第12話

「え……」



 蒼が驚いて顔を上げる。いくらなんでも、叫ばれるほどだっただろうか。


 見れば、お嬢さんたちはちりぢりに逃げていく。



「これは、一体? 私、何かしてしまいましたでしょうか?」



 蒼が真っ青になって振り返ると、美花はがらりと表情を変えていた。さきほどまでの育ちのいいお嬢さんと同一人物とは思えないような、鬼気迫った笑みで蒼を見つめる。



「あら、皆さんおびえてしまったようねぇ。城ヶ崎家に入りこんできた泥棒猫がおぞましいのかしら? それとも、その着物のせいかしら?」


「着物……」


「そういえばそのお着物には言い伝えがあるのよ。袖を通した者が、みーんな死んでしまう、っていう、呪いの言い伝え!」



 美花の叫びに、後ろに控えていた年配の女性使用人がびくりと震える。それはそうだろう、そんな強烈な呪いの振り袖が目の前にあると知ったら、大抵の人間はおびえる。


 が、蒼は少し不思議そうな顔になった。



「私よりも、着物におびえていらっしゃる……?」



 美花はそんな蒼を見て、きゅっと眉根を寄せる。



「何よ、あなた。ひょっとして、呪いなんてどうでもいいと思ってる?」


「あ、いえ! ただ、少しびっくりしただけです。てっきり私がみっともないせいだと思いましたから。呪いはもちろん怖いです。でも、私だけが死ぬのなら、そこまで問題はないのではないかと……」



 蒼はおどおどと言い返す。ところがそんな考えは美花にはなかったようで、真っ赤になってだんだんと地団駄を踏み始めた。



「問題はないってどういうこと? にしないでよ、もっとおびえなさいよ、泣きわめきなさいよ! 私の宗一兄さまを盗んだ女は、呪われて死んだらいいのよっ!」



 子どものような取り乱し方に、蒼はうろたえて言う。



「美花さん。私なんかのためにそんなことをおっしゃらないでください。あなたのお口がけがれます。そもそも、私なんかが宗一さんを盗めるわけがありません。本当は……」


「──どうしたんだい、この騒ぎは」



 蒼の言葉を遮って、耳元でかすれた美声が響く。はっとして振り返れば、視線の先には蒼の肩に手を置いた宗一がいた。


 宗一さま、と呼ぼうとして、蒼は声を吞みこむ。美花を見つめる宗一の目が、あまりに冷たい。あまりにも容赦のない冷気と鋭さに、蒼は思わず震え上がったほどだ。


 美花は気付いていないのだろう、思い切り声を張り上げる。



「宗一兄さま、離れてくださいませ! 蒼さんが着ているのは呪いの振り袖でしてよ。触れれば呪いが移りますわ!」



 びくり、と震えた蒼の肩を、宗一の手がぐっと押さえこむ。



「美花。かわいいわたしの従姉妹のお嬢さん。今まで多少のいたずらは許してきたが、今回はやりすぎたね」



 宗一はひどく冷淡に言った。


 美花は一瞬ひるんだようだが、すぐに気を取り直してまくしたてる。



「いたずらなんかしていませんわ。私は『その振り袖はあぶないわ』って、蒼さんを止めたんです。なのに蒼さんは『そんなのは迷信だ、この家の着物は全部私のものだ!』と言って聞かなくて、私を振り払って無理矢理着たんですわ!」



 噓だった。蒼に無理矢理この着物を着せたのは美花である。


 だが、蒼は早々に言い訳を諦めた。目撃者は年配の女性使用人しかいないはずだし、使用人はどこの馬の骨とも知れない自分より、美花の味方をするだろうから。


 大丈夫。自分はここで宗一に嫌われても大丈夫だ。元から結婚にはふさわしくない相手だし、婚儀が済む前に破談になったほうが百倍ましだ。


 蒼が黙ってうつむいていると、宗一は蒼の肩から手を離した。そのままつえを突きながら前に出ると、宗一は美花の肩をつかんだ。



「美花、よくお聞き」


「はい、宗一兄さま」



 宗一を目の前にすると、美花はうっとりした顔になって彼の言葉を待つ。


 宗一はそんな美花に彫りの深い顔を近づけ、氷の美声で囁きかけた。



「蒼はそんな人間ではない。彼女に失礼なことを言う者とは、縁を切ることにする」


「は? 縁を切るって、どなたとですか?」


「君とだよ。そんなこともわからないのかい、美花。愚かだね」



 宗一はいっそすがすがしいほどにきれいに笑って言う。


 美花はしばらくぽかんとしていたが、徐々に宗一の言葉の意味がみてきたのだろう。急に顔をくしゃっとゆがめ、ぼろぼろと涙をこぼし始めた。美花はそのまま一歩、二歩と後ろに下がると、子どものように涙をこぼしながら宗一の手を振り払う。



