第3話

 美樹が戻って席に着くと、すぐにチャイムが鳴って先生が入ってきた。授業は淡々と過ぎていった。空をだんだんと灰色の雲が覆い、窓にぽつぽつと水滴が付き始める。放課後になる頃には本格的に雨が降っていた。教室がざわざわとする中、


「一緒に帰ろ!」


 美樹が顔を向けて言った。


「え、いいの?」


 私は思わず、そう口にする。


「う、うん。ね!帰ろ?」


 美樹はそう言って私の手を取った。引っ張られるようにして教室を出た。


「凪、傘持ってる?」

「それはもちろん」


 と言ってバッグの中を探す。私は毎日折り畳み傘をバッグに入れていた。なのに、


「あ、あれ?」


 バッグに傘は入っていないようだった。


「ないの?」

「うん、そうみたい」

「そうなの?じゃあ私の傘入る?」


 美樹は上目遣いにそう聞いてくる。


「あー、じゃあ、そうさせてくれるとうれしいな」


 美樹が折り畳み傘を広げて、私は少しかがんでその中に入る。美樹は傘を上に少し

持ち上げて私がちゃんと入れるようにしてくれた。


「小さいね。傘」

「しかたないじゃん。折り畳みなんだから。ほら、もっとこっち来て、濡れちゃうよ」


 と美樹が裾を引っ張る。ざあという雨の音に閉じ込められるように、私たちは歩いた。


「相合傘だね」


 美樹がぽつりと呟いた。


「そう、だね」


 交わされる言葉が少なくなって、雨の音がその沈黙を埋める。あれ、なにこの雰囲気。美樹がこんなに沈黙したままなんて珍しい。私はちらりと美樹を見た。肩が少しぬれている。


「ほらもっとこっち」


 抱き寄せるように、美樹の肩を近づけた。


「あ、うん」


 口数がやけに少ない。横目に見ると、顔が赤くなっているように見えた。その顔に私はどきりとした。胸がざわつく。その時着信音がして、美樹はポケットからスマホを取り出そうとする。


「あ」


 美樹は手を滑らせて、スマホを道路のほうに落としてしまった。私に傘を預けて、そのままスマホを追いかけていく。私は美樹を追って少し小走りになる。

美樹がスマホを拾い上げたとき、背後から自転車が走ってきた。空が灰色の雲に覆われて薄暗いせいなのか、美樹はそれに気づいていないようだった。私は咄嗟に


「あぶないっ」


 と美樹を抱き寄せた。


「っ」


 傘が手から離れ私たちは雨でずぶぬれになる。一瞬時が止まったように感じた。美樹の宝石みたいな瞳が私を見つめている。薄暗い空の下、その瞳だけが輝いているようで、心臓がドクドクと高鳴るのを感じた。


「あ、あの」


 頬を赤く染めながら美樹が言ったとき、はっと我に返った。

 

「やば、傘!」


 美樹を抱いていた腕を離して傘を探す。傘は坂の少し下のほうを滑っていた。私が傘を拾って、美樹のそばに戻ると、その顔は呆然としていた。赤くなった頬、下着が透けた制服。雨でぬれた肌。私は見とれてしまった。そして、自分の気持ちに気づいてしまった。その気持ちを振り切るように言った。


「美樹。行こ」

「え、あ、うん」


 その後はなんとなく気まずくなって、沈黙が続いた。私の心臓はまだドキドキしていた。時々目を美樹のほうに向けると、目が合ったりして、私は息を詰まらせた。美樹も私も一言も話さなかった。一層激しさを増した雨が、私たちを閉じ込めるように降っている。まるで、世界に私たちしかいないみたいだった。そうして歩き続けて、いつの間にか家に着いていた。


