第7話 環境に感謝をして

 翌日のお料理部は紗奈さなが当番だった。11時になると、紗奈は給湯室でお米を仕掛け、近鉄本店に買い物に行く。今日作るものはおおまかに決めていた。


 いつもの様に、まずは精肉コーナーへと足を向ける。方々見て回り、鶏もも肉を買うことにする。お野菜は八百一やおいちで玉ねぎと三つ葉、特価品だったしめじを買った。


 事務所に戻って給湯室に入ると、まずはブックスタンドにレシピ本を開いて立てる。


 さて、しめじの処理から始めよう。石づきを切り落として小房に分けたらお鍋に入れ、水を張って火に掛ける。きのこ類はお水から煮た方が旨味が上がるのだと岡薗おかぞのさんに教わったのだ。


 ふつふつと沸いて来たら顆粒かりゅうだしを入れて溶かし、そのまま弱火でことことと煮て行く。


 その間にメインだ。玉ねぎは繊維に沿って1センチほどの幅にカット。三つ葉はざく切りに。鶏もも肉はひと口大にしておく。


 フライパンを出し、分量の水を入れて火に掛ける。沸いて来たらレシピを見ながら調味料を入れる。顆粒だし、日本酒、お砂糖、お醤油。


 レシピにはみりんもあったのだが、鶏もも肉を固くしたく無いので日本酒とお砂糖を少しずつ増やすことで代用する。そういう加減はできる様になっていた。


 そこに玉ねぎと鶏もも肉を散らして入れ、ぐつぐつと煮込んで行く。


 冷蔵庫を開け、卵を取り出す。数日前にゴーヤチャンプルを作ってくれた牧田まきたさんが買って来た、10個パックの残りだ。ボウルに割って、白身のこしをあまり切り過ぎない様に混ぜておく。続けてしめじの鍋にお味噌を溶いた。


 時間を見ると、12時まで後10分ほど。仕上げるにはまだ早い。紗奈はフライパンの火を弱め、使い終わった調理器具の洗い物を始めた。


 こうして定期的にお料理をする様になって分かったことがある。どうやら紗奈はお料理が結構好きな様である。お昼にできたてご飯が食べられるこの活動が嬉しいと言うのもあるが、お料理をしていると心がふんわりと穏やかになる。自らの手でご飯が整って行くのが楽しかった。


 洗い物を終えると5分前。紗奈はお料理の仕上げをしようと、鶏もも肉のフライパンの火力を上げた。


 ぐらぐらと煮立って来たら卵液を半分回し入れる。三つ葉の軸を散らし入れ、卵がほどよく固まったら残り半分を入れ、少し加熱してから火を止めた。


 食器棚からどんぶり鉢を3個出し、それぞれに炊き上がったほかほかのご飯を平たく盛る。ひとつは大盛りだ。


 その上に鶏もも肉の卵とじを載せ、三つ葉の葉を飾ったら親子丼のできあがりである。


 しめじのお味噌汁にも仕上げの青ねぎを散らして完成である。トレイに載せたお椀に注いで行く。おはしさじも添えて。


 時間を見ると12時を2分ほど過ぎていた。紗奈は給湯室のドアを開け、できたお料理を応接セットに運んだ。


「お待たせしました!」


「あ、手伝うで」


「大丈夫です。1度で行けました。ありがとうございます」


 親切な岡薗さんにお礼を言い、紗奈は親子丼とお味噌汁をテーブルに置いた。


「あら、美味しそうねぇ」


「おお、親子丼やな?」


「はい。この前の卵、早く使った方がええかなって思いまして」


「お、あれやな。冷蔵庫の中にあるもんでちゃちゃっと、ってやつやな」


「そんな大げさなもんちゃいますよ。卵以外は買って来ましたし」


 紗奈が苦笑すると、岡薗さんは「いやいや」と否定する。


「冷蔵庫にあれがあるから、じゃああれ作ろうって、天野さんできひんって言うてたやん。それができるようになるんは進歩やで」


「そうやねぇ。どんどんスキルアップしてるやんねぇ。凄いわぁ」


 牧田さんまでそんなことを言ってくれて、紗奈は「えへへ」と照れて頬をいた。


「ほな、いただきましょうか」


 牧田さんの音頭で紗奈たちは「いただきます」と手を合わせ、紗奈は親子丼のどんぶり鉢と匙を持ち上げた。


 ふんわりとろっと仕上がった卵に匙を入れる。割り下が染みたご飯を一緒にすくい、そっと口に運ぶ。お出汁の効いたほのかな甘辛さと卵の優しい甘みが口に広がった。続けて鶏もも肉を食べると、柔らかく煮上がっていて肉汁がじわりと滲む。とろりとなった玉ねぎの甘さも感じた。


 これらの食材の組み合わせは本当に最高だとしみじみ思う。卵を使う丼ものは、卵が全てをまとめて調和してくれるので、紗奈も好きなお料理のひとつだった。


 ちなみに今日鶏もも肉が高かったら、他のお肉で他人丼にしようと思っていた。豚肉や牛丼で作る卵とじのどんぶりを他人丼と言うのだと、これもレシピ本で知ったのだ。


 木葉このは丼やきつね丼も選択肢にあったが、やはり紗奈は大好きなお肉を使いたかったのである。かまぼこやお揚げだと物足りないだろうということもあった。


「美味しいわぁ。良うできてるよ、天野あまのさん」


「ああ。旨いで」


「ありがとうございます」


 褒めてもらえて、紗奈は心が暖かくなる。何気ない一言なのかもしれないが、それがとても嬉しいのだ。


 思えば、最近紗奈が自覚できる成長のすべては、この事務所に就職してからだった。牧田さんと岡薗さんに誘ってもらったお料理部でお料理を始め、家事の大変さを知った。万里子まりこへの感謝も芽生え、お手伝いもする様になった。


 社会人になったら家に生活費を入れる、そんな常識すら知らなかった紗奈を変えてくれたのは畑中はたなかさんだ。あれから紗奈は毎月3万円を家に入れている。万里子に言われた通り、そう多くは難しいが貯金もしている。


 ある程度お金が貯まったら、万里子に相談してMacBook Airを買いたいと思っている。紗奈はパソコンを持っていないのである。


 所長さんは昼休憩の雑談以外、直接紗奈と関わる機会はそう多く無い。だがいつも目を配ってくれていたし、コンペの報告をした時にもらった言葉は励みにも慰めにも、勉強にもなった。


 万里子や雪哉ゆきやさんとの会話だって、紗奈の成長を促してくれたと思う。


 紗奈はまだまだこれからだ。仕事だって家のことだって恋人との関係だって、これから発展の芽が大いにあった。


 全てにおいて順風満帆じゅんぷうまんぱんは難しいだろう。だが自分を持ち上げてくれるこの環境を大事にし、感謝して、自らも奮起しようと思えるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お昼ごはんはすべての始まり 山いい奈 @e---na

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