乗り込み、走ること一時間二十分、新居にたどり着いた。
新居の感動もないがしろに今度は部屋へと荷物を運び入れ、不食不休で引っ越し作業を行い、片付いたのが夜の十時。まだどこか母の強引な要求を消化出来ず、心の底で恨んでいそうな不服さを絶妙に垣間見えさせる叔父さんから鍵をもらい、直後、灯瑠はすかさず丁寧な感謝の言葉とともに鋭角なお辞儀をかました。そのまま振り返らず去って行く叔父さんへ見えなくなるまで手を振って見送りを施し、神対応。高度な社交性を惜しみなく発揮し、大きく一息吐いた後、半目で母へと電話をし、事の一部始終を伝えるだけ伝え、たった今、夜ご飯にありついたところだった。
とっておきの大好きな限定濃い塩味カップ麺を胃に染み込ませ、腹を一撫でする。この時の為にとお小遣いを貯め、ネットで最初に探し当てたおしゃれなレトロ冷蔵庫から行きつけの駄菓子屋の瓶コーラを出し、栓抜きで栓をそっと開け、勢い良く飲んだ。
ベッド、本棚、テーブル、椅子。冷蔵庫を手に入れてから家具はなるべく大好きなレトロなもので揃えたくなってネットで検索しまくった。一つ一つ探し出し、決めていくのが宝物を発掘しているみたいで夢中になり、寝る間も惜しんで時間を費やした。希望通りのものが見つけられ、喜んだはいいが予算度外視過ぎのチョイスで、一番の難関、購入が更に困難を極めた。苦肉の策でこれから先の5年分のお年玉を納めることで家具の購入を母に打診。だが母は予想通りこれをのまず、これから先、するであろう三年間のバイト代三割の上乗せを要求してきた。灯瑠は著しく迷ったが、どうしてもあきらめられず、三年の我慢だと同意の上、可決。後、レトロ家具一式、無事買ってもらったのだった。
好きで集めた家具達が微笑んでいるような気がして、灯瑠は顔を緩ませ家具達を愛でた。六畳半の和装部屋に洋式レトロ家具。それぞれ苦労して探した良き思い出があり甦える。懐かしさに上機嫌でうなずき、なんとも、ミスマッチな取り合わせを楽しむ。灯瑠はこの部屋を至極気に入り、目を耀かせ、自分だけの城にコーラ片手で浸った。にやけ、眺めるのルーティーン。飽きもせず、繰り返しご褒美に勤しむ。紆余曲折、前途多難の四文字熟語のオンパレードがにわかにあったがそんなことはもう頭の片隅に微塵も無く、新しい生活に胸を踊らせひたすら部屋を眺めた。
そんな大事な儀式の途中、テレビが目に入り、灯瑠はあんなにしつこく陶酔していた部屋観賞を止め、画面へと釘付けになった。この時間には毒であろうグルメ番組が軽やかな音楽と共に始まり、脂っこいガッツリ系ボリューム飯をタレントがテレビの中で美味しそうにむさぼり食べる。それは一瞬で灯瑠の目を奪い、心を奪い、食欲を大いにかき立てた。
いつの間にかヨダレが口の中に溢れて来て、こぼすまいとすすり上げる。ヨダレは防いだが、昼間の重労働と食べ盛りの高校生には少々少なすぎる食事がたたり、腹が凄い音を立てて鳴った。灯瑠は頬を赤く染め、誰もいない空間に慌てて言い訳をし、そばにあった段ボール箱を引き寄せた。お菓子箱と黒い油性ペンで明記した段ボール箱に手を入れ漁り、いくつもの箱菓子をかき分け、底の方にあるポテトチップスを一つ取り出す。早々に全開きし、銀色の薄い皿風に山盛りポテトチップスの形でテーブルへと置いた。
「いただきます」
手を合わせてそう呟き、軽くお辞儀する。昔から、食べ物を食べるときはそうやってから食べる癖がついていて、一人だろうとみんなといようとそうしてしまう。そんな自分に灯瑠は少し苦笑い、ポテトチップスを取ろうと手を伸ばした。
「ん?」
一枚ずつではなく、四、五枚つまみ上げるスタイルで口に運ぼうとした矢先、何か落ちてきたような気がし、灯瑠は眉間にシワを寄せた。そうしながらも空腹を満たそうとする食欲に自然とポテトチップスを運ばされ、口の中へと放り込む。気にはなるものの、押し寄せる欲求に咀嚼は止まらず、次へと手を伸ばした。またなにか一瞬、すっと上から下へ横切った気がし、惰性で数枚つまみ上げる手をそのままに、灯瑠はポテトチップスの山を凝視した。いつの間にか口の中へと入れてあったポテトチップスをゆっくりと確かめるように噛み砕き、時間をかけて飲み込む。しばらくみて、懲りずに再度手を伸ばそうとした時、キラッと光るものが落ち、灯瑠は見間違いじゃないと確信し、天井を見上げた。
「……雨漏り?」
天井からぶら下がる照明の横辺りに水溜まりのようなシミが出来ており、そこから透明な液体が今にも落ちそうになっている。灯瑠はすかさずポテトチップスをどかし、それと同時に天井からの滴はテーブルの上へと落ち、事なきを得た。
「あ、でも、さっきのやつ、確実に入っているよね……。どうしようかなぁ…………」
そう考えているとまた滴が落ちてきて、安全な場所に寄せてあったはずのポテトチップスへと入る。灯瑠が驚き天井を見上げると、それを見計らったように滴は数滴立て続けにポテトチップスの上へ落ち、確認と救助どっちが先かと迷う灯瑠を困らせた。結局せわしなく頭を動かし、確認しながら救助しつつ、灯瑠はまた違うシミを天井にみつけ、首を傾げた。さっきまでは無かったのにさっきのシミよりも大きいシミ。それがさっきのシミと並んであり、急にこんなサイズのものが出来るものなのかと、疑問を持つ。とりあえずというように深く頷いて切り替え、手の中に抱えたポテトチップスを見た。
「…………結構、はいっているけど…………」
じっとポテトチップスを見る。そうするとお決まりにお腹が鳴り、灯瑠は目を一回ぎゅっと閉じ、またすぐに開けた。
「……食べるか」
早々に決断し、せめてもと濡れていそうなところを避け、選り好んで摘まむ。一枚ずついこうとし、口へ運ぼうとした瞬間、灯瑠は頭に何かを感じて静止し、嫌な予感にとりあえず一歩横へとずれた。自分が立っていたところの天井を左へ振り向き様で見上げ、予感が的中したのをやっぱりというように薄目でとらえる。
三番目のシミが出来ている、今まで見たことのない過去最大級のでかさのものが…………。
雨漏りで大賑わいの天井に灯瑠はどうしたものかと唸り、自分の頭に落ちた滴を拭こうとベッドにあるティッシュ箱へ手を伸ばした。
「ん?」
そういえば、引っ越しのため見ていた天気予報は、1週間、晴れでお花見日和ですね。でもまだ寒いので一枚羽織ってのお出掛けがオススメです、と、言っていた。だから、今日の天気は快晴で絶好の引っ越し日和だと思って…………そう思い、灯瑠は手に取ったティッシュをそのままにカーテンを開く。
窓の外は少し曇るが晴れており、星もちらほらとみえている。
一体どういうことか、と、灯瑠は思い、続けて窓を開け、手を外へと差し出す。
「んん?」
やっぱり雨は一滴も降っておらず、ただ肌寒い風が吹くだけ。
灯瑠はしばらく腕を組み考え、唸るが分からず、勢いよく吹く春の冷たい風に体をさらし体温を奪われた。寒さにたまらず身震いしながら窓を閉め、忘れていた花粉症も伴ってのくしゃみを連発する。持っていたティッシュが目に入り、そうだったと鼻にはいかず頭を拭き、ティッシュを丸めてゴミ箱に捨てるが、何だかまだ拭き足りないような気がして、もう一度ティッシュを多めに取り、再度頭を拭いた。そうしてから垂れてくる鼻に慌ててまた数枚取り、それで鼻をかみながら、天井はどうするかと思案し顔を上へと向けた。
