そんな約束、忘れたよ
間川 レイ
第1話
1.
重いスーツケースをゴロゴロと引っ張ること3時間強。ようやく辿り着いた実家の扉の前で大きく深呼吸。インターフォンを押し、声に緊張が乗らないようにしつつ名乗る。
「私です。戻りました」
とたん、扉の向こうからトタタタタと廊下をかける軽い音。すぐさまガチャリとロックが解除される音が響く。スーツケース片手に扉を潜る。そこで今まさに私のために扉を開けようとしてくれていた妹と目が合った。
「おかえり、お姉ちゃん」
そう満面の笑みでいう妹に、私は飾らぬ笑みで返す。
「ただいま」
2.
手早くキャスターの汚れを落とし、私の代わりにスーツケースを運んでくれている妹の背中に声をかける。
「父さんと母さんは?」
妹は振り向くとイタズラっぽく微笑むという。
「父さんは仕事の呼び出し。母さんは買い物。暫くは帰ってこないよ」
「そっか」
私は内心胸を撫で下ろしつつ答える。年に一度ぐらいは義理もあるからこうして帰ってくるけれど、正直両親に会うのは緊張するから。どうやって話しかけたらいいか、何を話しかけたらいいのか悩んでしまう。そもそも話しかけるべきなのかすら。今でこそ2人ともだいぶ丸くなったけれど、昔はだいぶ厳しかった。いつ怒鳴られるか、殴られるかってビクビクしてしまう。正直、顔を合わせないで済む時間が長い事に越したことはない。
そんな内心はおそらく妹にもバレているんだろう。妹はスーツケースを置くと大きく伸びをしながらチェシャ猫みたいな笑みを浮かべて言う。
「長旅疲れたでしょ?今のうちにシャワー浴びてきたら?今ならゆっくりできるよ」
帰ってきたらゆっくりなんてできないんだから。そう言いたげな妹に私は一つ苦笑を浮かべる。
「そうだね」
確かに妹の言う通り。帰ってきたらきっと私は緊張しっぱなし。その事を妹だってよく知っている。帰省が近づくにつれ両親と会うのは気が引ける、なんてちょくちょくLINEで愚痴っていたのだから。
それに昔から私と両親は相性が悪かった。一番仲が悪かった時期は毎日殴られたり怒鳴られたりしていたから。私も両親を憎みに憎んでいたし。家に帰るのが嫌過ぎて、音楽を聴きながら夜遅くまで出歩いて。それがますます両親を怒らせる。そんなことの繰り返し。どんどんどんどんお互いがお互いに向ける怒りは高まって行った。それこそ、朝挨拶すれば舌打ちで返される程度には。そのうち殺し合いになるんじゃないか、そんな事を考えるぐらいには仲が悪かった。
そんな私と両親に挟まれて、オロオロしていた妹を思い出す。何とか仲裁しようとして。お互いからお互いの愚痴や悪口を聞かされる。妹には悪い事をしたな、なんて思う。正直、実家にいる時には妹とそこまで仲が良くなかったようにも思う。どちらの味方かわからない蝙蝠と妹を見て、トゲトゲしく当たることもあったし、そんな私をいつ爆発するかわからない爆弾のようにも見ている妹とはあまりうまく行ってなかった。今でこそ、私が独り立ちして、妹の学校での愚痴や相談にも乗るようになったから、仲はかなりいい方になったと思っている。それこそ、妹からも父さんや母さんの愚痴を聞いたり、悪口を聞かせてもらえるぐらいには信頼されているのだと思う。
だけどそんな時期や私の内心を知っているからこそ、妹は今のうちに、なんていうのだろう。羽は伸ばせるうちに伸ばさないと。私はその言葉に甘えることにする。
「下着と部屋着、よかったらスーツケースから出しとくけど」
そういう妹に優しいな、なんて思いつつスーツケースのキーを投げて預ける。
「ありがとう」
そう後ろ手に手を振りつつ私は浴室に向かった。
3.
