ダンディ、世界を焦がす

アミノ酸

第1話 良い男

 人気のない荒れた廃墟に下卑た笑い声が響く。

「こんな上手くいくなんてなぁ。これも魔王軍が攻め込んで来てくれたお陰だぜ」

「貴族どもが東の大陸に逃げようってところを待ち構えてるだけで金になるってんだからやめられねぇな」

 十数人の野盗たちは戦利品を肴に酒を食らっていた。転がる金品と捕らわれた少女。乾いた血溜まりに横たわる男性が無念そうにこちらに顔を向けているが、頬には虫が這っている。

「さあて、そろそろお嬢様とも遊んでやらねぇとな」

 一際大きな男が下品に唇を舐めて、もがく女性に手を伸ばす。


「その辺にしておけ」

 低く、しかしよく通る声が宴に水を差した。

 予期せぬ来訪者に噛み付いたのは若く小柄な野盗だ。

「誰だ、てめぇは」

 答えるよりも早く、短刀を構えて声の主に向き合う。

「上等そうな酒じゃないか、俺にもくれよ」

 向けられた刃を気にもせず、転がる酒瓶を拾う男の顔が松明に照らし出された。


 白髪交じりの髪が後ろに撫でつけられ、口元の髭は綺麗に整えられている。この国では見かけないタイを首元に、肩紐がズボンまで伸びていた。

 その姿は見るものの目を奪い、敵対する野盗たちの動きを止める。

 ただ一人若いその野盗だけが無防備な男に牙を向けた。

「慌てんなよ、坊主」

 その低い声に呼応するかのようにズンと空気が揺れる。途端に何かに足を取られた若い野党が地面に倒れ込んだ。

 ガハッ、と短く息を漏らし地面に伏す。まるで見えない何かに踏みつけられているかのように。

「てめぇ……只者じゃねぇな。酔いが覚めちまったよ」

「それは悪かったな。まぁ子供はぼちぼち寝る時間だ」

 その男がゆっくりと集団に歩を進めると、一人また一人と野盗たちが倒れていく。

 気が付けば大男だけが立ち向かっているものの、辛うじて立てているだけのようだ。

「だから……てめぇは何者なんだよっっ!」

 恐怖を断ち切るように、その巨躯と並ぶほどの棍棒を振りかぶり、男の頭目掛けて振り下ろす。

 ガンッとけたたましい音がするも、男は動じない。左腕一本でそれを受け止めていた。

 いや、棍棒は見えない何かに遮れるように男に触れることされ出来ず宙で止まっている。

「悪いな。名刺切らしてんだ」

 何事もなかったかのように大男に目もくれず横切る。

「蹴散らせ、『ジョニー・ウォーカー』」

 ほのかにフルーティな香りがした刹那、巨体が後方に吹き飛ばされた。

 さっきまでの喧騒が嘘のように廃墟は本来の静かさを取り戻す。

 聞こえるのはもがく少女の呻き声と、マッチをする音だけ。

「お嬢さん、怖かっただろ。もう大丈夫だぞ」

 少女は煙草が嫌いだった。自慢の髪につく匂いも目に染みる煙も嫌いだった。

 だが、目の前の男が咥える煙草に身を捩るほどの切なさを感じてしまった。

 縄を解く腕に走る血管に、汗ばむ首筋を前に少女は恐怖を忘れてしまう。

「あなたは何者なのですか……?」

 ジリジリと煙草を燃やし、星空に向けて煙を吐き出す。

「伊達廣だ。ちょっと格好つけた、ただのオヤジさ」

 目元の皺を深くし、伊達は初めて笑みを浮かべた。

 少女はこの日のことを忘れない。二回り以上年上の男の色気に当てられて、以降中年の男に恋焦がれるようになってしまった。

 少女はまだこの男を形容する適切な言葉を知らない。

 いや、まだこの世界にその言葉は生まれていない。異世界より呼び出されたこの男は自身の国ではこう称されていた。


『ダンディ』と。


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