「……あれ?」
さっきまでのシミは三つとも綺麗になくなっており、灯瑠は目をしばたかせた。落ちていた滴も無くなり、ポテトチップスの山も無くなっている。
「どういうこと?」
こうなると、拭いた頭の滴が気になり、ゴミ箱に入れたティッシュを全部取り出し広げてみる。三つのうち一つだけ濡れており、後の二つは全く濡れていない。灯瑠は益々訳が分からなくなり首を二度交互に傾げた。
「それと、ポテトチップスだよね…………」
忘れていた腹が知らせるように低音で鳴り響くのをなだめさすり、灯瑠はポテトチップスの捜索へ乗り出すことを決め、手始めにとクッションを持ち上げた。続けてベッドの下、段ボールの陰、棚の横、思い付く限りのひょっとしたらスポットを探していくが、見つけられずその都度唸る。もしかしたらと念のため押し入れの戸を開け探すがポテトチップスの姿はどこにも無く、灯瑠は諦め、他のお菓子を食べようとお菓子箱へ足を向けた。
「あ、そういえば、明日の引っ越し挨拶の饅頭……」
ポテトチップス探しで、押し入れに饅頭を入れていたのを思い出し、灯瑠は体を戻して押し入れの中から側面に、引っ越し挨拶、と、黒ペンで書かれている段ボール箱を取り出し開けた。
アパート六部屋あるうち、一部屋は灯瑠で、他、五部屋、満室。挨拶の饅頭は五部屋分と予備二つを用意してあり、明日渡そうと段ボール箱に七つ入れてあった。
ちゃんと数分入っていることを確認し灯瑠は満足げに頷き、蓋を閉めた。そうして押し入れへ戻そうと段ボール箱を抱え上げたが、饅頭の予備が頭をかすめてちらつき空腹状態の体を止めた。欲望に抗い数秒我慢したが、結局誘惑に負け、箱を静かに床へと戻し、また開く。
「余り二個あるし、一個なら…………」
そう自分に言い聞かせ、足りなくなったらの不安要素を一切受け付けず、空腹とポジティブシンキングに身を任せ手が走り出す。意気揚々と包装紙を破り、饅頭の箱を一気に開けた。
「?」
引っ越し挨拶に何をご近所に、と、なったとき、灯瑠と灯瑠の母は意見が真っ二つに別れた。母は一つ百円のおしぼりを二つか三つ包装紙かなんかで包んで渡そうとした。彼女の言い分は使い捨てでそんなに気を使わないのが一番だと言う。それを、絶対、灯瑠は箱菓子だとし、そっちの方が食べてしまえばなくなるし、そこまで高くなければ気は使わないとした。住んでいる住人のことを聞くとどうやら若者が多く、クッキーやチョコなどがいいと思ったが、予算オーバーになるのを危惧した母が不穏な動きをし始め、なにかされる前にとの打開策として、顔馴染みの親戚夫婦が経営する和菓子の饅頭はどうかと、進言したところ、それが通り、結果引っ越し挨拶は紅白饅頭になった。
そんな出来事を走馬灯のように巡らせ、灯瑠は入っているはずの紅白饅頭が無くなっている空箱を呆然とみつめ、頬を掻いた。
「まさか…………」
母が………………と、思ったが、さすがにそこまで、守銭奴を発揮するとは思わない。世間体というものも大事にするのが彼女のポリシーだし、箱を空にして渡して評判落とす方が損だと思うだろう。そう思い、灯瑠は大きく頷くと、饅頭の箱を丁寧に仕舞い、もう一つ違う饅頭の箱を段ボールから出した。親戚夫婦が入れ忘れた可能性があるなら、流石に二つ目は無いだろう。入っていることを願い、勢いよくまた包装紙を破る。そうやってまた箱を開けると、思い描いていた叔父の白とピンクの饅頭は無く、白い箱の底があるだけだった。
「うーん」
とりあえず、唸ることしか出来ず、長めに唸り、頭を掻く。親戚夫婦の間違えの線は消え、他に心当たりのあても、検討もつかず、さ迷う思考に灯瑠は天を仰ぎ、じっと見た。
よく考えが天から降って来るとは言ったものだ。
呑気に考えていると天井からポテトチップスの欠片が降って来て、灯瑠の頬にあたった。続けて額にあたり、ちょっと湿っているような生暖かさを与える。何事かと目を半目にし、呆然と見る天井にポテトチップスが生えるように突き刺さってあるのを幾つかみつけ、灯瑠は息を飲み、目を見開いた。
歯磨きチューブを押したときのようにゆっくりと天井からポテトチップが出て来ている。出切ったポテトチップスはひらひらと落下し、灯瑠の顔をかすめ、床へと落ちた。次々と天井から生まれ床へと落ちていくポテトチップス。それは徐々にスピードを伴い、数を増増やしていった。
そうしているうちに白いものが見え、灯瑠は目を更に丸くし、それが落ちてくるのを待った。すぐになにか湿ったような音を立て灯瑠の右頬ギリギリに通過し落ちて来た見覚えのあるもの。灯瑠は確かめようと天井から目を離して上半身をひねり、落ちたであろうというところに目をやった。
狙ったかのようにすかさず、天井から次の物体が落下し、灯瑠の頭めがけ当たり、まとった液体のせいか落ちず頭に乗っかった。それを皮切りにぼとぼとと白いものとピンクのもの、ポテトチップスが床や灯瑠に降り落ち、最後のとどめにと大量のドロッとした透明の液体と共に勢い良く吹き落ちた。白いものの正体を確かめようと向いた体は多数の攻撃に合い、確かめる余裕すらなく、動けず。頭と体は少しうつ伏せの四つん這い状態。加えて全身ずぶ濡れ。とりあえず、動かない方がいいと思い灯瑠は固まり、状況を把握するまではと、しばらく考えた。
そうするが、一向に状況は把握出来ず、天井は爆発的な散乱を終焉に沈黙を保つ。このままこうしていても仕方ないと悟り、灯瑠は動くのを完全に逃し固まった体をそのままに手だけを少しずつ伸ばして動かし、そばにあるピンクの物体を手に取った。自分の見やすい位置に引きずり寄せ、何なのか確認する。思った通り、叔父の紅白饅頭のピンクの方だと解り、今度は手指を擦り合わせ、この透明の液体の正体を見極めようと感触を試した。無色透明で生暖かく、少し粘着質。どこか見覚えのあるそれは大分生臭く、なんだか妙に嫌な気持ちになった。
「これは…………もしかして……」
一つの答えが頭を過ぎったが、あり得ない考えに、いやいやいや、ないない、と否定し、手と首を振る。他の判断材料が無いかと見るがこの体勢で調べられることはもう見当たらず、灯瑠はずっと同じ体勢を取っていたせいで強張る身体をなんとか揺り起こし、広くなった視界で改めて辺りを見渡した。灯瑠を中心に粘着質の液体は水溜まりのように広がり、そこへポテトチップスと紅白饅頭が見事に取っ散らかり、水没している。灯瑠は発端となった天井を仰ぎ、何の変哲もないことを確認すると、腕を組みその場へ胡座をかいた。
「……さっきのあれがああだったのだから、もうすぐ消えるのか……?」
時計をみつめ、もう深夜2時をまわっているのに目を大きくするが、気を取り直し、座りやすい体制に身を置くと待ちに入る。
何の根拠もないのだが、さっき頭に落ちて拭いた雨漏りみたいなのは消えた。今思えばあの時の雨漏りは今みたいな粘着質の液体っぽかった。だから、今回もこの液体のようなものは消えるのかも知れない、と、思い、ひたすら待つ。
