幸せだから苦しい -幸せ恐怖症と人間不信-

写像人間

第1話

 雲一つない青空が広がっていた。私は一人、学校へと向かっていた。陽の光が肌を刺すようだ。もう帰りたい。まだ学校についてもいないけど。でも学校の前にこんな坂道を登らなきゃいけないのだからそう思いたくもなる。とはいっても普通の生徒にとってはこんなゆるい坂道なんてどうってことないのだろうけど。


 なんてことを考えていたら、学校についていた。靴を履き替え、教室へ向かい、窓際最後列の席に座る。そしてすぐに本を読み始めた。内容はいわゆる百合ってやつ。それを私は下を向いて、にやけた顔を隠すように読む。我ながら気持ち悪いなと思う。

 HRまであと五分。それまでに私は誰にも話しかけなかったし、話しかけられなかった。これが入学以来、コミュニケーションを避けてきたことによる当然の結果だ。私は本さえ読めればいいのだからそれでなんの問題もないのだ。


 チャイムが鳴って、先生が入ってきた。今日も瀬戸先生は青いジャージを着ている。まさに体育教師って感じだ。今日も無駄に声が大きい。その声を聞きながしながら、外を眺めた。窓の外には青々と葉をつけた桜の木が、坂に沿って植えられている。私を木で例えるならなんだろう。枯れ木かな。


「水無瀬美樹です。よろしくお願いします」


 その時、少しこわばった声が耳に入ってきた。顔を声のする方に向けると、そこには小動物然とした、女の子が立っていた。栗色のショートカットで、目が大きくて、顔が小さくて、女の子!って感じ。一言でいうと、めっちゃかわいい。

 教室が歓迎の拍手に包まれる中、彼女は教室を見渡して、私と目が合った。はっとその目が見開いている。え?どうしたんだろう。もしかしてどこかで会ったことがあっただろうか。拍手が鳴りやむころに、


「水無瀬さんの席はあそこだから。もう座っていいよ。」


 と言って瀬戸先生が指さした先は私の席の隣だった。彼女は頷いて、とてとてとこっちに向かってくる。席について小さく、


「よろしくね」


 と私につぶやいた。私はその照れ笑いのような笑みにドキッとしながら、


「よ、よろしく」


 と少しぎこちなく返した。


 休み時間の間、水無瀬さんの周りから人だかりが絶えることはなく、私はそれを横目に相も変わらず、本を読み続けた。とはいえ、そんな隣でざわざわとしている状態で本に集中できる私ではないので、本を読むふりをしながら、ちらちらと隣を盗み見た。

 彼女は最初の印象通り、可愛らしい笑みを浮かべながら、質問の応酬にこたえている。けれどばれないようによく観察してみると、なんだか違和感がある。なんかぎこちない感じ。まあ大して彼女のこと知らないし、気のせいかもしれないけど。

 それにしても本当に、彼女は可愛い。だからそれは私の劣等感をぴりぴりと刺激する。彼女のその姿は私の理想だったから。そんな高身長で何を言っているんだと笑われるかもしれないけど。


 放課後になって、私はそそくさと一人、学校を出た。空は朝と変わらず澄んだ青空だった。私みたいなのがこんな青空のもとにいてもいいんだろうかと卑屈なことを考えながら、私は帰路に就いた。


 数日たっても水無瀬さんの周りには人が集まっていた。最初の頃は、横目でちらちらとその姿を見ていたけれど、何度か目が合ったようなことがあって、やがて見るのをやめた。

 そもそもなんで私はそんなに水無瀬さんのことを気にしているんだろう。やっぱり彼女が私の理想だからだろうか。そして最初のころに感じた違和感は、ほとんどもうなくなっていた。


 放課後になりいつも通り一人学校を出た。灰色の雲が空を覆っている。私はその空をなにとはなしに見上げた。そうすると心の中に虚無感が広がって、叫びたいような、泣きたいような、そんな気持ちでいっぱいになった。

 私はこのまま死んでいくんだろうか。本に現実逃避して、一人、無為に生きて、そして死ぬのだろうか。でも、もし、自分の人生に意味を持たせるような存在があったとしても、それはそれで苦しいのだろう。きっと今感じている虚無感なんかよりもずっと。だからこれでいい、これでいいんだ。私はこうやってこれからも生きて、そして死ぬんだ。


