第14話 後宮のオオカミ(14)

 その夜。

 ぎい、と戸が開いてザリアニーナが幽閉されている部屋に忍び込んできたのはアンネリーゼだった。

 ランプに照らし出された傲慢な美女の臈長けた白い首筋が浮かび上がる。


「ザリアニーナ、元気? 死刑が決まったらしいじゃない」


 コロコロと笑い声を上げて楽しそうに言うと、アンネリーゼはザリアニーナの座る長椅子の横に、無理矢理腰掛ける。そして、


「なんとかしてあげようかなあ」


 とらわれの美女の青白い手を取ると、唇をそっとよせ――。

 ばしっ。

 アンネリーゼの鼻の上に筋張った手の甲がぶち当たる。彼女の高い鼻がみるみるうちに赤くなった。


「ふがっ、ふがっ」


 判決を受けて茫然自失常態かと思っていた美女からの思いもよらぬ反撃にオオカミは涙目になって鼻を押さえた。


「私の手に口づけしようなんて百年早いわ、汚らわしい」


 顎をあげて勝ち誇ったように告げるザリアニーナ。


「何よ、助けてあげようって言っているのに」

「貴女の手なんか借りなくても大丈夫。その下品な顔を見たくないの、さっさと帰って」


 もっと心が折れているかと思ったのに、ザリアニーナの鋼の心はヒビの一つも入っていなかった。

 今日は弱った彼女の心のヒビをこじ開けて落とし、その勢いで磨き上げられた身体をいただくつもりだったアンネリーゼは、当てが外れて硬直する。


 えん罪が晴れた件は牢番に金を積んで口止めさせたはずだった。だけど以前の憔悴したザリアニーナとは打って変わったこの強気は……。

 ん?

 アンネリーゼは床からキラリと輝く一本の髪をつまみ上げる。

 それは光沢のある明るい銅色。


「やられたわ。先に情報を流されたようね」


 明日、丁重な謝罪と釈放のお迎えが来ることをザリアニーナに伝えた人間が誰かを彼女は瞬時に理解した。


「さっさと出て行ってちょうだい。空気が汚れるから」


 ザリアニーナは邪気を払うように香水をまき散らした。






 ザリアニーナを落して楽しむはずだった広いベッドにアンネリーゼはたった一人で横たわっている。

 でも、お楽しみはまだ残っている。

 三人で寝られる大きなベッドが可憐なエマとクリューナを待ち焦がれているのだ。


「明日の晩はあの二人に使いを出して、あっま~い夜を」


 ふと、アンネリーゼは窓の下に松明を掲げた長い行列ができているのに目を留めた。


「ちょっと、スターガイザー。あれは何の行列?」

「クリューナとエマが、修道院に入ると言うことでお迎えが来たところです。アンネリーゼ様には感謝していますと先ほどお別れを告げに来られました。王子からかけられた言葉通り、二人で助け合いながら一生を人のために尽していくと決意されたようです」


 先ほど……地下牢でザリアニーナを口説いていた頃だ。


「そんな、聞いていないわ、ぎゃああああああっ」


 慌てて階段を駆け下りるアンネリーゼは、足を滑らせて階段から転げ落ちる。捻挫をしたみたいで、彼女は立ち上がることもできず悶絶した。ここで止めないと、王子と言えども教会に入る者を還俗させることはできなかった。

 その間にも、低い声で歌われている聖歌が徐々に遠くなっていく。


「ああああ……」

「もう手遅れですねえ」


 うめくアンネリーゼの背後から鼻歌でも歌いそうな調子でスターガイザーが告げる。階段に設えられた燭台でその短い銅色の髪がキラキラ光った。


「ザリアニーナに情報を流したこと、覚えてなさい。スターガイザー」


 蛇のようなまなざしにも動じずスターガイザーは知らんふりをする。


「いくらオオカミといえども、同時に三方向の狩りは無理だって事でしょう。もう少し身を慎めと天からの――」

「いいえ、私としたことが詰めが甘かったのよ。優先順位を考慮すべきだった。この経験、絶体に次に生かさなきゃ」


 全く懲りてない。スターガイザーの大きなため息をスルーして、欲望汁をたぎらせ煩悩の炎を揺らめかしたオオカミは、ギラギラした目をつり上げるのであった。


                                

             後宮のオオカミ 了

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アンネリーゼ・ドフィーの優雅な陰謀――後宮のオオカミは今日も舌なめずり―― 不二原光菓 @HujiwaraMika

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