後編

月曜日の朝

蓮也は夢を見ていた。


そこは月の光も差す隙が無い程の暗い暗い夜の森。

30はいるだろうか。何人もの人が松明のようなものを持って列を作り、何かを口ずさみながら下に向かって行進している。

それを明かりが届くか届かないかの絶妙な木の後ろから蓮也は観察していた。

数人で口ずさんでいる為によく聞き取れなかったが、耳をすまして聞いた。


「fぉぃiぇtもoひhぉ」

「ふぃiぇtものひhぉ」

「ふみいぇtものにしぉ」


少しずつ言葉として聞こえてくるその音の意味を理解するのに時間はかからなかった。


「踏み入れた者に死を」

「踏み入れた者に死を」


その行進者は何度も何度もその言葉を口ずさみながらゆっくりゆっくりと進んでいた。


すると蓮也の後ろでゴツンと何か重いものが倒れる音がした。

その音に行進者が歩みを止めてゆっくりとこちらを向き始めた。

蓮也はハッとして後ろを恐る恐る振り返るとそこには廃病院にいた地蔵がこちらを見て横たわっていた。

するとあの時と同じように表情が不気味な笑みに変わったかと思うと……


「ふ み い れ た も の に し を」


耳元、いや脳内に直接語りかけられたかのようにその言葉は聞こえた。

子供の声で感情の篭っていない抑揚。


蓮也はそこで目が覚めた。

身体中からは汗でびしょびしょになり、恐怖一色。

暫くその状態から動けなくなっていたが、自分でセットしてある目覚まし時計が高らかに鳴ったことでビクッとしながらも急いで止めた。


(今日は休みたい……)

怖い夢のせいで寝た気がしない蓮也は学校を休みたかったが、母を困らせたくなかった為、重い腰を上げて準備を始めた。


海は部活の朝練がある為、登校はいつも1人である。

慣れている毎日の朝だったが今日だけは異様に孤独を感じた。


「れんやー。今日雨降ってるから体育館でバスケやるけど来る?」


「眠いからいいやー」


昼から降ってきた雨のせいもあり、授業もボーっとして見に入らず、頭も痛かった。


昼休みで人が少なくなった教室で蓮也はふと外を見る。

雨空とグラウンドの灰色が真ん中の景色を飲み込む。そんな感覚が蓮也を襲った。

その天と地が重なるタイミングで急激な吐き気と頭痛を感じてトイレに駆け込んだ。


「微熱だけど体調が悪いようだから今日はゆっくり家で休んだ方が良いわね。先生には私から言っとくけど親御さんに連絡しとこうか?」


「いえ、大丈夫です……」

保健室に行ったところ、蓮也は保健室の先生の提案で帰ることになった。

吐き気はある程度引いたものの、頭の痛さは治まる気配がなかった。


初めての早退。

風はない。人もいない。傘と地面に刺さる雨の音だけ。

その音が頭に響き、より頭痛を促す。

それが雨の降る帰り道を独りで帰路につく歩みも加速させた。


早歩きで辿り着いたいつもの踏切。

あと5分程で自宅に着く距離まで来たことにより多少の安堵感を覚えた。


カーンカーンカーンカーンカーン

警報機の不快な音が辺りに広がる。


「おーいれんやー!」

踏切の音の中から微かに聞こえる海の声。


(海?なんでこんなところにいるんだ。まだ学校あるだろ。)


「れんやー!忘れ物!」


そう言って上げられた片手には木でできたオクタチャイムを持っていた。

これは蓮也が図工の時間に作ったものであり、先生から今日中に家に持って帰るように言われていた。


(そういえばそうだった……)


走っていた海は少しバランスを崩して持っていたオクタチャイムが傾いた。

すると

オクタチャイムの中から赤い物体が転がった。


(なんだあれ……?)


地面のアスファルトとぶつかるとそれはカキンと大きな音を立てながら線路の方向へ転がった。

海は慌ててそれを追いかけるが、重みがあるのか緩い坂を、さらに加速していく。

そして踏切のところで達也は違和感に気づいた。


(え……?なんで閉まってないの……)

