醜い『精霊姫』と言われ婚約破棄されたけど、私あなたと婚約なんてしていませんけど?私が婚約するのはあの人とだけです

茉莉花

始まりと終わり、そして『精霊姫』

煌びやかなホールで学院の卒業パーティーが行われている中、これは起こりました。


「アリスティア・ディヴァルヴァン!レイモン・オディロンの名のもとに貴様との婚約を破棄する!醜い『精霊姫』のくせに俺の最愛であるマリにひどい仕打ちをしたせいだ!」


私、アリスティア・ディヴァルヴァンはこの目の前にいる頭の足りない男の発言の意味がよくわかりませんでした。だいたい今は卒業パーティー。私たち卒業生が在校生と交流する最後の機会。意味のわからない婚約破棄騒動で賑やかなパーティーは一瞬にして静まり返りました。


そもそもレイモンって誰ですか?隣にいるマリなんて名前の令嬢も今日初めて聞いたのですけど?


「人違いではないのですか?確かに私の名前はアリスティア・ディヴァルヴァンですが、貴方のこともあなたの隣にいる令嬢のことも今日知ったのですが」

「ひどいわっ!アリスティアさま!あたしが身分の低い男爵家の娘だからって名前を忘れるなんて!それに学院であたしのことを散々いじめたくせに!」

「おいアリスティア!マリをいじめるな!この醜い『精霊姫』が!」


知らないことは知らないって言っただけなのに、なんでこうなるの。私の名前を呼ぶ許可もしていないのに。それにマリっていう令嬢も頭が足りていないのではないかしら?私は一応侯爵家の人間なのに。不敬罪という言葉を知らないのではなくて?


それにさっきから人のことを醜い『精霊姫』だなんて。諸事情で顔を覆う仮面をつけているだけでそんなことを言うなんてひどいじゃない。


「醜い『精霊姫』って私のこと言っているのですか?貴方、身分は何ですか?」

「仮面をつけて己の醜さを隠しているやつに醜いと言って何が間違っている!それに俺は伯爵家の人間だ!いくら醜い『精霊姫』だからと言って言葉には気をつけろ!」

「仮面は諸事情でつけているだけです。幼い頃に色々ありましたから」

「ふんっ!知っているぞ!貴様は小さい頃、『精霊姫』と謳われるほど美しかったと。だがそれは貴様の家が自分の娘の醜さを隠すために広げた嘘の話だ!そんなこと社交界では誰もが知っている!」


えッ!?そうなの?私、周りからそんな風に思われていたなんて予想外です。お父様もお母様も屋敷の皆もそんなこと言ってなかったのに。私の心のためにそう言う噂は私の耳に届かないようにしていたのかしら?それともあ・の・人・が手を回していたとか?


まぁどちらにせよ、社交界で流れている噂は無実無根だし気にすることはないけど、ことある毎に醜い『精霊姫』なんて呼ばれるのは嫌。だからと言ってこの人たちに名前を呼ばれたくないし。


その前にとりあえず、私の冤罪を晴らさないと何も始まらないです。そして婚約をしていると勘違いしていることも。今日はお父様とお母様の他にあの人が来るからそれまでには終わらせないといけません!


「えーっと、とりあえず私はそこにいるラリ?マリ?でしたか?まぁその令嬢を虐めてはいません。名誉毀損で訴えますよ」

「何を言っている!こっちには証人がいるんだ!」


証人なんて。一体どんな嘘の証言をしてくれるの?私はやっていないのだから何も出てこないというのに。


「お前たち、醜い『精霊姫』がマリにした所業を教えてやれ!」


勘違い男がそう叫ぶと、同じく頭のゆるそうな令息二名と令嬢三名が前に出てきて口々にこう言います。


「俺は見ました!その醜い『精霊姫』が可憐なマリを階段から突き落としているのを!俺は間一髪でマリが階段から落ちるのを防ぎましたが、醜い『精霊姫』は何も言わずに去っていきました!仮面で見えなくとも醜い顔をしていたと間違いなく言えます!」

「わたくしもマリさんの教科書やカバンが噴水に投げ入れられ、マリさんの私物が水浸しになっていたのを見ましたわ!教科書の文字はふやけて見えなくなってしまい、新しく買うしかありませんでした!」

