▽残り……。
リビングでテレビを見ていると、再婚相手の篠原呼羽が横に座った。
俺は今四十四歳で、呼羽は四十二だ。
体が衰えて見えてくる年だが、呼羽は現役アイドルのように美しい肌にぱっちりとした目、細い首に整った形をしたバスト、薄い肩にくびれた腹、細い足を守り続けている。
「律? ずっとテレビ見てたら体に悪いわ」
呼羽は俺を下の名前、律と呼ぶが、俺は略してこはと呼んでいる。
「こはからすれば、俺の生活は全て体に悪いんじゃないか?」
呼羽は美形を保つために色々なことをしているから、俺の生活は全て悪く見えてしまうに違いない。案の定、呼羽は「まぁ、そうね」と答えた。
呼羽は少しテレビを眺め、飽きたのかどこかへ行ってしまった。
二度と戻りたくなかったこの町に家を借り、再婚してからもう一年半が経った。時間が経つのは早い物である。
今日は久々に庭の手入れをやると云う約束を呼羽としていた。まぁ、呼羽が「たまには律がやってよ」と云って、半場無理矢理押しつけられた仕事なのだが。
適当に帽子を手に取り、ゴム手袋をして外に出る。
夏の日差しが襲ってきて、一分もしないうちに汗が噴き出てきた。
――やれやれ、こんな日に庭の手入れか……。
花は呼羽の趣味だった。庭に植えられた花に、ぎっしりと敷き詰め――並べられたプランター達に咲いている花。
こんな庭の中で俺が唯一気に入っているのは、庭の端に申し訳ない程度に作られた小さな池だ。
水面に日光が反射し、キラキラと輝いている。それに、前に呼羽が池の周りにもびっしり花を植えたいというので、せめて植えるなら家の後ろ側だけにしてくれと頼んだおかげで、池を見ると花が映り込んでさらに幻想的に見える。
そんな美しい池が大好きだ。
しばらく池を眺め、庭の手入れに取りかかった。
花と花の間に生えている雑草を、花を傷つけないように丁寧に抜く。その際、まれに雑草の根に花の根が絡まって抜けることがあるので、そう云ったときは花の方の根を少し切って植え直してやる。雑草の根の方を切ってしまうと、再びそこから生えてくる可能性が高まるからだ。
次に、プランターの方の花の手入れにかかる。
プランターを持ち上げ、水やりの際に下のトレイに流れ出た土を集めて指定の場所に放り込む。その土は、後で呼羽が何やら作業をしてプランターに戻す。
次にプランター内に生えている雑草を抜いていく。プランターに生える雑草は比較的小さく、ひ弱な物が多いので、ちぎれないようにゆっくりと抜くのがコツだ。
全ての作業を終えると、ホースを蛇口に繋いで蛇口をひねり、水をまく。
「お! 綺麗に咲いてますねぇ」
振り返ると、お隣さんの清水さんが庭を覗き込んでいた。七〇近いのに、笑顔はいつも通りだ。
「殆ど妻のおかげですけどね」
「いやぁ、手伝ってる律君のおかげでもあると思うよ?」
「そうですかねぇ……」
すると、清水さんが「あ! そうそう」と云って話し始めた。「今日で四年ですってねぇ」
「ん? 四年?」
「あの隕石騒ぎよ、隕石」
「ああ……あれから四年も経ったんですね……」
「ほんとよ……。あんなにボロボロだった世界はさ、戦後みたいに――いや戦後よりも速いペースかな? そんなペースで復興していって……いやぁ、凄いよねぇ?」
「ほんとですね。もっと復興には時間が掛かると思ってました」
その時、家の前を子供達が笑いながら走って行った。
「子供達も元気みたいだし、よかったねぇ」
「あの子達が生きてる間って云うか、もう二度とあんなことはごめんですね」
「ほんとよ、私なんてあのせいで心臓が弱っちゃったんだから」そう云って清水さんは自分の胸を叩いた。
「水まきの邪魔しちゃってごめんね、頑張って律君!」
「ありがとうございます」
清水さんが家に入って、自分でも思い返す。
――今日で四年かぁ……。
蛇口に戻り、蛇口を捻ってホースを取る。ホースを丸めて指定の位置に置き、家の中に入った。
リビングに戻ると、呼羽がテレビを見ていた。「ねえ? 今日で四年ですって」
「ああ、そうらしいね」
「……どうしたの? 寂しそうな顔して」
「いやぁ、何でもないよ」
手を洗ってから呼羽の横に座る。
テレビでは[あの日から四年。今の世界は]と云う番組をやっていた。
――あの日は……。
思い出す。
あの日、堤防を降りてから気絶して、起きたのは次の日だった。はっと起き上がって空を見ると、あの隕石がなくなっていた。どう云うことか分からなかったが、とにかく来た道を戻った。
