ロチェスターの目的

武流×駿3

あの人には、感謝してもしきれない。


「武流」

夜のラッシュアワーで混み合う構内を無心で縫っていると、不意に背後から馴染みのある声が聞こえた。

足を止めて振り向く。波のように行き交う人をかき分けながら、こちらに軽く手を上げて近付いてくる姿があった。

「お疲れ。待ち合わせ場所まで行くこともなかったな」

「お疲れ様。久し振りだね父さん」

区内で長年士業を務める武流の父は、相も変わらず寸分の隙もない出で立ちで颯爽と息子の目の前まで来る。よく瓜ふたつだと周りから囃されるが、当の父子にとっては互いがそこまで似ているか、と考えると甚だ疑問だ。

ただ、たまに実家へ立ち寄るたび母親がしみじみと「本当にお父さんにそっくりねぇ」と嘆息するので、やはりある程度似てはいるのだろう。武流にとってはやはり、だからどうしたという話だが。

ほぼほぼ目線が同じ高さになって久しい息子に微笑みつつ、父の賢流は腕時計をちらりと見た。

「夕飯にするにはまだ早いな。先に飲みに行くか?」

「なるべく早く帰りたいから。食べて飲める店にしようよ」

「そうか?相変わらずせっかちな奴だなぁ。じゃあ変に畏まらず餃子でも食いに行くか」

しこたまビール飲みたい、ととたんにだらしない顔になる賢流に、愛想笑いを浮かべて「いいね」と肯く。餃子か。好きだしまぁいいけど、においが気になるんだよな。飲むタイプのブレスケアまだあったっけ。

つらつらとそんなことを考えながら父の後に続く武流の脳裏は、駿の仏頂面でいっぱいである。

「近くにうまい餃子の専門店があるんだ」と意気揚々先導する賢流の声は、雑踏の渦に飲まれて拾う暇もない。

武流にとって、この時間は何よりも無為だ。どうせ今日食事に誘われた理由も決まっている。

駅近くにある、居抜きらしい小さな餃子屋。佇まいこそこじんまりとしているがそれなりに繁盛しており、まだ時間も18時過ぎと早かったが、そう広くもない店内はすでにカウンター席しか空いていなかった。

親切な一人客が席をずらしてくれ、父と息子並んで座る。すぐさま目の前に水と濡れタオルが置かれて、「生中ふたつと大皿二枚」と賢流が勝手に注文した。

「それでよかったよな?お前も」

「せっかちなのはどっちだよ。まったく…」

「悩むほど品数も多くないさ。まだ若いんだ、大皿の餃子なんてむしろ足りないくらいだろ?」

「デリカシーの問題だよ。俺に明日予定が入っていたらどうするつもり?」

「あるのか?予定」

「ないけど」

「じゃあいいじゃないか。いや、よくないか?若いってのに週末、なんの予定もないんじゃぁ…」

「ないけど駿とはいっしょだから」

お待ちどおさまです、と、そのとき早々にジョッキと皿が目の前にきた。

こんがりと焼けた羽つきの餃子が、それぞれの皿に8個ずつ。並々とビールの注がれたジョッキにはもう露が滲んでおり、疲れた体と胃にそそる。

無言で差し向けられたジョッキに自分の持ったそれを軽く当て、ひとまずぐいっとひと口飲んだ。

煽りながらふと右隣りを一瞥すると、賢流が緩んだ目でこちらを見ている。少し前にいっしょに飲んだときも、「こうやってお前と酒を飲めるようになるなんてな」とやたらセンチメンタルなことを言っていたので、今もそうやって親の醍醐味とやらに浸っているのだろう。

「相変わらずだなぁお前。駿くんは元気か?」

早くも大振りな餃子をひとつ平らげた賢流が、2個目を箸で摘む。

小気味のいい歯応えの餃子は肉汁も熱い。油断して齧りつくと少し舌が痛んで、口の中で冷ましながら首肯で返した。

がやがやと騒がしい店内。武流のすぐ傍らで、引き戸ががらりと開けられる。外の風がふわりと入って「ああ、いっぱいだなぁ」と言う声が聞こえた。

直ぐ様対応に走る店員が器用に背後を駆けていくのを見送り、もうひと口ビールを飲む。

餃子を咀嚼しながら賢流が「大繁盛だ」と、何故か誇らしげに言った。

「な?美味いだろここの餃子。本場の宇都宮餃子だってよ」

「確かに美味しい…。テイクアウトできるかな」

父親の言葉を適当に受け流し、手前の調味料置き場付近に立て掛けてある、簡素なメニューを手に取る。赤や黒文字で彩られたパウチの片隅に、『持ち帰りもできます』との文字があった。

