こちら銀座運命研究所。

@zikokukan

コロナワクチンとトロンボーン

 

 昔。

 天文に彗星という凶兆があって、そこでアステカの皇帝モンテスマ(モクテソーマ)は魔術師たちをテノチティトランの壮麗な宮殿に集めてこう問うた。

 「これからこの帝国に何が起こるのだろうか」

 魔術師たちは口をそろえて答えた。

 「何が起こるかは分かりません。ですが何かが起こる日は決まっています。それは陛下が生まれた時から決まっているのです。重ねて申し上げますが何が起こるかは分かりません。ですが何かが起こる日は決まっているのです。そしてそれは目睫に迫っています」

 魔術師たちに言われて皇帝はすっかり気落ちしてしまった。彼は魔術師たちの計算がいつも正しいことを知っていたからだ。

 そして計算の通りそれはやってきた。

 東の水平線の彼方から木で作った海に浮かぶ砦が流れ着いたのだ。

 砦の中には白い肌にひげを生やした人たちが大勢乗っていた。

 偉大なアステカ帝国を滅ぼす白い人たち。スペインの兵士たちだった。




 銀座の街の片隅、数寄屋橋の交差点から東京駅の方に五分ほど歩いたところ、外堀通りに面した雑居ビルにその事務所はあった。表には看板は出ていない。ただ一階郵便受けに『銀座運命研究所』という表札が入っている。

 ガタつく古いエレベーターで五階に上がるとすぐにあずき色をした鉄の扉があって、それを開けると受付がある。広さは事務所の広さは十坪あるかないか。受付には六十過ぎの眼鏡の女性が座っていることもあるが、いない時もある。営業日、営業時間などについても表記などはなく、この研究所がいつ業務を行っているのか、何を研究しているのかということも普通の人間であればよく理解できないはずである。だが、というか、当り前のことだがそこに受付を雇ったうえで事務所を構えているということは何某かの存在理由と存在価値があるからであり……



 「そいつはチンマンと言って……」

 椅子に座った眼鏡と白マスクの三十男がそのように話し始め、そこであっという間にストップがかかった。

 「あっ?はあ?何?ちょっと待て、何だって?」

 話を受けて応じるのは紺色のブレザーを着けた若い娘である。癖のあるショートヘアの少女。いきなり大声を上げたので黒いマスクがずれて唇が露になった。巻き毛の猫のような人物である。突然のツッコミに男は挙動不審に左右を見回した。

 「何って?あの」

 痩せた青白い顔の男は言い澱んだ。何故、相手がそのように嫌な顔をして大声を上げたのかよく理解できていないようである。紺色のブレザーの娘は左の奥歯を見せるようにして口を歪めて言った。

 「なんだよ、そのチンマンってのは!」

 眼鏡を着けた三十男は自分で相手の激昂を誘っておきながら少し驚いたような顔をして、それから説明を始める。

 「チンマン仮面は僕の友人で名前を中島誠というのです」

 少女はずれた黒マスクを元に戻して言った。

 「最初から中島誠でいいじゃんよ。チンマンなんて変なあだ名言わなくたっていいだろうよ」

 少女は呆れかえっている。

 「女子高生相手に十分セクハラじゃねーか」

 「すみません」

 男も少し変な人物なのだろう。色の褪せたチノパンにデニム地のシャツ。十五時の平日をうろつくにしてはいで立ちがラフに過ぎる。普通のサラリーマンではありえない。

 「で、そのチンマンがどうしたのよ」

 「あの……」

 「何よ?」

 男は何か言いたげであった。

 接客用のテーブルの上、少女のほうに向けた名刺が一枚。

 

 文筆業 茂田要一


 それが三十男の名前であろう。茂田は何かを考えているのか少し沈黙し、そこで少女は突然大声を上げた。

 「水谷さん、コピー用紙ってあるーっ?」

 少女はパーテーションの向こうにいる受付の女性に訊ねたのだ。

 「買ってありますよー。ファイルの棚の下にいれときましたよー」

 受付の女性が声だけを返してきた。そして茂田は満を持したようにして言った。

 「あの、所長先生はどちらにいるのですか?」

 「?」

 娘は不思議そうな顔をした。

 「運命研究所の所長先生は、こちらにはおられないのですか?」

 十坪程度の研究所にはブレザーの小娘と受付の初老の女性しかいないのだ。どちらも『所長』ではありえない。小娘は首をかしげるようにして三十男に斜めの視線を送って言った。

 「伯父貴ならいないよ」

 「いつ戻って来られるのですか?」

 巻き毛の小娘はあっさり言った。

 「知らん」

 「……」

 「帯広に行ったかもしれんし、大阪かも。原発の後始末に飯館に行っちまったかも。千葉の女のところかも。本当に女の人がいるのか知らんけど」

 「……」

 「でも大丈夫だよ。あたしで十分対応できるから。知りたいんでしょ、いろいろと」

 「ああ、でもまあ」

 三十男は戸惑っている。有体に言って茂田は小娘ではなくてこの事務所の本当の主人、所長と話がしたいのだ。

 「誰だっけ、誰かの紹介で来たんでしょ?」

 小娘はテーブルの上のコンピュータに電源を入れるとそのまま席を立った。事務所の奥、プラスチックのファイルが入った大きな棚の脇にある汎用コピー機に近づくと、こちらの電源も入れる。

 「大橋豊の紹介です」

 「エロ小説書いている人ね。知ってる。伯父貴の昔の馴染みだって。自転車が好きでいつも走り回っているんでしょ。興奮すると1人でビールかけしたりしてるって聞いたことある。二階ぐらいここに来たことがある。なんか変な人だよね」

 小娘はコピー機を弄って用紙の補充をしながら背中で続ける。

 「所長はいるかいないか分からんから、姪っ子が代役をしているって聞かんかった?」

 「いいえ、聞かなかったです」

 少女はコピー機のトレーをぱたんと押して閉めると振り返った。

 「そいつは残念」

 男は困惑している。

 「所長さんと連絡はとれないのですが?」

 ブレザー姿の少女は奥の棚からファイルを一つ抜き出すと、接客用のテーブルとコピー機の間にどんと置かれた大きなデスクの上に無造作に置いてあった黒の油性ペンを掴んで、それから先ほど座っていた椅子に戻って来る。

 少女はパーテーションの向こうの受付に向かって大声を上げた。

 「水谷さーん! 伯父貴と電話繋がるー?」

 すぐに笑い声が返ってきた。

 「公衆電話しか使わない人なので連絡とれないですよー」

 少女は少しつまらなそうにうなずくと男に訊ねた。

 「出直す?伯父貴はいつ帰って来るか分からんよ。あんまり緊急でないならば伯父貴が帰ってきた時に話を繋ぐってことにする?それでもいいよ。連絡一年後になるかもしれんけど」

 明らかに場慣れしたコンサルタントである。こういうことはよくあるのだろう。

 茂田は少し考えて、青白い顔を横に振った。

 「いいえ、少し急いでいるので、それでしたら取り合えず話だけしていきます」

 「分かった」

 で、何だっけ、チンマンか。

 小娘はぼそりと言った。男は話を始める。

 「僕は茂田と言います。歴史関係の雑誌とかでライターをしたりしています。史学科を卒業しているので、そういう仕事をしています。今年で七年目です。大橋さんとはそういう関係で知り合いました」

 うんと娘は言った。少し古い過去からの自分語りを始めた茂田を小娘は今度は止めなかった。それは必要な情報だったからだろう。

 こういう本とかを作っています。

 男は脇に置いてあるカバンの中から新書を取り出した。

 ーーアステカの栄光と破滅。

 メキシコの古い歴史の物語。スペインに滅ぼされた帝国の悲劇の物語。少しずれた男だが書いている内容はまともなようである。小娘は受け取った本をさらっと眺めた。そしてこういった。

 「角川ね。会長さん逮捕されちゃった会社だね」

 「うーん」

 KADOKAWA。旧角川書店の会長角川歴彦氏はオリンピック関連の疑獄で逮捕されている。2022年9月14日のことである。

 「でも有罪にはならんかもしれんでしょ」

 少女は世慣れている。問題は裁判で有罪になること。逮捕されても無罪であれば理論的には問題ではないのだ。

 「あー、じゃあ、こうだな。ちょっと待って」

 ブレザーの小娘は長い指先で軽くキーボードを叩いた。何か計算をしているようである。横顔に癖のある髪が揺れている。口は汚いがこの娘は十分に美形と賞賛されるべき容姿の持ち主である。

