第27話

 ダイニングテーブルに並んで座って、冴子の言うのをうちはただただ黙って聞いてる他ありませんでした。何もよう言わんと。


 それでいて、あの子のお母さんへの複雑な感情やとか、あの子がいっつも一人でいる理由とかが分かって妙に納得してる冷静な自分もいて。

 とにかく頭の中は無茶苦茶になってたんやけど、目の前の痛々しい冴子の様子が胸に刺さってねぇ。


「夜になるまでに、お父さん帰ってきてくれるやろか」


 それまで独り言みたいに喋ってた冴子がこっち向いた。また新たに涙がせり上がってきた目ぇで無理して笑おとする姿に、うちは辛抱たまらんようになって思わず掻き抱いてしもた。ちょうどうちの胸の辺りにあの子の頭が来たわ……。


 ぐっと腕に力込めたら、逆に冴子の体の力が抜けていった。あの子はうちの胸で泣いたわ。初めはすすり泣きやったんが、だんだん抑制きかんようになって、声をあげて泣いて、うちはそれをずっと抱きしめてた。


 どれぐらいそうしてたやろ。あの子の泣く声も次第に止んでいって。

 体を起こして、あの子、びしょ濡れの顔でちょっと笑て言うたんです。


「……いずみちゃん、チューしよか」


 うちは唐突すぎて頭真っ白になって、言葉が出てきませんでした。

 その黙りを冴子は承諾と取ったみたいで。あの子、改まってうちとひざ突き合わせる位置になって。


「いずみちゃん、こうして?」


 言うて、おでこ同士をひっつける姿勢になった。それから肩ぐらいの高さで両手の指を全部絡めて……。


 しばらくはおでこ同士をひっつけたまま顔を左右に揺らしてたけど、それが次には鼻先同士になって……。あの子の尖った鼻先が当たった時はぞくっとしたわ。ひんやり冷たかった。

 言われるままにしてたけど、うちはそれこそ心臓飛び出そうに跳ねてたよね。


 そしてから……。あの子が小さく顎をしゃくるみたいな動きした。それが合図やったんやわ。唇を重ねますよ、いう。


 うちも覚悟決めてドッキドッキしながらちょっと顔を上げたわ……。そしたら間もなくあの子の唇がうちの唇にそおっと当たってきて……あの子の唇がうちの唇をハムハム軽く挟むみたいにして何回か動いて……。

 どうにもならん想いを抱えたもん同士、傷を舐め合うてるいう感じやったな……。


 感想は初めに言うた通りです。

 冷とうて柔らこうてしょっぱあて、で、気持ち良かった。


 うちの頭の中は真っ白、顔は真っ赤、ほんで体はとろけてた。


 あの子の唇の感触とツンと立つ体臭が一緒くたになって強烈に脳に刻まれたんがわかりました。

 時間にして十秒ほどやったんやろうけど、それまで味おうたことない恍惚の十秒間やった。


 冴子はまたそおっと唇を離していってから、俯いて、静かに言うたの。


「ありがとう、いずみちゃん」


 その晩は冴子の家に泊まりました。

 冴子は、散々に泣いてチューもしたからやろか、少々元気はなかったけどだいぶ落ち着いてましたね。

 一応、座敷に布団は敷いたけど二人共ほとんど眠れへんかったなあ。他愛もない話をしてたけど、二人共、根底には冴子のご両親のことが気にかかってるから時々妙な沈黙があったりしてね。そのいたたまれへん胸中を紛らすためになんちゅうことない話してたみたいなとこもあったかもわからん。


 布団に横になってる間ずっと、うちらは手を繋いでた。重苦しい空気に泣いてしまいそうになるんを、そうやってお互いに支えてました。


 そうこうしてるうちに表も明るなってきて。うち、その日ぃはおばあちゃんが来ることになってたさかいにどうしても帰らんとあかんくって。


 せやけど冴子のことも心配で。朝になっても冴子のご両親は帰ってきませんでしたから。


「大丈夫やで、うちは。そのうちにお父さん帰ってくる思うし」


 あの子は笑って言いました。


 うちが後ろ髪を引かれながら帰ろうとするのをあの子は玄関先まで送ってくれて。そしていよいよもう背中向けて一歩踏み出すいうときに、


「いずみちゃん」


 冴子がうちを呼び止めました。何やと振り向いたら、


「次の日曜、寄生虫博物館行こ!」


 あの子は笑てました。その顔にうちは安堵して、


「うん!」


 言うて帰路につきました。


 せやけど結局、その約束は叶いませんでした、少なくとも今までのところは。


 あの日ぃが、うちが冴子に会うた最後になったんです。


 連休が明けてもあの子は学校に来んと、ちょうど同じ頃合いに、冴子のお母さんが亡くなったいう記事が新聞に載りました。


『作家・藤川正臣氏の妻・美冴さん事故死! 痴情のもつれか』


 みたいなね……。それから冴子はお父さんに付いて、どこか遠いとこへ行ってしもたみたい。


 今はどこでどうしてるんか、知る由もない。


 連絡つかんようになってからは次第に冴子とのことは思い出になっていってた思てたんやけど、つい最近、あの子があの頃愛読してたサブカル漫画がやっとコミックスになったんで手に取ってみたんです。


 そしたら当時のことが色鮮やかに蘇ってきてねぇ! あの頃には理解が追いつかへんかった作品やったけど、今思えば、冴子はそういう作品に自身を正当化する道を見つけようとしてたんかな……。


 うちのあの子への気持ちは、あの子のそういう脆さと綺麗さの相まったとこに惹かれて、同化したいいう思春期的なもんやったんかもしれへん。


 うちはそれ以来、女の子に惹かれるいうことはなく、ボーイフレンドも出来たし男性と結婚もしましたからね。


 せやけど結局、旦那さんに物足らんもん感じて離婚してしもてるとこ見ると、うちにはやっぱり冴子が最愛の人やったんかもわかりません。

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冴子 松司雪見 @yukimishouji117

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