第11話



「あらまあ、蒼さん。そんなこともご存じなかったの?」



 蒼が宗一の屋敷にやってきて、七日後。


 親戚のお嬢さんであるに大きな声を出され、蒼はびくりとした。



「はい、その……」


「城ヶ崎家はね、元より新政府側について大変な武勲を上げたのだけれど、その後も立派なお仕事で国のお役に立っているのよ。宗一兄さまは長いこと欧羅巴ヨーロツパに留学していらして、一族の中でも特に異国の文化や言葉に明るくていらっしゃるの!」



 美花は蒼が聞いたことの十倍、百倍のことをぺらぺらとしやべり、城ヶ崎家のたん部屋を勝手に歩き回る。蒼は途方に暮れて城ヶ崎家の使用人のほうを見やるが、年配の女性使用人は蒼の視線を水のように無視してしまう。


 さて、困ってしまった。


 どうしてこんなことになったのかというと、榊の気遣いが原因だ。


『蒼さまには、同年代のお嬢さま方から学ぶことが多そうですので』


 と言って、榊が屋敷に親戚筋のお嬢さまたちを集めて茶会を開いたのである。


 宗一は『そういうことなら、わたしが邪魔をしてはいけないね』と言って自室に引っこんでしまったし、榊は宗一のいないところではツンとして無口だし、蒼がひとりでお嬢さま方をもてなさなくてはならなくなった。


 さらに気になるのは、蒼につきっきりになっている美花の態度だ。



「宗一兄さま、元からお母さまに似て生まれつきお美しかったけれど、留学から帰られてひときわ色気が増したと思うわ。蒼さん、あなたもそこを好きになったんでしょう?」



 美花はお嬢さまとは思えないあけすけな言い方をして、にっこり笑って見せる。


 美花は江戸の浮世絵そのもののようなうりざねがおの美少女だ。背丈もちょうど皆が愛らしいと言うくらいで、蒼にとっては羨ましい限りである。年は蒼より二歳ほど若いと聞いた。