 「ほれ」

 小娘はそう言って自分の方に向いているキーボードをクライアントに向けた。

 

 28888


 数字が表示されていた。

 「なんですか、これは?」

 「そいつは角川歴彦さんが生まれた1943年9月1日から会長職を辞任した2022年10月4日までの日数」

 少女の説明に男はぼんやりしている。何をどう反応したらよいのかがまだよく分かっていないようである。

 だからそれが何なのだ。

 反応の鈍いクライアントに、コンサルタントは再びキーボードを叩いた。物事を理解して事務所にやってくるものもいるが『何も分かっていない』客も時々いるのだ。

 

 18890


 という数字が表示された。

 「これは?」

 「1769年8月15日から1821年5月5日までの日数」

 「……」

 「ナポレオン・ボナパルトが生まれてからのセントヘレナで死ぬまでの日数。18888日と2日と見るんだよ」

 説明を受けても茂田の目に輝きはない。惑乱の色が瞳に映っている。

 「ふん。じゃ、これ」

 

 9000


 「分かりません」

 「1931年2月8日から1955年9月30日までの日数」

 「はあ」

 「ジェームズ・ディーンが生まれてから死ぬまでの日数」

 男は少し考えてから言葉を選ぶようにして言った。

 「それはつまり……人間の死ぬ日が計算で分かるということですか」

 「さて」

 所長代理は肩をすくめた。

 「このやり方はペテンだよ。だって、私が『聞いている人の心に引っかかりそうだ』というケースだけをセレクトしてサンプル利用しているんだから」

 「けれど、何かの法則があるということですか」

 チンマンの友人は少しずれたところがあるが思考に関しては思いもよらず優れているところがある。

 「そ」

 小娘は言った。

 「多分、そういうのがある」

 「あまり信じられない。そういう話は聞いたことがないです」

 茂田は首を振った。小娘は鼻で少し笑ったようだったがそのままクライアントの意向を気にせずにキーボードを叩き続ける。

  

 9445


 「それは?」

 「1503年12月14日から1529年10月23日までの日数。かの大ペテン師ノストラダムスがモンペリエの大学に入学した日。9444と1日だよ」


 19000


 「どういう数字ですか」

 「1964年7月25日から2016年8月1日までの日数。高島礼子さんって女優さん知ってる?その人が生まれてから離婚するまでの日数」


 14440

 「次は何ですか」

 「14444-4日。1977年1月31日から2016年8月14日。SMAPは知ってるでしょ。シンゴちゃん、香取慎吾が生まれてからSMAP解散までの日数」

 その数字に何の意味があるのか。単に自分に都合の良い数字を並べているだけなのではないか。

 「人間の転機となる日は生まれた時から決まっているということですか?」

 三十男は『死ぬ日』ではなくて『転機となる日』と言い換えて訊ねた。

 「どうなのかね。どうなんだろ。でも伯父貴はそうだって言っている」

 ブレザーの少女は真剣であった。ふざけているのではないのだ。

 「あたしも多分それであっているだろうって思ってる」

 茂田は何も言わなかった。なかなか本題に戻ることができないのだが、その脱線は必要なものなのだ。

 「今みたいな綺麗な数はあまり出てこない。実際に調べてみると死亡日でも結婚した日でも離婚した日でも13439日であるとか、4658日みたいにきちんとしたゾロ目の日はあんまりないんだ。見方は13444‐5日と4666-6日だかんね。ちなみに」

 マスクの男は真偽を測りかねている。それはそうだろう。それは彼が初めて聞く理屈だったのだから。女子高生は話を続ける。数値がディスプレイに表示された。今度は複数の数字である。


  771、1553、3556、3890、4445。


 「777-6日、1555-2日、3555+1日、3888+2日、4444+1日って補正をかけるんだ」

 「これは?」

 「1991年1月17日を基準日として、1993年2月26日、1995年4月19日、2000年10月12日、2001年9月11日。2003年3月20日までの日数」

 「何があった日ですか」

 「湾岸戦争が始まって、一度目の世界貿易センタービル爆破事件、オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件、アメリカ海軍艦コール襲撃事件、9.11テロ、イラク戦争開戦までの日数だよ。湾岸戦争が始まって777-6日後に一度目の世界貿易センタービル爆破事件があった。1555-2日後にオクラホマシティ連邦政府ビルが爆破された。3555+1日後にアメリカの軍艦コールが襲われている。3888+2日後に9.11テロ。4444+1日にイラク戦争開始」

 「本当なのですか?」

 歴史に関係する学問を修めていることもあるのだろう、茂田は少し腰を浮かしている。そのような数値の関係を茂田は初めて知ったのに違いない。

 少女は普通の様子で言った。

 「うん。自分で調べてみればいいじゃん」

 「調べるってどうやって?」

 「日数計算のサイトで。スマホで日数計算って検索すればいくつか出てくるよ。表計算のソフトが使えるならばそれでもいい。エクセルとか、スプレッドシートとか」

 猫のような娘はそう言ってファイルの中から一枚紙を取り出して顧客に渡した。

  

 1991年1月17日 湾岸戦争開戦

 1993年2月26日 世界貿易センタービル爆破事件

 1995年4月19日 オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件

 2000年10月12日 アメリカ海軍艦コール襲撃事件

 2001年9月11日 9.11テロ 

 2003年3月20日 イラク戦争開始


 「実際に自分で計算してみりゃいいじゃん。確認しないとあたしらが何やってるか分かんないだろうし、分かんないことやっている人間の言葉なんか信じられないじゃんか」

 若い娘は言い、顧客は自分のスマホを立ち上げて調べ始めている。

 「日数計算で検索してみると良いよ。カシオの奴が一番使いやすいと伯父貴も言ってるしあたしもそう思っている。日数-日数というのがあるから、それを使うと良い。あ、『初日を含まない』に設定して」


 1993年2月26日 - 1991年1月17日 = 771

 

 「うーん」

 茂田は唸った。

 111で常に揃う。概ね揃う。事件が起こった日が数値的に揃っているように見える。

 

 1995年4月19日 - 1991年1月17日  = 1553日

 

 2000年10月12日 - 1991年1月17日  = 3556日


 「あってるっしょ?」

 「あってます」

 「1555日とか3555日といったビタでそろう数値はないけれど、なんとなくそれっぽい数値が出てくる。誤差はプラスマイナス9日」

 三十男は青白い顔がさらに青くなったように見える。ようやくここで本題に入る準備が整ったのだ。

 猫のような娘はそこで言った。

 「うちでは、こういう日数の特性を利用して人間の運命を計算している。そういうのがうちらの仕事。半分ペテンだと思うけど」

 「……」

 「名前を言うのを忘れてた。あたしは丸山キイ。この研究所の所長代理」



 コルテスとスペインの兵士たちが帝国に入ってこないようにモンテスマは必死になった。土産となる財宝を差し出してコルテスに東方への帰還を願った。

 「お願いです。お帰り下さい」

 命じたのではなくてお願いをしたのだ。皇帝モンテスマの態度は現代の日本人には少し奇妙に見える。コルテスの兵士は僅かに500名を越える程度でしかなかった。一方アステカの兵士は数万を数えていた。兵力差で言えばコルテスはとても対等な立場とは言えなかったし、皇帝モンテスマが哀願しなければならないような相手ではなかったのだ。

 このような皇帝の弱腰の理由の一つに中央アメリカに伝わる『神話』があった。

 策謀によって地位を奪われて追い出された白い神の伝説である。

 ケツァルコアトルという神である。羽毛のある蛇の姿をした神であり、おそらくそれは日本でいうところの竜神と本質は同じだろう。水の神であり農耕の神である。この神は中南米でありきたりに見られる人身御供に反対し、そこで人身御供を好む神テスカトリポカと争うこととなった。戦争の神テスカトリポカは計略を用いてケツァルコアトルを追い落とすことに成功する。国を追われ、落ち伸びていく際にケツァルコアトルはこう言った。

 「私は一の葦の年に戻って来るだろう」

 複雑なアステカの暦で一の葦の年は西暦にして1519年。コルテス達がやってきた年と偶然に一致していた。そしてケツァルコアトルの容貌は白い肌にひげを蓄えるというものであった。それはまさにスペイン人、コルテスの姿そのものであったのだ。アステカの人々は現実の世界ではなくて神話の世界に生きていた。銃器火砲を駆使する現実社会に生きるコルテス達とはまったく異質の世界の人々だった。最初から対等な戦争ではなかったのだ。



