第5話 少女たち

 正直に言えば、ニカーラは魔術師の老人と、その弟子だという少年を心のどこかで信用しかけていた。


 巫女様と面識のあるらしいことと、おそらくルーツをエルフに持つ老人の見た目が、警戒心を薄れさせていることが大きな理由だったが、加えて、後ろを少し離れてついてくる二人の話し声が、ニカーラの興味を駆り立てていた。


 手を握り合って離さない、赤と黒、緑とは敵国の少女と少年。国境を接していない彼らが知り合ったのは、おそらくここに来てからの短い間のことだ。本人たちは囁き合っているつもりの会話は、はたから聞いていると、ほとんど恋人の睦みあいだった。


 愛情に飢えて育った反動なのか、ニカーラは親子や恋人のじゃれあいに絆されてしまうところがあった。願わくは、ずっと彼らが幸せであるように。会ったばかり、何も知らない彼らのことを、長年見守ってきたような錯覚に陥り、ニカーラはつい緩んでしまう頬を戒めながら、二人の会話に耳を澄ませていた。


 帰らなきゃ。まだ一緒にいたい。だめじゃない。嫌いになんかならない。―――二人とも、そういう触れ合いに慣れていないのが見え見えで、まるでどちらが先に相手に好きと言わせるか、ゲームでもしているみたいだった―――。


 巫女様と老人は、話の区切りごとに、よく相手の調子を気遣った。「お体のほうは、いかがですか?」「なに、少し歩くくらいならば、まだまだ……巫女様こそ、日頃輿に乗っておいででしょう。御足は痛みませんかな」巫女様はニカーラのほうを見てふふ、と微笑んだ。「近頃は、彼女と話して歩くので、少し慣れたのですよ」


 そういう、のどかな話を少し上の空になって聞きながら、気になったのは、二人の話がここ数年以内のことに限られていたことだった。ニカーラがわかるように、気遣われていたのなら心苦しいが、二人にしかわからない、神殿の中でのことに触れることが多かった。案外、二人はそう付き合いが長いわけではないのかもしれない。


 結局、二人のかわいい恋人は、今晩を共に過ごすことに決めたようだった。少年は少女の手を引き、中にいるという友人のことを紹介しようとした。


 質素で、何も主張をしない天幕はニカーラには好ましく、泊まるにはよい宿に思えた―――次の一瞬のことさえなければ。


 その入り口が開き、まるで岩石そのもののような男の尻が迎えた時点で、ニカーラが少年に抱いていた思いは完全に絶えた。


 例え老人とは友人になれるとしても、ニカーラは、少なくとも、少年のことは斬り殺さねばと心に決めた。


「なにやってんだバカ」―――少年が慌ててテントの中に消えると、巫女様は気が抜けたように「まあ」と漏らし、魔術師はげんなりした顔で二人に謝罪した。


「コグリョス、オムニェノスの孫とは思えん、バカめ……」


 老人は、額を押さえて嘆くのだった。



 次に少年が顔を出した時、その背後にはぴたりと寄り添うように巨漢の男が立っていた。


 赤い顔でもしているか、殊勝に謝るのならば許してやったものを、彼は腕組みをし、どうだったとでも問うようにふんぞり返っていた。


 ―――こいつも殺してしまおう。しかし、老人が窘めるように言った。「不器用なのじゃ。ああしてレイヴの後ろに隠れているときは、どうしたものかわからなくなっておる」


 それでも許す気には到底なれなかったが、天幕の中に一歩踏み入れると、そんな思いは吹き飛んでしまった。芝の上に、骨組みと幕を立てただけのシンプルな構造物が、中に入った途端にぐんと広がり、むき出しの木組みに代わって、石造りの壁が視界にせり出してくる。ぱちぱちと燃え立つ暖炉、天井から吊り下がる燭台―――大男が寝ていたソファは、簡易なものから赤いビロード張りの豪華な意匠に変わっていた。足元の地面には、いつの間にかふかふかの絨毯が敷かれていて、ニカーラは、自分の土で汚れたサンダルで踏みつけていることを申し訳なく思った。


「ようこそ、僕とじいちゃんの“死にゆくものの城”へ」


 唖然とする一同に向けて、少年は得意げな笑みを見せた。巫女様も、赤毛の少女も感嘆を隠さず、特に巫女様は、あどけない子供のような表情で、室内を忙しなく見まわしていた。


「すごいな、魔術とは」


 ニカーラは、自分と同じく絨毯の感触を楽しむ赤毛の少女に話しかけたが、彼女は喜色ばんだ薄笑いを消して、「ああ、うん」とだけ言い、俯いた。少年に手を引かれていた時の、堂々とした壮麗さは不意に翳り、太陽のように活動的な少女という印象は、気弱で寡黙なものに上書きされた。


 ―――たった今まで、思いつきもしなかったが、この敵国の少女は、エルフに恨みを抱いていることはないだろうか?兵士でない少年は、エルフに会っても気後れするところはなく、それが寧ろ自分の気に障った。赤の国との戦争を経験していないニカーラも、同じように、無頓着に少女を傷つけたのではないか?


 その考えに至ると、ニカーラは自分がひどく浅薄な人間に思えた。黒の国はニカーラの両親を殺したが、自分も多く黒の兵士を討ち取った。そのために黒の国の民に恨まれても、それはお互い様だと思える……でも、何も自覚のないまま、赤の国の人に恨みをぶつけられたら―――こんなにも、気分が悪くなるとは。


「お嬢さんがた、晩餐はどうするね。コグリョスの阿呆が酒類を開けてしまってのう。飲みたければ持ってこさせるし、食べ物の好みがあれば、なるたけ聞こう―――よもや、断るまいね?」


 居たたまれなくなっていたところに、老人が助け船を寄越し、ニカーラは幸いと飛びついた。


「「じゃあ、果物ヒツジの腿肉を」」


 赤毛の少女と、ニカーラの声はぴったり重なり、老人は目を白黒させた。


「食いしん坊みたいになっちゃったね」


 赤毛の少女は、少し控えめに笑い、「私は肉ならなんでも。……マルゥク、さんは果物を」太陽の輝きを宿した黄金色の目で、ニカーラをちらりと見遣った。


 いじらしい仕草に胸を突かれながら、ニカーラは思わず、彼女の手を取った。


「ニカーラ・マルゥク。ニカーラでいいよ」


「アンナ。よろしく、ニカーラ」


 はにかみながら握手に応じる少女の名を頭の中で唱えながら、こんな子はあの少年には勿体ないと、ニカーラは思ったのだった。

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