ツインレイの計算式
キーワードはツインレイ、です。ツインレイというのは魂の片割れ。世界にたったひとりしかいないもうひとりのあなた。ソウルメイトの一種ですが、ソウルメイトが複数いると言われているのに対してツインレイはひとりしかいません。本当であれば一個の人間として生まれてくるはずだったのに二つに割れてこの世界に誕生するのがツインレイです。何故そのようなものが生まれるのか?それはこの世で手分けをして色々なことを学ぶため。一人きりで調べ物をしても限りがありますよね?でももう一人の自分がいてそのもう一人の自分が別の場所で違う人生を送れば人生の学びの幅が単純に言っても二倍になるのです。そうやって学び合った二つの魂はいずれどこかで巡り会い、もとの一つの魂に戻ろうとします。ここで注意して欲しいことが一つ。ソウルメイトは必ずしも相手が異性だというわけではありません。同性だということもありえます。一緒に一つの目的を達成するために生まれてきたグループがソウルメイト。ツインレイはそうではなくてもともと一つだった魂。そして相手は常に異性と決まっています。ツインレイは絶対に生きている間に出会うというものではありません。生まれる場所も時代も違うということの方が多いのです。ツインレイの男女が出会うことの方が奇跡なのです。
土曜日であった。
数寄屋橋の桜も満開である。カップル、家族連れと銀座、有楽町も活気を取り戻している。交通会館前では何かイベントをやっているようである。コロナの感染者も低位安定が続く。とりあえずは平穏無事の午後一四時。明るく華やぐエイプリルフールである。だが。
「……」
運命研究所の所長代理は渋い顔をしている。
猫のような娘は私服姿である。オレンジ色のシャツに薄いカーキ色をしたキュロット。肩にはアップルグリーンのカーディガンを羽織っている。胸ポケットには黒の油性ペンを一本。
客が一人。
こちらは小柄な女性であった。丸顔でシマリスのような眼差しの人物であった。花柄の白いワンピースを着けた愛らしい女性である。大きな淡いピンクのマスクには花のプリント。ブランドバッグも花柄。バッグは高価なものであろう。普通の学生が簡単に手に入れるとすれば中年男性にたからなければならないようなものである。畳んだ淡い水色の春物コートは客が座っている左隣の椅子の背もたれにかかっている。ブランドバッグからは女性誌には『占い・ソウルメイト特集』という見出しが見える。
「あのさ、妃奈ちゃんさ」
所長代理は顎マスクのまま苦い顔で言った。
「何度も来ても、鑑定結果って変わんないんだよ。うちにくるのはせめて百日、三カ月経ってからにしようって言ってんじゃん」
占いに嵌まる女性は多い。占い師の側は金づるである客に日参させることを目的としているからなるべく依存させて金を毟ろうとする。そのためにいろいろと詐術に近いテクニックを使うのだ。だが銀座の運命研究所はそういうことはしない。足しげく通ってくる客を追い返すことのほうが多いのだ。そもそもこの研究所は鑑定料のようなものは取らない。無賃である。
「生まれてからの日数って変わらんのよ。絶対。金銭運みたいに上がったり下がったりするもんじゃないからさ、そう何度も来ても状況よくなったりしねえからさ」
客はつわものである。小娘の苦言を気にしなかった。
「ねえ、キイちゃん、そのキュロットどこで買ったの、かわいいねー」
「……貰ったんだよ、親戚のおばちゃんに」
「キイちゃん、このシャツは?」
「西葛西のアベイルで買った。ってか、なんなんだよ、おい、話聞けよ、渡井妃奈子」
「えへへー」
客は適当に笑って勝手に話を続ける。
「おばちゃんって、あの、受付の水谷さんのこと?」
パーテーションの向こうには受付の女性が一人。いるはずなのだが今は買い物に出ている。糊とクリップを買いにロフトに行ってしまった。
「水谷さん、キイちゃんの親戚じゃないの?」
客は全く話を聞かないのだ。畳みかけるような攻撃である。丸山キイも防戦一方である。
「違うよ。伯父貴の昔の知り合い」
「所長さんの愛人か何かなの?」
渡井妃奈子は真顔で聞いた。丸山キイは少しずつ疲れてきている。
「そんなんじゃないと思うよ。知らんけど。ってか何なんだよ、そんなことどうでもいいだろう」
「えへへへー」
また渡井妃奈子は笑った。それが客のやり口なのだ。女性は引っかからないが男性は間違いなく引っかかる。質問攻めにして相手が混乱したら笑って緩急をつけてペースを握って放さない。なかなか賢い女性である。
「あのさ、キイちゃんさ、ツインレイって調べられる?」
「ああ、そういう系統ね。そういう話なのね」
丸山キイは席を立つと一度部屋から出ていく。
「コーヒー呑む? 妃奈ちゃん」
「紅茶の方がいい―」
「ああ、はいはい」
渡井妃奈子は勝手をよく知っている。この事務所はそういうところなのだ。気を遣う必要のない場所である。
しばらくすると所長代理はカップを二つとガムシロップ、コーヒーミルクをいくつか載せた盆を抱えて戻って来る。
「で。なんだっけ、ああ、ツインレイの話ね。ってかさ、6月に結婚するんじゃなかったの?」
「うーん。そうなんだけどさー」
「あ、はい、紅茶ね。牛乳ないからコーヒーミルクで我慢しといて」
「ありがとー」
客はマスクを外すと笑顔のままカップと砂糖、ミルクの入った小さな容器を受け取った。
「だいたいツインレイとか言われても、よく分からんのよ。うち、占い師じゃないからさ」
「違うの?」
渡井妃奈子はあどけない表情を作った。丸山キイは酸っぱいものを噛んだような表情を作った。客の態度が少し癇に障るのだ。
「スピリチュアルじゃないからさ。霊感とかもないし。うちでは計算できないものはどうしようもないのよ」
女子高生は客の真向かいに座った。
「ふーん。キイちゃん、ツインレイのことあんまり知らないんだ」
渡井妃奈子はわざとなのか少し小馬鹿にしたような声色で言った。年下の所長のことをからかっているのだろう。丸山キイは長い指先で癖のある髪をがりがりと無造作に掻きむしった。いくつもの占い師のところを渡り歩いた猛者が相手である。女子高生はやりにくさを感じている。
「アメリカのリサなんとかっておばちゃんが言い出したことでしょう。チャネリングしてたら神様みたいなのが出てきて、それでソウルメイトやらなにやらがいろいろあって、一番上の存在、究極のパートナーがツインレイだって、まあ、そんな話じゃなかったか」
「おーすごいねー! よく知ってんじゃん!」
渡井妃奈子はぱたぱたと手を叩いた。丸山キイはブラックのコーヒーを一口飲んで渋い顔をした。
「まあ、でも、どうなんだろ」
丸山キイは少し考えてから言った。
「そういうのがないわけでもないと思う。あるかも分からないんだけど。ただ、『この人たちがツインレイです』っていう実例を持ってきてもらわないと確認のしようがないんだよ。誰でもいい、この人とこの人のカップルがツインレイですってスピリチュアルの系統の人がサンプルを出して来ればいいんだわ。男優の誰それと女優の誰それがツインレイですって。そうしたら数値で計算して、それはこういうことですねって解説ができる。誰のことを言っているのかわからないのでは検算ができないんだよ」
「ふーん」
「うちでできるのは日数縁を調べるってこと。サイクルが揃っている相手が基本、縁がある相手だよ。ただ、それがツインレイとかソウルメイトと同じものなのかは分からない」
丸山キイはテーブルの上に置いてあるファイルを取り上げた。
勝地亮 1986年8月20日 1777+8日
前田敦子 1991年7月10日 0日
「勝地亮は俳優か何かでしょ。前田敦子はAKBの人。こんな感じに、自分が生まれた日に下三桁ゾロ目の相手が縁のある人。111日、つまり999日を9で割った111日の単位サイクルで揃っている相手が縁のある人パータン①」
丸山キイは続ける。
星野源 1981年1月28日 2700-9日
新垣結衣 1988年6月11日 0日
「こんな感じに00日で揃っている相手も縁のある人。99日サイクルで揃っている相手が縁のある人パターン②。ああ、誤差は9日ね」
「うん」
渡井妃奈子は真剣な顔になっている。
木村拓哉 1972年11月13日 0日
工藤静香 1970年4月14日 944日
「下二桁が11日サイクルでそろう相手も一応薄い縁がある人だよ。0日と44日とか。0日と66日とか。ただ11日サイクルはいつも揃っているってわけではない。100日をまたぐと数値がずれてしまう時期が発生することがある」