 「中島という男とは高校時代からの付き合いです」

 ようやくクライアントの説明が始まった。テーブルの上には受付の女性が運んできたコーヒーカップが二つ。

 「年は同じです。運動神経の良い奴で、高校の時は硬式野球部だったです。僕は吹奏楽部でした。一緒のクラスだったのは高校3年の時だけです」」

 少女は少し首を傾げた。何か引っかかるものがあったのかもしれないが何も言わない。

 「大学は違います。僕は史学科に行って、中島は別の大学で経済学を学んでいました。大学でも中島は軟式野球をやっていました。僕はマスコミ研究部だったです」

 丸山キイは椅子のひじ掛けに肘をつき、口元に手をやって少し斜めにクライアントの顔を見ている。茂田はコーヒーに映る自分の顔を見ているようである。所長代理の鋭い視線には気が付いていないかもしれない。

 「中島は病気もしないし、頑強な奴だったと思います。怪我はしょっちゅうしていたみたいですが」

 丸山キイは黙って聞いている。

 「大学を出て、僕は今の道に進みました。中島は上場している電機メーカーに入りました。電気カミソリとかを売っているとかそんなことを話してくれました」

 「なるほど」

 丸山キイはうなずいた。

 窓の向こう、日が西に傾き始めている。柳の木の下を着飾った人たちが早足に行き交っている。翌日が春分ということもあってマスクを着けた人々の足取りも心なしか軽く楽し気に見える。

 そして男は突然こう言った。

 「中島は昨年死にました」

 少女は軽く目を閉じるとため息を一つ。それはいつものことなのだ。

 「茂田さんもそうだけれど、まあ、ここに来る人はみんなそんな感じだよ。幸せな人は普通ここには来ないね」

 「コロナのワクチンを打った直後に亡くなりました」

 丸山キイは、目を閉じたまま息を深く吸い込んで、ふーっと吐き出した。重荷に耐えかねたような表情である。

 

 そういう話なのね。


 小娘は眉間にしわを寄せた。 

 「それで僕は何故チンマンが死んだのか、その理由を聞きたくてここに来ました」

 「コロナのワクチンを打ったから死んだ、で結論は出ているけれど、そういうことじゃないんだね」

 小娘は目を開けるとマスクをずらして、それからコーヒーカップを取り上げて一口すすった。

 「そうです。それは分かってはいるのですが。分かってはいるのですが……」

 男は抑揚のない声で言った。もともとこのクライアントがおかしい人だったのか、それともおかしくなってしまったのか所長代理にも分からない。ただ、そういう人が疫病が発生してから多くなったことは理解している。

 「そのことを大橋さんにも話した?」

 少女は紹介者の名前を言って確認した。

 「はい。それでこちらのことを教えて貰いました」

 「ふーん」

 女子高生は何とも言えない笑みを作った。

 「それは大変だったね、多分」

 話を繋いだエロ作家は恐らく茂田の話にどうにもならなくなったのだ。普通の人では対処ができない話である。いろいろと相談されてしんどくなって、それでとにかく逃げ出したい一心で後輩のことを研究所に投げてきたのだろう。茂田は来所にあたって本来であれば必ず済まされているはずの詳細な説明がまったくなされていないのだ。

 

 クソ、あのエロ小説家め、いい加減なことばっかりしやがって。

 

 丸山キイは内心で毒づいていて、それを面に出さないようにして訊ねた。 

 「じゃあさ、まず中島って人の生年月日、教えてくれる?」

 「え?」

 丸山キイの言葉に茂田は聞き返した。

 「知らないの?」

 少女の方が今度は聞き返す。

 「ああ、いえ、はい確か七月だったような……」

 ふーん。

 少女は適当にうなずいた。何か、いろいろと考えを巡らせているようである。

 「あのさ、うちではさ、生年月日がないと話にならないんだわさ。生まれてからの日数を基本にしていろいろと未来を予測するからさ」

 丸山キイは腹を立てているというわけではないようであった。ルールを知らないのだから仕方がないのだ。

 「同じ学年だっていうんだったら茂田さんと生まれた年は同じってことだよね」

 「ああ、はい、そうです。1994年生まれです」

 「ちなみに茂田さんの生年月日は?」

 「1994年6月5日です」

 「ってことは、中島さんは1994年7月何日かの生まれってことだよね、うん」

 丸山キイは再びパソコンのキーボードをたたき始める。

 「あの、中島の生年月日が判りましたらメールで知らせします」

 「ほい。そうしてちょうだい。ええと、そうね、こうか。よし1994年6月5日、と」

 入力が完了したようである。

 「中島さんが亡くなった日は……覚えてる?」

 「それは覚えています。昨年の8月5日です。2022年8月5日です。広島の原爆投下記念日の前日です。金曜日だったはずです」

 うん。少女は満足して言った。相手が本当に真実を知りたいと思っているという確認が取れたからである。亡くなった人の命日も知らないような人間が本当に真実を知りたいと考えるかと言えばそういうことはないだろう。

 「ほれ」

 ディスプレイに数字が現れた。


 10288


 「これは?」

 「2022年8月5日時点での茂田さんの生まれてからの日数。10288日」

 「これで何が判るのですか?」

 「誰かが死んだときに、10300日であるとか10333日みたいな数字が出てくる人が死んだ人が選んだ人。誰かが死んだことでその死によって影響を受ける人。茂田さんは10288日だからそういう人ではないってこと。実際にはもう少し微妙なんだけれど素人の人はそれでいいよ」

 「そうなのですか」

 茂田は納得していない。丸山キイにだけ分かるルールを解説されて、すぐにそうですかと得心する人物は恐らくあまりいないはずである。

 「10200日であるとか10600日、20300日みたいな下二桁00日の日や、10777日や10888日みたいな下三桁ゾロ目の日を『力の解放日』という」

 少女は言った。

 「力の解放日、ですか」

 「そ。勝手にうちらでそう決めた」

 「……」

 「人間には、というか、生物には9単位で物事を考える癖がある。9サイクルだよ。9日、99日、999日、9999日。お坊さんの千日行ってあるっしょ。あれは本来的には999日+1日ってことなんだ」

 丸山キイは続ける。

 「多分、本人は気が付いていない。だけど、比叡山の千日回峰行なんかは、始めた日とか終る日とかを調べると、やっているお坊さんが生まれた15000日に初めて、16000日に終わっているとか、そういう区切り良い数字が出て来ると思うよ。意識はしていない。けれど、人間は自分の生まれた日からの日数、リズムに合わせて行動を起こし、リズムにあわせて結果を出すんだ」

 少女は続ける。

 「だから湾岸戦争が始まってから4444日と1日後にイラク戦争が起こるんだよ」

 「うーん」

 茂田は唸った。確かにそう言われればそのような気もする。おかしな理屈だが、筋は通っているのだ。それは占いではなくて、ある程度のデータに乗っ取った技術。

 「九星気学は9日単位で物を考える。西洋占星術は12日。四柱推命は10日と12日の組み合わせ。九星気学の9日はよいとして、何故、12日であるとか10日が出てくるのか。それは11日の近似値だから。99日を9で割った11日という解を導き出したいから」

 「11日、ですか」

 「そ、占いもきちんと集めたデータの上に成り立っているんだ」

 少女は猫のような目を輝かせて言った。

 「だから、清原和博、6669日、桑田真澄、6442日、みたいな数値が出てくる。6666+3日と6444-2日」

 「それは何の日ですか」

 「1985年11月20日。ドラフトがあった日。野球。知らない?清原和博を読売巨人が獲得するとかしないとか言って、結局巨人は桑田を獲ってトラブルになったって話」

 「いいえ、そういう話は」

 男は首を横に振り、小娘はマスクに半分隠れた相手の顔をじっと見ながら言った。

 「中島さんだったら知ってたかもね。野球やってたんでしょ」

 少女は続ける。

 「いずれにせよ言いたいことは、その日に力の解放日が巡って来ないということは、その人はその日に起こったイベントの主役にはなりにくいってこと。中島さんが亡くなった日は、茂田さんにとってどうでもいい日とは言わないけれど、茂田さんは中島さんの死にはあまり関係のない人なんだ。あたしらのルール的にはね。主人公は別にいる。当然だけれどそれは亡くなった中島さん本人か。ご家族か、どっちかだと思う」

 丸山キイはコンピュータを操作する。

 

 10515

 