ゆっくりし過ぎたのか、浴室から出た時には既に両親は帰宅した後のようだった。リビングで新聞を読む父さんと、キッチンで夕食の準備をする母さんが口々に「おかえり」と声をかけてくる。私は頑張って目尻を下げ口角を上げ、「戻りました」と返す。「シャワーお先にいただきました」とも。
「やっぱり汚れちゃうもんね。いいよいいよ」
と母さん。
「洗濯物はちゃんと洗濯機に入れたんだろうな」
と父さん。良かった、今日は2人とも機嫌がいい。再度胸を内心撫で下ろす。機嫌が悪けりゃ返事は返ってこないか、あるいは何で先に入るの、浴室が汚れるじゃないと小言がとんでくる。入らなかったら入らなかったで汚いと言われるんだけど。
機嫌がいいうちにとお土産を渡す。実家用と父さんの職場用。今回は父さんの職場分も忘れず買ってきた。
「そんな気を使わなくてもいいのに」
なんていいながら受け取る母さん。
「今回は俺の分もあるんだな」
と言いながら受け取る父さん。
「前は私の気が効かなかったんで」
と笑みを形作りつつ答える。
「東京はどうだ。住みやすいか」「まあまあです。人が多いのには苦労します。」「だろうな。正直こっちで就職した方が働きやすいと思うぞ」
「彼氏とかまだ出来ないの?」「今は仕事が忙しいんで」「もう27だよ。結婚相手そろそろ真剣に探さないと」
傍目から見たら他愛のない会話が続く。まるで家族ごっこだ。私は内心呟く。何がこっちで就職した方がだ。こっちで就職して欲しいだけのくせに。何が結婚相手探さないとだ。私が子供を残すか心配なだけの癖に。結婚なんかしたくもないのに。気にかけてやってるふり、気にしてるふり。そして隙あらば両親の思う鋳型に流し込もうとする。お前のためを思って。あなたのためを思って。それが嫌で度々反発してたのに、まるでわかってない。そう言うところが嫌で家を出たのに。
とは言え、強く跳ね除けては機嫌を害してしまう。適当にいなしつつ、言質は与えないように。それでいてぶっきらぼうになり過ぎないように。私は軽くシャツの首元を緩めてバレないように大きく深呼吸。やっぱり実家は息がしにくい。つくづく思う。地雷原を棒切れ一本で探り探り歩いているような感覚。実家に帰ってきたんだなという実感が湧く。
会話は続く。
「お前まだ小説なんか読んでるのか。もっと人生に役に立つものを読め」「昔に比べれば減りました。最近は新書とかも読んでます」
「あんたまだ小説とか書いてるの?どうせどれだけやったってプロになんかなれないんだから、いい加減諦めて別のことしたらいいのに」「考えておきます」
いい加減黙ってくれ。帰ってくるんじゃなかった。毎度帰省のたびに溢れる感覚に身を浸らせ始めた頃。ようやく夕食の準備ができたようだった。
「妹を呼んできてくれる」
そんな母さんの言葉に弾かれたように私は妹の部屋へと向かう。さながら逃げ出すように。背中にびっしょり滲んだ汗が、気持ち悪かった。
4.
夕食は、私の帰省を祝うという名目で結構豪華だった。カチャカチャと食器達が奏でる音のなか、時折会話が飛び交う。
「それで、仕事はどうなんだ。転職したらしいが、うまくやれてるのか」「私なりには。自分にできるベストは尽くしているつもりです」
「あら。転職なんかしたの。折角大きい企業だったのに勿体ない」「ちょっと合わなかったので」
「日々勉強。それが人生だぞ。今後のライフプランとか考えてるのか。前に言ってた資格勉強はどうなってる」
「重々胸に刻みます。順調とは言い難いですが進んではいます」
美味しい料理であることはわかる。流石は母さんと言ったところか。でも、楽しい食事とは言い難かった。どことなく糸の張ったような独特の緊張感の走る空間。父さんの尋問じみた質問と、それに対する回答がメインの世界。笑顔なんてどこにもない。それこそ、会社の上司や先輩とご飯に行った時の方がまだ楽しかった。帰省せずに友達と電話していればよかった。そんな事をぼんやり思う。尋問は続く。
「で、お前は今どこの部署にいるんだ」「そこは何をする部署なんだ」「今の会社はベンチャーらしいが将来性はあるのか」「将来的には本社配属希望と言っていたが本社で何をしたいんだ、言ってみろ」
ああ、うるさいうるさい。放っておいてくれ。私がどこで何をしてようが関係ないだろ。もうお金だって出してもらってないのに保護者面するな。そう言うのウザいんだよ。さんざん殴って怒鳴っておいて今更父親面かよ。そう叫びたくなる気持ちに蓋をして私は端的に答えていく。気分はさながら実家暮らしの頃に戻ったよう。続く尋問に空気はどんどん白けていく。
「いいか、お前はもっとニュースを見ろ。ウクライナ問題の背景には……」「そもそもお前は多趣味を謳っているがただの浪費である事を自覚しろ」「お前そんなんで今後の人生どうするつもりなんだ」
私は死んだ目で尋問に答えていく。妹なんて周りの会話をシャットアウトせんとばかりに過剰に料理に集中しているし、母さんは私と父さんの会話に飽きたのか、料理を抱えてテレビの前に移動した。それに続いてテレビの前にいく妹。懐かしの我が家ここに極まれり。そんな気分だった。広くなったダイニングテーブルで、若干眉間の皺が深くなった父さんの尋問に答える私。シャワーを浴びたのにじっとり下着が湿っていく。ただ、早くシャワーをもう一度浴びたくて仕方がなかった。
5.