丸山キイはファイルのページをめくった。
東山紀之 1966年9月30日 0日
木村佳乃 1976年4月10日 3480日
「下一桁が0日で揃っている相手は9日で揃っている相手。これも薄い縁があるって考えるんだ」
①9日のサイクルでそろう
②11日のサイクルでそろう
③99日のサイクルでそろう
④111日のサイクルでそろう
「こんな感じに数が大きくなるにつれて繋がりが精神的なものになる、っていうのがうちらの考え方。数が小さくなるほどより原始的、物質的、肉体的な繋がりになる。そういう話。実際にそれが正しいかは分からないけれど、取り合えず、そんな感じ」
少女は解説を続ける。
「ただ、縁っていうのはそんなに簡単な話でもない。縁があっても別れる時は別れっちまうから。勝地亮と前田敦子も離婚しちまったでしょ」
「うん。したした」
渡井妃奈子は嬉しそうにうなずいた。
「縁があっても別れる時は別れちまう。縁がなくても続くときは続く。離婚家庭に生まれた人は縁よりも離婚家庭というバックボーンの方が優先される。人間って、祖父母、父母、子供、孫って血継で同じことを繰り返していくからね」
「え、そうなの?」
渡井妃奈子は少し驚いたように尋ね、丸山キイは当り前だろう、という具合に、
「そうだよ」
と答えた。
「まあ、離婚家庭の家に生まれた子供が絶対に別れっちまうってこともないけれど、ただそういう家の子は結婚しても、なかなか家庭生活は穏やかにはならんよ。逆に、離婚しなかった家のお子さんでも離婚してしまうことはあるよ」
「何が違うの?」
渡井妃奈子は間髪を入れずに訊ねた。
「あ、え?」
「だから、離婚家庭でも離婚する子と離婚しない子がいるんでしょ?その差はどこから生まれるの?結婚が続く家でも離婚する子と離婚しない子がいるんでしょう?その差はどこから出てくるの?」
渡井妃奈子は不思議そうに尋ねた。本当に不思議だから訊ねたのだろう。
「知らん」
丸山キイはあっさりと言った。
「ただ、人間って、生まれてから999日、3年の状況が重要だからさ。例えば、離婚家庭の子でも親戚やらじいちゃんばあちゃんがいてくれて、何とか夫婦関係がもっていた時期に育った子と、夫婦関係が完全に破綻しちまった時期に生まれた子では状況が変わって来る。結婚生活が続いている家の子でも、親御さんがいろいろと難しい時期があって、関係が良くない時期に生まれた子もいるわけじゃんか。そういう違いが後の人生の違いになってあらわれるだろうって、伯父貴そんなことを言っていた」
「あと、子供にも育てにくい子供っていうのがいる。たとえばさ、普通の人の家にもしも新垣結衣が生まれたら、とても育てにくいと思うんだよね。特に普通の母親には。妃奈ちゃんも自分の子供が新垣結衣だったらいろいろと難しいと思うんだよね」
「そうかなー。ガッキーが私の娘だったら私、みんなに自慢すると思うけどなー」
渡井妃奈子はそういう女。丸山キイは片目を閉じて続ける。
「だったら、自分の子供が山上徹也を産んだ母親だったら?安倍首相を銃撃したおっさんの母ちゃん。統一教会の人。あれが自分の子供だったら?」
「超イヤー!絶対にイヤー!」
「そういう感じ。山上徹也の母親が本当にそういうタイプかは知らんけど、でも、未熟な親だと育てにくい、難しいタイプの子供って確かにいるんよ」
丸山キイは自分がそういうタイプの子供であるかは言及しなかった。
「生まれた時のその子のタイプ。それから親御さんの離婚歴のあるなし。その次に来るのが縁。日数サイクルなんだ。そしてそれがツインレイであるとかソウルメイトの正体なのかって聞かれるとよく分からん。だって、この人がツインレイですって誰もはっきりと明示しないから。してくれればうちのほうで計算してみるよ」
「ふーん」
渡井妃奈子は分かったような分からないような唸り声をあげた。
「でも、縁はあったほうがいいんだよね」
「どうかなー。縁はあればいいってもんでもないと思うよ。良縁は悪縁だからさ。腐れ縁だよ、要するに。勝地涼と前田敦子だって離婚してもいい関係、みたいなことをアピールしてるけれど、それって単にけじめのつかないだらしない関係ってことじゃんか。それに」
「それに?」
「縁のある相手って簡単に加害者被害者になっちまうんだよ。DVとか、ストーカーとか。縁がないから犯罪の加害者被害者にならないってわけじゃないんだけれどね。サイクルがそろっている相手の方がそろっていない相手に比べて意識が向きやすい。そういう傾向がある。あるように見える」
渡井妃奈子は真剣な顔をしている。
「たとえばさ」
丸山キイはそう言うとファイルのページをめくった。
山寺宏一 1961年6月17日 0日
田中理恵 1979年1月3日 6400+9日
かないみか 1964年3月18日 1000+5日
岡田ロビン翔子 1993年3月15日 11600-6日
「山寺宏一って声優の人。何回も結婚したり離婚したりしている。あたしは異常な人だと思う。でも、山寺宏一っていう人が結婚する相手には法則があるんだ」
「自分が生まれた日が0日の時に相手も0日に近い人ってことね」
「そ。その通り」
「山寺宏一はそのサイクルの人が好き。好みのタイプなんだよ。いっつも同じタイプの異性が好きになるっていうのは、顔とかもそうだけれど、好きな日数サイクルがあってそれがいつも同じだってことが多いんだよ」
そして。
猫のような娘は思っている。
恐らく山寺宏一という男には結婚、離婚を繰り返している相手は常に同じ人間に見えている。田中理恵、かないみか、岡田ロビン翔子は当然別人格。だが、山寺宏一には皆、同じ人物に見えている。精神科学的に言えば、山寺宏一の無意識は田中理恵、かないみか、岡田ロビン翔子を同じ人間と捉えている。生物学的に言えば山寺宏一の遺伝子が田中理恵、かないみか、岡田ロビン翔子を同じ人間と認識している。
そしてそれは多分、山寺宏一という男の、たとえば母親のサイクルに起因する事象なのではないかと丸山キイは考えている。
例えばこんな形。
山寺宏一 1961年6月17日 0日
山寺母親 1934年5月10日 9900日
このような形だと山寺宏一は山寺母親の9900日目に生まれた子供と言うことになる。実際はどうか分からない。可能性の話だがこの仮定が正しいとすれば、日数サイクル的にこのように全員が00日でそろうことになる。
山寺宏一 1961年6月17日 0日
田中理恵 1979年1月3日 6400+9日
かないみか 1964年3月18日 1000+5日
岡田ロビン翔子 1993年3月15日 11600-6日
山寺母親 1934年5月10日 9900日
山寺母親=田中理恵=かないみか=岡田ロビン翔子
という公式が成り立つ。つまり、常に山寺宏一という男のそばには母親と同じサイクルの人間が存在するということになる。そういう運命。というか、それが男と女の本質。
丸山キイは続ける。
「前澤友作っていう人のデータもあるよ」
前澤友作 1975年11月22日 6123日
剛力彩芽 1992年8月27日 0日
紗栄子 1986年11月16日 2111日
「前澤友作って人知ってる?」
「知ってる。ZOZOの人」
「前澤友作っていう人と剛力彩芽、紗栄子には日数縁はない。サイクルがそろっていないんだ。でも、剛力彩芽と紗栄子のサイクルは111日のラインでそろっている」
「前澤友作さんは、その二人のサイクルが好きってことなんだ」
「そう。縁のあるなしと好きになるサイクルは必ずしも一致しないんだよ」
丸山キイは続ける。
「だからたとえば、この人がツインレイですって言われても、その人が必ずしもサイクルがそろっている、縁のある相手だとは限らないんだ」
渡井妃奈子は鼻の上にしわを作って頷いた。
「仲の良い父娘がいたとして、この二人にサイクルの縁がないとする。一方に、仲の良い母と息子がいてこちらも縁がないとする。で、この娘と息子が出会って、偶然に父親と息子、母親と娘のサイクルが同じだったとする。言葉だけだと分かりにくいからサンプルを出すよ」
少女はファイルのページをめくった。
父親 1977年5月22日 8319日
娘 2000年3月1日 0日
「こんな感じ。こんな感じだと父親と娘は縁がない。99日サイクルでも111日サイクルでもそろっていないから。次のもそうだよ」
母親 1978年4月6日 7681日
息子 1999年4月17日 0日
