第2話

「おはよ!」


 教室に入ってすぐ、美樹に声を掛けられる。自分に突き刺さる視線を感じながら、    席についた。


「おはよ」


 そう返しながら私は疑問だった。なぜ美樹は私にこんなにもかまうのだろう。美樹はその可愛さと接しやすさを武器に転校して早々、多くの友達を作っているようだった。だから私なんかと居たら、美樹の株が下がってしまうんじゃないかと、心配して

しまう。


「ねえ、昨日めっちゃすぐ教室出てったよね」

「え、うん」

「凪って、部活入ってる?それで部活早くしたくてすぐに教室出たとか」

「いや、違うよ。ただすぐに帰っただけ。帰宅部だよ。だからある意味部活早くしたくてっていうのはあってるかも」


 と軽く笑って返した。


「そうなの?じゃあ、今日から一緒に帰らない?ほかに一緒に帰ってる人いる?」

「いや、いないけど….」

「じゃあ帰ろ!一緒に!」


 と花が咲くように笑って言った。私はその笑顔に弱い。だからつい、


「わかった。いいよ」


 そう軽く微笑んで言ってしまった。心の中には黒い霧が立ち込め始めていた。


 今日も美樹は私と昼食をとった。彼女がラインを交換したいと言ったけど、学校ではスマホ使っちゃだめだからとかいうようなことを言って断った。でもこれじゃ放課後また言われるだろうな。スマホ持ってないっていえばよかったかな。でもいつも純

粋な美樹を相手に、嘘をつきたくはなかった。


 美樹の話に相槌を打ちながら学校を出ると、遮るもののない陽の光が容赦なく照り付けてきた。美樹は大きく息を吸ってはいた。その顔は疲れているように見えた。


「めっちゃ暑いねー、これが地球温暖化かー」

「ほんと嫌になるよね、夏なんて早く終わればいいのに」

「ねー、でも夏はいろいろあるじゃん?お祭りとか海とか」

「まあ、ね。」

「あ、ねえ確か8月の終わりくらいにお祭りあったよね」

「うん」

「一緒にいかない?」

「えっと」


 そう誘われて心が躍ったけれどすぐに心の中はまた黒い霧で覆われた。


「ねえ、だめかな」


 美樹は立ち止まってまっすぐに見つめてくる。その青い瞳に見つめられると、その黒い霧は途端に晴れてしまい、私は自然と答えてしまった。


「わかった。いいよ」


 やった、と言って笑う美樹の姿を見ながら、また黒い霧が胸を満たすのを感じた。美樹の瞳は私を丸裸にして、心の底にある欲求を引きずり出し、私を、その欲求に沿うような行動へと駆り立てる。そうしてそのまま行動や発言をしてしまい、私はそのすぐ後にしてしまったこと、言ってしまったことを後悔するのだ。


 その後私たちは蝉時雨が私たちを包み込むようになっている中、とりとめもない話をしながら歩いた。前の学校と授業の進度が違うので大変だとか。なんで体育を見学したのかとか、今度一緒に買いもの行こうだとか。