「懐かしいでしょ、実家」
そんな事を妹が苦笑まじりに言ったのは、食事も終わり、両親は寝室と書斎に引き上げた後のこと。私と妹で食器を洗っていた時のことだった。
「そうだね」
私は小さく答える。凄く懐かしかった。思わず色んな思い出が蘇ってくるぐらいには。髪を掴んで引き摺り回された思い出とか、頭を何発も柱に叩きつけられた思い出とか。
「そんな顔しないでよ」
小さく笑う妹。暗くなった雰囲気を振り払うように妹は言う。
「ね、東京ってどうなんよ」
「悪いところじゃないよ。買い物とかも行きやすいし、いろんなもの売ってるし」
こんな田舎とは違って。そう口には出さず内心付け足す。そんな内心に気づいてか気づかずか、妹は目をキラキラさせながらいう。
「いいなー!東京!こっち何もないもんね。ライブとかも遠いしさ」
そういえば妹の推しはよく幕張あたりでライブをやっていたなと思いだす。それに妹は買い物が大好きだった。私とは違って。そんな妹からすれば、東京なんて天国だろう。
「じゃあさじゃあさ、よく都心には出るんでしょ!もっとおしゃれな服買えるじゃん!」
そう私の着ている服を示しながらいう妹。私は自分の服を見下ろす。濃紺のシャツに黒のスリムパンツ。確かに量販店で買ったものだから、探せばもっといいものも見つかるだろう。でも。
「嫌だよ、めんどくさい。それにそんなお金あるなら小説でも買うね」
私はお洒落にそこまで興味がない。着れて無難だったらいい。それ以上は望まない。むしろ言ったとおり、小洒落た服を買うぐらいなら推してるシリーズを揃えたい。そっちの方がよっぽど魅力的だから。
「えー!勿体無い!折角東京にいるのにさ!本なんかAmazonで買えるじゃん!服買おうよ、服!」
そういう妹に私は微笑んで黙って首を振る。なおも妹はぶつくさ言っていたけれど、私の意思が固いとみて取ったのか、一つため息をつくと言った。
「いいなー、東京。私も東京に住みたい」
「父さんに相談したら?東京の大学に行きたいって」
どこか白々しく聞こえる事を自覚しつつ、私は被せる様にいう。そんなことできると思ってないくせに。
「無理でしょ、そんなの。許してくれないよ」
「かもね」
私は小さく答える。私が東京に進学するという時も大揉めに揉めた。さらに、私がそのまま東京で就職するつもりですある事を知ると激怒した。「お前!家を捨てる気か!」と。まあ、その通りではあったのだけれど。最初はこうして帰省するつもりもなかった。今帰ってきてるのは妹に会うため。そう言い聞かせて帰ってきているぐらいだったから。そのぐらい私は家が嫌いだったし、家を出たがった。父さんの意向を無視してまで。私の時は父さんが諦めた。だけど、妹まで家を出る事を父さんは絶対に許さない。そんな予感があった。
「ごめん」
「いや。まあいいけどさ。私こっちで就職する気だったし、東京行っても仕方ないってのはあるんだけどさ」
そう言いながら洗い物を片付けていく妹。その表情はすだれになった髪が邪魔で見えない。
「ま、東京は遊びに行けばいいだけだしね!その時は泊めてよ!」
そう私に向き直って言う妹。
「うん」
私は頷く。それが罪滅ぼしになるのなら。そんな想いを込めて。
「やった!ホテル代が浮いた!」
そう小さくガッツポーズする妹。そんな妹に変わらないなと苦笑する。いや、変わったのかもしれない。何気なさを装って尋ねる。