「この母親と息子もサイクルは揃っていない。でも、この二つの家族をこんな感じにシャッフルして計算し直す」
娘の父親 1977年5月22日 8000日
息子 1999年4月17日 0日
息子の母親 1978年4月6日 8000日
娘 2000年3月1日 0日
「息子から見た娘は自分の母親と同じサイクル。娘から見た息子は自分の父親と同じサイクル。多分こういう組み合わせの息子と娘は初めて出会った時に相手に懐かしい感じや、前に出会ったことがあると感じる。当たり前の話。父親、母親と同じサイクルなのだから。同じサイクルは同一人物、と見ていいんだ。それがツインレイの正体だっていうのであればツインレイだと思う。だけれど、何回も言うけれど、スピリチュアルの関係者や占い師の人からは『この人とこの人がツインレイです』っていうアナウンスがないんだ。だから、あたしらも数値の検算しようがないんだ」
「ふーむ」
客は深いため息をついた。
エリザベス・テイラーは1932年、イギリスに生まれました。父親のフランシス、母親のサラはアメリカ人でした。エリザベスは両親がイギリス在住の時に生まれたので出生はイギリス、出身はアメリカ人と言うことになります。母サラは舞台女優で、その血を引くエリザベスにも子供のころから才能がありました。父親のフランシスは画商をしていました。この二人をイギリスで保護したのが国会議員のヴィクター・カザレットと言う人物でした。裕福で独身のこの人物は英国首相ウィンストン・チャーチルの友人でもありました。エリザベス・テイラーの名付け親でもあります。カザレットがいなければエリザベス・テイラーはマリー・テイラーになっていたかもしれませんし、エレン・テイラーになっていたかもしれません。幼いエリザベスはカザレットにとてもなついていました。ヴィクター・カザレットはテイラー家に英国に帰化することを勧めました。ですがそういうことにはなりませんでした。第二次大戦が勃発したからです。戦火を避ける形で一家はアメリカ、ロサンゼルスに移ることになります。そしてここから女優エリザベス・テイラーの物語が始まります。
「妃奈ちゃん、エリザベス・テイラーって知ってる?」
「知ってる。アメリカの女優さんでしょ」
ハリウッド黄金期の大女優である。
「その人も何回も結婚して何回も離婚したんでしょう?」
華々しいキャリアを持つスター中のスターであったとしても渡井妃奈子にはぼんやりとした輪郭線しかない歴史上の人でしかない。否。今を生きる人にとってはそのような評価になるのは仕方のないことなのだ。むしろ、渡井妃奈子が泉下の人を知っているだけでも褒められるべきことだろう。そもそも丸山キイ自身もファイルで見なければこのような人物に興味を持つこともなかったのである。
「そう、何回も結婚して、離婚した」
エリザベス・テイラーは生涯に七度結婚している。山寺宏一と似たようなケースである。
エリザベス・テイラ― 1932年2月27日
①コンラッド・ヒルトンジュニア 1926年7月6日
②マイケル・ワイルディング 1912年7月23日
③マイケル・トッド 1909年6月22日
④エディ・フィッシャー 1928年8月10日
⑤リチャード・バートン 1925年11月10日
⑥ジョン・ウォーナー 1927年2月18日
⑦ラリー・フォーテンスキー 1952年1月17日
「エリザベス・テイラーと結婚した人の生年月日がこれ。エリザベス・テイラーとの縁をつけたすとこうなる」
☆エリザベス・テイラ― 1932年2月27日 0日
①コンラッド・ヒルトンジュニア 1926年7月6日 2062日
②マイケル・ワイルディング 1912年7月23日 7158日
③マイケル・トッド 1909年6月22日 8285日
④エディ・フィッシャー 1928年8月10日 1300-4日 ★
⑤リチャード・バートン 1925年11月10日 300日 ★
⑥ジョン・ウォーナー 1927年2月18日 1835日
⑦ラリー・フォーテンスキー 1952年1月17日 7264日
「四番目と五番目の旦那さんが縁のある人なんだね」
渡井妃奈子は言った。
「そ。7人いる旦那のうち2人だけが縁のある人で他は違うんだ」
「だったら、他の5人はお父さんと似たサイクルってことなんだ」
「さて。父親のフランシスを加えて父親基準で数値を取得してみると」
☆エリザベス・テイラ― 1932年2月27日 12478日
①コンラッド・ヒルトンジュニア 1926年7月6日 10416日
②マイケル・ワイルディング 1912年7月23日 5320日
③マイケル・トッド 1909年6月22日 4200-7日 ★
④エディ・フィッシャー 1928年8月10日 11182日
⑤リチャード・バートン 1925年11月10日 10178日
⑥ジョン・ウォーナー 1927年2月18日 10643日
⑦ラリー・フォーテンスキー 1952年1月17日 19742日
フランシス・テイラー 1897年12月28日 0日
渡井妃奈子は首をかしげて言った。
「三番目の旦那さんだけだね、縁のある人」
「そう。そうなんだ」
丸山キイは答えをすでに知っているので話を進める。
「父親に縁がない場合は母親を見てみるんだ。母親のサラを基準にするとこうなる」
☆エリザベス・テイラ― 1932年2月27日 13333+5日
①コンラッド・ヒルトンジュニア 1926年7月6日 11276日
②マイケル・ワイルディング 1912年7月23日 6180日
③マイケル・トッド 1909年6月22日 5053日
④エディ・フィッシャー 1928年8月10日 12042日
⑤リチャード・バートン 1925年11月10日 11038日
⑥ジョン・ウォーナー 1927年2月18日 11500+3日 ★
⑦ラリー・フォーテンスキー 1952年1月17日 20600+2日 ★
フランシス・テイラー 1897年12月28日 860日
サラ・サザーン 1895年8月21日 0日
「六番目と七番目の旦那さんが縁があるんだね。それから……」
客はじっとエリザベス・テイラーの数値を見ている。
「そう。13333+5日。エリザベス・テイラーと母親は3333日でほぼ揃っている。とても縁の深い母親と娘。同一人物と言ってもいいし、二人で一人と言ってもいい。自分も女優でステージママだったサラとエリザべス。母と娘、二代でエリザベス・テイラーなんだ」
「……」
「少し整理するとこうなるよ」
エリザベス・テイラーと母親には強い縁がある。1111日の単位サイクルで揃っている。
エリザベス・テイラーと父親には強い縁はない(ただ11日サイクルでは揃っている)。
エリザベス・テイラーの両親は0日と860日ということで9日のサイクルで揃っている。
最初の夫はテイラー家の誰とも縁がない。
二番目の夫もテイラー家の誰とも縁がない。
三番目の夫はテイラー家の父親と縁がある。
四番目の夫はエリザベスと縁がある。
五番目の夫はエリザベスと縁がある。
六番目の夫はテイラー家の母親と縁がある。
七番目の夫はテイラー家の母親と縁がある。
「ふーん。なんかばらばらなんだね」
「そう。なんかどうもすっきりしないんだよね。一貫性みたいなものがあるようなないような。どうもしっくりこないんだ。で、ここに一人、加える。ヴィクター・カザレットっていう人だよ。この人はエリザベス・テイラーの名付け親でエリザベス・テイラーの両親の世話を焼いてくれた人。エリザベス・テイラーも凄くなついていたみたいなんだ。
☆エリザベス・テイラ― 1932年2月27日 12844日
①コンラッド・ヒルトンジュニア 1926年7月6日 10777+5日 ★
②マイケル・ワイルディング 1912年7月23日 5686日
③マイケル・トッド 1909年6月22日 4555+4日 ★
④エディ・フィッシャー 1928年8月10日 11555-7日 ★
⑤リチャード・バートン 1925年11月10日 10544日
⑥ジョン・ウォーナー 1927年2月18日 11000+9日 ★
⑦ラリー・フォーテンスキー 1952年1月17日 20111-3日 ★
フランシス・テイラー 1897年12月28日 366日
サラ・サザーン 1895年8月21日 500-6日 ★
ヴィクター・カザレット 1896年12月27日 0日