 そんな、なんてことない会話の中にも、“棘”があって、私を時々刺したけれど、でも美樹とそんな話をしている時間は心地よかった。

 美樹がころころと表情を変えて、話している姿を見ながら、相槌をうったり、時々質問をしたりして過ごす時間が好きだった。

 それに美樹が私と話しているときはほかのクラスメイトと話すときよりもラフな感じがして嬉しい。気のせいかもしれないけど。

 そしてその好きという気持ちに比例して胸の中の黒い霧の濃度は増していった。


 そうやって歩いていると、いつの間にか家についていた。


「ここ、私の家だから、じゃあね」


 そう言って、玄関へ向かう。


「うん、あ、待って、ライン!」


 このまま行けるかとか思っていたけどだめらしい。断るのも不自然なので、


「ああ、そうだったね」


 と言ってスマホを取り出す。そしてラインを交換し終えると美樹はにやにやしていた。


「あ、あとでラインしようね!」


 私はなんとなく美樹の頭をなでた。


「わかったよ」


 と苦笑する。美樹は赤面しながらされるがままになっている。つい、いつまでも撫でていたくなってしまう。


「じゃあまた明日ね」


 と足を玄関の方へ向けた。


「ま、また明日!」


 元気よく美樹が答えるのに手を振って返しながら、家に入った。はあ、とため息を一つこぼす。靴を脱いで、階段を上って、すぐ正面にある部屋に入る。私はそのぬいぐるみだらけの部屋のベッドにダイブする。ぼふっとまぬけな音がして私はそのまま寝てしまいそうになった。

 なんとか体を上げて、なんとなくスマホを眺め、またため息を吐いた。心に靄がかかって、息苦しくなる。怖い。美樹と親しくなるほどに、恐怖や不安が日に日に増していった。こういう風にならないようにもう友達を作らないって決めたのに。それに、このままじゃ、いつか美樹も苦しめることになる。それを嫌だと感じた自分を少し意外に感じた。私にも人を思いやる良心があるんだな、なんて思った。

 でもこんな風に苦痛が増すだけならこんなもの、いらなかった。急に吐き気がこみあげて私はトイレに駆け込んだ。胃の中のものを全部吐き出して思った。

なんで私がこんな苦しまなくちゃいけないんだろう。なんで。自分の部屋にも通り、ベッドに寝転んで思う。きっと私は今日も寝付けない。


 3週間ほど経って、美樹と話すのも慣れてきた。やっぱり美樹と話すのは楽しいし、幸せな気持ちになる。でもそれと同時に不安や恐怖が少しずつ膨らんでいくのを感じる。

 うまく寝付けないし、時々吐き気もする。けれど相変わらず、私は美樹と距離を置くでもなく、今日も昼ご飯を一緒に食べている。そうして食べ終わったころに、


「ところでさー、授業の合間の休みとか凪、ずっと本読んでるよね」

「え、うん。そうだね」


私は嫌な予感がしながら言った。授業の合間の休み時間、美樹が友達と話している間、たしかに私は本を読んでいた。


「どういう本読んでるの?」


美樹はなんてことはない口調で問いかける。言えるわけがない。女の子同士がイチャイチャしたり、性的なことをする本を読んでます。なんて。


「え、べつに?普通の小説だけど」


頬が引きつってる気がする。もし知られたら嫌われるだろうか。本当はそれでもいいんだと思う。それでこの楽しい時間は終わりにして。そういう理由で離れるなら美樹を傷つけずに離れられるんじゃないか。恥ずかしすぎるけど。でも人と関係を深めるのはやっぱり怖くて苦しいから。いや、でも、なあ。


「えーなにその反応。ちょっと見せてよ」


と美樹は私の後ろから手を伸ばして、机の中をあさろうとする。


「ちょ、ちょっと待って」


私はあわててその腕を掴む。細くて冷たい。人の肌に久しぶりに触れた気がする。


「嫌ですー、待ちませんよっと」


美樹は私の貧弱な腕をものともせず、お目当てのものを取り出した。


「大丈夫だって、凪がどんな本読んでだって、私はうけいれ、る、から…」

本のカバーを開いて、一瞬硬直する。

「へ、へえ」


美樹はゆっくりカバーを付けなおして、そっと私の机の中にしまった。


「えっと」


私は顔を背けながら、自分の耳が赤くなっていくのを感じる。見られてしまった。羞恥心で今すぐにでも逃げ出したくなる。


「凪、こういうの読むんだね…うん、い、いいと思うよ。うん」


なぜか、美樹も顔を赤くしながら言う。私がいたたまれなくなって、席を立とうとし

た瞬間


「ち、ちょっとトイレ」


美樹は言って、急ぎ足で教室を出ていった。これはもう放課後一緒に帰ってくれないかもな。でもそれでよかったんだ、そう思うけど、でも、少し、寂しい。

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