警報機が高らかに鳴る中、踏切の遮断機が上がったままなのである。


「海止まれ!!」

達也は今まで出したことのないくらいの声量で海を静止させようとした。

それに気づいていない海は遂に線路の上で赤い物体を止めた。


「海!!!」


その刹那


ファァァァァァァァァァァァァァァァァン

ガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトン

ガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトン


海がまるで居なかったかのように電車は速度を保ったまま踏切を通過した。


周りに人はおらず、達也だけがその残酷な光景に目を向けていた。


「あ……あぁ……あぁ……」

言葉にもならない達也の呻き声。

電車が通り過ぎたあとには海の立っていた場所には何も残っていなかった。


「海が……死んだ……?ははっ……」

恐怖、驚嘆、悲愴。入り交じった感情は直ぐに処理することが出来ず、ショートした脳内は〝笑う〟という最もその場に相応しくないアクションを蓮也に取らせた。


蓮也はぶつかった衝撃で線路から飛ばされた赤い物体が転がり落ちていることを確認した。


「……!?」


それは廃病院で見た石であった。


力の入らない足でヨタヨタと近づくとべっとりとついた赤黒い血が雨で排水路まで伸びている。

それを見た途端、より現実を見せられた気がして、夏の雨で生暖かくなったアスファルトへ膝から崩れ落ち、吐き気を催した。


「海……海……」


雨音も聞こえなくなる程の絶望感。

時が止まるような感覚に陥り、途端に後悔した。


「あんな場所に行ったからだ……あんな場所に行かなければ……」


するとどこからともなく幾人の声が聞こえてきた。

「踏み入れた者に死を」

「踏み入れた者に死を」


蓮也は辺りを見渡すと、海の下ってきた方向から夢の中で見た行進者がこちらに向かってきていた。

それはとてもゆっくりと、しかし着実に迫っていた。


蓮也は恐怖で足が竦んで暫く立てなかったが、手の力を利用してやっとの思いで体を持ち上げて、家に向かって途中よろめきながらも走った。

ただがむしゃらに。


家に帰ると自分の部屋に素早く入り、棚をドアの前に移動させてバリケードを作った。

何も入って来れないよう。


「どうしたの?早退したの?」

様子を心配した母が部屋の前まで来た。


しかし、蓮也は気が動転しており、話せる状態ではなく、体育座りのまま布団に潜って、小刻みに身体を震わせていた。


その日から蓮也は食事などの生活に欠かせない時以外は学校は疎か、自分の部屋からも出なくなった。


そんな日が何ヶ月か続いた。

事件当初の震えは無くなっていたが、部屋からは出られていなかった。


その日の夜、母が夕飯を部屋の前に持ってくる階段の足音が聞こえなかった。


一応バリケードを取って部屋の前を確認するが、夕飯は置いてない。

不思議に思った蓮也は久しぶりにリビングへ向かう。

階段を降り、リビングのドアをゆっくり開けた。

「お母さん……?」


母はキッチンで寝ている状態で足だけが見えている。


恐る恐るキッチンの表側へ回る。

「ははっ……」


そこにはロープで首を吊った母がいた。

体の下には段ボールが何枚か敷かれていた。


蓮也は1番寄り添ってくれていた母の死に全てがどうでも良くなった。

憔悴しきっていると、蓮也から見て遠くの母の手に何かを持っていることを確認した。


ゆっくり前に進んで角度を見えるほうへずらしていくと、そこには赤い石。

全ての元凶の赤い石を手に持っていた。

感情そのものが薄らいでいく中で一瞬の恐怖が全てを飲み込む感覚に襲われる。


母は自分の意志ではなく、呪いによって死ぬように動かされていた。


「この呪いを断ち切るには……」


蓮也は自室に戻ると、急いで遺書を書き始めた。

ずっと家の周りを歩いている行進者の足音と声を無視しながら必死で書いた。

書き終えると、クローゼットでなんの迷いもなく部屋にあったプラスチック製の縄跳びに首をかけて……死んだ。


遺書にはこう書いてあった。




僕があそこに踏み入れたせいで大切な人が2人も死にました。

これを止めるにはこの僕が死ぬしかありません。

今までありがとうございました。


蓮也




「すみません。全て私の責任です」


「そんなことありませんよ。貴方は最後まで蓮也くんの意志を尊重してあげていたと思いますよ」


翌日の朝、蓮也の父が警察の事情聴取に応じていた。


「最後に蓮也さんを見たのはいつ頃でしょうか」


「昨日の朝です」


「えー、蓮也くんはお母様が亡くなられてから精神に異常をきたしてしまったという事でしたが、お母様はご病気か何かですかね?」


「はい。ガンです。闘病生活が続きましたが、1年前に亡くなりました」


「そうでしたか。蓮也くんを精神病院に連れていくなどは考えましたか?」


「一度連れていきました。ですが、病院に着いて暫くすると発狂してしまい、家の方が落ち着いていたので自宅で経過を見ることになりました」


「心苦しい中、事情聴取に応じて下さりありがとうございます。本日はここまでにしましょう」


「……はい」



次の日の学校


「海聞いたか?蓮也のこと」


「あぁ」


「お前結構仲良かったもんな。お母さんが死んだことも知ってたのか?」


「うん。れんやから誰にも言うなって言われてた。でもれんやの母ちゃんが亡くなってから、れんやまともに喋れる感じじゃなくなっちゃっててさ。俺もなんか死んだと思われてたらしいんだよな。ずっと幻覚とかに悩まされていたあいつが1番辛かったと思うけど」





蓮也の治療の為に訪れた精神病院は少し町外れの高台にある。


緑豊かな自然が広がっており、心身を癒すにはうってつけの立地だった。


精神病院に行く途中には安全祈願の地蔵が一体にこやかな表情で一体いた。



蓮也は生前、海に言っていた。

「赤い石を割ってしまった」と

それは海にはなんの事か知る由もなかった。

一緒に廃病院に行ったこともないのだから。


幻覚と妄想と記憶の齟齬が生み出した物体。


それが赤い石

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

SEKI-赤い石- 脇野オズ @wakino_oz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