「こんな感じになる。最初の旦那、三番目、四番目、六番目、七番目の旦那が縁がある人。五番目の旦那とも11日のサイクルで揃っている。エリザベス・テイラーの父親とも11日サイクルでそろっている。母親とも99日サイクルで揃っている。つまり、この男がエリザベス・テイラーにとっての本当に重要な人物。もっと言えば、一番愛した男」
渡井妃奈子はうーんと唸った。
それにしても。丸山キイは少し考えている。
歳を取って容貌も衰え、結婚離婚を繰り返す大女優が無意識に求めているものが幼い頃の追憶だけだというのは何とも哀しく、やるせのない話ではないか。はっきり言えばそれは奇行の類である。大衆は異常行動をする大女優にモノノケを見る眼差しを送り、本人もそのことを理解していたはずである。そして、誰にとっても不幸なのはまわりも、エリザベス・テイラー本人も何故結婚離婚を繰り返すのか、何故その相手を選ぶのか、理由をまったく分かっていなかったのだ。ふと、エリザベス・テイラー自身は幼少期の思い出みたいなものを思い起こすことはあったかもしれない。だがそこまで。結局『理由』がわからないままに走り続けて、そして何も知らないままに死んでしまった。
自分の生きている理由を知らないままに死んでいくというのは寂しい話ではないのか。いや、それとも何も知らないままに死んでいく方が本人の幸せなのか。丸山キイはそのあたりのことが判然としない。
あたしだったら何も知らんで死ぬのは嫌だがね。
と少女は思う。思うが、他の人間もそうであるとは限らない。
一方で丸山キイにはもう一つ思われることがあった。それは推論、である。エリザベス・テイラーは名付け親のヴィクター・カザレットという男を慕っていた、という話であるが、それはエリザベス・テイラーの母親もそうではなかったのか。エリザベス・テイラーの母親とヴィクター・カザレットの間には日数縁がある。男女の関係になってもあまり不思議ではない。エリザベス・テイラーという女優が母と娘、13333日のサイクルで繋がった二人の女の合作であるのであれば、娘が愛した男が母親の愛した男であったとしても全く不思議ではない。
いろいろと思いが巡り、客と所長代理の間に少し沈黙があった。
そしてそこで丸山キイはふと大事なことを思い出したのだ。
「あれ、妃奈ちゃんさ、前、この話しなかったっけ?」
「うん? エリザベス・テイラーの話は初めて」
「でも、あれだよね、山寺宏一のファイルは見せたよね、そんな記憶を今、取り戻した」
そう。前回の渡井がやってきた時に縁の話であるとか、数値の取り方は確かにしたはずなのだ。
「うん。聞いた」
「思い出した、で、あれだ、高瀬君の話して」
四つ年下の男性。32才。記憶が徐々に蘇ってくる。
「何だよ、聞いたなら言ってよ。二度手間になっちゃったじゃんか」
「いや、でも、エリザベス・テイラーの話は初めて聞くから」
「駄目だな。ここのところそういう客が多くて、誰に何を話したかごちゃごちゃになっているんだ」
男女関係の鑑定依頼が多数飛び込んで来ていたせいで所長代理も相当混乱している。
渡井妃奈子 1987年3月8日 2023年4月1日時点で13173日。
相手は高瀬という姓の男性。1990年5月4日生まれ。2023年4月1日時点で12020日。
渡井家、高瀬家の両親の生年月日を調べて渡井妃奈子と高瀬には縁はないというような結論になったはずである。2月末の話である。ただ6月に結婚はしたいとそういう話ではなかったのか。
「高瀬君と妃奈ちゃん、縁ないって結論になったじゃん。でも別に縁がなくても気にする必要はないって」
丸山キイが縁のない著名人夫婦のサンプルを明示して渡井妃奈子に解説をしたはずである。
人は出会うべき時に出会うべくして出会うべき相手と出会う。だから、結婚したいのであれば縁など気にしないで構わない。
所長代理は所長の言葉を受け売りにクライアントを送り出したはずである。30日前の話であるのだ。
「それがさー」
渡井妃奈子は屈託なく笑って続ける。
「好きな人ができてさー」
「高瀬君でしょ。知ってるよ。何回も言わなくていいって」
「それ以外に」
「え?」
丸山キイは目を見開いた。
「高瀬君とは別にぃ、好きな人ができて」
「別に? 結婚するんじゃないの? 6月に」
「そうなんだけどさー。他に好きな人ができちゃって。その人のどっちかがツインレイじゃないかなーってそんなこと思うんだよ」
「あんた、何言ってんの? てか、あんた何言ってんの?」
相手があまりにも堂々しているので丸山キイの方が浮き足立っている。
「好きな人、二人いてー。そのどっちかがツインレイだと思うんだよ。きっと」
リスのような三十女はニコニコと笑っている。
「高瀬君とは縁がないってこの前言ったじゃん、話したよね、忘れた?」
「そうじゃくて、高瀬君とは別に二人好きな人ができてー」
「はあ?」
丸山キイは少し腰を浮かせて言った。
「え、高瀬君とは、別に、二人、好きな人がいるの?」
「そう。そうなのよ。えへへへ。カニ、カニ!」
素っ頓狂な客は両手でダブルピースを作って笑っている。
「いや、おまえ、えへへへ、じゃなくてさ」
つまり整理する必要などまったくないのだが整理するとこういう話なのだ。
渡井妃奈子には高瀬という男がいて、これと6月に結婚しようという話だった。それが2月末、30日経ったら別に好きな相手が出来て(それも二人)、このどちらかと縁があるのかとそのことが気になったのでまた丸山キイのところを訪れた。
「え、どうすんの、高瀬君、結婚するんじゃないの? 式場を押さえてどうこうみたいな話しとったじゃんか」
丸山キイは自分のことのように慌てている。
「まあ、この際、高瀬君はおいといてー」
「おいとくなよ」
「やっばりさ、高瀬君よりも、松浦君か日比君の方がしっくりくるような気がするんだよね。だから、多分、このどっちかがツインレイなんだと思うんだー。だからさ、縁を調べて貰って」
「高瀬君に話したの? ってかなんだよ、ツインレイって、そんなにテキトーでいいのかよ!」
「まあまあ、落ち着いて、落ち着いて。そういう難しいことはまた今度考えるとして―」
「今考えろよ、今すぐ! おまえ、馬鹿だろ」
36歳の中年女に何故女子高生が道理を説いてやらないとならないのだ。
「おかしいだろっ絶対!」
古いマヤの時代に利用されていた暦は2種類。260日周期のものがツォルキン。現代の太陽暦に近い365日周期のものがハアブ。260日周期の暦がいったいどのような経緯で生まれたのかは不明である。一説によればマヤの神話では天界が13層構造になっていること、マヤでは20進法が使われていたことからという説もあるが詳しくは分かっていない。260日周期のツォルキンと365日周期のハアブ、二つの暦は52年、18980日で揃って一巡りと言う計算になる。東アジアでの甲乙丙丁戊己庚辛壬十干、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥十二支それぞれが始まって、同時に終わるのが10年と12年の最小公倍数60年、つまり還暦と似たような考え方である。マヤの暦では18980日で暦が一巡り、52年。東アジアでは60年で暦が一巡り、還暦である。
日が暮れかかっている。
丸山キイはテーブルの上に上半身を突っ伏して微動だにしない。本当に疲れ果てているのだ。ひどすぎる客はメンタルを確実に削って来る。
「キイちゃん、妃奈ちゃん、あれは大変な子だね」
買い物から戻った受付の女性が気を利かせて替えのコーヒーを持って来てくれる。
窓の外、土曜日の銀座は人で賑わっている。中には少し気合が入り過ぎだろうというような着飾った者もいるが、それはそれ、銀座の街は華やいでいるのだ。所長代理の澱んだ心と反比例するようにして。
「水谷さんもそう思う?」
「ええ。思いますとも」
受付に座る初老の女性は事務所内の会話を聞いていたのだ。
「何なのかなあ。ひどすぎるよなあ」
所長代理と受付だけということもあって二人ともマスクは外してしまっている。長い付き合いである。祖母と孫のような感覚なのだ。
「もう36歳なんだよ、妃奈ちゃん」
「私らの36歳はどうだったですかねぇ。バブルの華やかな頃だったから、派手だったけれど……まあ、ああいうタイプの子もいなくはなったか」
「その人たちって、今どうなってるの?」
「さあ。みんなもう長いこと会ってないから。まあ、みんなおばあさんになってるんじゃないですか」
小娘は顔を上げて受付の水谷が持ってきてくれたコーヒーに手を付けた。顔がデスマスクのようになっている。
「で、キイちゃん、妃奈ちゃんの言っていた他の二人とは縁はあったの?」