「宗一兄さまはっ、その女にっ、だまされてるんです! 私は、認めませんから!!」



 えんをこめた叫びを残し、美花は身を翻して駆け去った。


 追いかけたほうがいいのだろうか。しかし自分は呪われた着物をまとっている。せめて脱いでからだろうか、と蒼が困っていると、別室からすっと榊が姿を現す。



「榊。美花を送ってあげなさい」



 宗一が言うと、榊は一礼して美花の後を追いかけていった。まるで宗一に張りついた影のようなひとだと思いつつ、蒼はほっとして榊を見送る。


 そんな蒼の頭に、ふわりと宗一の手のひらが載った。



「すまなかったね、蒼。美花はあなたとは違って、ずいぶん子どもなのだよ」



 宗一の声が優しく緩んだことにほっとしつつ、蒼は首を横に振る。



「美花さんは何も悪くはありません。あの方も由緒正しい家柄の方。私のような者が突然やってきたのですから、もっとひどいことをされても当然でした。その……どうか、美花さんをあまりお𠮟りにならないでくださいね」



 宗一は蒼を見下ろし、あきれたように言う。



「その考えには同意しかねるな。あなたは素晴らしいものをいくらでも持っているよ、蒼。あなたに比べたら、うちの親戚連中など全員つまらん。口を開けば金の話か家柄の話ばかりで、縁切りはいつでも歓迎なんだ」


「そんな……!」



 蒼はびっくりして目を見開く。


 こんなにも立派な家に住み、立場もあろうひとが、親戚を要らないだなんて。


 人間社会は人のつながりで出来ている。上流階級ならなおさらだろう。理不尽な理由で付き合いをやめたら、偏屈だの何だのと言われてはじき出されてしまうかもしれない。


 宗一は蒼が固まっているのに気付くと、紳士的に頰に触れてくれた。ほんのかすかな感触が、優しくて、温かい。宗一はそのまま、蒼の耳元に言葉を置いた。



「わからないかい? わたしは、あなたさえいればいいんだよ」



 耳がとろけそうなほどに甘い台詞せりふ


 このまま全身けて漂ってしまいたい──そんな思いの中でどうにかもがき、蒼は拳に力をこめた。


 宗一は優しすぎる。今は自分に同情しているのかもしれないが、親類との縁を切ったら絶対に後悔する。自分のような者では、宗一の親類達の代わりはできない。


 どうしたら、宗一を思いとどまらせることができるだろう?


 どうしたら、宗一が親類と、美花と、決別せずにすむだろう?


 不調和を生んでいるのは、他ならぬ蒼本人だ。


 本当は自分を追い出してほしいが、今の調子では宗一はそんな選択はしないだろう。さらに、親戚達には蒼が呪いの振り袖を着たことと、宗一が美花を追い返したことがまことしやかに伝えられ、誰もがこの家に近づかなくなるかも……。


 そこまで考えて、ふと、蒼は自分に視線を落とす。


 瘦せた体に着せ付けられた派手な振り袖が、中庭からの光でやんわり光る。



「振り袖の呪いの話、気になるだろうね。この家はとにかく古い。迷信の類いは数多いが、今はもう明治の世だ。あなたは何も気にしなくていい」



 宗一は親切な言葉をかけてくれるが、蒼は慰められたいわけではなかった。


 蒼は思い切って宗一を見上げると、震える唇を開く。



「宗一さま。私……この着物の呪いが迷信だと、証明したく存じます」


「ほう?」



 宗一の目が面白そうに光る。


 出過ぎたことだとはわかっている。わかっているが、今は必死で言葉を紡ぐ。



「私が呪いを迷信だと証明できたら、縁切りはやめていただきたいのです。振り袖の件がただの迷信だったなら、美花さんのなさったことはただのおふざけ。ただのおふざけをされた方と縁切りをするなんて、それこそ馬鹿馬鹿しいのではないでしょうか?」



 最後まで言い切ると、軽く息が切れていた。べんかもしれないが、今の蒼に思いつく解決方法はこれだけだ。


 宗一はじっと蒼を見つめていたが、やがて楽しげにほほんだ。



「素晴らしい。やってごらん、蒼。『サトリ』の目で、この振り袖の呪いを解くんだ」



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気になる続きは、発売中のメディアワークス文庫『サトリの花嫁 ~旦那様と私の帝都謎解き診療録~』にて!

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サトリの花嫁 ~旦那様と私の帝都謎解き診療録~ 栗原ちひろ/メディアワークス文庫 @mwbunko

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