「私はマリさんのロッカーが荒らされているのを見ました!ゴミが入れられ、私物も汚れきっていました!」


自称証人の皆さんが私があの令嬢にしたことを順々に述べていくと、私の周りにいた皆さんが冷たい視線を向けてきます。さすがに仮面をしてなければ引きつらせた顔を見せていたかもしれないですね。


さて面白いからこのままでもいいかもしれないけど、さすがにそれはディヴァルヴァン侯爵家の格が落ちるかもしれないから皆の間違いは訂正しておかないといけません。


「証人の皆さんにひとつ良いですか?」

「なんでしょう、醜い『精霊姫』」

「その呼び方は好きではないのですが、まぁいいでしょう。それよりも私がそこにいる令嬢に危害を加えたというのはいつの話でしょう」

「そっ、それは今から一か月前だ」

「ちょうどひと月前にこれら全てが起こったのですか?」

「っそうだと言っている!」

「あら、では私はその頃学院にはいないのでそのご令嬢を虐めていたのはわたしではありませんね」

「「「はっ?」」」


あら、まるで餌を求める魚のような顔をしていますね。そんなに驚くようなことを言ったでしょうか?私はきちんと学院側に短期休暇として申請しているので確認すればすぐに分かることですが。


「う、嘘を言うな!」

「嘘ではありませんよ。学院側に確認してもらっても構いませんが」

「くっ!だが仮にそうだとしても誰か他のものにやらせたのではないのか!?」

「自称証人さんが仰っていましたよ。『仮面で見えなくとも』と。この仮面は特注なので世界に一つしかないのです。故に自称証人さんが仰った仮面が私のものと同じならそれはおかしな話です。自称証人さん方、本当に私がやったのを見たのですか?それはあなた方の身分に誓えますか?」

「「「…………」」」

「だいたい最初の人以外の発言は酷いものですよ。私がやったのを見た訳でもないのに私が犯人だと決めつけているのですから」


私が仮面に触れながらこてりと首を傾げるとなぜか目の前の人たちは青ざめる。人の顔を見て青ざめるなんて、いえ仮面をつけていたので青ざめてしまうのは仕方がない、ということにしておきましょう。この仮面は着けている私が言うのもなんですが少し怖いですから。


「うっ、うるさいぞ!顔も中身も醜い『精霊姫』のくせに、口うるさいと来た!貴様なんかと婚約していたら我が家門も貴様の醜聞で地に落ちてしまう!だからさっさと婚約証書を出せ!貴様が持っているはずだ!」

「私はあなたと婚約していたという事実がそもそもありませんからあなたとの婚約証書はありませんよ」

「ええい!いいからさっさと出せ!」


ああっもう!馬鹿な男の相手なんてただでさえ面倒くさいのに言葉が通じないとなるとさらに面倒くさいことこの上ないです。今すぐその足りない頭に特大魔法でもぶつけてやろうかしら!?……いけないわ、沸点が低くなっているみたい。


そもそもこの茶番劇を早く終わらせないと困るのはこのお馬鹿さんたちなのに。ほら、そこにいる陛下たちなんてあなたたちの両親に怒鳴り込んでいますよ?おかげであなたたちの両親の顔は可哀想なくらい青ざめているわ。


陛下たちはどこまで話したのかしら?私の秘密?それとも私のことを大切に思ってくれているあの人のこと?どちらにせよ、あのお馬鹿さんたちの両親の気持ちは今すぐこの場から退場したい、といったものでしょうね。青を通り越して白くなっているもの。陛下たちもあの人が来ないうちにことを済ませたいみたい。


「陛下、私は此度のことあまり大事にしなくてもいいと思っています。事の発端がそこの馬鹿、ゴホン!そこの令息のせいだとしても仮面を着けて生活している私も此度の件の引き金になってしまったのかも知れませんし。まぁそもそも確認をしていれば婚約なんてしていないとすぐ分かったはずでしょうが」

「ディヴァルヴァン侯爵令嬢……」


本来なら断りなく陛下に物申すことは不敬罪となってしまいますが今回は問題ないでしょう。なにせ陛下もあの人の不興を買いたくは無いみたいですから。現に陛下はこちらを必死な形相で見ているわ。