駿も絶対に好きだ、ここの餃子。一番量のあるサイズを買って帰ろう。

「餃子って本来は主食らしいから、ラーメンの付け合わせみたいにして食べる気にはなれない」と妙なこだわりがある駿も、この店のものならば納得するだろう。

忙しなく動き回る店員を呼び止め、簡潔に持ち帰り分の注文をした。息子のその一連の流れを見送ったあとで、賢流がカウンターに頬杖をつき「へぇ、」と言う。

「駿くんにか?」

「うん」

当然だろう、と武流は肯く。あつあつの餃子に急かされて、あっという間にジョッキの中身が半分ほどになった。

「仲良しだなぁ。駿くん今いくつだっけ?」

「18。来年の春卒業」

「そうか、もうそんなになるのかぁ。他所の家の子っていうのは成長が早いよなぁ。駿くんは進学するのか?就職か?」

「まだ悩んでいるみたい。どっちにしても心配ないけど」

「実家には帰れてるのか?たまには親に顔見せるようはからってやれよ、お前も」

流れるような動作で店員に「生中ふたつ追加」と注文を入れる賢流。こっちはまだ半分残ってるのになぁ、とうんざりするも、2杯目はゆっくり飲もうと心に決めた。

しばし、父子の間に沈黙が落ちる。店内のざわめきと、快活に動き回る店員たちが空白のその時間を埋めてくれる。

「…あー、……お前はどうだ?その〜、なぁ?」

切り口下手くそか。

武流は賢流にも分かるように小さく溜め息をつき、短く「別に、」と言った。

「変わり映えないけど」

「そっかぁ。…いやな、今日飯に誘ったのは他でもない、お前にすごくいい話があるんだよ。俺の同僚からの話なんだけどな、」

「…そんなことだろうと思った」

賢流の言葉を遮るように、ジョッキの中身を軽くする。ドン、と空のそれでカウンターを叩いたのと同時、お待たせしましたぁ、と2杯目が来た。

予定変更だ。早々に飲んでさっさと帰ろう。

「その同僚には恩師がいるんだけどな…。仕事でも世話になってる人だから俺もよく話すんだけど、それでちょうど、最近新卒になったばかりのその人の娘さんの話になって。なんでも就職を機に下宿先から帰ってきたんだと。お前と歳の頃もそう変わらないし、娘さんもフリーだってんで、お互いに自分の子どもらのことで勝手に盛り上がっちまったんだ」

「………」

「写真も貰ったぞ。ほら、この子」

賢流が掲げる画面を一瞥し、すぐに目を逸らした。そこには、その恩師とやらの娘と思しき女性が、にっこりと微笑みながら庭木を背にして立っている。すらりとした長身で、穏やかでとっつきやすそうな印象だった。

「な?結構な美人さんだろ?お前もその気があるなら今度、両家で食事会でもって話になってて…」

「その気なんてないよ」

一息に煽ったビールを飲み下し、欠片も興味がないのを隠さずに言う。賢流が眉尻を下げたような気配がしたが、息子のこの反応は予想の内なのだろう。すぐに立ち直り、尚も畳み掛けてくる。

「まぁそう言わず、会うだけ会ってみろって。専攻してた科目は理工系だそうだ、お前とも話が合いそうじゃないか。それに彼女もクレイドルだって話だし、その辺もなんの問題も…」

「駿だってそうだよ。何度も言うけど、俺は駿以外との将来を考える気はない。いい加減分かってくれないかな父さん」

いつもこうだ。もう何度繰り返せばいい。

もうはるか昔の話。文明の栄華を誇っていた人類は、一度滅亡しかけたことがあるという。

感染症の蔓延。広がる貧困の影響。様々な因果を被り、世界規模で人間の出生率が下がった。

迫る種の根絶に気付いたときには最早どのような手段を講じたところで時既に遅く、窮地に立たされた当時の人類は、とうとうパンドラの箱を開けることとなる。

この世界には今、6つの性別が存在している。

子を腹に宿すことができる男女。

子を相手に宿させることができる男女。

そして、そのどちらでもない男女である。

男と女というのは今や単なる“身体的特徴”に過ぎず、性別で人間を区別することは全くと言っていいほどにない。

中にはいまだに男女の優劣を唱える時代遅れな者もいるが、それはどちらかというと、かつての人類が人間の器質を意図的にいじくり回して変えたという過去の遺物に、異議を申し立てている連中である。

曰く神への冒涜であるとか、禁断の果実に手を出した、とか。

今更そんなことを騒ぎ立ててどうなるものでもないのに、どうしてそう浅はかなことに貴重な時間を費やしているのか、武流には微塵も理解できない。

種が滅ぶことを恐れた祖先が、出生率を上げるために遺伝子改良を試みた。その結果が今であるが、遅々としてではあるものの、人類がなんとか一定の人口を保てているのもまた事実。

