第4話
その後しばらく駅前をぶらぶらした。適当に店に入って商品を買ったり買わなかったりした。
その間、美樹は私と手をつないでいた。どきどきした。それは友達相手に抱くような感情じゃなかった。頬をほんのり赤く染める美樹を見ていたら、この気持ちを抱いているのは私だけじゃないのかもしれないって思って、またどきどきした。けれど、そう感じるのと同時に、大きすぎる不安が私を窒息させようとしているのも感じていた。
「そういえばさ」
「なに?」
雑貨屋の中で私は尋ねた。
「どうして転校してきたときカラコンつけなかったの?」
かわいいクマのストラップを手に取りながら美樹が答える。
「んーと、結局さ、私がいじめられたのは、青い目をしていたからじゃなくて、というよりそれだけじゃなくて、空気が読めないとか、ずけずけ言っちゃうとことか、そういう、普通じゃないものが積み重なった結果なんじゃないかって思ったんだ。だからこの目だけ気にしても仕方ないかなって」
「なるほどね」
「まぁホントは迷っていたんだけどね。やっぱり長年気持ち悪いって言われてきたものだから不安もあって、でも凪が褒めてくれたから、だからもう、ずっとこのままでいるつもり」
「ずっと、か」
「そう、ずっと」
握った手をぎゅっとして美樹が言った。
その後、美樹と私はクマのストラップを買った。白と黒のがあって、私は黒、美樹は白の熊を買った。
辺りが暗くなり始めたころ、私たちは駅前で別れた。美樹はまだ遊んでいたそうだったけれど、正直体力が限界だったし、息苦しさはどんどんひどくなっていた。
なんとか家に帰って部屋のベッドに寝転んだ。そういえば美樹、私の服着てったままだな。学校に来た時にでも返してもらうようラインしないと、そう思ってトーク画面を開く。その時ふと、強烈に思った。思って、しまった。
わたし、死にたくない。
そして数日、私は学校を休んだ。
私は雲一つない澄んだ青空の下を学校へ向かって歩きながら、あの日からの美樹とのやり取りを反芻していた。美樹には風邪だと言っておいた。実際雨でびしょびしょになったんだから信憑性もあるだろう。
何度かお見舞いに行こうかと尋ねられたけど、うつすと悪いからと断った。これからどうしようかと考えた。
なんとなくだけど、美樹も私が美樹に抱いている感情に近いものを持っているように感じる。そして私は美樹をそういう風に見るようになってしまった。もう駄目なんじゃないかと思う。もうやめたほうがいいんじゃないか。これ以上一緒にいたらもう戻れない気がする。
最近よく眠れていないし、ずっと息苦しい。美樹のそばにいるときは比較的大丈夫だけど、一人になると苦しくて、怖くって、死にそうになる。時々吐き気がこみあげてきたりもする。
死にたくない死にたくないっていう思いでいっぱいになって頭がおかしくなりそうになる。
だから私は美樹と距離をとることにした。すごく身勝手で、最低だと思うけど。でもこんな苦しみを抱えたまま美樹と付き合ってなんかいけない。言わずにいることで遠くない未来、突然に美樹を苦しめることになるからというのではなくて、私が今、これ以上苦しみたくないからという、自分本位な理由で私は美樹を拒絶しようと思った。
たとえそれが美樹を傷つけることになっても。ほんと最低だ。こんなことになるなら最初から突き放していればよかったのに。美樹と過ごす時間が心地よかったから、そんなことはできなくて。
私は自分の弱さにため息をつく。ラインで美樹にそっけない返信をするたびに思い出す。美樹の花咲くような笑顔を、青い宝石みたいな瞳を。美樹と過ごした短い時間を。けれど私は少しずつ返信をそっけなくし、その頻度も減らして、今となってはもう一切返信しなくなっていた。
私は人の気配のしない学校に入り、教室へと向かう。朝、美樹からラインが来て、話がしたいと言ってきた。早朝の生徒のいない時間、教室で話そう、と。私が教室のドアを開けると、