「ですのでこの馬鹿なことをしでかしたもの達の王都追放、及び身分剥奪。またそのお馬鹿さんたちの両親も領地没収と爵位降格、この程度で勘弁してあげましょう。私の秘密もしくはあの人の話を聞いたあとならばこの程度の罰、受け入れますよね?監督不行届ですもの」

「な、何を言っているんだ!貴様は!父上や母上がその事を承認するはずがないだろう!陛下だって優秀な俺にそんなことはなさらない!」

「いい加減にしろ、レイモン!ディヴァルヴァン令嬢にこれ以上無礼なことはするでない!あの程度の罰でお前のしでかしたことに目を瞑ると言ってくださっているのだ!大人しく言うことを聞け!」

「い、イタイイタイっ!父上、足をふむのはやめてください!それにこんな醜い『精霊姫』の言うことを聞くなんて由緒あるオディロン伯爵家の恥ですよ!」


あら可哀想、なんて思うわけないでしょう。もっとやられてもいいくらいですわ。私の魔法に当てられることがたったそれだけ痛い思いをするだけで免れるのですから。


それにしてもお父様たちはいつ頃パーティーに来るのかしら。できればあと20分後くらいに来ていただきたいです。今来られるとこの場が混沌と化すだけですから。


「さぁ、私の提案に乗ってくれますよね?これ以上、この件を大きくさせたくないのであれば、ですが」

「もちろん私たちが息子の教育を怠ったせいですので、ご令嬢の提案を受け入れます!ですのでどうかあの方には……!」

「そうですね。私もせっかくの卒業パーティーですのでお父様たちがいらっしゃる頃には元の状態に戻しておきたいです。あなた方が反省し、それ相応の報いを向けるのであれば……」

「もちろんでございます……!ありがとうございます、ディヴァルヴァン令嬢!」

「陛下もそれでよろしいですか?」

「う、うむ。儂もあちらとの関係を悪くさせたくはないからな」


これで一件落着。私はそう思いました。私に無礼な真似をしたもの達は私の望んだ通りに罰を受け、お父様たちもまだ来ない。あ・の・人・に知られることなく、この意味のわからない婚約破棄騒動は幕を閉じた、と。その一瞬の油断がいけなかったのです。


「では皆さん、パーティーを再開しましょう。そこのお馬鹿さんたちには退場してもらいますが」

「だまれ!醜い『精霊姫』が俺に指図するな!罰を受けるのは貴様の方だ!」

「へぇー?醜い『精霊姫』って誰のことを言っているのかな?俺に教えてくれない?」


突然聞こえてきた不愉快そうな声に似合わない万人を魅了する笑顔。黒髪に紫眼の美丈夫。


私は仮面がなければ間違いなく青ざめ、やらかしてしまった顔を皆さんの前に晒していたと思います。それくらい彼の登場は予想外でした。私がこの件をいちばん知られたくなかったあの人。


「ねぇ、醜い『精霊姫』って誰のこと?」

「お前、俺にそんな口の利き方をしてもいいと思っているのか?顔が少しいいからってこの俺に敬語を使わないとは!お前のことは社交界で見たことがないから元平民か準貴族と言ったところだろう。どうだ!」


私は頭が痛くなってきました。陛下やあの馬鹿の両親なんて今にも倒れそうなくらいに顔色が悪いですよ。あの馬鹿はもう少し周りを見るべきですね。ほら、パーティーに参加している貴族たちは彼の正体に気づき始めていますよ。


幸い、彼はまだ怒っていないのであの馬鹿は命を繋ぎとめてるものの、彼がこの国に正式に要請すればあの馬鹿の首がスパンと落ちます。さすがにそうなると目覚めが悪いのですが。仕方がありませんね。


「───ディ」

「すっごぉーい!レイモン様よりもかっこいい〜!あなたぁ、お名前はなんて言うのかしら〜?あたしはマリっていうの!」

「───………」


まさかの登場人物に遮られてしまいました。彼も私が言いかけたのをマリさんが遮ったことで少しお怒りのようです。陛下なんて今すぐにあの馬鹿たちを退場させるように衛兵に指示しています。