「……」
「…………」
「………………ん?」
時計の針が二十分程過ぎ、依然びちゃびちゃの体のままでいることにいよいよおかしさを感じ、灯瑠は上目で記憶を辿った。確か消えた時はこんなにもかからなかったと、まだ一ミリも変わらずある惨状を眺め、液体にどっぷりと浸かる饅頭とポテトチップスを見据える。口を手で押さえひたすら考えるが分からず、なにも変わらない現状に目を細め灯瑠はすくっと立ち上がり、バケツと雑巾を取りにキッチンへと向かった。
ブルッ。
「!」
突然、スマホのバイブみたいに一瞬足元が揺れた気がして、灯瑠は立ち止まり、目線を下げた。どうゆう原理なのかはさっぱりわからないが、ちょうどマッサージ機の動く部分のところのように床が波打っている。その隆起部分が足の裏へあたるたび灯瑠は上下し、くすぐったさに足を片方ずつ上げ下げし、避けた。そうしているうちに隆起は徐々に激しさを増して来て、どこへ足を置いていいかと迷わす。下の階の住人に聞こえないようにと配慮し、床が凹みそうなタイミングでなんとか慎重に足を運び、ダンスゲームのような動きで対応する灯瑠。引っ越し初日の真夜中にこんな訳のわからないハードなミッションを興じる羽目へとなった彼を床は無情にも翻弄し、容赦なく追い詰めていく。
「んんっ?」
また一段モードが昇格したのか、今度は隆起が大きくなり、加えて変化球を投げ猛追を仕掛けてくる床。それをなんとなく機敏なステッテプでかわすが、床全体に広がるそれは周りを巻き込み、ガタガタと騒がしくなるにつれ灯瑠は家具がどんな風になっているのかと、隣接する住人のことが気になり、集中力を欠いた。足がすぐに覚束無くなり、もつれ、ついにはバランスを失い倒れ込む。勢いよく倒れないようにと気を使って、とっさに受け身を取ったお陰で、深夜帯の暗黙の制約が辛うじて守られ灯瑠は安堵し、勢いよく息を吐いた。
相変わらず床は波打つように絶え間なく動き、灯瑠は反動で仰向けになった身体をそのまま任せると同時にくすぐったさでの笑いを堪え、その場を行ったり来たりと、さ迷い漂う。いつの間にか波は壁にも走り、そのお陰か家具の打ち付けるような音は無くなり、上下の振動音は少し残るが、小刻みにカタカタ揺れるだけとなった。灯瑠と同じく、床の海に漂うだけとなる家具達。少々家具同士のあたりが気になるが、横目で今のところ無事なのを確認し、灯瑠は部屋の周りの住人がディープスリーパーであることを深く願った。一度、大きくうなずいてから、今度はと真っ直ぐ頭を向き直し、天井に目線をうつす。天井も波打つ状態になっていることを目の当たりにし、口が徐々に自然と開くのと瞼が半分になっていくのをそのままに、灯瑠はしばし、天井の観察へと努めた。
天井にピンクものが浮き出るようにシミ出してき、真円となって姿を止めた。一個ぽつんっと天井に出たかと思えば、もう一個シミ出し現れ、それは同じ大きさで等間隔を保って続き、ばらばらとあっという間に天井一面を覆う。天井を覆い尽くすとさっきとは逆に壁へと現れ、次いで床へと現れた。部屋全体に出尽くすと波打つ現象は嘘のようにやみ、かわりにピンクの水玉が室内全面にあしらわれたファンシーな部屋が出来上がる。
目をしぱしぱとまばたきし、灯瑠は起き上がり、床に出来たピンクの水玉へ顔を近づけ直視した。ピンクの真円の中心は赤く腫れたように、少し盛り上がっており、表面が少しぼこぼことしている。手を伸ばし指先で少し触れてみると、ほんのり生暖かく、ぶにぶにとする感触に灯瑠はスクイズを彷彿とさせ、クセになり今度は手のひらで少し押してみた。
ぐっにっ。
おおぅっと声を漏らし意外と固さがあることに驚く。なんだか面白くなり、もう一回と手のひらで押そうとする灯瑠にピンクの真円はぶるぶると震えだし、両手で押しまくろうとした灯瑠の手を止めた。微弱に身体が揺れていることへ気付き、他の真円に目をやる。他の真円も同様に震え、部屋全体がぶるぶると震えていることがわかり、なんだか可哀相な気持ちになった灯瑠は手を引っ込め謝った。その言葉が効いたのかピタリと部屋の震えは止まり、灯瑠の体の震えも止んだ。
痛い。
そう床に刻み込まれたのが目に入り、灯瑠は二度見し、こんなところに傷があったのかと、彫られているような文字を指で擦りなでた。床に切り刻まれたように荒々しく彫られてあり、その溝になったところへ血のようなものが滲んでいる。真っ赤な字。こんなに目立つのに引っ越し作業時見た覚えがなく、親戚の人からも話しがなかったことを思い返し灯瑠はとりあえず撫でまくり、どうするか考えた。そうしているうちにまた床が震えだし、文字が段々と薄くなっていく。最後には消えてしまい、最初に部屋へ入って見たときとなんの変わりもない床へと戻った。
「…………くすぐったい……?」
一拍おいた後、床にぼやっとしたものが現れ、浮き出る。学校の机に鉛筆で落書きしたような小さな文字に灯瑠は思わず口に出し、ああっと納得しうなずくと少し考え、わざと床をなでた。
やめて。
辛辣なフォントを伴った字が本当に嫌がる演出で床へと刻まれ、灯瑠は慌てて素直に謝り、床へと頭を下げる。そうすると、また文字が消え、代わりに新しい文字が表示された。
オシオキライ。
「おしを? …………ああ、塩?」
思い出したのか部屋がぶるぶると震え出し、灯瑠を再度揺らす。辺りに散乱するポテトチップスを拾い、灯瑠はもしかして、これ? と、いうようにどこともなくみせ、床を見た。そうするが、次の文字は中々現れず、灯瑠は首をゆっくりひねり床の返答を待った。
「?」
何か柔らかいものが背中を叩き、灯瑠は何かと振り返る。
「ああ」
壁に、そう、と、文字をみつけ、灯瑠は笑い、声に出して文字を読んだ。
「濃い塩味だったんだよね。俺は意外と美味しいと思うけど」
そういうことじゃない。
「と、いうと?」
キライなの。あと、ピカピカしてるやつ。
「ピカピカ? って、光ってるものってこと?」
普通に友達のような会話を続け、ピカピカがなんなのかを思案する。部屋の中をぐるりと見回し、片端から光りそうなものを掲げ聞くが、そうだとは浮かばず、否定の言葉ばかりが色んな趣向の演出と書体で繰り広げられた。ネタもそろそろつき欠けた頃、ポテトチップスと一緒に転がるピンクと白い饅頭に目がいき、灯瑠は同じ状況にポンと手を打った。饅頭を二つ拾い上げかかげると、壁はぶるぶると震えだし、キライ、キライ、と、ホラー映画のワンシーンのように部屋そこら中へ書き込み、灯瑠をうなずかせた。
「でも、これ、ピカピカしてる?」
疑問に思い訪ねる。
床は少し盛り上がり、ゆっくりと起き上がるようにむくむくと映えていき、座る灯瑠の高ぐらいまでになると、巨大な突起物のような体を灯瑠の目の前に出来上がらせた。木目の模様が入った丸みを帯びた物体が床から映え、先を折り曲げて、灯瑠の方を向く。目はないのに見られているような気がし、灯瑠は軽くお辞儀し、柔らかそうな様子に持っていた饅頭を手放し、手を出しそうになった。そうしようとしたが、今までの床のデリケートさに危惧を覚え静観し、グッと堪え、反応を待つ。床はさっきの答えと言わんばかりに大きく一つ頷き、何をするでもなく、巨大な体を一瞬で床の中へと滑り戻らせ、普通の床へと戻った。