 「今日は2022年3月20日。茂田さんは今日で生まれてから10515日。10500日ならば力の解放日。10555日でも力の解放日。10515日はどちらでもないから力の解放がない日」

 茂田は黙ってうなずいた。

 「力の解放がある日は結果が出る日、何かを始めるきっかけとなる日、何かが起こる日ってことでも構わない。怪我をしたり、病気になったりする。結婚したり離婚したりすることもある。就職したりもする。国会議員だったら選挙の日が巡って来る事が多い。社長だった決算関連のイベント。逮捕されたり、辞任したりもする。角川の会長さんが28888日に辞任したみたいにね」

 「……」

 「今日、ここに来たことも多分茂田さんにとってはどうということのないことなんだ。来なければならない日でもないし、来てあたしと話をしても多分心に響かない。今日は。もしかしたら、茂田さんは茂田さんの意思ではなくて、誰かの代理でここにきているのかも。本当の主人公はどこかにいる。亡くなった中島さんって人かもしれないし、他の誰かかも」

 「僕も10555日になれば、何かが起こると」

 「起こるかも知らんし起こらんかも。必ず、その日に何かが起こるかは分からん。起こってみてもどうということもないかもね。家賃の更新日とか。そんな程度かも」

 丸山キイは少し投げやりに言って、またテンキーを叩いた。

 「いずれにせよ10000日から10999日はどんな人にとってもすごく重要だからさ」

 日数と日付がディスプレイに映った。


解放日  解放日対応日

10000日 2021/10/21  

10025日 2021/11/15

10099日 2022/01/28

10100日 2022/01/29

10111日 2022/02/09

10200日 2022/05/09

10222日 2022/05/31

10300日 2022/08/17

10333日 2022/09/19

10400日 2022/11/25

10444日 2023/01/08

10500日 2023/03/05

10555日 2023/04/29

10600日 2023/06/13

10666日 2023/08/18

10700日 2023/09/21

10777日 2023/12/07

10800日 2023/12/30

10888日 2024/03/27

10900日 2024/04/08

10999日 2024/07/16


 「これは?」

 「10000日から10999日までの茂田さんの力の解放日。直近の999日サイクルチャート。何かが起こる日、何かを始める日、結果が出る日はいつかっていう表」

 茂田は食い入るように見ている。

 丸山キイは続ける。

「基本、10444日が一番厳しい時期だよ。4番目のサイクルがいつでも厳しい。4日目。44日目。444日目。4444日目。10000日から10999日までの999日サイクルでは10444日が一番苦しい。茂田さんの10444日は今年の1月8日。ただ普通はそこまでに苦しいピークが来てしまうんだ。10400日ぐらいまでだよ。金銭、家庭、仕事、体調、いろんな面で塞がる」

 少女は続ける。

「2022年9月19日が10333日でしょ。角川の会長さんが逮捕されたのが9月14日。10333日が絡んでくるから、結構このあたり仕事で厳しかったんじゃないの。激震が走ったっていうか」

 茂田はうーんと唸った。それは思い当たる節があるからだろう。

 「中島さんが亡くなったのは8月6日でしょ。10288日。だいたいだけれど10222日ぐらいからうまく行かなくなるんよ。人生。それで、10300日ぐらいに爆発。いろいろなものを捨てることになるんよ。家を出たり、仕事を辞めたり、病気になったり、身内が亡くなったり。自分が死んでしまうこともある。10300日ぐらいってあんまり良いことない」

 丸山キイはマスクをずらすとコーヒーカップを口元にやった。コーヒーはもう冷めてしまっている。

 「27から30歳って結構危ないんだ。パワーに溢れて無病息災ってわけでもない」

 「死んでしまう、ですか」

 茂田は少女の言葉を繰り返した。中島誠はその27歳から30歳の間に亡くなったのだ。 

 「10444日が折り返し点なんだ。ここを越えると人生は下降期に入る。拡大期は終って、衰えていく。10444日が夏至。10888日に向けて季節は秋、冬に向かう」

 「10888日……」

 ああ、そうだ、999日のサイクルではピリオドは888日に来るんよ。何故って聞かないで。色々とデータ集めたらそうなったって話。888日から900日に結果が出て、最後の99日、900日から999日までは、それまでのカリキュラムがきちんと出来ているか復習ドリルの時期。11000日以降の人生の準備期間、と見てもいいよ」

 そうなんですか。

 茂田は何か気になることがあるのかディスプレイの一点を見つめている。

 「どうしたん?」

 「2021年11月15日」

 「その日、何かあった?」

 「いや、あの、この本を出版しようということで編集から電話で連絡を貰った日なんです」

 アステカの書籍。男は自分の著作を見つめている。

 「10025日ね。そう。10000日が始まって最初の25日、長く取って10044日ぐらいまでに何か印象的な出来事が起こることが多いんよ。誰かと会ったり、仕事を始めたり。10999日までの999日の方向性を決める出来事が起こるんだ。そしてその出来事が19999日までの人生の方向性を決める。行ってみれば54歳、19999日までの長い人生の片道切符がもらえる日」

 「うーん」

 茂田は真剣になって唸っている。符合するものが多いのだろう。

 「こんな感じでうちらはその人の過去に何か起こった出来事を探ったり、未来を予想したりするんだ。何かが起こる日は生まれた時にもう決まっているからね」

 丸山キイは笑った。なかなか堂に入ったカウンセラーである。

 「ただ、10000日から10999日までの人生を予測するのはとても難しいんだ。だから茂田さんがこれから10888日までに何が起こるかは正直予測できない。まあ、今の仕事を続けているだろうってことぐらいは分かる。それから10099日ぐらいまでに何か大きな事故や怪我、病気をしていなければ10999日ぐらいまで普通は生きる。逆に言うと、10300日ぐらいに死んでしまう人はそれまでに何かトラブルを起こしていることが多いんよ。何も予兆がなかったということは多分ない。10044日ぐらいにもワクチンを打っているかもしれないし、もっと別の出来事があったかもしれない。ご家族ならば多分思い当たる事があると思う。多分」

 「予兆、ですか」

 「だから、今度来る時には、茂田さんだけでなく、中島さんの奥さんと一緒に来るといいと思う。茂田さんだけでは真実に届かないと思う」

 少女ははっきり言った。そして茂田は少し驚いたように言った。

 「何故、中島が結婚していると分かったのですか?」

 「茂田さん。中島さんとはあんまり仲良くなさそうだから」

 猫のような小娘ははっきりと言った。

 茂田は眼鏡の奥の目を少し開いた。

 「最初は中島さんって人と茂田さんをゲイの関係か何かかと思ったけれど、そうじゃない。カップルで相手の生年月日知らないなんてあり得ない」

 「そうですね」

 「吹奏楽部で、相手は軟式野球部。3年間クラスが一緒だったわけでもないし、大学も別。仕事もまったく接点がない。他人じゃん。完全な」

 少女は続ける。

 「他人が生きようが死のうが関係ないんだよ。人間ってみんな薄情だからさ。コロナで死のうがガンで死のうが他人の不幸をみんな気にしない。気にしていたら生きていけないもん。そうっしょ?」

 「……」

 「中島さんっていう人に奥さんがいたら、多分、その人が茂田さんの知り合い。違うかな?だから、ここに来た。主人公は中島さんの奥さんなんだよ、きっと」

 まいりました。

 三十男はうなだれるようにして言った。

 目の前にいる女子高生は並大抵の才覚の持ち主ではないのだ。何もかもを見通す目と何もかもを計算する演算能力を持った、そういう異質な人物なのだ。

 「まあ、いいや。そういうことだから、もし次に来る時は中島さんと中島さんの奥さんの生年月日を用意してきて欲しい。先にメールでこっちに知らせてくれても構わんよ」

 少女はそう言ってブレザーのポケットから名刺入れを取り出した。

 「最初に渡しておけばよかったけれど忘れてた」

小娘は言った。マスクを着けた横顔が夕日に赤く染まっている。名刺には、

 

 銀座運命研究所

 所長代理 丸山貴衣 

 

 とある。それから電話番号とファックス番号。メールアドレス。


 裏には英字で、

 