下流にあいつの屍があるかも知れない。そう思って下まで降りたが、屍は見つからなかった。どこかで沈んだが、引っかかっているのだろう。
訳が分からず家に戻った。
そしてスーパーやらを回ってなんとか食いつないでいると、町に人が戻ってきたのである。
それからは時間とともに元の生活に戻っていった。
そして二年が経った頃には何もなかったかのように、全てが元に戻ったと云っても過言ではない程世界は元に戻った。
俺は家を売り払い、隣の家を借りることにした。最初はうんと遠いところで家を借りようと思っていたのだが、その家があった土地自体に愛着がわいてしまったのか、結局隣の家を借りた。そして、新しい仕事先で呼羽に出会った。
ちょうどその頃に情報環境も整い、正確な情報を手に入れることが出来た。
あの隕石が砕け散ったのは、アメリカが撃ったミサイルによってのものだった。前にも隕石に向けてミサイルを撃ったことはあったが、全く効果がなかった。そこで、アメリカ最後の最後――隕石が大気圏に突入した時を見計らってミサイルを撃った。
大気圏によって相当なダメージを受けていた隕石にとってそのミサイルは大きかったらしく、ミサイルがぶつかった衝撃と爆発した衝撃で隕石は粉々になった。
もちろん粉々になった隕石が全て大気圏で燃え尽きた訳ではなく、何個かは隕石となって地球に落ちたが、たまにある隕石と同じくらいの大きさで特に被害は出なかった。
今、テレビでもちょうどそんなことをやっていた。
リモコンを手に取り、番組表を開いた。と、そこで目にとまった番組があった。
――《春風川で心中。終わりを告げられた世界での二人の物語》
一時たりとも忘れなかった――忘れられなかったあの日のことを思い出した。
あの後、ずっと考えていた。何故あいつともう一人――誰かは知らない――が川に落ちたのか。色々な考えが浮かんだが、今この番組名を見てほぼ確定した。
あれは心中だった。
チャンネルを回し、その番組にする。ちょうど始まったばかりだった。
「――から今日で四年。さて、今日はあの地獄の三ヶ月の中で起きた不思議なストーリーをお話しいたします。
隕石がアメリカのミサイルによって破壊され、世界が戻りつつあったある日、警察に電話が入りました。『川で二人が死んでいる』と云う電話が。
警察が川――春風川に駆けつけると、そこには二つの死体が川の縁に、毛布で体と体を結んで繋がった状態で打ち上がっていました。
日にちが経っていましたが死体は屍蠟化していて、人としての形をとどめていたそうです。
警察が周りの住民に聞き込みを行ったところ、他市の篠原俊也さん、当時中学三年生と、桃瀬結衣さん、当時高校三年生であることが分かりました」
呼羽が「え? 篠原だって。苗字が一緒なんてやぁねぇ?」と云っている。
俊也のことは呼羽には話していなかった――と云うより、あえて話そうとしていなかった。昔のことはなるべく思い出したくないからだ。
そんなことは気にせずテレビに集中する。
「警察が二人の自宅に向かいましたが、どちらも引っ越していたため調査はそこで終わりを告げました。
さて、ここでポイントになるのは毛布で二人が繋がれていたことです。これはつまり、入水心中をする際に離ればなれにならないようにするためと推測されます。
当番組は、聞き込みや三ヶ月間作動していたドラーブレコーダーなどを頼りに調査を進め――」
テレビを消す。もう十分だった。あいつが死を選んだのは、自分がどう云う人間なのかを理解してしまったからだろう。俺の日記などを読んだせいで。
今となっては、よかれと思って書いた日記や手紙を呪うようになっていた。
だが、昔のことを悔やんでも仕方がない。
立ち上がって窓に向かい、カーテンを開ける。後ろから呼羽が「まぶしい」と文句を云ってくるが、聞こえないふりをする。
――この町も、少しは変わったな。
あの陰鬱な雰囲気や、狂った考えに浸っていた町は、少しずつ変わろうとしていた。
あいつが最後に云った「ごめん」の意味は、まだ謎なままだ。おそらく、一生謎だろう。だが、もしその意味が分かったときこそ、俺の生きている意味が、あいつが生きていた意味が証明されるときかも知れない。
――ああ、証明されるかも知れない。
この世界のどこかで――。
この世界のどこかで 夜ト。 @yoruto211
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