「え?」
まるで、水が落下するようなスピード感で収まり、そのあと何事もなかったように固い木の床へとなる床。最初の登場と比較するとあまりにも早く、なによりも呆気ない終わりかたに灯瑠はそれだけなのが納得出来ず、突起物の帰っていったところをペチペチと叩き、戻ってくるよう呼び掛け求めた。
パシッ。
まだ饅頭を持っていた左手に叩かれたような感触を感じ、結構な強さに灯瑠は饅頭を落とし、その先をみる。饅頭が落ちている場所の少し離れたところにさっきの突起物のミニ版が灯瑠を見上げるようにあり、灯瑠は目を丸くし、顔を近づけた。灯瑠の積極的な迫りに突起物は引き気味に体を後ろへと倒し、挙げ句逃げるようにまた床へと戻る。我に返ると同時に灯瑠ははやる気持ちを押さえられなかったことに後悔し、声を長く漏らした。反省とともにまた出て来てくれるよう軽く床を叩く。
痛い、近い。
そう床に刻まれ、手を止め、慌てて謝り、機嫌を取り戻すように床をなでる。床は続けて、やめて、と、刻み、灯瑠はしまったと手を引っ込め、触れない、なでないという意思表示に手をうしろへと隠した。
「…………ごめんね?」
聞くように謝り、床をじっとみつめる。そうすると文字が少しつずつ時間をかけて浮き上がり、灯瑠は胸をなでおろし、ちょっと怒ったような字面に苦笑いを浮かべた。
くすぐったい。
「だったよね。えーっと……ピカピカしてるのが饅頭って?」
痛かった。
「あ、えっ? もしかして、床叩いちゃったから? そんなに痛かった」
痛い。
「ごめん、ごめん。そんな強く叩いたつもりはなくて、今度から気を付けるから……」
そんなカップルのような会話を続け、灯瑠はひたすら、拗ねる部屋の機嫌をとり謝った。灯瑠の真摯な態度と言葉に部屋は段々と柔和なフォントになり、表示の仕方も穏やかなものとなった。好感触に、灯瑠がそろそろの頃合いと気になっていた饅頭の質問をそれとなく持ち出し聞く。少し怪しがる間があり、判断を見誤ってしまったかと目を残念そうにつむる灯瑠に部屋は突起物を壁から出し、背中をちょいちょいと叩いた。不意打ちをくらい、灯瑠は少し声を出して驚き、振り替える。
「……白い方は大丈夫だと思ったけど、ダメで、特にピンクの方がイヤ。お塩とおんなじ感じがする。 両方揃うとイヤ。なんか妙にピカピカしてて、気持ちが悪くなる。だから出した……」
壁の長文を読み灯瑠はふむ、と、頷く。近くに落ちてある白とピンクの饅頭を交互にみつめ考え、ぐちゃぐちゃに丸めて置いていた、紅白饅頭の包装紙を手に取った。
「確か…………」
そう言い、包装紙のシワを伸ばし広げ、幾つかに破れ別れたもの同士を合わさるように床へ並べて置いていく。部屋の突起物はそんな灯瑠の様子をうかがうようにながめ、好奇心からか繋ぎ合わせた包装紙に壁から床へと移動し近づく。
「包装紙は大丈夫なんだね」
大丈夫。
そう表し、作業する灯瑠の手元まで進み、突起物は意思表示にピコピコと体を動かした。すっかりなついたような感じに少し嬉しく思いながら、灯瑠は復元作業が終わった包装紙をみてお目当てのものを探した。
「あった、あった…………ああ、なるほど……」
紅白饅頭の由来を読み、ふむふむと首を縦に動かし、大人しく待っていた突起物の方をみた。
「多分饅頭中のアンコがダメなんだと思うよ。塩とそれが同じものなんだよ。それとこれは予想なんだけど、きっと縁起物みたいなのもダメなんだよ。塩も豆も邪気を払うものなんだよね。紅白饅頭はそれの親戚みたいなものかもしれない。ちなみに白の方がまだ大丈夫なのは白の方は死を意味するからだと思う」
そうかも。
突起物が相槌を打ち、灯瑠を見る。じっとみてくるような視線に灯瑠は見返し、首を傾げた。
「どうしたの?」
怖くないの?一応お化けなんだけど……
「あっ……」
そういえば、と言うような顔で灯瑠は目を見開き、口を手で押さえた。灯瑠の戦慄を覚える顔に部屋は、今更なの、という表示をしようと思ったが字をのみ、突起物を静かに戻す。
辺りは静まり返り、灯瑠はまだ濡れたまま1人残された。ポテトチップスと紅白饅頭は散らかったまま。包装紙と空箱も置きっぱなしの状態で全ての家具が微妙に当初の配置から動いている惨状。もう時計は三時半を表示し、灯瑠は今日の挨拶回りが午後になるか、明日になるかだろうと予定が押すことにあたり母への言い訳を考えることに唸り、腕を組む。
「…………取り敢えず、ポテトチップスと饅頭片付けるか…………それと……」
すっくと立ち上がり、灯瑠は隣のキッチンからごみ袋とバケツ、雑巾を取ってくると、片付け始めた。饅頭とポテトチップスを拾い、液体を拭き取り、バケツに絞っていく。
「そういえば……」
つい、疑問に思い、謎の液体のありかたに灯瑠は思い出を巡らせ、最初と今の状態に首を傾げた。最初は消えて、今は残っている液体。この違いはなんなのだろう。考えながら、雑巾で何度か拭き取り、綺麗にしていく。床はすっかり綺麗になり、灯瑠は達成感に労働の一息を吐いた。
「それと、これ……」
まだポコポコと部屋中にあるピンクの水玉を見渡す。掃除が終わったら家具を定位置に直そうと考えていたが、そうするとこの真円の山を踏むことになり、そうなると、多分ダメなような気がし、灯瑠は思案し、コブに当たらないように少しだけ直した。
「一番インパクトあるのに今まですっかり忘れてた……これも消えないのかなぁ…………」
そうみつめるが消えるわけでもなく、出した清掃道具をキッチンへと片付け、復旧作業を終える。濡れる自分もなんとかしないと、と思い、風呂場へと足を向けた。濡れたものを洗濯機へと放り込み、洗おうとするが、時間も時間なのでと明日の洗濯を決め、体を洗い流そうとするがお湯を出すのにボイラーの音をなるべく出したくなくない思いから、水で流すか、と、いたるが、春先の水は至極つめたく。灯瑠は心の中で階下の住人に謝り、なるべく軽くと、暖かいお湯で全身を素早く洗い流すと、タオルで吹き上げ、替えの服を着た。まだ濡れる髪をタオルでごしごしふきながら、何気なく部屋へと戻る。
「…………」
少し違う意味での淡い期待はあったが相変わらずの部屋に灯瑠は少し笑い、床にまだ残るピンクのコブのような真円を避け、ベッドに腰かけた。気のせいか真ん中のより赤みを増していた部分の色が薄くなり、二重丸のコントラストをていしていた真円はほぼピンクの水玉となっていた。様子が少し違うのに灯瑠は興味をひかれ、天井を仰ぐ。
「気になるんだけど、聞いていい?」
そう言い待つ。そうするが答えはどこにも現れず、灯瑠は時計に目をやり、朝方の時刻に唸った。
「やっぱり、朝だから?」
いやいやいやいや…………
急にあちらこちらにそう字が浮きあがり、灯瑠はついさっきあったばかりだが、久しぶりのような感覚に顔をほころばせ、部屋の怒濤の突っ込みを眺めた。
えっ? 拒否したよね? 現実逃避してなかった?
