これからの罰

おやつにご飯ドォォォォン‼

10月上旬の物語

 時季は秋雨の終わり。木は紅を帯び、露をも赤く染めてしまいそうな十月上旬。街道は落ち葉で埋め尽くされ甘い香りを漂わせる、詩人は侘しさばかりを詠みたがる、そんないつもの十月上旬。

「—―僕はこれから死のうと思う」


 ******


 彼女のいる病室の窓から見える光景には、道も川も街を行き交う人々にさえ、窓枠に四角く切り取られたキャンバスに描いたような美しさがあった。しかし、それが過去の遺物となりつつある。

 突如として乱れる心電図。僕は慌ててナースコールを押す。その曲線は単調な警告音に促されるように直線へと収束していく。

 医者が賢明に彼女に蘇生術を施していたが、僕は忘我の境地に至り、ひたすらに慟哭していた。彼女の生を信じていなかったからだ。その証左は皮と骨ばかりの彼女の顔、体躯が示していた。端からこの試合において、彼女の死は約束されていたようなものだった。

 彼女の家族らは顔に手を当て、娘の死に涙している様子が伺えた。その後、死に水という故人に対する儀礼を終え、無言の空気が漂い続ける。しばらく、彼女のご両親と無為に時間を過ごしたが、僕は息が詰まり、窒息してしまう前に病院を後にした。

 自分を偽り、どこにいるかも知れない神を頼りにし、自分が自分でなくなるかのような恐怖を解消すべく辿り着いたのは、彼女と一緒に住んでいたマンションの屋上。希死念慮に感染した患者の終着点だった。

 普段閉まっている屋上へのドアはなぜか開いていた。きっと神様が最高の死に場を用意してくれたのだ。今になって日が暮れかかっていることに気が付いた。そういえば、病院に車を置いてきたんだ。

 ここのフェンスは高く、登れたものではない。奥にある、フェンスの極端に低くなっている場所を目指し歩く。

 すると、奥に人影があった。転落防止柵を越えた先に少しゆとりがあり、そこに体育座りをして山がある方を向いている少女、年は僕より下、高校生くらいだろうか。


 ──ああ、この子も死にたいのかな。


 少女の見ている方向にある景色は、夕日に紅葉した木々が照り、雲は紅く染まり、街も川もそれを受け入れるかのようにして、高く反りたつ坂道でさえ、綺麗に夕焼けに染まっていて。今の僕には残酷なまでに神秘的だった。