「一人とはあるようなないような。もう一人はなかった。妃奈ちゃんの父ちゃん母ちゃんの日数も一から調べたんだけれど、何が基準なのかよく分からなかった」
丸山キイは両目を閉じて渋い顔を作った。
「ツインレイとか言われてもさ、こっちは霊感とかないからさ、何言ってるかよく分からないんだよなー」
丸山キイは長い指で癖の強い髪を掻きむしった。そして水谷は言った。
「妃奈ちゃんは、もしかしたら本当に本当のことは言ってないんじゃないかしらね」
初老の受付は研究所がどういうことをしていて、何を研究しているのかということは知っているし、計算式の内容についてもある程度把握している。ただ、計算を使わなくとも察せられるということがあるのだ。年の功である。そしてそれは丸山キイもうすうすと思っていたこと。
「水谷さんもやっぱりそう思う?」
「ええ、思いますよ」
「なんかさ、計算がピタッと嵌まらないことがあるんだ。妃奈ちゃんは。それがストレスになるっつーか」
「全部嘘、ということはないと思うけれど、全部本当、と言うわけでもないのかも。ああいう子は」
「だったら何のためにうちに来るんだっつーの。意味ねーじゃんか!」
丸山キイはふーっとため息をついた。受付の水谷は笑っている。所長代理は大変なキレ者だが少し若いところがある。何もかもを知っているようで、経験が若干足りていない。
「ここに来る人は傷ついている人だけだって、所長が良く言ってましたよ」
「妃奈ちゃんも傷ついてんのかなあ。そんな感じにも見えねーけど」
「それに……」
水谷は言いかけて口を閉ざした。エレベーターが開く音がしたのだ。
「妃奈ちゃん、なんか忘れ物でもしたのかね」
丸山キイは言いかけて口を閉ざした。
渡井妃奈子が去ってから部屋の扉も受付向こうの事務所の扉もずっと開けっ放しになっており、そこでエレベータから降りてきた相手がどういう人物か所長代理にも受付の初老の女性にも確認できたからである。
男であった。大柄な人物であった。180センチを超える背の高い人物。足も大きな男である。履いている靴のサイズは30センチぐらいあるだろう。茶色い革靴は多分高いものではあるのだろうがひどくすれていて傷が目立った。タートルネックのセーター。羽織っている濃い緑のミリタリージャケットはこちらも相当くたびれている。削げた頬に一重の瞼。左の眉には傷。ジャン・レノをさらに薄くしたような髪型。節くれだった指先。腕時計はつけていない。年は60ぐらいだろうか。もう少し若いかもしれない。
「失礼するよ」
男は一歩、二歩と踏み出して言った。左の足の動きが少し悪く見えた。
「鉄さんはいるか?」
事務所の扉のところで立ち止まって、そう、丸山キイに訊ねた。能面のように無表情な男である。マスクを着けていないので所長代理からも生気に欠ける相手の顔が良く見えた。
「伯父は、大井鉄太郎は今はいないです」
少女は応えた。相手の様子に少し緊張している。
この人、病気だ。
丸山キイは相手の顔色、肌のツヤからすぐに見抜いている。タートルネックのセーターも首周りの痩せを隠すため。脂肪も何もかもが削れてしまって寒く感じるということもあるのだろう。
一方、緊張しているのは水谷も同じである。ただ受付は所長代理と違う部分を警戒している。
「どういう御用件でしょうか」
初老の受付嬢は笑顔のまま丸山キイと男の間に割って入るようにして言った。
この男はカタギではない。
水谷はそのように見ているのだ。盛り場である。当然、暴力団関係者も混じるし、またそのような人物が客として研究所を訪れることもあるのだ。ただその場合は必ずアポイントがある。ふらっとやってくるスジモンというものはいない。
「昔、鉄さんに、予言をしてもらったことがある。何年も前の話だ。その予言の話を聞いてもらいたいと思ってきた」
「所長は不在です」
受付の少し冷たい物言いに表情のない男が続ける。
「そっちのお姉さん、鉄さんの姪っ子さんだろ。前に聞いたことがある」
「所長はいつ戻って来るか分かりません。戻り次第こちらからご連絡をいれますよ」
水谷は営業スマイルで言った。男は応えた。
「鉄さんがここにあまりいないことは知ってるよ」
スジモノはどんよりした瞳のまま言った。多分男は自分が警戒されていることを理解しているのだ。
「あまり時間がない。話を聞いてくれればそれでいい。あんたたちの方から鉄さんにそういうことがあったと伝えてくれればいい。鉄さんもそうしてくれって言ってたから」
「うん」
丸山キイは男の言葉を理解して頷いた。
男が言うようにあまり時間がないのだ。
「話、聞くよ」
少女は言った。
1789年7月14日。市民によるバスティーユ襲撃が発生しルイ16世は国民主権を受け入れざるを得なくなった。ここにフランス市民による革命が成立したのである。だが革命の自国伝播を恐れた近隣諸国はフランスを警戒。ルイ王朝は内政だけでなく外交面でも窮地に陥ることとなる。そして事件が発生する。1791年6月20日。国王ルイ16世が自ら国を捨てて逃走を試みたのだ。ヴァレンヌ事件である。マリー・アントワネットの実家であるオーストリアに逃亡を図った国王一家は脱出に失敗。捕らえられ幽閉されることとなった。外国に逃れ外国の軍隊を借りて自国政府を討伐しようと画策する国王一家は今や完全に国民政府の敵であった。
1793年1月21日。革命広場に引きずり出されたルイ16世はパリ市民の見守る中、断頭台の露と消えた。ロベスピエールはルイ16世の処刑に際して様々な工作を行い、主導的な立場を取っていた。あるいはロベスピエールが極端な理想家ではなく、世俗的な人物であればこのような悲劇は起こらなかったかもしれない。いや、そうであったとしてもやはり結末は同じであっただろう。何故ならばブルボン王朝の破滅の原因はフランスの総人口から見ると少なすぎる富の絶対量であり、それを是正するには人間の総数を減らすほかなかったからである。革命の終結はナポレオンの登場を待たなければならないが、ナポレオンがやったことは外征をして余剰のフランス国民(と他国の余剰な国民)を減らす事であった。
ルイ16世を亡き者にしたロベスピエールも結果は悲惨なものであった。ジロンド党の党員を始め多くの政敵を次々に反逆者として投獄、処刑した若き独裁者も最後はクーデタを起こされて全てを失うことになる。1794年7月28日。捕らえられたロベスピエールは弟らとともに革命広場の断頭台で首をはねられて絶命する。ルイ16世が処刑された翌年である。因果応報、であった。
本日三度目のコーヒーである。丸山キイはカップに口もつけていない。苦い思いはもう十分である。
合同会社目黒企画
代表取締役 目黒修介
本日二人目の客の名前の入った名刺を少女は見ている。
「鉄さんには昔、世話になったことがある」
男はそう話し始めた。
「初めて会ったのは15年ぐらい前のことだ。お姉さん、ちょうどあんたが生まれた時ぐらいだ」
「うん」
少女は視線を上げて男の顔を見やった。肌の色つやがひどく悪い。左の眉尻には傷。事故でできたのか事件でできたのかは分からない。
「鉄さんからあんたのことも聞いている。紙おむつを替えるのに手間取って妹にひどく怒られたとかそんな話をしていた」
目黒は笑い話をしているのではない。淡々としている。丸山キイは、
「それはどうも」
とあいまいに言った。
「少し長くなるがいいか」
「どうぞ」
何から話すか。男はしばらく考え込み、それから言った。
「オレはデリバリー式の風俗店をやっていたんだ。店舗はない。若い女を集めて、電話がかかってきたら客のところに女を届ける。それで上前をはねる。儲かったよ」
男の口調はサンゴ砂のようにさらさらしていた。欲得のない澄んだ声であった。
「女を転がして金を稼ぐ。女衒だよ。お姉さん、あんたぐらいの年の子を客にあてがったこともある。年のことはこっちも分かっていたが、気にしなかった。みんな金が必要だったんだ」
少女はそうですか、と言った。男は丸山キイの顔を見ない。テーブルの方を見ている。丸山キイのほうは客の全体像を見ている。目、口元、額、喉のあたり、肩、指先、膝。耳も澄ましている。相手の声色、衣擦れの音。客はどうも左手の動きが悪い。心なしか震えているように見える。アルコールの中毒、ではないだろう。右手にはそのような症状が見られない。左足にも不具合があることから察するに脳の障害だろうか。
男が所長代理にどういう感情を持っているのかこれがよく分からない。とても淡々としていて忘八者特有の匂うような情念が見えてこないのだ。分かりにくい男である。