「着いた」

「え?」


 美樹はきょろきょろと周りを見て


「ああ、うん。今日はありがとう」


 なんて頓珍漢なことを言い出す


「なに?ありがとうって。傘入れてもらったのはこっちなのに」

と笑って言った。

「ありがと美樹、また明日」

「あ、うん。またね」


 私はそれを聞いて玄関へ歩き出したけれど、


「ま、まって」


 腕を引かれて立ち止まった。


「どうしたの?」

「えっと、その、どっか寄り道していかない?」


 美樹は恥ずかしそうにしながらそういった。


「ええ、なにそれ。もう家着いてるのに、寄り道も何も」


 私は笑いながら、


「まあ、いいや。どこいこっか。」

と言った。いつの間にか雨は止んでいて、雲の間から光が差し込んでいた。


 制服がびしょ濡れだったことを思い出し「いったん家に帰ってから出かけようか」と尋ねたけれど、家遠いから凪の服貸して?と頼まれたので仕方なく私の服を貸した。

 着替える前にそれぞれシャワーを浴びた。無性にドキドキした。美樹が私の服を着ているのもドキドキした。

 私たちは駅のほうに向かって歩いて行った。他愛のない話をしながら歩くとすぐに、駅に着いていた。じゃあ、どこ行こうか。なんて話をしていた時、


「あれ?美樹じゃん」


 という声が背後から聞こえてきた。美樹は体をびくっとさせながら


「涼宮、京子」


 と震えた声で言った。


「そうだよ?久しぶりーってかその子友達?」


 涼宮さんは私のほうに視線を向けた。


「そ、そうだよ」

「ふーん、あの美樹に友達ねぇ、そんなきもい目のくせによく友達なんてできたよね」


 ははっと馬鹿にするように笑う。その笑い声を聞いて私の中の何かがプチンと切れる音がした。


「撤回しろ」

「はぁ?」


 と鋭い目を向けてくる。私はひるみそうになるけれどぐっとこらえて


「さっき言ったこと、美樹の目が気持ち悪いだなんてわけのわからないことを言ったことを撤回しろと言ったんだ」


 許せなかった。美樹の瞳は美樹の一部なんだ。それをそんな風に侮辱するのは許せなかったし、その瞳をきれいだと思った自分も馬鹿にされた気がしてイラついた。

 涼宮さんは気圧されるように足を一歩後ろに引いて、髪をいじり始めた。そして軽蔑のまなざしを送りながら

「はぁ、めんどくさ。なんなのおまえ。あーもう、なんか白けた。もういいわ。美樹なんかと同じ空気吸ってたくないし」


 そう言い残して、涼宮さんは去って言った。私はふーっと息を吐いた


「ごめん」


 美樹は俯いている。


「なんで、謝るのさ」

「だって」

「ていうかこっちこそごめん。撤回させられなくて」


 首をぶんぶん振って


「そんなの、いいんだよ。ありがと。反論してくれて嬉しかった。かっこよかったよ」


 ときらきらした瞳で見つめてくる。私は苦笑しながら


「かっこいいって、なんか複雑だな」


 そう言って美樹の頭を撫でた。なんだか美樹がいつもより小さく、苦しそうに見えたから。私たちは近くの喫茶店に入って、コーヒーを二人分頼み、しばらく沈黙してい

た。コーヒーが席に届いてから、美樹はうつむいて話し始めた。


「高校に入学してから私はずっといじめられていた。いつからか無視されるようになった。いつからか物を隠されるようになった。そしていつからか暴力を振るわれるようになった。いつも言われた。気持ち悪い。みんなと違うその青い目が。そういういじめが何度も繰り返された。やがて私は耐えられなくなっていった」


 美樹は震える声を隠すように、溢れそうになる激情を抑え込むように、努めて淡々と語る。


「カラコンで隠したりしなかったの?」

「したよ、したけど変わらなかった。相変わらず私へのいじめは続いた。そうしてつい、両親にそのことをこぼしてしまった。お母さんはいじめをなくすために何かしようと言ったけど、お父さんは転校することを提案した。

 私はお父さんの意見に賛成した。そうして私は凪のいる学校にやってきた。いじめられたせいで人間不信になっていた私はキャラを作った。私はみんなの敵じゃないよって、笑顔を振りまいた。でもそんな生活が息苦しくも感じた。

 でも凪と話しているときは自然になれた。初めて話した日、凪は、私の青い目をきれいだって、言ってくれたよね。それがうれしかった。胸が弾んだ。仲良くなりたいって強く思ったんだ」

 美樹は私をまっすぐ見て、はっきりと、言った。


「だからさ、これからもよろしくね」


 その顔は満面の笑みで、その笑みを向けられているのが私なんだってことを嬉しく感じながら、それと同時に後ろめたく、息苦しくも感じた。


「うん、よろしく」


 私はそんな気持ちを悟られないように、微笑んだ。

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