「ちょっと!何するのよ!今あたしは彼と話そうとしているの!邪魔しないで!……きゃっ!」

「おいやめろ、うわっ!」


なんて醜いものでしょう。衛兵たちに取り押さえられ、髪や顔はぐちゃぐちゃです。おまけにあのうるさい声といったら。彼も不愉快なのか顔を顰めています。


「耳障りな音だな。静かにしろ」


彼があの馬鹿たちの周りに防音の結界を張ったのが分かりました。なにしろあの馬鹿たちの声が全く聞こえなくなりましたから。私は耳を塞いでいた手を外すと、彼の前まで歩み出て、カーテシーをしながら挨拶をします。


「アリスティア・ディヴァルヴァンが帝国の若き太陽、皇太子殿下にご挨拶申し上げます」

「会いたかったよ、ティア!」


私がした挨拶に貴族の方々は驚いていましたが、皇太子殿下が突然として私に抱きついてきたのを見て、さらに目を丸くしています。仮面の部分には触れないように気を使ってくれているみたいなのですが、ドレスの装飾品が胸に当たって苦しいです。


「殿下、そろそろ離してください。皆が見ております」

「───………」

「殿下」


なぜか先程よりもぎゅうっと強く抱きしめてきます。これはさすがに苦しいです。早く離していただかねば!


「殿下、そろそろ!」

「───名前」

「えっ?」

「───………名前で呼んで」


しかしと言い募った私を殿下は更にぎゅうっとします。緩まるどころか強まるばかりです。私は殿下の顔を自分の手のひらで包み込みながら言いました。


「ディオンさま……っ。これでいいですか!」

「敬称はいらないけど、ティアに名前を呼んでもらえたからひとまずはこれでいい」


全く名前で呼ばないといつもこうです!でも仕方がないでしょう。ディオンさまは隣国の大国のひとつと言われるファルミレア帝国の皇太子殿下なのです。従属国でしかないシャーリト王国の侯爵令嬢が気安く接することのできる相手ではないです。今は。


とにかくディオンさまがこの件を一体どこまで知っているのかによって対応が変わります。私をそこの馬鹿が醜い『精霊姫』と呼んだのを聞いただけなのであればそこまで大事にはなりませんが(本来なら大事ですが)、最初から全てを知っているのであれば私ではどうすることもできません。


「ディオンさまは今この場の状況をどれほど把握しておられるのでしょう」

「そうだな、……全て、と言ったら?」

「ご冗談をと言いたいですわ」

「残念ながら冗談ではない。あの柱の横にいる俺の側近が魔法で俺にずっと見せていたからな」


えっ、嘘でしょ……?全然気づきませんでした。……全部見られていたのであれば私ができることはありません。陛下、皆さん、ご愁傷さまです。


「ファ、ファルミレア皇太子殿下……!貴方様の姫に息子どもが大変失礼なことを!」

「失礼……?ティアはあの程度の処罰で済まそうとしていたが、俺は大切なティアを害されたんだ。それにあの女は俺に無礼な態度をとったんだ。それ相応の処罰を望んでいたんじゃないのか?だからあんな阿呆みたいなことをしでかしたんだろう?なぁ?」


あらら、ディオンさまだいぶお怒りです。結界を解いてあの馬鹿たちにわざわざ聞くなんて。馬鹿たちの両親は既に諦めていますし、陛下なんて私に嘆願しています。私に嘆願されてもどうしようもないのですが。


未だに状況ができていないあの馬鹿令息と令嬢以外の自称証人さんたちはこの世の終わりのような顔をしています。それはそうですよね。仮に私がディオンさまと親しいなかでなくとも、私にあんなことをした時点でこの国の高位貴族だろうと王族だろうと関係なく、重罰は免れないのですから。