 Key Maruyama


 「本当はまるやまたかえ、なんだ。でも丸山キイのほうがいいっしょ。伯父貴もそう言っていた」

 男は名刺を手に取って眺めている。紙切れにすら何か仕掛けがあるのではないかと思っているのかもしれない。。

 「そこにメールよろしく。ファックスでもオッケーだわ」

 少女はクライアントに向けてピストルを突き付けるようにして右手の人差し指を弾いて見せた。

 話はそこで終わりだった。



 アステカの皇帝モンテスマは民衆の投げた石に砕かれてそれが原因で亡くなったともコルテスに殺されたとも言われるがいずれにせよ亡くなった。その後を継いだクイトラワクも天然痘に斃れ、結局、モンテスマの従兄弟であるクアウテモクが皇位を継ぐこととなった。アステカ最後の皇帝である。勇敢な武人で、人々は彼を恐れて顔を見ることもできなかったという話が伝わっている。クアウテモク、この時二十五歳。古い因習と占いに足を取られて一歩も動けなかったモンテスマと違い、クワウテモクは運命に対して敢然と立ち向かう勇気を持っていた。敗北主義、運命主義者の従兄弟とは違い、自分の実力で自分とアステカ一族の未来を切り開く気概を持つ人物であった。後年、クアウテモクは死後民族の英雄となり、メキシコのサッカーの選手などにも見られる名前となるが、英傑勇士であるという事に関しては生きている時からそうであった。彼は部族の全てをテノチティトランに結集させると、コルテス率いるスペイン人に決戦を挑んだ。コルテスらスペイン人はそれまでの戦闘で相当数が死傷脱落しており、兵員だけを見ればアステカ族のそれよりも遥かに劣っていた。だが、スペイン人らは彼らだけで戦っている訳ではなかった。トラスカラのようにアステカと敵対する諸部族がコルテスらと同盟を結び、これがアステカに襲い掛かってきていたのだ。アステカは必ずしも優れた統治者ではなく、傑出した中央アメリカの覇者というわけでもなかった。多くの諸国家から恨みを買っていたし、アステカと敵対関係にある諸国家の王たちは当然のことだがアステカを滅ぼして自分達がメソアメリカの覇者にならんと欲する者もいたはずであった。かくしてクワウテモク率いるアステカ族とスペインと結んだ中央アメリカ諸部族の最終決戦が始まることとなった。激戦、であった。



 銀座の街に雨が降り始めた。

 窓の外には有楽町イトシアが臨まれる。時刻は16時を少し超えるところ。

 運命研究所には客が二人。接客テーブルの上のコンピューターの電源はすでに入っている。

 「丸山です」

 少女は初対面の女性にそう挨拶をした。茂田に対するそれとは少しだけ穏やかな態度である。

 「中島の妻です」

 丸山キイの向かい、茂田の左隣に座る背の高い痩せた女性は言った。身長は175、6センチはあるだろう。濃い灰色、黒に近い長袖のブラウスと同じ色をしたスカートは喪服のようであった。春物のジャケットも目立たない灰色。とりたてて高価なものではないが清潔で品の良い感じのものを身に着ける女性であった。

 「ご主人のことはお気の毒です。お悔やみ申し上げます」

 少女は言った。言いながらも相手の様子をそれとなく伺っている。

 「中島恵と申します」

 茂田は黙っている。とても空気が重く、普通の人間であれば少しいたたまれない気持ちになる、そういう場面であった。奥方は言った。

 「茂田さんの方から話を聞きました。メールで頂いたレポートの方も拝読しました」

 「こんなに早くお見えになるとは思ってなかった。来週ぐらいになるんじゃないかと思ってました」

 茂田がやってきたのが3月20日。春分の休みがあって3日後には中島の細君が訪れる。展開が少し早いようにも見える。

 「まあ、でも、日数的には今日、というのは十分にあると思う」

 「どうしても色々とお話を聞きたくて、急ぎました」

 中島の奥方は鼻筋の通った美人である。ストレートの髪を肩のあたりでバッサリ切っている。昔で言うところの尼削ぎ、である。色白の肌が少し荒れているように少女には見えた。

 「生まれてからの日数で人の運命を鑑定するのでしょう?」

 「そんなところ、です」

 丸山キイは、相手が自分を侮れば小馬鹿にした態度を取って返すが、相手が自分を賢者として扱えばそれなり礼儀をもって対応する、そういう人物である。

 「……失礼ですが、お若いのですね」

 「まあ、そうですね」

 丸山キイは曖昧にうなずき、それからこういった。

 「話を始める前に、少し聞きたいことがあるんです。いいッスか」

 女子高生には何か気がかりなことがあるようである。

 「あたしは、特に考え無しに奥さんにも来てもらったほうが良い、と茂田さんに言ったんですけど、それ、ホントに良かったのかな、とそんなことを思ったんです。つまり、茂田さんには茂田さんの何か思惑みたいなものがあって、中島の奥さんとは関係なく勝手にやっていることであって、もしかしたら、それは奥さんにとってあまり面白くないことで、だからそのことをあたしは奥さんに知らせるべきではなかったんじゃないかって、そんなことを思ったんです」

 少女は迷いながら言い、奥方はすぐ応える。

 「いいえ、そういうことはないです。茂田とは、茂田さんとは高校時代で吹奏楽部で2年一緒で、主人と結婚する前も、した後もずっと連絡を取り合っていた長い付き合いですから、だいたいのことは分かっているんです」

 茂田は黙ってる。

 「だいたいのことは分かっている、ですか」

 丸山キイは確認するように呟いた。本当に分かっているのだろうか。少女は内心の呟きを洩らさなかった。

 「それならば大丈夫です。ああ、チャートとかはもう作ってあるから」

 所長代理はキーボードを叩いた。

 「ご主人さんが亡くなったのは昨年の8月5日ですよね」

 「そうです。8月1日にコロナウイルスのワクチンを接種して、それで翌日から熱が出て5日に亡くなりました。医師の診断では死因は心臓の疾患ということになっています」

 うん。丸山キイはうなずいた。

 「既往症もなかったですし、とても元気な人で、いつも休日には草野球をするような人で、ですから何故こういうことになったのか」

 「お子さんはいらっしゃるのですか?」

 「娘が。3歳です。今日は母に預けてきました」

 女子高生の顔が曇る。マスクを着けていても瞳に表情が出るタイプなので、喜怒哀楽が簡単に相手から読めるそういう人物である。それは話す相手からすれば安心ができる相手ということになる。

 「大変なことになっちゃったね」

 生活費、教育費、これからどうすればいいのか。どうやって行くのか。先行きが暗い。

 「ワクチンの薬害救済の団体があって、そこと連絡を取り合っています」

 「そうなんだ」

丸山キイは窓の外に一度視線を外して、それから言った。

 「何と言うか、そういう話だと知って、うちらの計算が奥さんの役に立つかどうか、よく分からなくなってきた。話は現実的で、だから必要なのは訴訟の専門家の弁護士だったり、薬学の教授だと思うんだ。だから、これからうちが話すことはもしかしたら奥さんの心に響かないかもしれないし、今日ここに来たことが無駄な事だったってそう思われるかもしれない。ただ、それでも語らないよりは語っておいた方がいいとあたしは思う」

 「構いません。気持ちの整理が付けばそれで構いません」

 中島恵は言い、女子高生はそこから解説を始める。

 「あのね、奥さん。変な話に聞こえると思うけれど、運命っていうのは決まっているというのがうちらの考え方なんだ。生まれた日からそいつに何かが起こる日というのは決まっていて、それは死ぬ日も同じ。寿命っていうのは最初から決まっているというのがうちらの結論。だから旦那さんが亡くなったのも寿命だって、そういう考え方をするんだ。アイヌの人たちは魚を獲ったり獣を獲ったりするときに、人間が獲物を仕留めたというのではなくて、魚や獣に寿命が来たからそれで人間のほうにやってきてくれるんだっていうような考え方をする。それと同じで、人も死ぬ時が来たら死に場所に自分で赴いて死ぬ、そういう考え方をあたしらはしている。病気になるのも、事故で死ぬのも、ヤクザに刺されて死ぬのも、自殺も、皆、同じ。死ぬ日が来たからそこで病気が発動して死に至る。事故や、自殺も同じ。病気になってそれで死ぬ、事故に遭って、それで死ぬ、ヤクザに刺されてそれで死ぬんじゃない。死ぬ日が来たから病気になる。死ぬ日が来たから事故に遭う。死ぬ日が来たからヤクザに喧嘩を吹っかけて刺されて死ぬ。死ぬ日は生まれた時に決定されている。死因はいつも後」

