第6話 ボーイズミーツガールズ

 緑の国で仕入れた食事は、黒の国の土地で採れたものより瑞々しくておいしかった。肉を食べないエルフたちに、食肉用にヒツジを注文しに行ったとき、レイヴは彼らのひどい差別の視線と陰口にさらされることになったが、こんなにやわらかくて脂のしたたる肉の味を知らないことのほうが、よほど軽蔑すべきことだと思った。


「お前、自分で捌いたもの、よく食えたな」


 エルフは無害な動物を殺すことを厭い、解体はレイヴとコグリョスに任された。実験動物で手馴れているレイヴに対して、高位な神官のお坊ちゃんは、血抜きの段階で顔を青くし、剥がれた皮を見て吐き気を覚え、内臓を濾し洗いし始めると、腕で目を覆って座り込んでしまっていた。


 粗野な見た目の巨漢が、少食に葉野菜をもそもそ摘まんでいるのを見て、レイヴとアンナは思わず目を見合わせてしまったっけ。


 食後にじいちゃんはお茶を淹れに立ち、レイヴはみなを暖炉の前に誘った。黒の国には陽が射さないから、城の中はいつもひんやりしていて、まだ春先のこのごろは肌寒くさえある。レイヴは【呼寄せ】の魔術で、自分の寝室からクマの毛皮をいくつか持ち出し、石床の上に敷いた。


「やば、便利だね、それ。どうやってんの?」


 アンナは毛皮の上に座りながら、レイヴの真似をして指先を合わせたが、微かに擦れるような音だけが鳴り、少し恥ずかしがって膝を抱き寄せた。「まずそれからだな」ニカーラがその背中をぽんと叩き、巫女様もその隣で遠慮なくくすくす笑った。


 自分がヒツジを解体している間に、少女たちは思いのほか仲良くなっていた。こいつがゲロを吐いてた間に、アンナはニカーラにとられそうになっている―――レイヴは、無二の親友の肩を拳で殴った。「いてえな!」


「魔術は素質がないとダメなんだ。この岩屑はまず無理だね」


 コグリョスのスキンヘッドを軽快な音ではたきながら腰かけると、上裸の大男は鼻息を荒立ててレイヴの頭を抱え込んだ。


「くさい!死ね!」


「うるせえ!殺すんだよ!」


 いくらじたばたやっても、自分の細腕では抜け出せないとわかり切っている怪力に抗うのを止めるのにたっぷり時間をかけ、やがてレイヴはぐったりと解放された。


 あきれ顔のニカーラは、晩餐の残りの苺類をアンナと巫女様にわけてやりながら、二人に向かって鬱陶しそうに吐き捨てた。


「仲いいなあ」


「よいことです」


 巫女様は、果実を小口で上品に齧り、微笑ましいものを見るように言った。


「同盟国ってそんなにつきあいがあるの?」


「どうでしょう。我々は、青の国とは協定がありますが、なんとも」


 アンナが聞き、巫女様は少し眉尻を下げた。


「基本的には、大人と大人の話し合いですから、子ども同士が仲良くなることはあまり。お二人はどのように出会ったのです?」


「不法入国だ。こいつとじいさんが、何とかいう花を採りに国境近くをうろついてやがって、うちの【鳴子】に引っかかったんだ。俺とこいつが八歳の頃か」


 コグリョスは、仰向けにくたばるレイヴの頬を平手でぱちぱち叩いた。


「“イブラヒムの髭”だよ。五十年に一度しか花が咲かないんだ。昔じいちゃんが植えたのを回収しに行ったのに、白の神官が掘り返しちゃってたんだ。珍しい花が咲いてるって、元を正せば先に国境を侵したのはそっちさ。探してるうちに【警報】の結界に引っかかって、中央まで連れていかれた。そのとき尋問してきた儀仗兵の息子がこのバカだった」


 レイヴはコグリョスの手を払いのけ、乱れた髪や衣服を整えた。


「同い年の子供と会ったのは初めてだったから、仲よくしようと思ったんだ。それから釈放されて、黒の国に帰されるまでの五日間で、僕らはすっかり親友になってた」


「色々省くな。俺は最初、こんなやつ嫌いだった。じいさんのことは白の国じゃ知れ渡ってたし、収監するわけにもいかないからって、親父が家に連れてきたんだ。がりがりで、真っ白でよ、今より寡黙で、表情も大人しかったから、こいつ病気でも持ってんじゃねえかって。多少話せるようになったのは、こいつがボードゲームに誘ってきてからだ」


 レイヴが手を差し出すと、コグリョスは無言でその手を握り、レイヴの体を引き起こした。出会いはそんな風でも、今では会話も最低限で済む。彼と知り合えてよかったと心から思えた。