「ディオンさま、今日で学院も卒業です。ですので約束通り、この仮面はもう外してもいいですか?私、あんな呼び方をされるのは嫌なのです」

「───そうだな。俺はティアの可愛らしい姿を誰にも見せたくないのだが、仕方がない」

「ふふっ、心配なさらなくとも私にはディオンさまだけです」


私は仮面を外しました。久しぶりに家族の前以外で素顔を晒しました。視界が広くて、ディオンさまがよく見えます。視界が広いせいであの馬鹿たちの顔も見えてしまいますが。


「なっ!本当にあの醜い『精霊姫』なのか?どこが醜いんだ……。いったい誰が……」

「私の素顔を見てどうですか?醜いですか?醜い『精霊姫』という名に相応しいですか?」

「信じられない!仮面の下があんなに……!」

「あんなに……?どうしましたか?美しすぎて言葉が出ないですか?皆さん忘れているようですが私の小さい頃からの呼び名は『精霊姫』ですよ?」

「っ!嘘よ嘘よ嘘よ!あたしよりも綺麗なんて!そんなの嘘に決まっているわ!」

「嘘ではありませんよ。これが私の本来の顔です」


ヒステリックに叫ぶこの令嬢(マリさん?)の言い分も仕方がない?いえ仕方がないわけではありませんが、仕方がないです。私は仮面を外すととんでもなく美しいですから。それこそ『精霊姫』のように。


太陽の光を閉じ込めたような光り輝くプラチナブロンドにモルガナイトを埋め込んだような瞳。白くきめ細やかな肌に豊かな胸。長い手足。まさに童話に出てくる『精霊姫』。まぁ実際にそうですけど?


「陛下、この国とファルミレア帝国との古より続く盟約を覚えていますか?それを守り続ける限り、ファルミレア帝国はこの国シャーリト王国を従属国として認め、庇護するというものです」

「それは覚えているが……、っまさか!お願いだ!ディヴァルヴァン侯爵令嬢、その盟約を破るつもりなど……!」

「破るつもりなどなかった……と?その気がないにしても此度の件は盟約を結果として破ったことになってしまいます。ディオンさまに知られることなく終わらせられればこうはなりませんでしたが……」

「そ、そんな……」


陛下は絶望したような顔をしていますが、元々この国はファルミレア帝国の従属国。陛下、あなたはお飾りの王に過ぎないのですよ。


「ティアがあんな優しい処罰だけを要求していても、あとで俺が知ったら結局はこうなるだろうけどな」

「そうかもしれませんね。それにやっぱり盟約を二つも犯しているのです。情けは必要ありませんでした」

「あんなやつらに情なんて必要ない。ティアが減る」


ディオンさまはこう言いますが、ディオンさまに知られた時点でもう無理なのです。これ以上この国の人間を庇えない。盟約を犯した罪は重いのです。


「では陛下、一応確認ですが、どの盟約を此度の件で犯してしまったか分かりますか?」

「……宗主国であるファルミレア帝国の皇族に礼を欠いたこと。『精霊姫』であるディヴァルヴァン侯爵令嬢に危害を加えようとしてしまったこと……」

「そうです。正直、私へのこの嫌がらせは主要人物たちが私の視界から消えれば大事にするつもりはなかったのですが、帝国の皇太子殿下があのような軽罰では生ぬるいと仰るので、罰としてこの国は地図から消えます」

「なっ……!!」


ディオンさまは愉快そうに笑い、陛下は顔を白くさせ、周りの貴族たちは絶望した顔をしています。ようやく事の重大さがわかったお馬鹿さんたちも可哀想なくらい青白い顔をしています。今さら何があってもこの国が地図から消えることは覆ることはありませんが。


「安心してくださいね。地図から消えると言ってもファルミレア帝国の正式な領土の一部となるだけです。まぁ陛下も今の貴族の皆さんも帝国の貴族の皆さんよりも立場は下になりますが、むしろこれだけで済むかもしれないのでいいことなんですよ?」

「ティアの言う通りだ。この件が皇帝皇后両陛下や帝国の貴族たちに知られたらお前たちはそれこそ死んでいる。なにせ『精霊姫』に対して、してはいけないことをしてしまったのだからな」


ディオンさまより遅くに着いたお父様とお母様もディオンさまよりこの件を聞いていたのか、既に盟約を理由に手続きを済ませ、帝国に帰還できるように準備を終わらせてパーティーに来たみたいです。でしたらさっさとこんな国を出て、帝国に参りましょうか。


「陛下も予想外だったでしょうね。こんな事になるとは。そもそも私はあんなお馬鹿さんとなんて言葉を交わしたことなどないと言うのに。大方、私の小さい頃の呼び名を聞いて婚約を申し込んだのかもしれませんが、断られたことをご存知なかったのかもしれませんね。それかその事実を受け入れられなかったか……。まぁ私も学院を卒業するこの時まで仮面を外してはいけないと言われておりましたから、醜いなんて勘違いしたのかもしれませんがね」