「鉄さんと会ったのは中山競馬場にある洋食屋だ。店の名前は何と言ったか忘れた。日曜だった。12レースで万馬券が出た日だ。鉄さんはオレが二十代の頃に一緒に悪いことをしていた男と一緒だった。そいつは火事に遭って妹が焼け死んで、それで悪いことから足を洗って清掃業を始めていた」
少女は少し考えてから言った。思い当たるクライアントがいたのだ。
「その人って長塚さんのこと?妹さん亡くした人。本八幡で清掃業している人」
丸山キイは言った。
「ああ、そいつだ。長塚道治だ。それが若い頃に一緒に悪さをしていた仲間だ。盗難車をばらして売ったりしていた」
男は少しだけ笑ったようだった。ミイラが無理をして微笑んでいるようである。丸山キイは言った。
「長塚さん、いいおじさんだよ。年賀状を必ずくれる。ここにも時々来るよ。古い昔の話は初めて知った」
「長塚の妹が火事で死んだのが俺が30頃の時だった。長塚の実家は鎌ケ谷で、古い家だった。漏電が原因だった。火事がきっかけであいつは少しおかしくなっていたんだ。因果応報、みたいなこともよく言っていた。ただオレにはどうすることもできない話だった。オレは因果応報みたいな坊さんみたいな言いぐさは気に入らなかった。悪いことをしていればその報いが来るってことだろう。オレも悪いことばかりやってきたんだ。因果応報が本当ならばきっと最期はオレも面白くない結果になる」
悪党は続ける。
「長塚とは火事があったあと何回か飲みはしたがそれだけだった。悪さを一緒にすることももうなかった。あいつの妹が死んで、何年かして、突然会いたいという連絡が来た。それで中山競馬場で会うことになった。鉄さんとはそこで初めて会った。長塚は俺に一緒に清掃業をしないかと誘ってきた。リーマンショックの少し前の事だった。なんで鉄さんをつれてきたのかは最初はよく分からなかった。多分、一緒にオレを説得してもらいたいとかそんなことを思ってたんじゃないか」
「……」
「清掃業なんてつまらねえ仕事だよ。汚えしな。こっちは地べたに這いつくばってやっていくなんてガラじゃない。風俗稼業は儲かっていたし」
目黒は咳をした。変な空咳であった。
「鉄さんは俺と長塚の世間話を聞いているだけだった。でも最後にこう言ったんだ。悪い金は身につかない。そんな仕事を長く続けていくのかって」
少女は少し渋い顔を作った。初対面の相手、それもヤクザ者相手に平気で異見するというのはどうなのだろう。
「オレはむかついたが、何も言わなかった。脛に傷を持っているし、トラブルを起こせばブタ箱に放り込まれるのはオレのほうだから。それに、そう言ってくれといったのは多分、長塚だということは分かっていた」
所長代理はうなずいた。
「地道にやったほうがいい、そんなことをしていればいずれ塀の中に逆戻りだろう。長塚もそんなことを言っていた。昔はそんな奴じゃなかったのに。人にも言えないような悪いことをしていた男が急に改心して……まあ、妹があんなふうになったんでおかしくなっちまうのも仕方がないが、多分、目の前にいる先生に何か吹き込まれたんだろうとそんなことも思った」
多分そうね。
所長代理は目を閉じた。相手の観察は大体終わっている。
「オレは子供のころから先生が嫌いだった。サラリーマンも嫌いだ。背広を着ている連中が嫌いなんだよ。だから鉄さんのことをうさんくさい野郎だとそんなことを思った。何かの新興宗教の教祖で、長塚が騙されているんだろう、みたいなことも思った。新興宗教の教祖なんていうのは偉そうなことを言っているが弱った人間の心に入り込んで金を毟っていくだけの悪党さ」
「まあ、そう、ね」
丸山キイは適当にうなずいた。
「清掃業の話もあまりしたくなかった。だからその日はその話はそこで終った」
「伯父貴は、他に何か言いませんでしたか?」
姪っ子は伯父の行動パターンを理解している。そこでたぶん話が終わるはずがないのだ。
「39歳何カ月か後に注意しろって。あんたの人生はそこから下り坂だって。そんなことを別れ際に言っていた」
「ああ、やっぱり」
所長代理は呟いた。
「予言、なんだろう?」
「まあ、そんなところですかね」
「ふざけた奴だと思ったが、長塚がいたのでそのまま別れた」
長塚がいなかったら所長はぶん殴られていたのに違いない。
「それから予言のことなんか忘れていた。リーマンショックがあったが俺の仕事にはあまり関係はなかった。東北大震災も関係ない。むしろ原発の作業員に人がいるから、それを集めるというサイドビジネスが忙しくなった。本当に金には困らなかった。だが肺癌になった」
男は一分ほど沈黙した。所長代理は沈黙に付き合う。
「咳が出て治らない。で、検査をしてみたら肺癌だった」
丸山キイは目を閉じたまま頷いた。
「2年後に転移が見つかった。鉄さんに会ったのは二回目の手術が終ってしばらくしてからだった。船橋の競馬場だった。鉄さんは競馬、やらないんだろう?」
「やらないです」
「長塚とは連絡を取っていなかったし癌の話も誰にもしていなかった。だから、何故、鉄さんとその日、その場所で出会ったのか、そういう偶然があるのか、ないのか、よく分からなかった。ただ、鉄さんはオレがそこに来ることを知っていたんだと思う。なんか、そういう力のある人だろう?あの人は」
「どうっすかね。ただ、意味のない出会いはないとか、そういうことはいつも言ってるっすよ、伯父貴は」
「病気で気が弱くなっていたし、仕事もうまくいかなくなって、それで長塚の言っていた因果応報という言葉をよく思い出していた時だった。そんな時にあんたの伯父さんにいろいろと運命の話を教わった。あまり信じなかったけど。でも長塚の言っていることが少し分かったような気がした」
「……」
「馬が走るのを見て、勝って負けて、客が大騒ぎしている中でオレはあんたの伯父さんから人の生き死にの法則について教えて貰った。あんまり意味は分からなかったけど。いや、分かっていたけど認めると自分に都合が悪くなるから分からないふりをしていたのかもしれない。40を過ぎたらもう人生、取り返しなんかつかないよ。悪党ならなおさらだろ」
所長代理は何も言わなかった。
「別れる時に鉄さんは言った。52歳の誕生日に人生の結果が出ると。生まれた時から生きてきた人生の結果が出ると。それをもしも見届けたら、自分のところを訪ねてきて欲しいと。自分はいないかもしれないがその時は代理の者がいるから、そいつに何があったか話してくれと。この前の3月30日がオレの52歳の誕生日だ。だから、ここを訪れたんだ」
「1971年3月30日生まれ、ですね?」
男はふふふと声に出して笑った。
「鉄さんとよく似ているな、お姉さん。生年月日の訊ね方がそっくりだ。そう。1971年3月30日生まれだ」
「何か、ありました?」
「ああ。その前に……」
「何?」
「なんで52歳の誕生日になると人生の結果が出るんだ? その理屈を教えてくれないか?鉄さんに聞くのを忘れてしまっていたんだ」
ああ。それね。
丸山キイは続ける。
「52歳の誕生日がだいたい19000日。人生の結果が出るのが18888-19000日と決まっているんで、だから52歳の誕生日に何かあるのが普通ですよって言っておけばだいたいそうなる。それだけの話っす」
少女は解説を続ける。
「人間って九つのブロックで物を考える習性がある。人間だけじゃなくて生き物はみんなそう。そう考えるとつじつまが合う。生まれてから9日。生まれてから99日。生まれてから999日。生まれてから9999日。そうやって最初に『フレーム』を決めて、その枠の中で物語を完結させるように行動する。9999文字の日記帳を使っているのをイメージしてくれればいい。その9999日の日記帳が三冊で29999日。9999日は27年だから3冊使うと81年、と言いたいけれど少しずれてしまって82年。29999日で82年。ああ、0日と10000日、20000日はリセットの日なのでないものと考える。9999日とないものと考える0日で足して10000日なのだけれど9999日、ということにする」
丸山キイは言った。男は耳を傾けている。
「日記帳は9999日で一冊なのだから、人間の感覚だと結末は9999日目に来ないといけない。でも、そうはならない。物事は8888日で終わる。8889日から9999日までは本編としては扱われない。どうしてそうなっているのかって聞かないで。意味はよく分からないけれどデータを集めているとそういうことになっている」
