第4話 レイフマンの友
正直、レイヴは自分のテントに呼んでいた、白の“親友”のことをすっかり忘れていた。乱暴で、短絡的で、文句垂れで、勉強嫌いで、だけど馬鹿正直で、義理に厚くて、地頭は決して悪くないところなどが好ましい、同い年の少年。
頼まれたら嫌と言えず、謝られたら許さずにはいられない彼の、ごつごつした岩のような顔を思い浮かべながら、彼を新しい“友人”たちにどのように紹介するべきか考えていた。
十中八九、みなは彼を見てまず驚くだろう。貞潔・慎莫を信条にする白の国の民が、上半身裸で、そこかしこに赤い刺青を入れているのを見たら、たぶん誰もが言葉を失うに違いない。年齢にそぐわぬ、筋骨隆々の巨漢は、もしかしたら自分たちと同年代には思えないかも―――。
「ね……レイヴ。私そろそろ自分のテントに帰ろうかと思うんだけど」
レイヴとじいちゃんの、質素なテントのすぐ側まで来た頃、アンナが彼の手をぎゅっと握って囁いた。背の高い彼女は、レイヴの耳元に声を届けるには、それなりに背を丸めなくてはならず、顎の下あたりで切りそろえた赤毛が垂れてレイヴの首筋をくすぐった。
アンナ・ネッセン。彼女が自分の父親や母親と同じ苗字を名乗れない事情を知っているレイヴは、例えそれが問題の根本的な解決にはならないとわかっていても、彼女を部族の元へ帰したくなかった。
今さら―――そう口をついて出そうになったが、レイヴは自分の態度や言葉の選び方が、じいちゃんのようにはうまく作用していないことを思い出し、なるたけ穏便な言葉を選ぼうとした。
「まだきみといたいなって思ってて……だめかな?」
もしかしたら、回りくどいところを省くと、自分は結構口下手なのかもしれないとレイヴは思った。赤の国の基準ではどうなのかわからないけれど、アンナの見た目は美しい。黄色でも青でも緑でも白でもない、茶褐色の肌は、吸い込まれるような艶があったし、少し縮れた赤毛が風に揺れるところは、絵画に描かれたような壮麗さだった。小づくりな鼻、大きくて唇の厚い口、そして、瞳の奥で太陽でも煌めいているような光を宿した、黄金の目。
できることなら言葉を尽くして賛美したかったが、それも少しふざけた態度でいないとダメかもしれない。素の自分では、きっと気圧されてろくな言葉が選べないだろう。
「あー……うん、だめではないけど」
アンナは、これからレイヴと過ごすだろう時間と、遅れて帰ることで父親や同族たちから受ける扱いを天秤にかけているようだった。
最悪、脅してしまおうか。きみが青のスパイだということをばらすぞ、と。直情的な彼女はきっと後先考えずに怒るだろう。母親のことは、自分の感情より優先すべきと思っているから我慢しようと思えるのかもしれないけど、それ以外の場面では、気持ちを素直に表に出しすぎる。
それでよくスパイが務まるなと思う危うさと、しかしそれ故に表情が次々転換していくことの愛らしさ―――レイヴは、彼女を傷つけたくはないと強く思った。
「強いては、止めないけど。だめじゃないなら、いてほしい」
数秒の逡巡の後、アンナはこくりと頷いた。決して嬉しそうではないその顔に、少しの罪悪感を駆り立てられながら、レイヴは自分にできる精一杯の造り笑顔を見せた。「よかった」
「アンタは、そういうのやめたほうがいい」
レイヴの顔を暫く睨むように見て、アンナは少し真剣に言った。
「わざと笑ったりしなくても。私は、アンタのこと嫌いじゃないし、嫌いにもならない……好きになるほど、知りもしないけど」
嫌いじゃない―――彼女が言うなら、きっとその通り嫌われてはいないのだ。レイヴはそれだけで気分が高揚した。
「それなら、今夜一晩かけて知り合えばいいさ。ぼくらだけじゃなく、新しい友人たちみんなでね」
二人がこそこそ話し合っている間に、一行はテントの目の前にたどり着いていた。じいちゃんと、緑の巫女が思い出話に花を咲かせ、相手がエルフの見た目をしていることで警戒心が薄れているのか、時たま話に加わるマルゥクというエルフの戦士―――その最後尾をのろのろついていっていたレイヴは、アンナの手を引いたまま、彼らの前に出た。
「みなさん、僕の親友を紹介しよう―――じいちゃんはもう知ってるね―――白の国の司祭、オムニェノス三世の長男、愛すべき賢人、コグリョス・オムニェノス四世。どうぞ末永くよろしく!」
テントの入口を、大げさに、恭しくめくり上げ、レイヴは中で優雅にお茶を喫んでいるはずの友人をみなに見せつけたつもりだった。