「ティアが醜いだなんてそんなはずあるわけないというのに。俺の、帝国の待ち望んだ大切な『精霊姫』なのだから」

「では御機嫌よう。次に会う時には皆さんはいったいどうなっているでしょうか。あまり知りたいとは思いませんけど。皆さんのご武運を祈ります」


ディオンさまのエスコートで私はパーティー会場から退場しました。私たちに懇願する者たちがいましたがディオンさまやお父様、お母様はそんな方々を無視して馬車へと乗り込み、帝国へと馬車を走らせました。



* * * * * * * * * *



あの婚約破棄騒動から1週間が経ちました。私は今、皇太子殿下の婚約者として皇城に住まいを置いています。ディオンさまとは前までと違って毎日会うことができますし、皇帝陛下や皇后陛下にも大切にされていますのですごく過ごしやすいです。侍女たちのお話も面白いので毎日が楽しいです。


あぁそう言えば、私がつい先日まで住んでいたシャーリト王国ですが私たちがあの国を出て帝国に着いた日から二日後に正式に帝国の領土の一部となりました。皇帝陛下も皇后陛下も盟約が破られたことに大変お怒りでしたが、私が貶されていた事実を知ると、すぐさま兵と大臣をかき集め、王国へと行き、その場で盟約を理由に領土にしました。


王国の貴族たちやお飾りの王だった陛下、違いますね。元陛下たちは帝国の貴族となりましたが身分は伯爵以下。それに伯爵以下となっても帝国に古くからいる子爵や男爵よりも実質的には身分は下です。そんなこと私にはどうでもいいですけどね。


そして本来なら同じくシャーリト王国の侯爵令嬢である私も同じ目に合うはずですが、『精霊姫』である私や私の両親たちは元を辿れば帝国の貴族です。それも大公。ではなぜ従属国の侯爵家になっているのかということになりますが、 それははるか昔のことになります。


今から2000年ほど前、『精霊』を始祖に持つディヴァルヴァン大公家はファルミレア帝国を支える家門のひとつでした。そしてディヴァルヴァン大公家は『精霊』を始祖に持つため、先祖返りと呼ばれる女子が生まれていました。その子どもは『精霊姫』と呼ばれ、皇族からも民からも尊ばれておりましたが、大公家は皇族に忠誠を誓っておりました。


そもそも皇族が大公家と仲がいいのは、帝国という国自体がみな等しく『精霊』を敬っていたからです。ですから帝国の民や貴族、皇族はディヴァルヴァン大公家ととても仲が良かったのです。大公家は権力を求めるようなことはしない主義でした。ただ何百年か毎に産まれてくる『精霊姫』を守る力だけを求めていました。それほど欲がないのです。それも皆から受け入れられている証拠ですね。


そしてある時、帝国は戦争を仕掛けてくるシャーリト王国を従えようとしました。帝国は領土を広げようとはしていませんでしたが、帝国の持つ豊かな大地を求めて戦争を仕掛けてくる国がその時代には数多くいました。その度に帝国は武力でそれらの国を従わせ、従属国にしていました。


けれどシャーリト王国は初めから帝国の領土を狙っていたのではなく、帝国が守っているディヴァルヴァン大公家を自国に取り込むことを目的としていたのです。もちろん帝国側はそんなこと許すはずがありません。『精霊』を始祖に持つ大公家は帝国の宝。傷ひとつ付けることなど許されはしない。


シャーリト王国は戦争に負けましたが、幾度となく帝国に攻めいりました。その度に両国の民は傷つき、疲弊していきました。それを見た大公家はシャーリト王国に行くことを決意しました。これ以上民を傷つけさせないために。もちろん帝国の皆はそれを止めました。けれど大公家の意見は変わりません。


先に折れたのは帝国の皆でした。そのあとは簡単です。王国に大公家を譲り、戦争は終わりました。王国を帝国の従属国とすることを条件として。そしてその際、いくつかの盟約を帝国と王国で交わして。その盟約が破られる時、大公家は再び帝国へ戻り、王国は王国でなくなり、ただの帝国の一部となるというものでした。