 「夫も、死ぬ日が来たからワクチンを接種したと?」

 中島恵は惑乱している。

 「そう。その通り。だけれど、そう考えると、責任とか補償とかはもともと成立しないという概念になってしまうよ。ワクチンで死んだ、だから補償しろという考えが普通だよね。でも、死ぬ日が決まっていて、それで自分で死ぬためにワクチンを打ったんだっていう考え方が本当に正しいとすると、だったら補償とかはしなくていいんじゃね?ってことになっちまう。それは奥さんには利益にはならない」

 丸山キイはぼりぼりと頭を掻いた。癖っ毛なので指先の動きがひどく重たく見える。

 「でも、そういうこと。責任論も大事だけれど、誰かをいつまでも憎むというのはとても辛いことなんだ。相手に悪意がないのならばなおさらだよ」

 ワクチンを打てば皆幸せになると思っていたのだ。ワクチンを打って多くの人を不幸にしようという企図は恐らく誰にもなかったはずなのだ。少なくとも現場で注射器を握っていた医師や医療関係者には邪悪な意図はなかったはず。それでも不幸は起こる。それをこそ運命というのではないのか。

 「とりあえず、旦那さんのチャートを作っておいたよ」

 丸山キイは言うとキーボードを叩いた。

 「旦那さんは1994年7月22日生まれであってる?」

 「はい。正しいです」

 うん。小娘は頷いた。ディスプレイには茂田が以前に見たのと同じような画面が出てきた。


解放日  解放日対応日

10000日 2021/12/07

10025日 2022/01/01

10099日 2022/03/16

10100日 2022/03/17

10111日 2022/03/28

10200日 2022/06/25

10222日 2022/07/17

10300日 2022/10/03

10333日 2022/11/05

10400日 2023/01/11

10444日 2023/02/24

10500日 2023/04/21

10555日 2023/06/15

10600日 2023/07/30

10666日 2023/10/04

10700日 2023/11/07

10777日 2024/01/23

10800日 2024/02/15

10888日 2024/05/13

10900日 2024/05/25

10999日 2024/09/01


「茂田さんには見せたことがあるけど、10000日から10999日までのチャートだよ。ただこれは、茂田さんのではなくて亡くなった中島さんのチャート 力の解放日っていうのは何かが起こりやすい日、何かを始める第一歩の日、結果が出る日、ということでいい。基本、力の解放日は99日毎にやって来る。99日サイクルだよ。この99日サイクルの上位波として999日のサイクルがある。999日サイクルを9で割った111日毎の単位サイクルも少し緩い力の解放がある日なんだ。このチャートは99日毎の力の解放日と111日毎の緩い力の解放日を一緒に表示したもの」

 茂田は何も言わず、中島恵は分かったような分からないようない少し澱んだ眼差しをしている。

 「まあ、簡単に言うと、この日付の日に何かが起こると、そういう話。ただ、この日にビタで何かが起こるってことは稀だよ。そういうこともあるけど。普通は誤差がある。プラスマイナスで9日。2023年6月15日ならば6月6日から6月24日が力の解放があるゾーンってことになる」

 少女の説明に未亡人はすぐに反応した。

 「夫が亡くなったのは2022年8月5日です」

 「うん。そうね」

 「その、丸山さんの言う力の解放がある日、ではないですね」

 奥方は言った。

 「そう。違うね。ご主人は2022年8月5日の時点で生まれてから10241日。力の解放がある日ではないんだ」

 丸山キイはあまり気にせず話を続ける。

 「10241日に何かトラブルがあった時、その原因をその人の以前の行動に求めることができる」

 女子高生はそこで話を突然切って、ブレザーのポケットから何かを取り出した。ゴム風船であった。空気の入っていない赤いゴム風船である。

 「ちょっとわかりにくいから実演する。まず……」

 丸山キイはマスクを外すと、ゴム風船を口元に充てて少しだけこれを膨らませて見せた。

 「ね? 少し空気が入った。これが、10000日から10009日の状態」

 「はあ」

 うなずいたのは茂田要一であった。少女は強く握ったゴム風船の口を緩めた。空気が抜けて風船は萎んだ。

 「もう一回」

 少女は風船に空気を吹き込んだ。先ほどよりも大きく風船は膨らんだ。

 「これが10000日から10099日の状態」

 「……」

 猫のような娘は指先の力を抜いた。ぷーっという音がして風船は萎んだ。

 「もう一回」

 風船はさらに大きく膨らんだ。丸山キイはゴム風船の口を指でつまんだままぽんぽんと左右に振った。

 「これが10000日から10999日の状態だよ」

 「どういう意味ですか?」

 中島誠の奥方は訊ねた。

 「人間の命ってこんな感じだって話。まず9日生きて、トラブルがなければ上位サイクルの99日サイクルが始まる。99日を生きることができればさらにその上位のサイクル、999日サイクルに遷移するんだ。だから、例えば、9日目に何かトラブルが発生して風船に傷が入ったとする。そうすると、その傷は、次のサイクルか次の次のサイクルで空気を入れた時に致命打になる。傷ができているから持ちこたえきれなくて傷のところから裂けて壊れてしまうんだ」

 丸山キイは風船を破裂させる代わりに堅く握っていた指を離した。勢いよく空気が抜けて風船は飛び、窓ガラスに当たって床に落ちた。

 「10241日に破裂してなくなったということは、つまり、10000日から10999日の241日目に傷が裂けてしまったということなんだ。そう、うちらは見ている。つまりそのような傷は、それ以前の10000日から10099日までの最初の99日の間のどこか、多分。10024日ぐらいに入ったものだと見ることができる。チャートでは10025日、2022年1月1日あたり。去年のお正月だよ。そのあたりで中島さんのご主人さん、何かトラブルを起こしていない? 医療系のイベントとは限らないし、ワクチンとかは関係ない事だと思う」

 中島恵はすぐに反応した。

 「ああ、いえ、あの、12月30日に主人は自損事故を起こしています。確かに、その日です。保険会社とやりとりをしていました。ただ、怪我とかもなくて、その後の検査でも異常はなかったとそういう話でした」

 「うん。あの例えば、事故をやった時にハンドルで胸を打ったとか、そういう話、なかったッスか?」

 「どうだったかしら、特に痛くもかゆくもないみたいな話だったから」

 未亡人は少し不安げに言った。

 「たとえばだけれど、10025日ぐらいに腕をぶつけると、10250日ぐらいに同じように腕にダメージが来たりすることがある。10025日に心臓まわりにダメージがあると、10250日ぐらいに心臓に疾患が発生することがある。10250日のダメージは普通は10025日の時のものよりも大きくなりがちだよ」

 少女は続ける。

 「最初の10000日から始まった最初の9日の2日目、つまり、10002日に起こった出来事と似たようなことが10000日から10099日までの10022日ぐらいにも起こる。10022日ぐらいに起こった出来事が10222日ぐらいにも起きる。10222ぐらいに起こった出来事は12222日ぐらいにも起きる」

 丸山キイは胸ポケットに刺さっている油性のマジックを取り上げると、床の上に落ちている萎んだ風船を拾って小さく『2』と書いて記した。

 「いつも2。2のところに傷がある」 

 少女はマスクをずらしてゴム風船に口を付けると息をぷーっと吹き込んで膨らませた。黒い油性ペンの『2』の字が大きく薄く広がった。 

 「……人生とは繰り返し。デジャブ。おんなじことしか起こらない」

 「少し、信じがたい話です」

 未亡人は軽く首を横に遭った。眩暈を起こしているようにも見える。丸山キイはまた風船を空に飛ばした。風船は今度は部屋の奥の方、ファイルの棚に当たって床に落ちた。

 「まあ。信じなくてもね、いいよ。そんな変なことを言ってる人がいる、程度でいいと思う。大事なことは自分の常識とは違う常識があるかもしれないってそう思えることだから」

 「12月12日の事故のせいで主人が亡くなることになったと、そういうことですか?それは」

 「合理的な考えではないよね」

丸山キイはあっさり言った。

 「事故とコロナのワクチンは何の関係もない。何の因果関係もない。普通はそう考えるんだ」

 丸山キイは続ける。

 「ちなみに、茂田さんには話したけれどサイクルで一番苦しい時期は4番目に来るんだ。99日サイクルだと、44日。999日サイクルだと444日。9999日サイクルだと4444日。生まれてから9999日までの27年だと4444日、12歳。10000日から19999日だと14444日。39歳。20000日から29999日だと66歳。でも一番苦しいのは14444日。4444日だと12歳だから親御さんに助けてもらえる。24444日だと66歳。死んでしまっている人もいる。だから14444日が一番人生で厳しい時期になるんだ。39歳6カ月15日ぐらいだよ」