巫女が絶句し、マルゥクが怪訝な顔をする。その視線を追って中を覗き込んだアンナがち、と舌打ちをして嫌悪感を露にした。大体レイヴの予想通りの反応だったが、不思議なのは、じいちゃんまで呆れたように、天を仰いで、頭に手をやっていること―――。
レイヴは自分もテントの中を見て、愕然とした。上だけでなく下まで裸になり、ソファに横たわって汚い尻をこちらに向ける、筋骨隆々の巨体―――「なにやってんだバカ」レイヴは自分だけ中に入り、後ろ手にテントのドアを閉めた。
魔術のかかったテントの中は、戸を閉めるとぐいと中が広がり、レイヴとじいちゃんが暮らす城の一室とほとんど同じレイアウトに変化する。垂れ下がる燭台、真っ白なクロスの引かれた十人掛けの食卓、ぱちぱち燃える石の暖炉、リビング部分にはふかふかの絨毯が敷かれ、ビロード張りのソファがアンナたちを迎えるはずだった……。
ブタによく似た鼾を立てている、岩肌のような背中に近づくと、強烈なアルコールの臭いが漂ってくる。みんなに振舞うはずだったワインをぜんぶ飲んだのか?何を思ったか、何本もの空瓶はソファの下に押し込まれていた。子供がするような証拠の消し方に呆れ、レイヴは【苦痛】の魔術を込めた杖で、友人のでかい背中を思いきり殴りつけた。
「クソバカが!遠慮するなって言われて、ほんとに自分ちみたいにするやつはきみくらいだ!」
強さを調節すれば、瞬間的に痛みを感じる程度で済むが、本来竜の眷属さえ昏倒させる目的でじいちゃんが編み出した魔術を、最大出力のまま流し込む。
白の国の神官が遍くその身に宿している加護は、レイヴの魔術程度は著しく減衰させたが、がさつな友人を飛び起きさせるには十分な威力を保たせていた。コグリョスはエビが跳ねるような格好で飛び上がり、泣きそうな顔でレイヴを睨みつけた「何すんだ!」
レイヴはその頭をもう一度、今度は普通の打撃で小突きながら、暖炉の前に落ちていたパンツとズボンを指を鳴らして引き寄せた。
「履け。お客さんだ。汚いものを見せつけてすいませんでしたって態度でいろよ」
「待てよ、わけがわかんねえ。お前の客なら俺は帰るぜ」
股間のものに衣服をかぶせてやると、コグリョスはそれを抑えてそそくさと“裏口”に向かおうとした。
勝手知ったる我が家のように、秘密の隠し通路まで見つけているところを見ると、相当この部屋をうろつきまわったに違いない。レイヴは指先をぱちんと鳴らし、通路の入口になっている偽壁の位置を“模様替え”した。なんでもないただの石壁に置き換わった壁の継ぎ目を探り、レイヴが何をしたのかを理解したコグリョスは、スキンヘッドの青いこめかみに筋を立てた。
「何すんだよ!さっきから!」
「わからないなら、落ち着いて『わけ』を聞こうとしろ。……ピースが揃ったんだよ。僕とじいちゃんの計画のね」
コグリョスは、威嚇するような表情から、そうしていればそれなりに知性を感じさせる真顔に戻った。「緑の竜の後継者か」瞬時に酔いが醒めたような態度に苦笑し、レイヴは彼に服を着るよう促した。
「そう。いいタイミングで代替わりできるよう、じいちゃんが眷属や巫女を殺し続けてきたことがようやく実を結ぶよ」
レイヴは心から晴れがましい思いで笑ったが、パンツをずり上げる親友が、沈痛な面持ちでその言葉を受け止めているのを見て、自分も傷ついた。じいちゃんは本当にうまくやっている。僕はもう、こんなに壊れそうなのに。
「お前、無理すんなよ」
コグリョスが言った。さっきまでぷんすか怒っていたのに、その顔は本当にレイヴを心配している。自分は、きっとこんな風に感情をはっきり表現できる人に憧れるんだろう。レイヴは親友にさえ本気の笑顔を見せることが苦手な自分が嫌いだった。
「大丈夫。それよりきみ、準備はいい?縮こまって恥ずかしそうな顔でいるか、地面に額をこすりつけてひたすら謝れ」
「わかった。何もなかったことにする」
コグリョスは堂々と腕を組み、レイヴの後ろにぴたりと立った。『何とかしてくれ』。人に頼るのが苦手な親友を少し肘で押しやりつつ、レイヴはテントのドアを開いた。
「みなさん、このバカを今なら殴りたい放題!―――」
陽は傾き、赤みの増した強い光を、暗闇の中で育った少年の目に焼きつけた。顔を顰めて、陽を背負う四つの影がまだそこにあることを確認する。大切なじいちゃん、初恋の女の子、これから友人になる二人―――彼らのうち二人は、そう遠くないうちに寿命が尽きて死ぬのだ。
今夜の時間を一秒たりと無駄にしないつもりで、レイヴはみなを迎え入れた。
「ようこそ、僕とじいちゃんの“
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