盟約の内容は簡単です。


1、『精霊姫』を傷つけてはならない

2、『精霊姫』を敬い続けること

3、ディヴァルヴァン大公家が侯爵家となったとしても誰ひとりとして礼を欠いてはならない

4、帝国の皇族を宗主国の主として認め、礼を欠いてはならない


この4つを盟約として定めました。当時の王国はディヴァルヴァン大公家を王国のものにできたことしか頭になく、中身をよく確認しないで盟約を交わしたようです。あとになって確認しても特に問題になるようなものはひとつとして書かれていなかったため問題ないと判断したようです。


時が経つにつれてこの盟約を覚えている者は王族以外いなくなりましたがね。そのせいであの件が起きたのかもしれません。


ですので帝国に戻り、皇太子殿下の婚約者となっても帝国の貴族や民からは誰ひとりとして非難を受けてはいません。むしろ『精霊姫』である私や『精霊』の子孫であるディヴァルヴァンが大公家として戻ってきたことを嬉しく思っているようです。


「姫様、皇太子殿下が姫様にお会いしたいと、この宮殿にいらっしゃっています」

「中庭に案内してください。お茶の準備も忘れずにね」

「かしこまりました」


貴族の令嬢である侍女の皆さんは『精霊姫』てある私のことを姫様と敬い、丁寧な態度で接してくれています。今思えば王国ではこのようなこと、パーティーや学院ではありませんでしたね。今となってはどうでもいいですけど。


「ディオンさま、ようこそおいでくださいました」

「ティア、今日も可愛いよ」

「ありがとうございます。嬉しいです」

「部屋に閉じ込めておきたいくらいだ。けれどそんなことをしたら『精霊姫』から離れろと言われかねないからやめておく」

「私もディオンさまと離れるのは嫌なので、やめてくださいね」


侍女たちがお茶を持ってきて、テーブルに準備すると、ディオンさまは下がるように伝えます。侍女たちはその命に従い、足音を立てないように私たちから距離を取ります。


「これでふたりきりだ、ティア」

「前から度々帝国に来てこうして二人でお茶をしていたではありませんか」

「あの時とは違う。ティアがずっとここにいてくれるのだから」

「そうですね。私もディオンさまといつでもいられるのは良いと思います。婚約者にもなれましたしね」

「そうだな。全くティアは俺と婚約するのにあんなやつと婚約していると嘘でも言われたときはあいつを殺してやろうかと思った」

「私も驚きました。婚約した記憶がないのに、いきなり婚約破棄だなんて言われるのですから。それに醜い『精霊姫』と呼ばれるのも不愉快でした。あの仮面は小さい頃、力の制御と誘拐事件が多発して身を守るために着けていたに過ぎないのに……」

「俺たちはそのことを知っているからティアのことを誰もそんな風には呼ばないよ、姫」


ディオンさまは指先からキスをしていき、やがて唇にキスをしました。触れ合う程度のキスはやがて互いに求め合います。


「早く結婚したいですね、ディオンさま」

「ああ、ドレスは何がいいか。ティアはなんでも似合うから迷うな」

「全部着ちゃいますか?」

「それはいい案だ。開発したばかりの新しい魔法である描写する魔法を使って記録に残そう」


全く王国も盟約を忘れなければ自国から皇太子妃となる者を輩出できたかもしれないのに。私はディオンさまとしか婚約しませんよ?あんなお馬鹿さんのことなんか知りません。


私は『精霊姫』。帝国から尊ばれる先祖返りの『精霊姫』。そんな私は初めからディオンさましか好きではありません。醜い『精霊姫』だなんて言葉には気をつけた方がいいですよ?



* * * * * * * * * *



その後ファルミレア帝国の皇太子殿下とディヴァルヴァン大公家の大公女『精霊姫』は結婚し、民から祝福された。その場には『精霊姫』を祝う小さな光が『精霊姫』を取り囲んでいたという。


2人は賢王と『精霊姫』と呼ばれ、帝国を発展させていった。そして歴史に残る偉業を数多く残したと歴史書には書かれていた。



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醜い『精霊姫』と言われ婚約破棄されたけど、私あなたと婚約なんてしていませんけど?私が婚約するのはあの人とだけです 茉莉花 @Matsulica

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