武流は相手に子を宿させることができる、体内に子種を有する男性体“シードメイル”である。

父である賢流もそうだ。ただ賢流は、身体的特徴が女性体でないと、相手を愛せない性質だという。

人間の器質が変わり、“他者を愛する”ということにおいて男女の区別が意味を成さなくなった今となっても、やはり自分と同じ身体の特徴の者を愛せない、という人間は数多くいる。

それは仕方がないことであるし、武流にしてもそこに憤りを覚えるわけではない。

我慢がならないのは、この賢流もそうだが大した理屈もなく、単純に「恋愛や婚姻なら異性体として然るべき」と信じて止まない輩が一定数いることだ。

その意見に何故と尋ねても、一向に理に叶った返答が齎されたことはない。

ただそういう考えを持つ者は皆一様に、「だってそれが自然なことだから」などと馬鹿のひとつ覚えのように言う。

だからこの今の現実にその訴えでは何の説明にもならないと言うのに、どうしてそれが分からないのか理解に苦しむ。

武流はさっさと席を立ち、荷物を持って父との会話に終止符を打った。空のジョッキのそばに金を置く。立ち上がった息子のことを、何とも言いようがない目で賢流は見ていた。

「そうは言っても…駿くんはお前と同じ、男の子じゃないか」

「そうだよ。それが何?でも僕はシードで駿はクレイドルだ。何か問題でもある?」

「…それに、従兄弟同士だし、」

「もう一度三親等制度ってものをよく学んでみたらいいよ。今のところ僕と駿の間に、思い止まる外的要因は存在しない。あとは、」

駿の心、たったそれだけ。

武流はそこで言葉を止め、「じゃあね、」と短く告げて背を向けた。

店を出ようとする武流を、慌てて賢流が追う。ひとりの店員と同じタイミングで武流に追いつき、その場で会計を済ませ、持ち帰り分の餃子を手渡された。

重みのある包みが、手の中でほんのりと温かい。早く帰って駿の喜ぶ顔が見たい。そう思うことの、何が妙だ。これが愛でないと言うのなら、他の何が愛なのだ。

「待てって武流…!父さんが悪かったよ」

駅に向かって淀みなく人波を縫っているところに、息を乱した声が近付く。小さくため息をつき、武流は少しだけ歩みを緩めた。

「…また僕たちの仲を無視するような話をしたら、次こそは縁を切る」

「そう言うなって…俺が悪かったから。けどなぁお前…お前な、まだ色々と大変なんだぞ?同性体同士で生きていくってのは」

賢流は何も、負の感情でこんな話をしてくるわけではない。武流のことを慮ってくれているのだ。そうということは、武流自身も嫌というほど分かっている。

けれども、やはり放っておいてほしい。親の庇護があれど、子の将来はその子ども自身のものなのだから。本人が願って止まないことなのだから、黙って見守っていてほしいと思うのは我儘だろうか。

「大体なぁ、駿くんはお前とのことについてどう言ってるんだ?色々と難しいところのある子だったろ…あの子は」

「………」

「…それに、武流。お前がそんなふうに駿くんに拘ってるのは、まさか兄貴のことが関係してるんじゃないだろうな?」

投げかけられた賢流の言葉で、武流は思わず、小さく笑ってしまった。

駿の母親。駿と同じクレイドルメイルの、駿とうり二つである男性体の人。

初めて会ったのは武流が五歳のとき。武流の父、賢流の兄で、もう長いこと会っていない。

「…遙さんには、とても感謝してるよ。駿を産んでくれた人だからね」

「……お前、確か昔、兄貴のことが」

人でごった返す駅の改札前。二歩ほど賢流と距離をとり、父との会話を切った。

「僕は遙さんには、感謝しかしていない」

「………、」

「駿を産んでくれたこと。駿を生かしてくれたこと。駿を“あんなふうに”育ててくれたことをね。…駿はね、なんのかんの言って、僕がいないと駄目なんだよもう。そういうふうにしてくれたんだ、遙さんが。だから僕は、遙さんのことが大好きだよ。今でもね」

賢流が男性体のクレイドルに過剰なまでの苦手意識を持つのは、きっと自分の兄の存在が大きいだろう。茫然としているような父に微笑み、「またね父さん」と言って帰路についた。

ざわざわとした雑踏が心地いい。手の中の包みの熱がすっかり馴染んでいる。

もう、温かいとも感じない。冷めないうちに早く帰って、駿に食べさせてやらなければと気が急いた。




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