「おはよ」
と声が聞こえてきた。美樹は自分の机に腰を掛けている。
「おはよう。話って?」
私は震える声をごまかすように強い口調で言う
「ねえ、なんで急にそっけなくなったの?昨日ライン返してないよね。いや別に凪にとっては普通なのかもしれないけどさ。でもなんか少しずつそっけなくなってる感じがしたから。ねえ、なんで?」
美樹は早口で不安げに問いかける。青い瞳が揺れている。私は申し訳なさでいっぱいになる。
「ごめん、美樹。ごめん」
「そんな謝られても、理由を教えてよ。何か悪いことした?」
私は声を震わせてうわごとのように、ごめんと呟き続ける。言わないと。でも怖くて声が出てこない。でもちゃんとはっきり拒絶するんだ。そう決めたんだ。だから。私は朝からずっと握ったままだった黒い熊トラップをぎゅっとしながら、声の震えをかき消すように強く言い放った。
「私は!もう、美樹とは話したくない!」
美樹の顔が大きくゆがむのが分かった。それ以上見ていられなくて、私は美樹に背中を向けてそこから逃げ出そうとした。こぼれる涙を隠すように。けれど美樹は
「待って!」
そう言って、私の腕をつかむ。けどすぐにその力が緩んで、美樹はその手を震わせ始める。
「あのさ、凪がそうやって離れようするのは、私の気持ちに気づいたせいかな」
その声はひどく震えていた。
「私と凪が同じ傘で下校したとき、スマホを落として、自転車にひかれそうになって、凪が抱き押せて助けてくれた時の、私の反応とかさ、その後駅前で手をつないだ時の私の表情とかさ」
美樹はすーっと息を吐いて言った
「気持ち悪いって、思ったんでしょ?抱きしめられたときの物欲しげに見つめる私の瞳とか、手をつないだ時に赤く染まった私の顔とかがさ、気持ち悪いって、思ったんじゃないの?」
私は涙をぬぐって、振り返る。美樹のきれいな瞳から涙がとめどなく流れていた。美樹は吐き出すように、自分を傷つけるように話し続ける。
「気持ち悪いって、なんで女の私にそんな表情するのって、凪がああいう本読んでるからって、現実でもああいうの求めてるわけじゃないもんね。
私、凪がああいうの読んでるって知った時、うれしくてさ。チャンスあるんじゃないかって思ったりして。ねえ凪、凪の傘、隠したの私なんだよ?凪と一緒の傘に入りたくて、少しでもそういう風に見てほしくて。
でもだめだったんだね。そういうのは凪にとっては物語の中のもので、現実ではそんな気なんて微塵もなくて、ごめんね。気持ち悪いよね」
美樹はそう言って自嘲的に笑う。私はつい、
「ち、ちがうよ。なんでそういうことになるの」
と言ってしまう。本当はその勘違いは美樹から離れるいい口実になるのに、私は反論せずにはいられなかった。でも美樹は、
「いいんだよ。もう隠さなくて。凪は優しいからそう否定するよね。ほんとごめんね、凪。私、凪のこと好きなんだ。付き合いたいって思っちゃったんだ。もっと触れたいって、そう思っちゃったんだよ。
ごめんね。気持ち悪いよね。私不安だった、あの日から、少しづつラインがそっけなくなっていって、何か事情があるんだなって思ったけど、でも不安で仕方なくて、だから今日話をしようって思って、ごめん。ごめん凪」
美樹は早口に、そう、吐き出して、しゃがみ込んだ。すすり泣く声が、からっぽの教室に広がる。
私はこれで正解なんだろうと思った。深く関われば関わるほど、その深さに比例して、自分を、そしていつか美樹を傷つけることに繋がるから。
でも、
私は美樹のその思いの強さを目の当たりにして、望んでしまった。
もっと一緒にいたいと。
だから私はこの自分勝手な言葉を投げかけようと思った。
私はこの先、この行動を後悔するのかもしれない。
申し訳なさでいっぱいになって不安や恐怖に押しつぶされそうになるのかもしれな い。
でも思ってしまった。