 次の日には水無瀬さんの人気も落ち着いてきていた。その昼休み、私がトイレから戻ってくると、水無瀬さんがこちらを向いて、


「ねえ、お昼一緒に食べない?」


 と可愛らしい笑みを浮かべながら言ってきた。私は信じられないといった顔で彼女を見つめる。

 なぜ突然声をかけてきたのだろう。ずっと一人でいた私のことを可哀そうだとでも思ったのだろうか。だとしたらそんな気遣いは迷惑だ。けれどその柔らかな笑みが、私が断ることを留まらせる。そしてダメ押しのように彼女は甘い声で言う。


「だめ?」


 その時、私はその甘ったるい声よりも、むしろ上目遣いをした瞳に意識が向いた。その瞳は澄んだ青い色をしていて、宝石みたいですごくきれいだった。その瞳を取り出して、いつまでもいつまでも眺めていたい。そんなグロテスクな妄想を思わず浮かべてしまう程度には。


「ど、どうしたの?」

「あ、ああ、なんでもない」


 私は我に返り、思ってしまった。その瞳を取りだして四六時中眺めることがかなわないなら、せめてできる限り長い時間その瞳を眺めていたいと。だから私はその欲望に突き動かされ、言ってしまった。


「いいよ、一緒に食べよ」

「やった!」


 と水無瀬はさんは笑顔を浮かべた。自分の机をくっつけるのを横目に見ながら、私はバッグからお弁当を取り出して、とっとと食べ始めた。


「へえ、お弁当おいしそうだねー」

「そうかな。私的にはもっとお肉が欲しいけど」

「そう?じゃあ私のあげよっか?」


 そう言い、取り出したお弁当箱から唐揚げを箸で持ち上げたので私は慌てた。


「いいって。野菜好きだし」


 アピールするようにお弁当をもってパクパクと食べる。


「そう?ならいいけど」


 と首をかしげた。


「そういえば、名前聞いてなかったよね」

「琴美凪」

「へえ、いい名前だね。うん。凪ちゃん、凪君、凪….」


 と呟くように言う。


「じゃあ凪って呼んでいい?私のことも美樹って呼んでいいから」


 私はぐいぐいくるなあ、なんて思ったけど、でもそれが少し嬉しかった。どうやら私は彼女の瞳以外にも好感を持っているらしい。けれどそれがいいことだとはっきり言えないことが悲しかった。


「わかったよ、美樹」


 美樹はそれを聞いて、さっきみたいな照れ笑いを浮かべながら、唐揚げをほおばる。一口が大きいせいで栗鼠みたいに頬を膨らませている。その可愛らしい姿を横目に見ながら、私はさっきから疑問に思っていたことを口にした。


「ねえ、美樹のその目って、カラコンだよね。先生になんか言われなかった?」

「え、ああ、えーと」


 バツが悪そうにして、


「実はもとからこうなんだ」

「え、そうなの?日本人でも青い目の人っているんだ」

「うん、東北地方とかにたまにいるらしくて、私は運の悪いことにこんな目で生まれてきちゃった」

「運の悪い?そんなにきれいなのに?」


 私はつい疑問に思ってそうこぼす。


「え?きれい?この目が?」

「うん、すごくきれい。宝石みたい」


 美樹は戸惑うように笑って言う。


「そ、そうなんだ、ありがと」


 その頬は赤く染まっていて、思わずどきっとした。


「でも東北から来たにしてはなまってないよね」

「うん、生まれてすぐこっちに越してきたから」

「なるほど」

「ね、ねえ」


 恥ずかしそうに髪を撫でながら、


「ほんとにきれいだって思う?」

「うん。思う。きれいだよ」


 私ははっきりと言った。本当に心の底からそう思ったから。


「そ、そっか、えへへ」


 とゆるんだ口のまま笑みを浮かべている。その笑顔を見ていると、胸が暖かくなった。


 その後も私たちは沈黙をほとんど挟まずに話し続けて、そうしているうちに、いつの間にか昼休みが終わっていた。私は美樹の瞳や笑顔にひかれているだけだと思っていたけど、どうやら、美樹と話す時間自体も好きみたいだった。でもそう思う自分を素直に喜べないことが悲しかった。


 私はSHRが終わってすぐ、逃げるように学校を出た。家までの15分程度の道をひとりで歩く。空には薄く雲が広がり陽を遮っている。それを見てなんとなく物思いに沈みそうになる。

 スマホで適当な音楽をかけて気を紛らわせようとした。イヤホンから流れてくる、好きでもない曲を聴きながしながら、美樹の瞳を、その笑顔を思い出して、ため息をつく。美樹は私に生きる意味を与えてくれるのかな。与えてしまうのかな。心が不安感に浸食されていくのを感じた。今日は寝付けないかもしれない。

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