 二人の客はただ黙っている。

 「四は死。死点。八は四のダブル。これもまた死点。四が上死点であれば八は下死点」

 少女の長い指がキーボードに触れた。ディスプレイの表示が変わった。

 「奥さんの生年月日を入力するよ。これは奥さんの10000日から10999日までのチャート。ああ、旦那さんのチャートは後でコピーしたものを上げる」


解放日  解放日対応日

10000日 2021/05/22

10025日 2021/06/16

10099日 2021/08/29

10100日 2021/08/30

10111日 2021/09/10

10200日 2021/12/08

10222日 2021/12/30

10300日 2022/03/18

10333日 2022/04/20

10400日 2022/06/26

10444日 2022/08/09

10500日 2022/10/04

10555日 2022/11/28

10600日 2023/01/12

10666日 2023/03/19

10700日 2023/04/22

10777日 2023/07/08

10800日 2023/07/31

10888日 2023/10/27

10900日 2023/11/08

10999日 2024/02/15


 少女は気付くかな?というような視線を奥方に送っている。そして、中島恵はすぐに気が付いた。

 「夫が亡くなった日が……」

 「旦那さんが亡くなったのは奥さんが生まれてから10444日マイナス4日。10440日だよ」

 「それは……」

 自分の人生、生き方に関係があるのか、自分のせいなのかと、中島恵は言いかけたのだろう。丸山キイは首を横に振った。

 「数字が揃っているだけの話。あんまり深く、考えないで」

 「……」

 「ただ、10444日は死が近づく時期。暗闇に近づく時期だと、ここの所長はいつも言っている。誰かが誰かの身代わりで亡くなったりするようなことがあってしかるべき時期なんだって。何かを得る代わりに何かを失う時期なんだと」

 「つまり、それは私のせいなのでしょうか」

 「寿命は決まってる。死ぬ日は生まれた時に決まっている。奥さんが旦那さんと出会う前からそれは決まっていたこと。だから、誰かのせいということではない。遠い昔、ずっと前からその日にいなくなると決まっていて、それでいなくなる前に誰かと出会うことも決まっていて、命が授かることもずっと前から決まっていた。詩的な表現をするならば、生まれる前に魂が約束していたこと」

 「……」

 丸山キイの理屈が未亡人に届いたかは分からない。

 「ちなみに今日は3月23日。奥さんは本日が10670日。10666プラス4日。ご主人は10491日だから10500マイナス9日。ご主人はちょっと遠いけれど力の解放日。だからここに来た。本当の話を聞きに。茂田さんは10518日だからあんまり関係ない。あくまで他人」

 少女は少し笑った。

 「何かが起こる日、出会う日、別れる日は決まっている。ずっと昔から。ついでだからもう一つ」

丸山キイは言った。

 「人には縁ってものがある。相性っていうか、何と言うか、そういう奴だね。うちらは遺産を受け継ぐ関係の人って言ってるよ。とても簡単な計算で縁があるかないかは分かる。こんな感じ」


 774

 

 「777マイナス3と見るんだ」

 「これは?」

 「1953年2月4日から1955年3月20日までの日数。山下達郎と竹内まりやの生まれた日の日数差。知ってるでしょ、歌うたってる人」

 少女の解説は雑である。

 「こんなのもある」


 301


 「300+1ですか」

 未亡人は言った。

 「そう。上皇陛下がお生まれ遊ばした1933年12月23日から美智子様がお生まれになった1934年10月20日までの日数差」

 丸山キイは続ける。

 「生まれた日の日数差の下二桁が00日、本当は99日なんだけれど、とにかく下二桁が00日と揃う相手は縁のある相手。222とか444みたいに下三桁がゾロ目で揃う相手も縁のある相手、と見るんだ。以前、茂田さんは話したけれど清原和博と桑田真澄がそんな感じに縁のある二人」

 クライアントの2人は静かに聞いている。

 「1994年1月4日と1994年7月22日を引き算してみると」

 それは中島夫妻の誕生日。計算結果は、

 

199


 丸山キイはマスクの下でちょっと寂しげな笑顔を作った。

 「199。200マイナス1日でもいいし199日でもいいよ。縁のある二人。上皇様と美智子妃殿下と同じタイプ。ああいう感じの二人。中島誠と中島恵は縁のある二人。それが奥さんがここに来た理由」

 少女は続ける。

 「どちらかが死んでも日数はずっと残るんだ。そうやって力の解放がある日ごとに相手を思い出したりする。不思議な奇跡が時々起こったりもする。みんな日数の影響を受けている。でもみんなそのことに気が付かない。気が付かないままに怒ったり笑ったり泣いたりしているんだ」

 「……」

 「少し分かりにくいかな。結構大事な話をしてんだけど」

 「いいえ、分かります」

 奥方は静かに言った。 

 「時々、あの人の気配を感じることがあるからです。そうではないかな、と思っていました。亡くなっているのにそばにいるような感覚を覚えることがあるんです。いつもではありません。本当に時々です」

 「その感覚は正しいっスよ。そういうもんなんです。魂とは日数のことって言い切っちゃうときっと話がつまらなくなる。うん、でも、あるんですよ。魂って」」

 少女の言葉に少し慌てたように中島恵は言った。

 「あの、一つ調べてもらえませんか」

 「なんでもどうぞ」

 「娘なんですけれど、2020年5月30日に生まれました。夫との縁を調べてくれませんか」

 丸山キイはうなずいた。自分の言葉が相手の心に届いている時、その人物がどういう反応をするか小娘はよく知っているのだ。

 「わかりやんした」

 計算はとても簡単。父親の生年月日と娘の生年月日を引き算すればよいのだ。

  

  9444


 丸山キイは目を細めてうなずいた。

 「綺麗な数字だね。ご主人と娘さんは強い縁で結ばれてる。おんなじ人と言ってもいいよ。日数が揃っている人は同位体」

 「……」

 「とてもよく似ている父娘だと思う。今は小さいから分からないと思うけれど体格とかも似てくると思う。顔は今でもお父さん似かも。大きくなると多分亡くなったお父さんと仕草とかも似てくる。お父さんのことを覚えていないんだけどね。もしも、奥さんが旦那さんを頼りにしていたのであれば、娘さんは大きくなった時、奥さんのことを支えてくれるはず」

 小娘は断言した。

 「奥さんとご主人は99日サイクルで揃っている。強い縁の人。旦那さんと娘さんは111日のサイクルで揃っている。こちらも強い縁の人。そういう家族なんだよ」

 ああ。奥方は慨嘆した。

 「やっぱり、そうですか。娘の寝顔があの人にとても似ているので、はっとすることが多いんです。娘のためにしっかりしないとと思うのですが、途方に暮れることが多くて、でも、分かりました。そういう事であれば、分かりました」

 それはただ数字が揃っているだけ。だが、人間は数字を見せて解説されるとそれだけで安心する。そして得心が行くのだ。

 「何かあったら、また聞いて。いくらでも付き合う。この事務所はそのためにあるんだから」

 丸山キイは宣言してから少し恥じらったように鼻を鳴らした。


 

 3か月の攻防の末、コルテスはテノチティトランを陥落させる。1521年8月13日のことであった。1519年3月12日にユカタン半島に上陸してから2年以上が経過していた。クアウテモクは捕らえられ虜囚となった。コルテスはクアウテモクが邪魔になったのだろう。反乱を企てているという嫌疑で処刑してしまった。クアウテモクが本当に反乱を企てていたのかは分からない。ただ、コルテスにとってクアウテモクは中央アメリカ統治の妨げになる存在であるということは事実であった。1525年2月26日。若い、そして最後の指導者が失われることでアステカ帝国は完全に滅亡した。皇帝だけでなく遺された中央アメリカの人々もまた不幸な結末を迎えることになる。旧大陸から持ち込まれた感染症とスペイン人達による酷使によって多くの人々が命を失うことになった。農地、銀山と労働力の激減に苦しんだスペイン人たちが頼ったのがアフリカからの黒人奴隷であった。