「僕のほうこそドン引きしたけどね。いつも上裸で、今じゃブクブクでかくなって見る影もないけど、それ赤の国の部族に憧れて刺れたんだって。そんな子供だったから、コグリョスも友だち全然いなかったよ」


 レイヴがコグリョスの、幾何学模様が引き延ばされて、奇妙な形になった刺青を指すと、アンナは小馬鹿にしたように口の端を吊り上げた。


「それ、うちのだったんだ」


『うちの』―――アンナのさり気ない言いかたに、レイヴは罪悪感を掻き立てられた。どれだけ居心地が悪くても、恨みにさえ思っていても―――心のどこかでは、彼女にとって、赤の国とその部族は『うち』なのだ。


「……お前は、ないのか?刺青は」


 コグリョスが聞き、「あー」アンナは表情をこわばらせた。


「私は、あのね、母親がさ。赤の部族じゃないんだ」


 皮革製の胸当て、麻のインナー、丈の短いパンツ―――露出した部分が多いが、どこにもそれらしきものの刻まれていない肌を、彼女は指先でそっと撫でた。


「色んな部族の間を、転々としてて……妊娠がわかったら、時期的にそうだからって、父親のところに送られてきて……私を産んだ。だから部族の誰も、私が族長の娘だって認めてない」


 レイヴはコグリョスに目配せした。“娼婦”オムネナの名は、白の国の民なら誰でも知っている。特にコグリョスと、その父親は。他人の感情の機微に敏感な大男は、わかりやすく顔色を消沈させた。


「すまねえ。悪かったな」


 それは一体、誰に対する謝罪だっただろう。アンナも、彼のただならない様子に面食らっていた。


「やめてよ。アンタが謝ることじゃないでしょ」


 だが、子どもとは得てしてそういうものだろう。親の犯した罪を、子が悔いる。じいちゃんの偉大な事績を受け継ぐのと同じように、その罪もまた、レイヴが受け継ぎ、悔いなければならない。これから彼が為そうとしていることは、じいちゃんひとりの命ではとても償えることではないから―――。


「コグリョスさん。ボードゲームというのは、何を?」


 束の間流れた、どんよりした空気を振り払うように、緑の巫女が澄んだ声を投げた。川面にとぷんと落ちた石のように、さざめく心に、静かな波紋を広げていく―――例えそれが、幼さゆえに抑えきれない好奇心であっても、なんらかの超越的な意図を、こちらが勝手に感じてしまう。こんな力が自分にもあれば、とレイヴは頭の隅で思った。もう少し、うまくやれていただろうか?


「何ってか、まあ普通にチェスとかだよ」


 巫女はそっと微笑み、子どもがするように小首をかしげた。


「普通のチェスを、知らないのです」


「あー、こう、格子の盤があって、歩兵が八個……」


 コグリョスは空中に指と手でお絵かきを始め、見かねたレイヴはチェスのワンセットを呼び寄せた。


「これに駒を並べて、このキングをとり合うんだ。それぞれ動き方が決まってて、端からルーク、ナイト、ビショップ、クイーン。この一番多いのがポーン。基本的にひとマスずつしか動けなくて、一番弱い駒だ。例えるなら僕、かな」


 薄っぺらな盤を宙に浮かせたまま、駒をひとつひとつ配置していく。指を使わなくても、物を思い通りに動かすのに、あまり優秀でないレイヴは三年もかかった。目の前をひょいひょい飛んでいく駒を見、コグリョスは何か言いたげな顔をしたが、あるならそう言え、くらいの文句だろう。レイヴは彼の恨めしそうな目を受け流して、みながどの駒に相当するか、間をつぶすつもりで考えた。


「ビショップはコグリョス、ナイトはニカーラ、キングは巫女様かな。アンナは僕のクイーンだ」


 神官のコグリョス、戦士のニカーラ、王の宿り木の巫女、愛すべき女王。城は―――一応貴族だから、じいちゃんかな。「お前がポーンは贅沢すぎる。ポーンこそチェスの肝だし、使い方次第じゃ何にでもなれるんだぜ。お前はそんなに器用なタイプじゃない」コグリョスは白のポーンをe4に動かした。ちゃっかり先手を持って行った、粗野な風貌の少年に、レイヴは一度も勝てたことがない。


「じゃあ、私はこれを」


 巫女は、鏡合わせのように黒のポーンをe5に置いた。それをとるためのナイトを、コグリョスがf3へ。今度は巫女が対角のナイトを動かし、序盤の二人は向かい合うような手を打ち合った。「ほんとに初めてか?」巨漢の少年は言った。「ええ」と巫女は不思議そうに言ったが、それはむしろ親友の勝気を煽っただろう。


