第2話 目を引く男
木々が深緑の葉を生い茂らせ、世界に魔素が満ちているのを感じる獅子の月。
青い空に浮かぶ白く大きな雲が龍の巣として育ち、ロマンス王国のシンボルとされる青龍が今年も都に影を落とし始めた。
大陸を代表する貿易港には海鳥の数に負けず劣らず漁師達が声を上げて汗を流す。
べたつく潮の匂いに紛れて生臭い魚介類が鼻を曲げさせた。しかし、集まる商機の前でそんな綺麗事はかすんでいる。人と物が集まるロマンス王国は金の匂いがそこら中に立ち込めていたのだ。
港から大通りへ進めば、昼間であってもそこら中から人々の笑い声がする。
ある者は魔物を仕留めた金で、ある者は商売に成功した金で、またある者は人から奪った金で。
日が落ちて出歩いているのは余程腕に覚えがある冒険者か、後ろ盾のある女ぐらいだろう。
魔王フランメルの居城から遠いロマンス王国では自然を色づかせる魔素よりも、人の欲が町を形作っていた。
王立ギルドの向かいに位置する『青猫の涙』という看板を下げる酒場では、よりそれが顕著に現れて今日も冒険者達が酒樽を空にする。
「いってぇな! おい、木偶の坊。お前が俺の酒を飲んじまったぞ! 酒代を置いていけよ!」
「なんだって? 下級クラスの戦士崩れが。お前にこの店の酒は早いんじゃねぇのか? 早く帰ってママのおっぱいでも飲んでな」
喧騒。怒号。少しの悲鳴と大きな歓声。
外の気温が高くなろうが、魔素が濃くなろうが今日も酒場は冒険者達が騒いでいた。
「ったく。相変わらずロマンスの奴らは馬鹿騒ぎばかりだな。この国で静かに酒が飲めるところはねぇのかよ」
周囲のならず者に侮蔑の目を向ける戦士の男がグラスを煽る。
注文したはずのつまみの木の実が運ばれないことも相まって苛立ちを隠そうともしていない。
「仕方ないわよ、ロマンス王国と言えば『地上最後の楽園』なんて言われてるんでしょ? 魔王城から離れてるとはいえ、こうも平和ボケできるんだもの。さぞ居心地がいいんじゃない?」
向かいに座る魔法使いの女が硬いパンを千切りながら相槌を打つ。
ロマンス王国の西に聳え立つロマネスク山脈を越えてきたばかりの二人は汗と土埃を洗い流す前に腹を満たし喉を潤すためにこの酒場に寄っていた。
二人が元々拠点としていた隣国のワイルド王国はもう少し閑散としている分、人々の目に陰りのある国だった。
それは凶暴化した魔物が出没しやすいという土地柄と、それを討伐するために滞在する実力のある冒険者の数が多かった為に無用な騒ぎなど起こらなかったから。
しかし、二人は見慣れぬ酒場に悪態をつきながらも内心では安堵していた。
ここになら自分達の居場所を見つけられるかもしれないから。
実力以上の魔物と戦い、命の危険を感じずに済むのであれば、低みに落ちてのらりくらりと生きていけるかもしれない。
そう思っていた。
ギィィィと店の入り口の扉の蝶番が鳴く。
仲間内の喋り声すら聞き取りづらいその喧騒の中で、特別大きなはずがないその音に皆が一様に振り向いた。
一人の男が外の陽光を背負い、酒場に迷い込む。
板張りの床を叩く革靴の音。波が引くように会話が尻すぼみに終わり、真っ直ぐに奥へと進むとその男の挙動に目を奪われていた。
戦う為の得物を持たず、魔法を扱う為の杖もつかず、自分を守る為の傭兵すら携えず。手には革張りの鞄が一つ。鎧も纏わずに異国の服であろう見慣れぬタイをしているが貴族にも見えない。
カウンターに空いている席に腰を下ろし、落ち着いた声で店主を呼ぶ。
「オヤジ、この店には何が置いている?」
静まった店内にその低い声がよく通る。
一瞬の沈黙の後に、堰を切ったような笑い声が店を揺らした。
手を叩いて笑う一人の冒険者らしき男が、今まさにカウンターに座ったその男に駆け寄っていく。
「おいおい、ここが武器屋か何かに見えたか? 見たところ冒険者にも商人にも見えねぇがオッサンは何しに来たんだ?」
絡む男の仲間なのだろうか酒を片手にまた別の者が珍入者の肩を乱暴に腕を回す。
「ここはギルドで一仕事終えた俺達みたいな冒険者が美味い酒を飲んでるんだぜ? どこから来たのかわからねぇが、家に帰って太った女房でも抱いてやんな」
よそ者に一発かましてやったと言わんばかりに周りも同じように囃し立て、絡んだ二人は得意気に周囲を煽っていた。
「下品なやつらだな……。ヴィオラ、そのパンを食べたら宿を取ってもう休もう。……どうした、あの男が気になるのか?」
周りに呆れていた戦士の男が連れの魔法使いの女に声をかけるが、ヴィオラと呼ばれた女はパンを手に持ったままカウンターを見つめている。
「ねぇ、ファルコ……。あの人から何も感じないの?」
「あの馬鹿にされてるおっさんか? 見たことない服装だし、明らかに店に浮いちまってるが……。それ以外に何かあるのか?」
ファルコと呼ばれた戦士の男が目を凝らしてカウンターを見やるも悪ノリをやめない二人組とそれを無視する風変わりな男がいるにすぎない。
強いて言うのであれば店主が面倒くさそうに見て見ぬ振りをしていることが疑問だと言えなくもないが、この店の雰囲気を考えるとこれぐらいの小競り合いは日常茶飯事なのだろう。
違和感があったのはヴィオラ自身だった。
酒に酔った姿を見たことがないと思っていたが、ほんのりと顔が赤く染まっているように見える。
この国の酒が身体に合わなかったのかとも思ったがそうではなかった。
ファルコがカウンターをいくら見ても気づける筈がない。ファルコはヴィオラと違って男なのだから。
「あの人、何て言うか……。かっこいい……」
ダンディ、世界を焦がす アミノ酸 @aminosan26
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