二人ならその不安や恐怖に一緒に立ち向かえるんじゃないかって。
こんなに私のことを思ってくれる美樹なら、私と一緒に苦しんでくれるんじゃないかって、
そう、自分勝手に思ってしまった。
最低だ。
私。
本当に最低。
でもごめんね、美樹、どうか私にチャンスをください。
「美樹」
私は美樹の前にしゃがみ込んで、言う。
「私は美樹のこと気持ち悪いなんて思ったことないんだよ」
まっすぐに、美樹に届くように
「むしろ、私はね、美樹、あなたのことが、好きなんだ。」
「え?」
美樹は顔を上げて言う。顔は鼻水やら涙やらでぐちゃぐちゃなのに、そのかわいらしさは変わらなくて
「好きなんだよ、私は美樹のことが」
美樹は困惑した表情をする
「じゃ、じゃあなんで!なんで離れようとするの…」
「それはね」
美樹のきらきらと濡れた瞳を見ながら言った。
「私はいつ死んでもおかしくないからなんだよ」
私は美樹に私の罹っている病について話した。私はある心臓病にかかっていて、その病気はとても珍しく、治す方法は存在しないということ。
中学一年生の時に、余命はあと3年だといわれたこと。だから今、突然、発作が起こって、死んでしまってもおかしくないということ。美樹は呆然としながら話を聞いていた。そして私は尋ねる。
「美樹は、いつ死んでもおかしくない私とこれ以上仲良くなれる?私は美樹のこと、好きだよ。でもこれ以上の関係になったら、美樹が私を思ってくれている分だけ、辛くて苦しく感じると思う。
私は美樹を置いていつか死ぬ。それは今かもしれない。一年後かもしれない。そんな不安や恐怖の中で、私と一緒にいられる?」
美樹のその瞳が揺れ、顔を俯かせる。蝉時雨がやけにうるさく感じる。ずっとしゃがんでいた足がしびれてきて、首から汗が流れる。それからしばらくして、美樹は顔を上げる。その瞳をまっすぐ私に向け、言った。
「そんなの、関係ない。私は、凪と付き合いたい。一緒にいたい」
「でもそれじゃあ、美樹は苦しむことに」
「凪、私が凪のことどんだけ好きなのか、分かってないでしょ?」
目を真っ赤にさせたまま、美樹は頬を緩めて言う。
「私は凪の長いまつげとか、
優しい笑みとか、
少し低い声とか、
シュッとした顔とか、
時々かっこよく守ってくれたりするところとか、
頭撫でてくれたりするところとか、
あの時、私が気持ち悪い目だって言われたときに撤回しろって言ってくれたこととか、
それに言葉では言いきれないけど、なんとなく、でもどうしようもなく、凪のことが好きなんだ。
あの時、私が自己紹介をした後、一目凪を見たときから、私は凪が好きだったんだ。それにさ、私は凪の隣にいるときだけ自分の心から笑えている気がするんだ。
そんな凪が私のことを好きだって言ってくれた。それだけで、私は、何があったって、どんなに苦しくったって、凪と一緒にいたいって思うんだよ」
私の視界が涙でぼやける。
「い、いいのかな。私にそんな価値あるのかな」
「あるんだよ。それに、もしかしたら治療法が見つかって、二人で一緒におばあちゃんになるまで生きていけるかもしんないよ?」
「だったら、いい、ね」
「うん、だから、凪」
美樹は花が咲くように微笑んで、手を差し出した。
「どうか私と付き合ってください」
私も微笑んで
「はい!」
と言って、腕を引き、抱き寄せた。
蝉の声が響いている。
私たち以外誰もいない教室が、まるでこの世界に私たち二人しか存在しないかのよ うに錯覚させる。
美樹の体からは仄かに甘い匂いがして、その頬はほんのり赤く染まっている。
私はその宝石みたいな青い瞳を見つめながら、
「好きだよ」
そう言って、彼女の小さな唇にキスをした。
幸せだから苦しい -幸せ恐怖症と人間不信- 写像人間 @noname1235
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