第3話 どうか良い夢を

 組織について、分かることは多くない。本拠地アジトは山奥の古城にあるが、具体的な位置は分からない。組織のボス――『パパ』と接触するのは、仕事を達成した時に、カーテン越しに声を聞くだけ。若そうな声だが、実際はどうか知らない。俺たちは組織に拾われて育てられ、生きていくのに必要な住処と金を与えられるその代わりに、顔も知らない男の命じるままに、人を殺している。それが特別、変なことだとは思わなかった。肉屋の子供だって花屋の子供だって、親の仕事を手伝うだろう。それと同じだ。親の仕事がそうだっただけ。俺たちにとっては、ただそれだけだ。

 

 車が止まる。黒服の男たちは俺と相棒を車から降ろし、目隠しを取る。いつも通り、見慣れたアジトだ。相棒は、ほっと胸を撫で下ろしていた。言葉を交わす隙もなく、黒服に促されて『パパ』の部屋へ行く。途中、相棒がちらりと俺を省みて微笑む。手を握っていてくれてありがとう、ということなんだろう。口を開けば咎められるので、どういたしましてと視線だけで応えた。

 

 一際豪奢な装飾が施された重たいドアを、黒服が開ける。部屋の半分より奥は、黒い幕が下げられており伺うことが出来ず、その幕の前にあるテーブルにはジュラルミンケースがひとつ置かれている。黒服が左右に控え、俺と相棒はテーブルの前に立つ。幕の向こうから、聞き慣れた男の声が響いた。


『やあ、おかえり、二人とも。よくやってくれたね』

「なんてことないよ」

「パパの言いつけだもの」


 極めて模範的な対応する俺たちに、満足気な男の声は続ける。


『謙遜しなくていい。君たちのことは本当に高く評価しているよ。心ばかりだが、依頼人と交渉して報酬を上乗せしてもらった。好きに使いなさい』


 黒服が、テーブルの上のジュラルミンケースを開ける。中にはぎっしりと札束が入っていた。おいおい、心ばかりってなんだったんだよ。思わず、相棒とふたりで間抜けな声をあげてしまった。豪遊しても数ヶ月は余裕で暮らせる額だろう。今までこんなにもらったことは無かった。黒服はそれをきっちりと二等分し、俺と相棒に示してみせる。相棒は無邪気に笑って、幕の向こうに語り掛けた。


「ありがとう、パパ」

『喜んでくれると、私も嬉しいよ』

「うん、嬉しい。新しい家具が欲しいと思ってたんだ」

『はは、家具だけでは余ってしまうだろうね』


 黒い幕を挟んだ、一見奇妙な会話は穏やかに続く。まるで本物の親子みたいに他愛のない会話。相棒は、『パパ』によく懐いていた。相棒の経緯を考えたら当然なのだが、俺にはここまでパパに心を開くことはできなかった。なんでだろう。――父親という存在がよく分からないせいかもしれない。


『ああ、家の方に不便はないかな、二人とも』

「大丈夫」

「平気だよ」

『ならいい。不便があれば、黒服を通じて気軽に教えてくれ。――明日の朝、家まで送るよ。次の仕事の連絡は、また追って伝えるからね。今日はここで、ゆっくり休みなさい。愛しい子供たち』


 報酬を受け取り、俺と相棒は部屋を出る。明日の朝にはそれぞれ分かれて、普段一般人として暮らしている家に向かう。相棒とはお別れだ。彼と一緒にいるのは、仕事の前後の数日間だけ。三年間組んでいると言っても、一緒に過ごしている時間は一年か、それにも満たないくらいかもしれない。このアジトと、殺しの場。それだけが、俺たちの友情を育んだ。相棒が口を開く。


「一緒に居られたらいいのにね、仕事のあとも。そしたら、あちこち遊びに行けるのに」


 家は原則として一人で住むことになっている。それは関係者が一緒にいることで足がつかないようにするためだったり、殺し屋同士で妙な企みを――たとえば一緒に脱走するとか――そういうことをしないためだという。別にそんなこと、しないのにな。一人でいることに苦痛も寂しさも無かったが、相棒が一緒ならどんなことでも楽しいだろうなと思う。