 宵闇が近づく。細かい雨が降り続いている。

 窓の外、色とりどりの傘が花のようにして通り過ぎている。

 銀座の研究所には明かりが灯っていた。

 デスクを挟んで丸山キイと茂田が向かい合っている。中島恵はすでにその場を去っていた。

 「引き止めてごめん。一つだけ確認したいことがあってさ。蛇足と言えば蛇足なんだけどさ」

 少女は言った。亡くなった人が何故亡くなったかという理由については既に語られていて、これ以上に話し合うことはない。だから中島恵は先に帰って行ったのだ。

 「なんですか」

 茂田は言った。

 「答えにくいことだと思うから、答えたくなかったらそれでいいんだけれど、茂田さん、中島さんの奥さんのことが好きなんでしょ」

 少女は切りかかるようにして聞いた。眼鏡をかけた三十男は怯んだように息を止めて沈黙した。

 「それを聞いてどうするんだってことなんだけれど、少し聞いておいた方が良い気がして。中島さんの奥さん、学年一つ上でしょ?1月4日生まれだから。単なる高校時代の友人だけですって話とは思えない」

 「ああ、まあ、ええ」

 茂田は苦しげであった。

 「……本当に、丸山さんは何でも見抜くんですね……」

 「気に入らんかったらごめん。でも、多分、茂田さんには中島さんが死んだことよりもそっちの方が問題なんだと思うんだよ」

 丸山キイは、違うか?というような視線をクライアントに送った。男は本当の話を始めた。

 「吉川さん、ああ、中島さんは前は吉川恵と言ったんです。高校時代の一つ年上の先輩で、サックスが得意だった。僕はトロンボーンです」

 「うん」

 「吹奏楽部で一緒だったんです。もう10年以上前の話です。その時から僕は吉川さんのことが好きで、ずっと憧れていて、恋をしていて。でも僕はあまり見てくれのいい男ではなくて。いい男ではなかったんです」

 丸山キイは目を閉じて黙って聞いている。

 「あの……キモイ話、ですよね」

 「もっとキモイ人をいっぱい知ってっからあんまり気にしないで」

 男はため息をつくと続ける

 「僕は吉川さんが好きで、今も、そうなんですけど、どうして良いか分からなかったし、

今もよく分からないんです。本当に好きだと、近づくことも苦しいんです。何か変なことをして嫌われたらどうしようかってそういうことばかり思うから。でも離れることもできない。だから何も想っていないふりをし、こうしているんです」

 「うん」

 「三十近い男がみっともないと思うんです。思うけれど、どうしようもない。ずっと前からそうなんです。変えることがどうしてもできません」

 「恋はそういうもんだよ。本当の恋はそういうもの。苦しいもんだよ、恋というのは」

 丸山キイ自身は恋をするのだろうか。

 「チンマンとは高校時代、最後の三年の時に一緒でした。あいつは野球でもサッカーでもテニスでも何でもうまかった。背も高かった。いい男でした。明るくて、でもアニメの曲が好きで、僕ともアニメの音楽の話をして、それで仲が良くなったんです」

 少女は目を閉じて話を聞いてる。

 「最初は僕の方が、吉川さんとは仲が良かったんです。吹奏楽部で一緒でしたから。僕は、ずっとこのままでいられれば良いとそんなことを思っていた。何か僕の方からきっかけを作ればよかったかもしれないけれど、どうしてもうまくいきませんでした。何もなく別れるのであればそれでいいかなって、そんなことを思っていました」

 「そうやってどうしていいか分からないうちに吉川さんは卒業していった。大学は三人とも違うんです。僕も一時、中島とは疎遠になって。ただ吉川さんとは吹奏楽のイベントで何度か会っていました」

 「そうなんだ」

 「中島とは就職活動の時にまた話をするようになりました。吉川さんが入社した食品メーカーで会ったとかそんな話を聞きました」

 「それで二人は一緒になったんだ」

 「いいえ。その時は。でも、それから何回か会ってはいたみたいです。別に結婚するとか、そういう関係ではなかったって、話を聞きました」

 「うん」

 それは中島恵から聞いたということなのだろうか。だとしたら茂田の人生は随分と苦しく、惨めなものである。丸山キイは眉間にしわを寄せて聞いている。

 「就職して、中島は出張で、伊勢志摩の方に行って。吉川先輩は母方の実家が伊勢なんだそうです。ちょうど帰省していて、それで偶然に伊勢の駅で出会ったんだそうです。時間が取れたので二人で鳥羽の水族館に行ったんだそうです。そこから本当に付き合いはじめたんだって、なんかそんなことを言ってました。あの……」

 「何?」

 「そんな偶然ってあるんですか?そんなふうにして東京から遠い、三重県で偶然に出会って、それで付き合い始めて結婚して、なんてこと」

 「そいつが運命だからね」

 丸山キイは言った。

 「……運命相手じゃ、かなわないですね」

 三十男はぼんやりと言った。

 「まあ、そうね。でも、そうじゃないのかも」

 少女はあとに続く何かを言いかけて、そこで少し黙った。

 結局、中島誠は三十前に非業夭折してしまった。死んでしまったのだ。9444日に子供を為して、次の世代を作ってそのまま消えてしまった。子供を残すそのためだけの人生である。茂田はまだ生きている。時間があるのだ。何かそこには意味があるのだ。意味を見つける必要があるのだ。

 「ちょっと待ってて」

 ブレザーの少女はそう言ってキーボードをたたいた。

 

 9491 

 

 「9500マイナス9日。力の解放がある、というには少し遠いけれど縁がある人と見ることができる」

 「これは?」

 茂田は失意にある。この男はずっと失意にある人生なのだ。

 「こいつは茂田さんと中島さんのところに生まれたきたお子さんと茂田さんの生年月日差。1994年6月5日から2020年5月30日までの日数」

 「……僕と中島のところのお子さん、ですか」

 「中島の奥さんには言うのを忘れちゃったけど、奥さんとご主人には縁があって、ご主人と娘さんにも縁があるんだ。でも奥さんとお子さんには縁がないんだ。アカの他人」

 「他人ですか」

 茂田は言い、丸山キイは続ける。

 「中島さんのお子さんが縁があるのは茂田さんなんだ」

 「僕が、ですが」

 男は変な声を出した。

 「そう。中島さんのご家族をお爺さんやお婆さんの日数を調べないといけないから結論をすぐに出すわけにはいかない。でも、だいたいそれで正しいと思うよ。茂田さんは、中島さんの奥さんのために骨を折っているように見えて、実はそうじゃない。もちろん奥さんのことが好きなんだと思うし、それは悪いことじゃない」

 小娘は続ける。

 「ほかにも調べれば何か判ると思うけど茂田さんが好きなサイクルが中島さんの奥さんのサイクルなんだと思う。でもそれはそれとして、茂田さんは縁のある中島さんのお子さんのためにここにやってきたんだと思うよ。その子の未来のためにここにやってきて、中島さんの奥さんが暗闇に落ちないようにしているんだ」

 「あの、僕は、先輩のお子さんと会ったことは一度しかないんですよ」

 「中島誠と吉川恵が伊勢の駅で偶然に出会ったことを茂田さんは知っているでしょう」

 そういう例があることを知っているのに何故、自分の時は否定するのだ。

 「茂田さんは中島さんのお子さんと出会うために生まれてきて、その子のために走り回っているんだ。中島さんの奥さんが好きで離れられないのもそういうことはあると思う。でも、生まれてくるだろうお子さんに会いたいから中島さんの奥さんのそばでずっと待機していたんだ」

 「僕は吉川さんのところにお子さんが生まれる前から吉川さんのことが好きだったんですよ? そんなことって、あるんですか?」

 「あたしはスピリチュアルな人間じゃないけれど、そういう解釈をするんだよ。だって、中島さんのところのお子さんが生まれる日は、吉川恵が生まれた日に既に決まってたんだから」

 茂田は話をしている間に少しずつ前のめりに乗り出していた体をばたんと椅子の背もたれに叩きつけるようにして座り直した。

 「……」

 「見守っていくと良いよ。中島さんのお子さんのことを。何年かすればきっと見つかる何かがある。絶対に」

 少女は力強く宣言し、茂田要一は恐れるような感心したような、何とも言えない声色で言った。

 「丸山さん、あなた、どうやってそういう、そういう力を得たのですか。そういうふうにして人を納得させる力を」

 少女は即座にそして真顔で右手でピストルを打つようにして人差し指を弾いて言った。

 「だいたい受け売りかな。あとはテキトーだよ。テキトー」


 窓の外はまだ雨が降っている。

 外堀通りの向かい側、高速道路下の飲食店の照明が明るく輝いているのが見える。相変わらず傘をさす着飾った人々が行き交っている。

 明日は晴れるだろうか。

  


 




 

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