「? そんなことしたっけ?」
部屋のありとあらゆるところにエクスクラメーションがあしらわれ、壁はその後呆然からか沈黙し、灯瑠は髪をふきながら、部屋が答えるのを待った。
…………ダイジョウブ? その、あの……アタマ?
「? ああ、大丈夫だけど…………洗って綺麗にとれたよ」
あっ、うん……
そういうことじゃ…………と、思うものの部屋は字を浮かべず、濁す言葉を小さくにじませると、天井から突起物を出し、ベッドに座り自分を見る灯瑠を見下ろした。
かわってるって、よくいわれる?
「いや、全くだけど」
…………そ、そう……
なにかこれ以上深く聞いてはいけないような事情が絡んでいる気がし、部屋は違う種類の言い知れない闇を感じて、文字をそっと消した。
「それより、名前何て言うの?」
え? ああ…………ナマエないけど……
「不便じゃない? それに姿から色々いかがわしい感じの字面も思い出しちゃう年頃もあって…………ねぇ、名前つけていい?」
あっ、うん……
色々聞きたいことや、疑問点が残るものの壁は灯瑠に押し負け、突起物をぎこちなくうなずかせた。それに灯瑠は満足気にうなずき、唸りはじめる。
「えーっと、部屋の名前は……無いか……番号は二○三だけど、それじゃあちょっと…………ここのアパートの名前は確かシャトーワタナベ。シャトーは城。だから…………って、白くないしなぁ…………そうするとこうは……って、ああーっ、それだと呼びづらい? ああっでも逆に?」
様々なワードの端々が気になり、任せたことを不安がる部屋をよそに1人悶絶しながら名前を悩み考えあぐねる灯瑠。目を固くつむり天井をあおいだり、顔をうつむかせたりと、頭を上げ下げし、忙しく動かし知恵を絞ろうとする。時折小声をもらし、なにかないかと貪欲に辺りを探す灯瑠を突起物は硬直し冷や汗をかきながら見守った。そうしているうちにアイデアを欲しがる灯瑠の鋭い視線が、天井で佇む突起物へと一直線に向き止まる。灯瑠への一種の怖さを覚えはじめた突起物は油汗をだらだらと流し、何事か! と、震え身構えた。そんな部屋の心情が天井全体にまであらわれて大量の脂汗を産み落とし、せっかく片付けてキレイになった床を濡らす。
灯瑠はそれに構わず、突起物をじっとみつめ、ポンと手を叩いた。
「……あえて、見た目からいく?」
………………あっ……うん、それでも……
灯瑠の独り言に答え、じっとみてくる灯瑠に不動を呈し、尚油汗をにじませる突起物。そうしていると灯瑠は思い付いたように目を丸くし、突起物を指差した。
「こうなったら、あえて、強調しよう。突起物のと、とをとって、とっちゃん、とっちゃんで」
とっちゃん……
「どう?」
ああ、うん、じゃあ、それで…………
ちょっと物申したいところもあったがこれ以上はなんだか大変だと思い、とっちゃんは了承にゆっくりと頷き、天井へと引っ込んだ。ベッドのそばの床から出直し、灯瑠のそばに並ぶように映えると、とっちゃんは汗の落ちたところを通り、汗を消した。
「え、消せるの?」
あ、うん。
「じゃあ、あの少し粘りっけのある水みたいなのは?」
なんのことかわからずとっちゃんは先を左右に傾げ、そばにハテナを刻む。灯瑠は分かりやすいようにとまだ始末していなかったバケツをキッチンから持ってくるとテーブルへ置き、とっちゃんに覗くよう手招きした。とっちゃんが床を滑るように移動し、テーブルへと近づく。足りない長さぶん体を伸ばし、灯瑠に言われたとおりバケツを覗いた。
オシヲキライ。
すぐに顔をそむけ、床へ戻ると、荒々しく文字を刻む。
「お塩を? ああ、もしかして、ポテトチップスの塩が入っているってこと? この液体ってなんなのかな? 排水溝にそのまま流していいものかと思って……」
ヨダレ。
「…………涎か……」
数分考え、まみれたことに少し、色々あるがこの際考えないことと、液体は排水溝に流すことを決め、灯瑠はずっとひっかかっていた謎の真相に集中することにした。
「ヨダレは消せない?」
もどせるよ、けどオシオキライ。それはオシオ入ってる。
「なるほど……最初消えたのは塩入じゃなかったからか。あとから消えなかったのは塩入だったから、戻さなかった、ってことか。塩だけ避けて戻せないんだね……と、これは?」
さっきから一番異様さを発揮し、歩くのに気を使っていた、ピンクのコブを指差す。
それはわかんない、なんかいっぱい出てる。
「わかんないの?」
そう、と、短くまた書かれ、灯瑠はピンクのコブを改めてじっとみつめ、しゃがみ、指をそっと近づけようとした。それを、阻止するように床からとっちゃんが生え、灯瑠の指を叩き下げ、触るのを阻止する。結構な威力に灯瑠は引っ込めた手をさすり、とっちゃんを申し訳なさそうにみた。
何度目? やめて、痛い。
「そうだったんだよね。ちょっとだけでもダメなの?」
ダメ。痛いし、かゆい。
「かゆい? ……じゃあ、かいてあげようか?」
灯瑠の意外な申し出に部屋は止まり、とっちゃんが首を傾げるかのごとく、先を横に倒した。数分間考え床に文字が刻まれる。
ちょっとだけ、やさしく。
「まかせろ」
灯瑠は頷き、人差し指一本たてるとそうっと近づけ爪をたてずに指のはらで優しく何度か擦った。
「どう?」
なんかいいかも。
「じゃあ、もうちょっと…………って、ちょっと待って」
灯瑠は指を止め、ピンクのコブをみつめ眉間にシワを寄せた。いつにない真剣さにとっちゃんは心配になり灯瑠と一緒にコブをみる。ピンクの真円だったのが、最初部屋に真円が現れたときと同じ状態の色に戻っている。それに加え少しばかり、コブの盛り上がりが増した変化に灯瑠は重い唸りを響かせ、赤くなった中心部分をまじまじと見た。
「また真ん中赤くなってる…………それに大きくない? それとなんかさっきより暖かいような……」
? そう? それよりもすごくかゆいんだけど……
「かゆみが増した?」
あ、さっきよりもかゆいかも。
とっちゃんが頷き、痒さに掻いて欲しいとお願いをする。灯瑠は今までない要求にそうしてあげたくなるが、ちょっと待つように言い、痒さで震える部屋をポンポンと触った。
「あっ……」
どうしたの?