「……私にはさっぱりわからない」


 二人が盤の上で繰り広げる応酬を見て、ニカーラはやれやれとお手上げした。


「お前、そんな岩みたいな見た目でなんでそんなことは得意なの?」


 コグリョスのこなれた手つきと、時折長く手を止めて考える仕草を指してニカーラが言った。酒は断ったはずなのに、いつの間にかレイヴのとっておきのコケモモ酒の瓶を抱えている少女は、大人びた口調を幾分年相応のものに変化させていた。


「賢いんだよ、ほんとは。観察する目が聡いんだ」


 じいちゃんと同じく、“汚濁”に家族を奪われた少女。アンナとはかなり打ち解けているようだったが、未だにレイヴに向ける目は刺々しさが抜けていない。


「賢い生き物は服を着るでしょ。あれじゃ獣と一緒。うちの竜と同じクソ野郎よ」


 言った後で、ニカーラはばつの悪そうな顔をしたが、この場には竜なんかに敬服している子供はいない。コグリョスは一瞬だけ顔を上げ、「じゃあ明日から着る」と応じてまた盤面に目を戻した。


 白の国と赤の国が同盟を結ぶとき、コグリョスの伯母は人質として赤の国に送られていた。その縁で彼と父親は赤の国によく視察に訪れていて、青の国の《蒸気兵》と、赤の国の戦士が戦うところを見、憧れを抱いたのだという。


 会ったこともない伯母が、どんないきさつで赤の国に送られたかを父親に聞かされ、青の国のスパイが彼女がどんな扱いを受けているかということを、白の国に流布して以来、コグリョスは自分の国の竜に失望していた。


「ごめんね、うちの国がニカーラのところと戦争してるのは、赤の竜王のせいだ」


「気にしないの。アンナが謝ることじゃない、でしょ?」


 ニカーラは、アンナに対して姉さながらの面倒見のよさを見せるようになっていた。「ニカーラ、手伝ってくれませんか?手が詰まってしまいました」巫女はそんな少女たちに妬くように、二人の間になんとか分け入ろうとした。そういう駆け引きに疎いアンナは、無遠慮に歩み寄り、巫女の隣を陣取ってチェス盤を覗き込むのだった。


 レイヴは、ひとり取り残され、ほろ酔いのために、徐に彼女の後を追おうとするニカーラの腕を掴んで引き留めた。何を言おう―――いや、何も、言うべきじゃない―――。でも、この胸のモヤモヤを、どうにかしたかった。


「……ニカーラ、謝らなければいけないのは僕だ。……きみの両親を殺したのは、たぶんじいちゃんだから、それに―――」


 ―――それに―――続く言葉は、言えなかった―――。


 ニカーラは少し変な顔をした。もしかしたら、皮肉気に笑おうとしたのかも知れなかった。


「確かに、父は戦場で“汚濁”に祟られて死んだし、母も穢れた土地のせいで死んだ。……だが。この剣をくれたろう?妹を守り、引き合わせてくれた剣だ。黒の国はなお憎いが、まあそれでひとまずお前たちは許してやれる」


 エルフの戦士は、食事中も肌身離さず身に帯びていた【死葬り】の留め金を解いて、レイヴの前に差し出した。“鋼の剣を使うエルフ”のことは伝え聞いていたし、動向に注意も払っていたが、まさかそれが、ニカーラ・マルゥクだなんて。


 ―――違うんだ。レイヴは叫びたくなった。親切でその剣を設置したとでも?ニキーラは素質があった。コグリョスやアンナには、因縁が。だが彼女が選ばれてしまったのは、全くの偶然で、何の作意も介在していなかった。父親を殺し、母親を死なせ、妹を奪い、今度は本人をも巻き込んだ―――。


 ニカーラは、愛着や名残惜しさのようなものを滲ませつつ、彼女自身はもう役目を終えたと思っている剣を、レイヴの手に押しつけようとした。


「こんなことを、黒の人間に言うことがあるとは思わなかったが―――ありがとう。と、お前のじいさんに伝えておいてくれ。お前と、あのブ男のことは嫌いだ」


 罪悪感がレイヴの胸を圧し潰し、もう作り笑いすら浮かべられなくなったが、俯きながら、声だけはなんとか震えさせずに絞り出そうと努めた


「じいちゃんが言ったろ?そいつはもうきみのものだ。僕には抜けない。使えないものを貰っても、ゴミになるだけさ。きみにあげるよ」


 達者でやれよ。もう新しい持ち主以外に振られはしない、誇り高い剣を押し返すと、ニカーラは少女の顔で、ごく自然に笑みをつくった。


「そう。ありがとう―――これは、アンタに」


 ありがとう、と彼女は言った。じいちゃんが書いた筋書きの中で、その剣の役目はまだまだ、終わらない―――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

五色の王の物語 園後岬 @charlotte_ep

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