 歩みを続け、少女の近くまで行くと、こちらの足音に気付いたようで慌てた様子でこちらを振り向く。

「わ、わたしの意思は変わらないわ! ……誰ですか?」

「僕は今さっき彼女を亡くして死のうとしている不甲斐ない男さ。君も死にに来たのだろう?」

「そう……ですけど、わたしは……そんな勇気……ないです」

「じゃあ、先にいいかい?」

「自殺……しようとしているんですか……」

 少女は声を震わせて僕に訊ねる。何を馬鹿なことを。人は山で登山家だと名乗る男にあったとき、「山に登るのか」などと訊ねるのだろうか。否、訊ねない。

「きっと、さっき言った通りだよ」

 僕が転落防止柵を乗り越えようと柵に手をかけると、少女は膝立ちになり、腕を掴んできた。

「自殺なんかしちゃダメです! 死んだら何もできません!」

 自殺志願者に自殺を制止させられる、そんな滑稽な話が今までにあっただろうか。元より、この子を自殺志願者と呼んでいいのかは不明だが。

「死んだら何もできない? 何もしたくないから自殺するんだ」

「でも死んだら……死んだら思い出も何もかもなくなるんですよ!」

 少女は言葉を詰まらせながら、テンプレートのような言葉で自殺を制止しようとする。言っていることは正論そのもの。ただ、自殺を否定するような言い方なのは頂けない。

「君も死にに来たんだろう? なんで止めたがるんだ。一思いに行かせてくれないか」

 自殺は勢いが大事。誤った考えに陥る前に後戻りができない状態へ持っていくことが自殺のコツだって誰かが言っていたのを聞いたことがある。

「そうですけど、そうなんですけど! 彼と約束したんです。自殺しそうな人がいたら助けるって」

「ならまず、自分を救ってやってくれ。放してほしい」

「……いいえ、放しません絶対に!」

 少女が手に込める力は一層増すばかり。

 ……正直、僕の悲しみはこの世の何よりも深い。しかし、悲しいかな、一時的に悲しみの熱は引いた。理由は分からないが、彼女に申し分ない気持ちになる。


「分かった、今日のところは身を引くことにするよ」

 そう言うと、少女は手を離した。僕は柵を背にして座り込む。少女は膝立ちのまま柵にもたれかかった。

「僕が質問してもいいかな、君はなんで死にたそうにしているんだい?」

「彼が自殺したんです。わたしと彼、学校でいじめられていて……守ってあげられなくて」

 僕はそっと目線を下げる。何となく、自分の影を見たい衝動に駆られた。ああ、僕とこの子は同じだ。希望を失って、自らが不甲斐ないばかりに自殺しようとしている。

「でも、彼の死に際に約束したんです。彼、『自殺しそうな人がいたら止めるって約束して』って。わたしが頷いたら、彼、急に走り出してここから……」

 なるほど、ここから飛び降りたのか。この子がここにいるのは追悼の意味もあるわけだ。

 何となしに横を向くと、献花だと思われる花束が置いてあった。その量から察するに、彼は多くの人から愛されていたようだ。

 この子も最近彼を亡くして、深く傷ついているはずだ。ここにいること、そして最終手段として死ぬという手があるということがきっと、この子なりのメンタルケアなのだろう。

「だからわたしはあなたの自殺を止めようとしたんです」

 彼氏との約束を守ろうとする姿勢、声色や見た目の清潔さから誠実さが伺える。まあ、僕からしてみれば少女の独善とでもいうべきことなのだが。

「余計なお世話だ」

「そんなこと言わないでください。さあ、あなたの番です!」

 ……今までの経緯を話している間、少女は何も言わずに頷いて聞いてくれた。気持ちは少し軽くなった気がする。

「だったらなおさら、彼女さんの分まで生きてあげてください! 彼女さんは生きていてほしいはずです」

「君に彼女の何が分かるってい—―」

「分かります! わたしも彼を自殺で亡くしましたから。わたしは生きてほしいって思います! だから生きてください!」

 小論文で書いたら零点になりそうな感情論、理屈なんかあったもんじゃない。だけど、この時ばかりは感情論もいいなって感じた。

 とりあえず、彼女の告別式でお別れを言いたい。その時までは生きていようって、そう思った。それが今の僕に見いだせる最低限の存続理由だった。

「……僕、彼女の告別式で別れを言うまでは生きてみようと思う」

「そうです、その意気ですよ! 応援してます。じゃあ、わたしと約束です」

 その日は少女に礼を言って別れた。


 翌朝、実家へ戻ったが、そこからが地獄だった。いざ生きてみようにも、食は喉を通らず、喉の渇きにも気付かない。寝る気にもならない。

 欲求の対処に明け暮れていた僕はもうおらず、彼女の死が僕に与えた影響の大きさを改めて認識した。

 無事にその後に葬式を終え、その二日後告別式に参列した。

 その帰り道、喪服から私服に着替えて、あのマンションの屋上を目指した。ドアは開いている。転落防止柵の先のゆとりで体操座りをしている人影、少女はそこにいた。やはり、残酷な夕焼けを眺めながら。僕も柵に腰を掛ける。

「約束、守ってくれたんですね。ありがとうございます」

 お互いに背中合わせだったが、少女は少し笑顔を見せたような気がした。


 時季は秋雨の終わり。木は紅を帯び、露をも赤く染めてしまいそうな十月上旬。街道は落ち葉で埋め尽くされ甘い香りを漂わせる、詩人は侘しさばかりを詠みたがる、そんないつもの十月上旬。

「――僕はこれから死のうと思う」

「え?」

 少女は驚いて、こちらを振り向いた。

「することは終えたし、君との会話が終わったら、もう潔く死のうと思う」

「そう、なってしまいましたか……」

 少女は露寒を含んだ声でそう言っただけだった。その後、お互いに恋人との思い出を赤裸々に語って、その時を迎えた。

「では、お別れですね。彼との約束も果たせそうですし。もう悔いも残っていないですし」

「え?」

 振り向いた時、そこに少女はいなかった。


 —―ああ、彼女は狡い人だ。ここで僕が死んだら、彼女の死は無駄になってしまうじゃないか。


 翌日、僕は花屋へ行き、菊の花を二束買うと、あのマンションの屋上へと向かった。

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