「いや、大丈夫…………」
いつもならここでとっちゃんが床へ帰り、痛い、とお叱りの文字が出るパターンとなるが、そうならなかったことに、やっと力の加減がわかったと灯瑠は安堵し顔をくずした。灯瑠の満面の笑みによくわからず、とっちゃんは疑問符を並べるが痒さでそれどころではなく、我慢できずに灯瑠の手を持ち上げ、自分の体にのっけて掻くよう促す。灯瑠は手を上へとあげ、我慢するよう、痒さで震えるとっちゃんをなだめた。そうしているうちにとっちゃんの回りにピンク色がにじみ出て真円を作り、新たに二個のコブが出来上がった。二人は驚き、新しく出来たコブに目を奪われていると、また新たにすぐ横へ三個のコブが出来た。とっちゃんが慌てて、おろおろとコブを避けつつ床をいったり来たりと移動し回る。
「…………増えた。これって……なんかみたことある…………」
とっちゃんに落ち着くよういい、灯瑠はベッドにあるスマホを取ると、検索画面を出し、検索し始めた。その間も痒さにとっちゃんは震え、灯瑠の足に体を寄せて、自分で擦ろうとする。それを静止するべく、灯瑠はベッドへ飛び乗り、なおも延び上がり灯瑠に身を寄せて掻こうとするとっちゃんに少し待つよう強めに言うと、またスマホへ戻り、検索に勤しんだ。いつにない灯瑠の態度に冷たさを感じ、とっちゃんはすねて床へと戻り、振動する壁へ恨み言をつらねる。
「あった、多分これだ……」
とっちゃんにみせようと灯瑠は画面を向けるがとっちゃんはいず、壁から天井に渡るまでの恨み言を見て、しまったと反省した。そうしながら、テーブルにあるバケツを取り、キッチンの方へ向かおうとする。
「と……」
コブが沢山ありすぎて、キッチンまで行けそうもないことに足を止める。灯瑠が困ってどうしようか思案していると、コブが少し動き、細いながらもキッチンまでの道を作った。灯瑠はすぐにあたりを見回し、とっちゃんを探すが、どこにもおらず、残念そうに肩を落とす。
「やっぱり、コブ動かせるんだね。ありがとう」
答えるように壁の恨み言が消え、灯瑠は少し笑い、キッチンへと進んだ。バケツの涎を捨て、キレイに洗い、水を汲む。そうしてからまたベッドの方へと戻るとバケツをテーブルへと置いた。冷凍庫から製氷皿を取り出し、氷をバケツの中へあけ放り込む。冷凍庫全部の氷をバケツへ入れると灯瑠は冷蔵庫の横にあった物入れからゴミ袋を取り出し、バケツへと被せた。それを一気にひっくり返し、氷水をうまくゴミ袋へと入れ口を結ぶ。
「コブ、一ヶ所に集められないかな?」
ぞわぞわと壁や天井、床が動き、コブが部屋の真ん中へ集まるように少しずつ、移動し始めた。コブはぎゅうぎゅうに集まり、もう場所がなくなると隣り合っているもの同士がくっつき境目をなくして大きなコブへと変わる。それはいくつも連なり、次第に盛り上がっていった。コブの移動と大集合に灯瑠は邪魔にならないようにとベッドへ移り、座ってコブが集まり終えるまで大人しく待つ。灯瑠が見守る中、コブはどんどん集結していき成長を遂げ、1つの巨大生物なようなものになった。まるで巨大なピンクの紅白饅頭だ、と灯瑠は思い、口を大きく開け見上げる。あまりの見事さに思わず感想を言いそうになるが、部屋の性格上嫌がりそうだと心の中の口をつぐんだ。
…………で、どうするの?
まだちょっと怒っているのか、字面は普通なものの、浮き上がりが荒々しくたどたどしい部屋に灯瑠は笑い、ベッドから降りた。ベッドのシーツを剥ぎ取り、氷水の入ったゴミ袋を包む。それを持ち、コブへ近づくと乗せようとヨイショの掛け声と共に肩まで担ぎ上げた。
「あ……」
届かないことに気付き、キョロキョロとあたりを見回す。一旦ゴミ袋を降ろし、灯瑠はテーブルとクッション、段ボールを片付け、ベッドの周りをキレイにし、またベッドの上へと戻った。そうして、コブをベッドへと呼ぶ。なんの謝りも説明もなく置いてけぼりにした挙げ句、指示し始め、ただ微笑むだけのベッドの上の灯瑠。そんな灯瑠に部屋は呆れ少し不信感を抱き戸惑った。果たして灯瑠の要求にこのまま応じていいものかと考え、硬直するコブに灯瑠はまたベッドから無邪気な笑顔をみせ、お決まりに手招きを加え呼んだ。かなり迷ったが、部屋は渋々応じ、こぶを移動させ、ベッドへ近づかせる。
「ごめん、もうちょっとだけ高さ、低く出来ないかな?」
そんな気持ちで近づけたコブにまた灯瑠の無茶振りは続き、部屋はなんだか腹が立ち、嫌がる意思にコブを後退させた。いきなりさがり始めるコブに灯瑠は驚くでも、謝るでもなく、勘違いからか、ああ、と、一つ頷き、謎の笑みを浮かべる。灯瑠の不気味な反応に怖がるコブに構わず、灯瑠はズボンのポケットからスマホを出し、画面をコブへと見せた。
「多分、これ、蕁麻疹だよ」
えっ? ……ジンマシン?
…………コブの説明? それもそうなんだけど、もっと、そういうことじゃなくて……と、言いたいが、いつものペースに文字を出す機会を失う。そうこうしているうちに灯瑠がベッドから降り、コブへと歩み寄った。
「そう、食べ物とかで合わないと出るんだよ。赤いボコボコしたやつ」
そう言いコブへとスマホの画面を近づけ、みるよう促す。赤いぶつぶつが出ている画像がいくつもあり、それを灯瑠が指で上へとスクロールして見せていく。部屋はなんのことかさっぱりと思うが灯瑠の熱心さと訳の分らなさに負け、付き合うことにし、黙って画面を眺めた。
「で、これ、掻いちゃダメなんだよ」
……痒いのに?