「まず生まれる。0日。この日は0なのであるけれどないものとする。一番厳しいのは4日目。ここに峠が来る。死点。生まれて間もない子供はここを越えられないと死んでしまう。生き残ったら8日まで生きる。そこで完結。下死点。ここで死んでしまう人もいる。8日目と9日目の隙間に結果が出る時期があって、最後の9日目は反省と余韻の時期。次のサイクルに備える時期」
少女は相手が話に追いついて来られているかを確認しながら話をしている。
「10日目はお休みの日。リセットの日。11日目からまた9日のサイクルが始まる。18日目にサイクルは終了。18日目と19日目の境に本当に短い結果が出る時期があって、19日目はそれまでの8日を反省して余韻に浸る時期。20日に休みがあって21日から29日までまた9日のサイクルが始まる」
「それとは別に11日目から別のサイクルが始まっている。99日のサイクル。99日でひとまとまりの一章。9日のサイクルと同じ。9日は一つの単位サイクルが1日だつたけれど99日では11日が一つのフェイズ、単位サイクルになる」
「9日のサイクルは身体的なサイクル。一番原始的な体調のサイクルをイメージしている。風邪をひいて悪化して治るみたいな肉体的なサイクルだよ。99日はもう少し次元が上。小さな子が言葉を覚えたりするそういう単位をイメージしている。大人だったら勉強をして簡単な資格を取る、みたいな短期的な学習のサイクルをイメージしている」
「99日のサイクルの上死点は44日。9日のサイクルと基本同じ。4番目のフェイズに厳しい時期が来る。下死点は88日。9日のサイクルと同じでこちらも8番目のフェイズで終了。88日から90日の間に結果が出る時期があって、最後の9日は反省と余韻の時期。999日サイクルや9999日のサイクルも同じ。4番目のフェイズに苦しい時期が来る。444日、4444日。8番目のフェイズで終了する。888日、8888日。888日から900日までに結果が出る。8888日から9000日までに結果が出る。それで、18888日から19000日に結果が出る。19000日は必ず52歳の誕生日近辺になる。そういう理屈。ちなみに39歳6カ月15日というのも同じ。39歳6カ月15日がだいたい生まれてから14444日。ここを境に人間は下り坂。39歳6カ月15日と52才は全ての人にとっていろいろとある日なんだ。市川海老蔵って人いるでしょう。歌舞伎俳優。あの人の奥さん小林麻央さんが亡くなったのが市川海老蔵が生まれてから14443日。発表は翌14444日」
「そういうことか」
「そういうこと……です」
「いろいろと知らない約束事があるんだな」
男は自分に語りかけるようにして言った。
「じゃあ、あれかな、気が付いていなかっただけで、たとえば4444日であるとか8888日とかにも何かあったのかな、オレにも」
「あったと思う。分からないけど。4444日は12歳。8888日は24歳。寿退社で24歳っていうのは運命的にはすごく理にかなっているんすよ」
男は12歳の時、24歳の時に何があったのだろうか。
目黒は言いかけて、そこで口ごもり、そして結局話し始めた。
「12歳の頃はどうしていたかな。徳島にいたことは確かだ。大阪には時々行った。東京には来たことがなかった。あまり良いことはしていなかったな。悪いことしかしていなかった。弱い奴から金やら何やらむしっていた思い出しかない。むしった金はヤクザにつながってる年上の連中にむしられていた。親父はいつも飲んだくれていた。じいさんは死んでいて、ばあさんはいつも小言を垂れていた。オレは徳島で生まれたんだ」
丸山キイは黙っている。
「四国の中途半端な街。田舎だ」
少女はうなずいた。52歳の男が10代半ばの小娘に身の上話をしてるのだ。それは本当であればおかしな姿なのだ。だが、丸山キイは普通の娘ではない。
「おふくろはオレが子供の頃に出て行った。男ができたんだ。それで親父を捨ててどこかに行っちまった。親父は酒癖が悪かった。だからおふくろが出て行ったのも分かる。責めるつもりも今はない。オレはばあさんに育てられたんだ」
所長代理は黙っている。
「中学、高校と荒れていた。タバコ吸ったり酒飲んだり、クスリ、バイクを盗んだり。金持ちの坊ちゃんから金巻き上げたり。高校を中退して鳶になった。親方は良い人で、オレをかわいがってくれたよ。トラブルも起こさなかった。だが、転落事故を起こした。頭を打って、病院に担ぎ込まれて一週間意識が戻らなかった」
事故に巻き込まれる人は何度も事故に巻き込まれる。
「よく死後の世界とか三途の川とかいうだろう。そんなものは全くなかった。ただ暗くなって、目が覚めたらばあさんがそばにいた」
男は左手を見せた。
「まひが残った。左足もだ。鳶はもう無理だから、こっちに出てきた。千葉のパチンコ店で住み込みの仕事があった。そこで1年ぐらい働いた。長塚とはその時に会ったんだ」
所長代理は黙って聞いている。長い話である。だが、生まれてから52年の人生とは驚くほど遠い旅路なのだ。
「悪いことばかりしていた。楽しかったのかと聞かれたら、どうなんだろうな。イキっていたけどしょぼくれていた青春時代だったと思うな。後悔はないかと言われると『ない』と言うが、小学校からやり直せたらな、みたいなとこはよく思う」
少女は少し首を傾げるようにして男の顔を見ている。
「一週間ぐらい前に、叔母から久しぶりに連絡があった。悪いことばかりしていたし、ばあさんも死んで、親父も肝硬変でもうだいぶ前にくたばっていて、連絡も取り合っていなかった。ただ、癌の手術をする時にいろいろと書類が必要でそれで東京で働いている従弟にサインだけもらったんだ。金の面倒はかけないからって言って。だから叔母もオレの携帯の番号を知っていたんだ」
男の独白が続く。丸山キイは耳を傾ける。実際のことを言えば、こういうタイプの客が研究所の本当の客なのだ。渡井妃奈子のようなタイプは珍しい。病気、怪我、失職、離婚、親しい人の死、自殺。カウンセリングでも心療内科でも占い師でも新興宗教でも救われない人がこの研究所にやって来る。それをさばいているのが所長代理の小娘。
「おふくろが見つかったって話だった」
「出て行った?」
「そう。ずっと昔に俺を置いて出て行ったおふくろ。オレはそれですぐに鉄さんのことを思い出した。というか、52歳の誕生日に何があるのか、何が起こるのか、オレの人生の結果は何なのか、この一年ぐらいそのことをずっと考えていた。それを見るまでは絶対死ねない、死にたくないとそう思ってきたんだ。そうしたら」
「電話がかかってきたんだ」
丸山キイは言った。
「そう。そうだ。そしてオレは不意に分かったんだ。オレはおふくろを探して52年生きてきたんだって。そのためにオレは彷徨ってきたんだって」
「……」
「お姉さん、オレの考えていることはおかしいだろうか?」
「いや。おかしくない。それで正しい。それしか答えはないっす。そして、そういうことをここに報告に来る人はとても多い。というか、いつもです」
それは小さな奇跡なのだ。小さな人たちが長く孤独な旅の果てに触れる本当に小さな奇跡。
「ここに来る人はみんなそうやっていろいろなことを報告していく。目黒さんだけじゃない。52才。19000日。その日は27才、10000日からの、いや、もっと前、生まれた時から始まった人生の結果が出る日、答えが出る日」
少女の強い発言に男は安心したような表情を作った。だが、すぐにその顔に影が差した。
「おふくろは小田原にある特養ホームに入っているってことだった。施設でコロナに罹って、危ない時期があったらしい。それで何かあったらということで施設の方から叔母の方に連絡があった。それで居場所が判ったんだ」
「うん」
長い長い話に少女は合点がいった。
「お母さんに会いに行く?」
「……どうかな。オレが行っても覚えちゃいないだろうしな」
それが本題なのだ。男は少し困っているようであった。
「会ったとして何を話したらいいのか、どうしたらいいのか。向こうもオレに会いたいとは思わないんじゃないか」
「お母さんのことはどうでもいいんすよ。目黒さんが会いたいか会いたくないかっすよ」
少女はストレートに言った。男は口をつけていないコーヒーの入ったカップを見ている。黙り込み沈み込み、何かを考えている。丸山キイは言った。
「あれだったら一緒についていくよ?」