 そんな少女から寝耳に水の話をされて、蒼は慌ててしまう。



「まさか、私から好きになるだなんて、もったいない……!」


「え? まさかあなた……宗一兄さまのことが、好きじゃないの?」



 途端に美花の声が低くなる。蒼はびくりと震えた。



「申し訳ありません! もちろん、宗一さまのことは敬愛しております。本当に素晴らしい方です、こんな私にもお優しいですし……」



 必死に言葉を重ねてみるが、美花はまだいらだたしい様子だ。



「そんなことはとっくのとうに存じております。の私のほうが、昔から宗一兄さまとお会いしていますもの!」



 これは謝罪が足りなかったと判断し、蒼はぱっとその場に正座した。慣れきった所作で頭を下げて、畳に額をこすける。



「はい。出過ぎたことを申しました、美花さま」


「あらあらちょっと、やめなさいよ。宗一さまの奥さまを這いつくばらせたなんて、私が鬼みたいに思われるじゃないの。それに私は目下なのだから、美花さんって呼びなさい」



 美花は蒼の土下座に気付くと大慌てして、どうにか蒼を立たせようとする。


 蒼はしぶしぶ立ち上がりながら、誠心誠意で言葉を重ねた。



「美花さま……美花さんは、鬼なんかじゃありません。私のような者とお話ししてくださるのだから、神さまのような方です。私、宗一さまにそのように申し上げるつもりです」


「まあ、まあ……。本気なの? なんだか調子の狂う方だこと」



 美花は戸惑った様子だが、宗一の名を出されるとまんざらでもないようだ。


 照れたような顔でくるりと蒼に背を向け、立派な衣装簞笥の引き出しを開ける。古い絹の香りがやんわりと漂い、美花はころりと華やいだ声を出した。



「──蒼さん、見つけましたわ。宗一さまのおばあさまの振り袖よ! 着てごらんなさいな。おばあさまはとっても背が高くていらしたから、蒼さんにちょうどいいはずよ?」



 言われて見れば、引き出しの中には半ば包みがとかれた着物があった。美花はそれ以上着物に手を触れようとはしないで、蒼に笑顔を向けている。


 これは、蒼に手ずから着物を取れというのだろうか。自分も後ずさりしたい気持ちをどうにかねじ伏せ、蒼はおそるおそる包みを取り出した。



「ずっしりと重い……とてもいいもののようですし、勝手に出してはいけないのでは?」


「あなたは宗一兄さまの奥方になるんですもの、いいのよ。さっ、早く開けて!」



 美花は妙に興奮した笑みで言う。よほどこの着物が見たいのだろうか?



「はい……」



 蒼は躊躇いながらも、うながされるままに包みをといた。途端に息を吞むような細工があらわになって、蒼は目をみはる。吸いこまれそうなほどに黒い布地に重厚な鶴亀のしゆう。さらに金糸銀糸で光や波があしらわれた、華やかで格式高い慶事柄だ。



「素晴らしいお着物ですね。婚礼衣装でしょうか?」



 思わず感嘆の吐息が漏れる。こんな衣装を着てお嫁に来た宗一の祖母というのはさぞや身分のあったひとなのだろう。驚くと共に納得もする。城ヶ崎家はそういう家なのだ。自分などでは一生釣り合うはずもない、やんごとなき一族。



「そうだと聞いているわ。さあさ、蒼さん、脱いで脱いで! 着てみましょうよ。婚礼衣装だもの、きっと似合うわ!」


「え? あ、でも……」


「でもではないわよ、急いで!」



 美花は蒼に躊躇う暇も与えずにき立てて、ごうしやな婚礼衣装に着替えさせてしまった。そのまま蒼を姿見の前まで引っ張って行き、美花はしみじみと感心した声を出す。



「すごい。本当に似合うわ、あなた」


「ご冗談を……。こんな着物、私にはもったいないです、本当に」



 蒼は深くうつむいたまま、顔を上げる勇気を出せない。鏡を見てしまったら、重厚な着物にはとても似合わない自分の軽薄さが映っていそうだ。


 美花はそんな蒼を眺め、げんそうに問う。



「さっきから思っていたけれど、あなたって全然自分の顔を見ないのね。どうして?」


「はい。私、ひどくみっともないので……できれば、こうしていられましたら」


「みっともない? 嫌味?」


「……?」



 どういう意味だろう、と思っていると、美花は蒼の手を取った。



「……まあいいわ。さ、みんなにお披露目しましょう」


「みんな? まさか、お集まりの親戚の皆様に、この姿を?」


「当然よ!」



 美花はぐいぐいと蒼の手を引いて、中庭へと向かう。


 蒼はうろたえながらも美花についていく。美花の細い腕を振り払うのは簡単そうだが、宗一の従姉妹にそんなことはできない……と思って、蒼はふと、違和感を覚えた。


 美花は白い手袋をしている。いつからだろう? 初対面の挨拶のときはしていなかった。なにせ、妙にやぼったい手袋なのだ。なんの装飾もなければ、生地も分厚い。和装の美花には似合わない。せんの女には素手で触れたくないのかしら、と思えば、さすがに蒼の胸もずきりと痛む。


 そうこうしているうちに、二人の視界は開けた。開け放たれた障子の向こうに、手入れの整った日本庭園が広がっている。紅葉が燃えるような赤に染まる下で、色とりどりの和装に身を包んだお嬢さんたちが笑いさざめく。



「あら、蒼さん」



 夢のような景色だな、と思っていると、庭園からぱらぱらと視線が集まってきた。


 みっともない自分を、みんなが見ている。きらびやかな着物を着た、電信柱を。


 蒼は慌ててうつむいて、そっと息を詰める。耐えるのだ。耐えれば、終わる。


 耐えて、耐えて、耐えて……。


 しばらくは、誰も喋らなかった。


 そして。



「き、きゃああああああああああ!」



 沈黙をやぶったのは、派手な悲鳴だ。



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