「ねえ、私がよく父さんに殴られてたの覚えてる?」
「覚えてるよ。お姉ちゃんめちゃくちゃ殴られてたよね」
どことなく感情の見えない笑みでそう返してくる妹。そう、私は馬鹿みたいに殴られていた。冗談みたいに。小学生の頃から高校生に至るまで。帰りが遅い、殴られた。テストが満点じゃない、殴られた。成績が悪い、殴られた。殴って嬲って出来損ないと罵って。でも。
「あんたもね。あんたも沢山殴られてた」
妹もたくさん殴られていた。一緒に住んでいた頃。冗談みたいに。馬鹿みたいに。部屋が汚い、殴られていた。勉強の出来が悪い、殴られていた。食事を取るのが遅い、殴られていた。我儘だなんだと怒鳴られていた。しょっちゅう妹は泣いていた。えぐえぐと。夜な夜なベッドで泣いていた。何でこんなに殴られなきゃいけないの。なんでそんな事言われなきゃいけないの、と。そんな私の言葉に妹から笑みが消える。口元に浮かんだ微かな笑みさえ。
「そうだね」
手元のグラスに目を落としながら答える妹。そんな妹に私は尋ねる。
「ねえ。最近大丈夫なの。辛い目にあってない?」
「大丈夫だよ」
かぶせるように答える妹。妹は磨いたグラスの輝きを確認するかのようにしげしげグラスを見ている。やけに丁寧に。私はせき立てられるように私は続ける。
「ねえ、本当に大丈夫なの?もし辛かったら無理しなくていいんだよ。一緒に暮らそう?そしたらー」
「そしたら、お姉ちゃんが大学卒業まで面倒見てくれるの?」
ピシャリと叩きつけるように言う妹。妹は既にグラスを見てはいなかった。私を見ていた。私だけを真っ直ぐに。口元に微かな笑みを浮かべて。
私は言葉に詰まる。私の稼ぎでは妹を養うことで精一杯。大学の学費なんて夢のまた夢だったから。
「ごめん」
私は小さく謝る。
「別に。今は大したことないしさ」
そう言って再びグラスに目を落とす妹。唇を噛み締める私に構うでもなく妹は続ける。
「それにさ、言ったでしょ。私はこっちで就職するからって。やりたいこともできたし。東京行っても仕方ないでしょ」
そう言う妹に私はごめん、と再度謝ることしかできない。妹は奇妙に歪んだ笑顔で言う。
「さっきからお姉ちゃんは何に謝ってんの?さっぱりわかんない」
そんな妹に私は何もいえない。それでも私は絞り出すように言う。
「ねえ。約束おぼえてる?昔、死ぬなら一緒に死のうって言ったやつ」
かつて一緒の部屋で寝ていた時。隣のベッドで眠る時にもう生きていたくないと泣いていた妹。その時私は声を押し殺してなく妹の手を握って言ったのだ。辛いよね、痛いよね、死にたいよね。めちゃくちゃわかるよ。でも1人で死ぬのは怖いよね。だから死ぬ時ぐらいせめて一緒に、と。
でも、妹は。
「何それ。そんな約束、忘れたよ」
そう半分笑うような、滲んだ声で言うと、乱暴にグラスを置いた。
「ごめん。お姉ちゃん。私、明日も部活だから」
そう言うと妹は足早に私の後ろを通り過ぎていった。私の顔を見ることなく。
後には私と、妹によって磨かれ抜かれたグラスだけが残された。グラスを片付けるために手を伸ばす。
刹那、残っていた水滴がつうと走る。
「嘘つき」
ポツリと呟いた私の言葉は、どこにも行けずにほつれて消えた。
そんな約束、忘れたよ 間川 レイ @tsuyomasu0418
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