「掻くと増えるんだよ。だから掻いちゃダメ」
ああ、確かに増えた。
「でしょ? ひどくなっちゃうから、これをひかせるには…………近寄って、低くしてもらっていい? 怖くないから安心して、アイシングするだけだから」
それは人間の場合では? と、突っ込みをいれたくなるが、その間も与えてもらえる様子もなく。部屋はあきらめ、流れに任せようと近づき、灯瑠の目の前の部分だけを少しへこませた。灯瑠はゴミ袋とシーツで出来た手作り氷嚢を待ってましたといわんばかりにコブの上へとゆっくりと乗せ上げる。灯瑠が落とさないようにへこみを戻すよう言うとコブはある程度形を戻し、上部を軽く平らにして、氷嚢がうまいこと乗るようにした。コブの表面へ行き渡るように広がる手作り氷囊。思惑通りの仕上がりに嬉々とし、灯瑠がしっかり見ようとベッドの上に乗り眺める。
「うまくいったよ! どう?」
どう? って、いわれても…………冷たくて気持ちいいけど……
「冷やすとひくんだよ。ああ、水で直接はダメだよ。水分はかえってダメ。だからシーツで包んだんだけど……」
べらべらとしゃべる灯瑠に真面目に付き合うのが馬鹿らしくなり、とりあえず聞くだけ聞こうと部屋は思い、気の済むまでと灯瑠のうんちくを聞き流す。そうしているとコブの体は赤み諸共薄くなり、夢中でしゃべる灯瑠に気付かれることなく消えてった。
「だから、あとは熱を持っているこの赤みがひくまで安静に……」
そう言い、コブに目を向けると、コブは姿を消していて、後には手作り氷嚢が床に潰れたかたちで残るだけとなっていた。突然のことに灯瑠は部屋にどうなったのか話しかけるが、返事はなく。とっちゃんも壁や床、天井の文字も現れなくなり、灯瑠は静返る部屋に寂しさを感じ、床をぺちぺちと叩いてみた。そうしてみるが何も起きず、灯瑠はあからさまに大きなため息をつき、窓の方を見た。
カーテンから朝日が差し、もうすっかり、夜があけていることを知らせている。外から鳥と犬のなく声と挨拶をする声が聞こえ、現実的な休日の生活音に灯瑠は目を細目、カーテンの隙間からにぎわう朝の交流を眺めた。
「ここ、結構にぎやかなんだな…………あ、朝練、うちの学校かなぁ…………」
長閑な朝を堪能するには夜更かしの目にはきつく、灯瑠はすぐ目を反らし、カーテンを閉め直した。しばしばとする目をこすり大きなくしゃみを一つする。急に起きた寒気に身を震わせ、灯瑠は腕をさすると、気を取り直すように手作り氷嚢を持ち上げキッチンへと向かった。今日の午後の予定と引っ越し挨拶の買い直しを考えながら手早く片付け、何気に時計をみる。時計の針は六時半近くを指し、灯瑠は睡眠確保と急に来た強い眠気にベッドへと足を運んだ。
「あっ…!」
目を疑い、一度つむってまた開く。そうしてから、灯瑠は早足でベッドのそばへと向かい、その場に立った。手作り氷嚢のあった場所に大きくうっすらとシミのようなピンクの真円がある。灯瑠は目を丸くし、しゃがむと床をそっとなでた。そこにはあのコブの感触はなく、ただ平坦な床の冷たさが手に伝わるだけとなり、灯瑠は残念そうにもうひとなでする。名残惜しく、立ち上がるとベッドに入らずキッチンへと戻り、また氷嚢を作くった。それをピンクのシミの上へ、まんべんなく押し広げて置くと、冷凍庫の製氷皿に全て水を入れ、また冷凍庫へと戻した。そうしてからカーテンを閉めたまま窓を開け、まだ冷たい朝の春の風を入れる。
「よし」
灯瑠はやっとベッドへと入り、猛烈な眠気に微睡む暇もなく眠りへとついた。
瞼が重く頭が痛い。喉も痛いし、体の節々が悲鳴をあげている。多分風邪をひいたのだろう。なんとなく昨日の珍事でこうなることはわかっていたが、気合いと若さでなんとかなると思って、昼にかけたアラームが今は後悔でしかない。そう思い、灯瑠は被った布団から手を伸ばし、スマホを置いたであろうベッドの横にあるテーブルへ手を伸ばした。
「?」
いくら探しても置いたはずのスマホは手に当たらず、灯瑠は不思議に思うが、そのまま次に置いたであろう、ベッドの横の物入れの中を探し、寝相の悪さでベッドから落ちた枕の下も手で探す。
「ん?」
思い当たるところは全て探したが、スマホは見当たらず、風邪の症状が猛威を振るう寝ぼけた頭ではどこに置いたか、これ以上は出てこないと一端諦め割り切る。そうしたが音のうるささに眠れず、途方に暮れだした矢先、アラームの音はぴたりと止み、眠りに平穏が戻った。灯瑠はまた眠気に誘われ、次の三十分後のアラームまでと、瞼を閉じようとした。こんな時スヌーズにしなくてよかったと思い、微睡む意識の狭間で探るのに疲れた手を引っ込める。重ダルい体に身を任せ、しばしの安らかな眠りを堪能すべく灯瑠は布団へ沈み込み再度眠りへと誘われた。薄れゆく意識のなかで、先ほど流れた曲がまだ耳に残り、そのままにする。アラームの曲は自分で集めたお気に入りの春の曲で好きなアーティストの曲だった。少しでも爽やかに目覚めようと思い、引っ越し前に編集したものだったが……あれ? と、灯瑠は思い、布団の中で目をうっすらと開けた。あの曲、アラームにしたっけ? そんな疑問から開けた目をちゃんと開き、灯瑠は布団を持ち上げ、隙間からテーブルを覗き見た。みる光景に思わず小さな声をもらし、灯瑠は布団を持ち上げ、起き上がり、テーブルを確認する。あんなに探していたスマホはテーブルの上にあり、しかもベッドよりの方へある。首を傾げ見るスマホの時刻はもう十八時半をまわっており、灯瑠は驚きと頭の痛さでよろよろとベッドへと腰かけた。
「……そんなに寝てた?」
ガラガラの声で大きなひとり言を発し、口を手で覆う。変声期のような声に喉の痛みが増すのを感じ、灯瑠は苦々しい顔でスマホ画面をもう一度みた。さっきと同じスマホの時計は十八時台、今は四十五分近くなっている。その下に受話器のアイコンがあり、その履歴の数が三十近くになっているのをみつけ、灯瑠は目を見開き、アイコンをタップした。親戚のおじさんから一件あり、そのあと、母が二十二回。そうしてから、友達から二件続き、また母が五件続く。猛烈な寒気と恐怖を感じ、即座に電話をかけようとするが、風邪で声がヤバいことを思いだし、踏みとどまる。どうしようか迷う灯瑠にスマホは震え、明るい春を思わせる着信音が流れた。灯瑠は渋々通話ボタンを押し、案の定な母の電話に出た。
一方的な話し方にハイかイイエで答えて済まそうとする試みでいこうとするのが功を奏し、三十分の長電話が意図も簡単に終結を迎えた。結局、なんで出ないのか? から始まり、引っ越し祝いは配ったのか? ご近所はどんなひとなのか? の答えに、風邪を引いてしまって、治ったらご近所には明日配る。で、完結し、少しの不満は残るものの了解した彼女は一応息子の心配と共に嵐のようなおしゃべりを終わらせた。
