第6話 今までと同じようでいて違う明日


 週末、私は人との待ち合わせのために喫茶店へと向かった。

 思えば休みの日に人と会う用事なんて久しぶりだ。


「ここだよね」


 約束したお店へとたどり着き、おそるおそる扉を開く。私、初めてのお店ってすごく緊張しちゃうんだよね。

 すぐに店員さんがこちらに振り向く。


「いらっしゃいませ。一名様ですか?」

「あ、いえ、あの……」


 するとテーブル席から彼女が手を振った。


「こっちこっち!」



 あの事件の後、私と鞠子ちゃんは連絡先を交換した。


 ああいう形ではあったものの、私は幼い頃仲のよかった鞠子ちゃんとまた縁がつながり、一緒に過ごせるようになってうれしく思っている。


 あの日は酷い目にあった上にその後警察で事情聴取も受けて、解放された頃にはへとへとになってしまった。

 それは鞠子ちゃんも同じで、また詳しい話は後日、ということになった。それで今日、こうして喫茶店で会う約束をしたわけだ。

 

 飲み物の注文を終え、店員さんが下がっていく。

 ああ、何から話そう。ともじもじしていたら、鞠子ちゃんから話し始めてくれた。


「その後、身体の調子は大丈夫?」

「あ、うん。っていうか鞠子ちゃんこそ、大丈夫?」

「ああ、私なら全然」


「っていうか助けてくれた時さ……流れるような動作だったよね。びっくりした」

「いやー私、小柄だし昔は身体が弱かったから親が心配してさー、病気が治ってからは合気道とか護身術とか色々習ってたから」

「そうなんだ。っていうか、あの」


 鞠子ちゃんの顔をまじまじと見つめる。今こうして見るとどう見ても鞠子ちゃんなのだけれど、どうして私は気づいていなかったんだろう。


 普段から下ばかり向いてあまり人の顔を見ないようにする癖がついていたから、気づかなかったのかもしれない。


「ごめんね私、気づいてなくって。鞠子ちゃんは初めて私がパン屋に行ったときから、気づいてたの?」


 すると鞠子ちゃんはうなずいた。


「うん。だって白ヤギちゃん、全然変わってなかったから。あとお会計の時、クレジットカ―ド出したことがあったんだよね。名前がちらっと見えて、やっぱりそうなんだって思った」

「だったらその時言ってくれたって……」


 そう言うと、鞠子ちゃんは「やーん」と言いながら頬に手を当てた。


「ごめんね、でもなんか勇気が出なくて、言えなかったの。それで、次に来たときには言おうかなって、何度も迷ったけど言い出せなくて……。それが何度か続くと、逆にもう今更って気がしてきちゃうじゃない?」

「まあ、確かに」


 私がもし、先に山田さんのことをあの時の「鞠子ちゃん」なんだって気づいていたとしたって、きっと言い出せなかったかもしれない。

 二十年以上も前に数か月病院で一緒に過ごした私のことが、一体どれだけ今の鞠子ちゃんにとって意味のある存在なのか、自信が持てなかったと思うから。


「だけどこれからはさ、こうして会ったりしようよ」


 満面の笑みで、鞠子ちゃんは言った。


「そうだね。私もそうできたら、うれしいなって思ってた」


 店員さんがクリームソーダとカモミールティーを運んできてくれた。

 私たちはそれぞれの飲み物に口をつけると、再び語らい始める。

 一度話始めれば、鞠子ちゃんとの会話は弾んだ。


 おいしそうにクリームソーダのアイスをぱくぱく食べる鞠子ちゃんと、のっそりした動きでカモミールティーをすする私。全然違う二人なのに、不思議と息がぴったり合う。

 長いこと会っていなくたって、お互いに色々変化していたって、私と鞠子ちゃんは、やっぱり私と鞠子ちゃんなのだ。


「ちょっとお手洗い」


 席を立った鞠子ちゃんの後ろ姿を眺めながらぼーっと考える。

 なんだか最近思い悩んでいたことの答えが、見えてきたような気がしたのだ。


 私は孤独な人間だって自分のことを悲観していたけれど、本当は一人でいる時間が多いことが、そんなに苦でもなかった。それに会社の人に注目されると緊張してしまうけど、気にしてもらえるのはうれしいと思ってる。


 これからもきっと、私はそういう私のペースで生きていくんだと思う。でもそんな自分を卑下する必要はない。肩を縮める必要もない。


 自分自身のことを駄目な奴だと思っていたことが、自分にとって一番の問題だったのだ。


 顔を上げて前を向いたら、誰かが私に微笑みかけてくれていたことに気づけることもあるもんね。


 だから私、もっと自分のことを、好きでいよう。


 私が楽しい未来を歩んでいくために必要なことって、きっとそれだったんだ。



 ◇◇◇



「それは大変でしたね……」


 八木橋さんから事件の一部始終を聞き、私は顔を青くした。


 式神が働いたあの日、私は異変を察知して彼女にメッセージを送ったが、その後二日ほど返事は来なかった。


 私の仕事はあくまで占いなのだから、あまりお客様のプライベートに関わるべきではないとは思いつつも、彼女になにが起きたのか、ずっと気がかりだった。


 だがその後彼女はメッセージに返信をくれて、今こうして通話している。

 まさか生霊の送り主が彼女を襲っていたとは。彼女が無事で本当に良かった。


「先生、私ね、今回の出来事で気づけたことがあるんです」

「気づけたこと、ですか?」


「ええ。私って生まれてこのかた、普通と違ってたんです。だからそのことがコンプレックスだったんですけど……。顔を上げて、目の前にある幸せを見逃さずに生きていきたいなって。そうじゃないと、私も目の前の人もかわいそうじゃないですか」


 ふと思い出す。八木橋さんと最初にビデオ通話をしたとき、彼女は自分のことを「こんな私でも」と言っていた。自分を卑下していた。

 そしてそんな彼女の様子を見て、どうしても彼女の力になりたいという気持ちが自分の内から湧いてきたことも、思い出した。


「八木橋さん、実は私も普通ではないのです。長年の間、自分は永久に普通には混ざれず孤独に生きるしかないのだと思ってきました。けれど最近は、普通の人なんてものは存在しない。それぞれがそれぞれの形で生きているだけなのだと感じるようになりました」

「なるほど、確かにそうですね」


「そして私の眼には、八木橋さんには八木橋さんの美しさがあるように見えます」

「あら、嬉しい」


 八木橋さんはクスクスと笑った。



 通話を終えると私はお気に入りの狭山茶を淹れ、湯呑を片手に縁側に出る。


「今日は天気が良いな」


 すると居間で作業をしていた朱里が手を止め、顔を上げる。


「幸庵さん、最近ずっと気にしてたお客さんの件、解決したの?」

「まあね」


 うなずきながら、茶をすする。


 目の前の幸せを、見逃さずに、か。


 八木橋さんがそうして生きていくことが、目の前の私を今、確かに幸せにしていた。



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