25.「夢と現」、それから⑨ 〜イツキの話~

家の門扉を開けると、辺りはすっかり様子が変わっていた。

異様に静かなのに、通りはどことなく荒れている。どこの家の玄関も開けっ放しで、屋内にヒトがいる気配もなかった。もしや例の異形たちに襲われたのかと案じたけれど、血の痕も匂いもない。

「おそらく、俺たちを探す異形の姿に怯えて、何処かへ避難したんだな」

「そっか。みんな、無事に逃げられてるといいんだけど」

「それは大丈夫だ。この一連の騒ぎを起こしたのは、番いの身を案じた俺がイツキに接触するよう仕向けて、イツキの所在を確定させるためだ。ここで殺生を繰り返しても益はない。あいつらは、無益なことはしない連中なんだ」

口調は平静を装っている宝から、囂々と猛る怒りが伝わってくる。

宝を牽制して、異形の世界を我が物にするためだけに、何人ものヒトの命を奪った異形たち。あの赤黒く恐ろしい姿が浮かんで肌が粟立った。でも、恐怖だけじゃない。

あいつらに対する怒りと同じくらい、哀れみも感じる。

生まれついた郷の中で覇権を争って、限られた益に群がって、弱いものたち、困窮したものたちに目を向けることもしないまま、おのれの私腹を肥やしていく異形たち。

ヒトにない異能を持っているのに。そう思うのは、おれが何も持たざるものだからだろうか。

異形の世界にはない問題を抱えているからこそ、そう思ってしまうのか。

「――ずっと、考えていたんだ。俺たちの、これからのことを」

宝が、ひそやかに囁いてくる。

「異形と、ヒトとの世界が二つに分かたれているせいで、俺たちが生きていく場所は交わらない。でも、それだけじゃない。俺が暮らす世界では、互いの異能を喰い潰しながら、一部の異形だけが甘い汁を啜っている。そして、イツキが住む世界は……」

「……弱さに甘えて強者に頼るあまり、異形を崇め、縋って、自らの世界を狭めている。町はなんとか体裁を整えているけれど、町の外はヒトもいなくて荒廃しているし、町の中が荒れても自警すらしない」

おれが溢した言葉は、ずっと胸の奥に支えていたものだった。

おれがこの世界に戻してもらうより前、いや、境界に落ちるよりもずっと前から、この世界のヒトは、いろんなことを諦めて生きている。

境界に落ちたヒトたちを救う手立ても、自身で考えるのではなく、この世界にいない他者に祈る。

ヒト喰いの異形が出ても、戦ったり抗ったりするのではなく、家の中に籠もってやり過ごすだけ。喜びを求めず、怒りをやり過ごし、有事から逃れて、哀しみに暮れることしかしない。

おれが暮らすヒトの世界で、感情を強く持って生きることは困難だった。なぜなら、それに応えてくれるヒトが少ないからだ。

だけど、そんな世界で生きながらも、おれの父さんは異形に祈ることを止めて、異形に頼もうとした自分ごと異形を憎み、そして、境界に落ちたおれを探し続けてくれた。

おれもまた、見知らぬ子を案じ、彼らを助けようと藻掻いた。その子たちを預かって、親代わりになってくれるヒトもいる。

そう、ヒトの世界にだって、本来ならば感情に満ちあふれていくべきなんだ。なのに、どうしてこんなことに。

その理由が薄っすらと思い浮かんで、口にするかどうか迷った。が、それを察したかのように、宝が呟いた。

「世界の狭間が拡がり、境界に落ちるものたちが増えたこと。それが、すべての原因だと思っているんだ」

淡々としているけれど、しっかりと確信を得ていることは明白だった。

宝はきっと、おれと離れていた数年間、ずっとこのことを考えていたのだろう。

「だから、異形とヒトの世界の隔たりを、無くす」

白々とした朝陽に目を細めながら、宝は造作もないことのような口ぶりでそう言った。

「そんなことも、できるの」

「たぶんな。俺の異能でふたつの世界のすべての存在を同時に渡してやれば、なんとか」

「ずいぶんと曖昧だなあ。おれになんかできること、ある?」

紅い眼を瞬かせて、宝が笑う。相変わらず、惚れ惚れするような美しい笑みだ。

「あるぞ。イツキ、俺と番いになってくれ!」

そういうことじゃなくて、なんて笑って返したりせず、代わりに、おれは彼のくちびるに嚙みついてやった。

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鬼の嫁娶、件の如し。 まきたろう @mmmakitarou

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