「そういえば一回、出たのに、すぐ切るってこと何回かあったわよ。あれどうかと思うけど。とりあえず、さっきもいったけど、暖かくして寝てなさい、そうすればなおるから。また明日調子が悪くて大変なら電話かけなさいね」
最後にそう言い残し、電話は切られ、灯瑠は疲れ果てた上半身とスマホをベッドへ放り投げた。著しく体力を奪われ熱で浮かされた頭で、着信音とアラームを聞き間違ったのかとさっきの疑問に答えを出す。でも…………何回ものワンギリはしていない。その事を気になって考えようとするが、風邪引きの頭ではやっぱり何も浮かばず。加えて、つらい身体に謎を放り出し、灯瑠はまた少し寝ようとベッドへ潜ろうとした。
「そういえば……」
昨日のピンクのシミが気になり、振り返って、見てみる。そこにあるはずの手作り氷嚢はなく、ピンクのシミも消え、床はすっかり元通りになっていた。
「片付けたっけ……?」
熱で曖昧な記憶を巡らせ、頭の痛さにすぐ止める。頭の片隅で親戚のおじさんから着信があったことと、前に様子を見に来るといっていたことで、おじさんが片付けたのかもしれないと半ば強引に結び付け、疑問を早々と手放した。
「けど……まぁ……」
ピンクのシミがキレイに消えていることに少し笑い、灯瑠は体を休めようとベッドへと入った。夜の冷え込みを感じ、身を震わせ腕を抱く。熱がまた上がりそうなのか、布団の温もりがあまり感じられない身体に灯瑠は薬と体温計、アイスノンの必要性を覚え、そうなると…………取りにいかないと、と、引っ越し始めて早々、一人暮らしの手痛い洗礼を受けることに深いため息を吐き、身を起こした。
「……いい加減、薬飲んで、早く寝ないと…………って……そういえば…………」
カーテンが少し揺れるのを見て、朝、窓を開けていたことを思い出し,同時に冷え込みの原因に加え、悪化の原因はこれか……と目を半目にする。そうして、カーテン越しに窓を閉めようとするが、窓はきちんと閉まっており、灯瑠はカーテンを引き開け、鍵が閉まっているかを確かめた。鍵もきちんと閉まっており、寒くて寝ぼけたまま閉めたにしてはきちんと戸締まりし過ぎている窓を薄目で眺めた。
外はすっかり日が落ちて暗くなり、人の数もまばらで少ない。道には幾つか街頭が付き、近くの住宅にも一家団欒の象徴のように暖かい色のあかりが灯る。遠くにゆっくりと走る電車はその窓から灯りとギュウギュウに詰まる人の姿を見せ、微かな走る音と共に通り過ぎた。昨日は引っ越しや掃除と例の一件で外をゆっくりみる暇などなかったなぁと熱の上がる頭でついつい思いを馳せる灯瑠。悪い癖が一段と体を悪くしているのをすぐに咳とつらくなってくる体で、そうだった! と、悟り、灯瑠は具合を何とかするのが先だったと、カーテンを閉めた。鍵のこともきっとおじさんがかけてくれたのだろうとし、カーテンの揺れは気のせいだろうと不思議がるのもすぐ止め、薬を取りに行こうとベッドから足を踏み出す。
「!」
足を置こうとした瞬間ぐらっと視界が揺れ、足が曲がる感触と痛みがはしった。捻った? と思ったのも束の間、体は床へと倒れ込む。痛い予想とこれ以上の容赦ないダメージに自然と目はつむり覚悟したが、それを撤回することが起き、灯瑠はすぐ目を開け状況を確認した。床にしては柔らかいものが自分の下にある。それは床の模様をしているが微妙に動いていており、見覚えある姿に灯瑠は目を丸くした。
「…とっちゃん?」
そう灯瑠が言う間に灯瑠の体は床から大きく盛り上がる物体に持ち上げられ、ベッドに上げられた。なにか言いたそうにする、灯瑠にそうする暇をあたえず、物体は器用に灯瑠を仰向けに寝せ、そこに布団を丁寧にかける。どういう状況か、いまいちつかめず起き上がろうとする灯瑠を押さえ、一部を細くして、上へとピコピコ動かし 天井を見るように指し示す。
あんせい、にしてなきゃダメ、でしょ?
「ああ……昨日蕁麻疹のうんちく? ……とっちゃんは吸収が早いね……」
顔を横にし、ベッドのそばでひょっこりと顔を出すとっちゃんを見て灯瑠は笑い、1日ぶりの再開を喜んだ。
「……もう、消えたのかと思ったよ」
朝は眠くなるの夜に起きるの。
「そうなんだね。蕁麻疹はよくなったの?」
うん。
「そっか、よかった。そう、聞きたかったんだけど……」
ガラガラ声で灯瑠はとっちゃんと天井を交互にみながら話す。そんな灯瑠にとっちゃんはこっちを向かず、天井をみるよう頬っぺたを押し向かせると灯瑠の頭に冷たいものをのせ、天井に、おとなしく寝ているよう書いた。
「これって? 氷嚢?」
そう、作った。昨日の小さいやつ。
小さいビニール袋に氷水が入りそれを、タオルで包んだ手作り感たっぷりの氷嚢が灯瑠のおでこに乗っている。灯瑠はお礼を言い、気持ちのいい冷たさに目をつむった。途端、安心したのかお腹が急に長く鳴り響き、灯瑠は頬を赤くし、布団を被る。とっちゃんは急に布団を被る灯瑠を心配し、布団を叩き、隙間から様子を覗こうと動いた。
「……大丈夫、お腹すいただけだから……そういえば、昨日深夜からなにも食べてない……」
ごはん?
灯瑠が布団を戻し、うなずく。そうしてから、身を少し起こし、ベッドの横にあるお菓子箱とかかれた段ボールをとっちゃんに取ってくれるよう頼んだ。とっちゃんが灯瑠に言われたように段ボールを取り、ベッドの上へとあげる。
「簡単に食べられるものと………」
食べ物を探そうと段ボールに手を突っ込む。甘い袋菓子が手に当たり、灯瑠は早速というように袋を開けて食べようとした。そうするが、袋の中身はなにも入っておらず、また袋菓子を取り、開けてみるがそれも中身は空気のみとなっていた。次の箱菓子も中身だけごっそり抜かれ、灯瑠は原因の心当たりに先端をうなだれさっきとはあきらかに違う様子のとっちゃんを見た。
…………ごめんなさい、お腹すいて食べちゃった…………
「…………開けずに中身だけ食べれるんだね。成分に微量だけど塩含まれてるみたいなんだけど大丈夫?」
ちょっとなら大丈夫みたい…………
しばしの沈黙がながれ、とっちゃんが何も言わず自分を薄目で見る灯瑠に汗をかく。そんなとっちゃんに灯瑠は突然笑い出し、じゃあ、と言って、段ボールを漁るとカップラーメンを出した。
「濃い塩味、これなら中身が…………ほら、あった。それと…………焼きそばもあるけど……これが食べられてないのは、食べられないから?」
それは固かったから食べてないよ
「じゃあ、焼きそばはお湯で戻したら食べれるね。とっちゃんも食べる?」
とっちゃんは少し考えるとゆっくりと頷き、灯瑠のカップ焼きそばを受け取った。春の夜も更け、二人はお湯を沸かし、仲良く塩と焼きそばのカップメンを作って食べたのだった。
灯瑠と夜の怪 @tanukichi57
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