それは道に迷っている幼稚園児に語りかけるような口調である。相手をバカにしているのでも揶揄しているのでもない。本当にそうするのが相手にとって良いだろうと思ってそれで所長代理は言っているのだ。本当にできた女と言うのは14、5でもう十分に女、40、50の年季の入った女と変わらない。男は50を過ぎても男児のままなのだ。とても勝負にならない。ましてや人の知らない運命について熟知している小娘である。なまなかな男では太刀打ちができるわけがない。
少女の目は猫の目のようにして輝いている。ヤクザ者は少し怖じている。
「お姉さん、オレが世話になった組長の姐さんに似ている。とてもおっかない人だったな」
それは褒めているのだろう。
「まあ、目黒さんの好きにすると良いと思うよ。でも好き嫌い良し悪しはきちんと自分の目で確認しなきゃダメだよ。頭の中で思い込んで分かったふりをするのは死ぬ時にきっと後悔する。そういう人、何人も見てきたから。そこまで込みで19000日の結果だから」
「……」
「お母さんの誕生日って覚えてます?」
少女は訊ねた。窓の外は宵闇が広がる。通りの向こう、店のショーウィンドウが明るく輝いている。
「いや、覚えていないな。そんなもの考えたこともなかった」
「ああ、じゃあ、別に良いっす。やり方だけ教えます。ちょっと待って」
丸山キイは席を立つとテーブル奥、大きなデスクのさらに奥にある棚からファイルを一冊取り出す。
「ええと、これか。長塚さん。長塚さんのファイルもある」
少女はテーブルに戻って来るとスリープ状態にあるコンピューターの電源を叩いた。その様子を目黒は何とも言えない表情で見やっている。見つめるでなく眺めるでなく、視界に捉えて放さない。
「お姉さん、いい女だな」
丸山キイは視線を上げて、少し嫌な顔をした。
「女をいろいろと見てきたけど、いい女だなと思ったことは一度もない。一度もだよ。女は金を引っ張って来る道具としか見たことがない。ああ、大丈夫だよ。もう風俗はやめてしまったから、お姉さんをスカウトしたりはしないよ」
丸山キイは適当にうなずいた。そんなことはどうでもよいのだ。
「縁があるかないかっていうのをどうすれば分かるか教えたげる。お母さんのところに行った時にそれを調べるといい。目的があればお母さんのところに行く口実にもなるっしょ。何故、お母さんが出て行ったか本当の理由がわかるかも」
「そうだな」
少女は言った。
「やることは簡単だよ。自分の生年月日と相手の生年月日を引き算するんだ。たとえば」
18995
という数値が現れた。
「これは目黒さんの今日の生まれてからの日数。まだ19000日にはなっていない。4月5日が18999日。4月6日が19000日。19000+9日までが何かが起こりやすい日。力の解放があるゾーンだよ」
「そうか」
「ネットで検索すれば日数計算のサイトがいくつか見つかる。カシオがやっているところが一番わかりやすいからそこを使うと良いと思うんだ。やることは簡単だよ。こんな感じ」
1971年3月30日
1973年5月12日
「1973年5月9日は長塚さんの生年月日。サンプルとして使わせてもらう。この数値を引き算して」
丸山キイは操作をして結果に口を閉ざした。普通の人には分からない。だがプロには分かる、プロにだけは分かるものがあるのだ。少女は自分に頷いてから言った。
「774って出てるでしょ、数字」
「ああ、出てるな」
「777-3日って見る。こんな感じで下三桁がゾロ目で揃っている相手は兄弟の関係。目黒さんと長塚さんは兄弟と見做して構わない。そういう関係」
目黒はしばらく言葉を発しなかった。
「兄と弟の関係。血筋とかは関係ない。でも兄と弟」
少女は男の瞳を覗き込んでいる。
男は深く深く自分の記憶の底に沈んだ何かに触れているような、そんな表情を作った。
「774。パチンコで大当たりが外れたような気分だな」
「うちではこれは大当たり」
丸山キイは所長代理の肩書を誇るようにして応じた。
「兄弟か。兄弟。そう、そうかもな。いろんな奴と会ってきたけれど今までずっと繋がっている縁は長塚だけだ。カタギになろうと誘ってくれたのもあいつだけだったな」
客はぼそぼそっと呟いた。思うことがあるのに違いない。
「こんな感じで、縁がある相手と自分の生年月日を引き算した時に115とか、339とか660とか111、333、666みたいなゾロ目に近い数値が出てくることがある。これが縁のある相手のパターン①。もう一つ。02とか99とか、05とか00に近い数値が出てくることがある。600とか700とかね。そういうの縁があるパターン②」
「うん」
「お母さんの生年月日が分かったら目黒さんの生年月日と引き算してみればいいんだ。9222日とか8333日みたいな数値が出てきたら縁のある親子ってこと。計算のやり方書いたパンフレットあるから、ちょっと待って、今、それ、あげる」
丸山キイはそういってテーブルの下にしまってあった薄い冊子を取り出した。
銀座運命研究所 『縁のチェック法』
コピー用紙をホッチキスで止めただけの小冊子にはそのようなタイトルが黒いインクで印字されている。
少女は言いながらテーブルの上に無造作に置かれていた名刺入れを開いた。そしていつもの通り自分の名刺を取り出して目黒に渡した。
「分からないことがあったら、そこにメールを。ファックスでもかまわない」
「うん」
手際のよい小娘を男は微動だにせず凝視している。表情は相変わらず薄いが先ほどのようなこわばったものはない。
「?」
「オレは女をうまく転がして、それで生きてきたと思っていた。女を駒にして、女なんて馬鹿な生き物、何の意味もない使い捨てのものだとずっと思ってきたんだ。実際だらしない女ばかりだった。けれどそれはオレも同じだ。オレは今は思うが、オレは女たちを利用していたように見えて本当はあいつらに生かしてもらっていたんじゃないか。あいつらはオレを支えてくれていたんじゃないか。なんか、そんなことを思ったんだ」
「そう思うんなら多分そうなんじゃないっすか」
「なんだかんだでオレは、いつも女の掌の中だったな」
男は月のように青い顔で静かに言った。そして丸山キイは太陽のように軽くウインクをするようにして言った。
「幸せになりたきゃ騙され上手になるといいって。伯父貴がいつも言ってるよ」
銀座桜通り。細い道に八重桜が満開になっている。制服姿の小娘は上着のポケットに手を突っ込んで花を眺めている。すぐ真向かいには茨城県のアンテナショップが見える。
平日午後の銀座は勤め人の姿が目立つ。外国からの客もいる。イタリアかどこかからか来ているのだろう。大柄な白人男性がスマホで写真を撮っている。
「うん」
特に意味があるわけでもない。野良猫のような娘は頷いた。
目黒が来てから数日が過ぎた。連絡のようなものはなかった。一度来て、話をしてそれで二度と研究所に来なくなる客も少なくない。思っていたような結果が出ないでそれが不満で来なくなるものもいる。恋愛運を見て欲しいというようなことを言われても丸山キイとしては困るのだ。計算ができないからである。縁があるかないかは分かる。ただ、長く続くかは分からない。人の心は移ろうのが早い。数値を見るだけではとても追いきれない。
「キイちゃん」
見上げている小娘に声があった。受付の初老の女性であった。渋い茶色のスーツを着けた受付は所長代理がどこにいるのか分かっていたようである。
「ああ、水谷さん。誰か、来た?」
灰色のマスクを着けたまま丸山キイは応じた。
「ああ、いや、そうじゃなくて、今、電話がありましたよ、長塚さんから」
「長塚のおっちゃんか」
時々、研究所にやって来る古参の客。一度しか来ない客も少なくはないが、訪れる客は何度も訪れる。渡井妃奈子のように。長塚もそういう一人である。そして長塚がどういういわれの人か所長代理は既に知っている。
「目黒さんの話をしてましたよ。なんか、いろいろとあったみたいです」
「目黒のヤーさん、お母ちゃんと会えたのかね」
「さあ、どうでしょうかね。その話はしてませんでしたよ。長塚さん、連休前にお見えになるって言ってましたからその時に何か話してくれるんじゃないですか」
初老の受付嬢は笑顔を作って、丸山キイは言った。
「戻るか」
小娘はぼそっと言った。
そろそろ本日の客が訪れる時間である。
「今日は、どういう人が来んのかね」
願わくば本日の相談が常識的ものであらんことを。
こちら銀座運命研究所。 @zikokukan
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