「俺、あんまり外出ないな」

「ええ、勿体無い。お金いつ使うのお金」

「……食料買うとき?」

「もっと楽しいことに使いなよ! 買い物とか、コンサート行ったりとかさ」

「いつもそんなことしてんだ」


 無趣味の俺に対して、相棒は多趣味だった。殺し屋がそんなにホイホイ出掛けて良いものかという意見もあるだろうが、面が割れていたら俺も相棒もとっくに死んでいるのだ。だから生きている限りは、好きに生きて良いし(組織に反抗さえしなければ)、そうする方が有意義には決まっている。相棒は最近、ピアノのコンサートに行くのが楽しいのだという。話を聞く限り、黙って座って何時間も音楽に耳を傾け続けることは、俺には随分難しいことのように思えた。どこが楽しいの、と訊ねると、相棒は珍しく歯切れ悪く視線を彷徨わせて、とにかく楽しいんだと言った。そういうものかと思い、それ以上は聞かなかった。俺はほぼお決まりのように、相棒に提案した。


「風呂、入ってきたら?」

「君は?」

「あー、シャワーでいいや。なんか眠くて。先に部屋にいるな」

「……車で寝てないんだもんね。じゃあ、行ってくる」


 相棒は笑って、小走りで去っていった。アジトには広いバスルームがあるので、仕事の前後に必ず相棒はそこへ行く。バスタブに足を放り出してゆっくり浸かるのが好きらしい。アジトは、仕事に行く奴らと帰ってきた奴らとが数日間滞在する。外見は古い屋敷のようだが、内装は偉く立派で新しく、そこらのホテルよりかよほど上等だ。この組織はさぞや儲けているんだろうなと、それを見て思う。


 組織に所属している人間には一人一部屋のプライベート・ルームが割り当てられている。ここにいる間、俺と相棒は別れを惜しむように、大抵どちらかの部屋に集まって過ごしていた。俺は先に部屋に戻り、備え付けのシャワーで簡単に汗やら血やらを洗い流して、ふかふかのベッドに横たわる。この瞬間は堪らない。一気に緊張が緩んで、うとうとと眠くなる。相棒はそこそこ長風呂だ。戻ってきたらあれこれ話が弾んでしまうし、先に軽く寝ておこう。

 

 ――と、思ったのがいけなかった。三十分ほどそうして夢の中だっただろうか。外から声が聞こえて、反射的に目を覚ます。アジトで鉢合わせた奴らの口喧嘩は少なくないが、その声が相棒のものだった気がして慌てて部屋を出た。声の聞こえた方向に向かえば、えらいことになっていた。風呂からあがってきたばかりなのだろう相棒が、大柄な男によって壁に押さえつけられていた。男は相棒の薄い背中に自分の身体をぴたりと密着させていて、下半身のそれを服の上からでもはっきりと分かるくらい反り勃たせながら、布越しに相棒の尻に擦り付けていた。相棒の怒号が飛ぶ。


「最ッ低! 触んな!」

「……いいだろォ別に……、減るもんじゃねえだ、ろっ……ンっ」


 男は相棒に腰を打ち付けるように動かしながら、恍惚とした表情を浮かべている。当然のように、相棒の顔にはどうやったらこんなに人を憎めるだろうかというほどの嫌悪が張り付いている。


「っ……やめろって! 人の身体で勝手にヨがんな!」


 呆気にとられていた俺はその怒号で正気に戻り、慌てて男を相棒から引き剥がしにかかった。


「おいおーい、なにしてんだ、あんた……」

「チッ……邪魔すんな、あと少しでイけるとこだっつーのに」

「あんたの手は飾りなのか? 部屋でせっせと動かしな」


 男から解放された相棒は、俺の後ろにさっと隠れた。石鹸の良い香りがする。男はおっ立てたまま薄ら笑いを浮かべ、揶揄うように言う。


「なんだ、お前らデキてんのか?」

「そうじゃないけど……美少年がむさいオッサンにレイプされかかってたら助けるじゃん、普通の人は……」

「そいつがいけないんだぜ。女みたいな顔して、襲ってくれと言わんばかりの格好でふらついてるから」

「そんな顔してないし、格好してない」


 若干それは説得力に欠けるかもと思いながら、口には出さないでおいた。男は空気が読めないらしく、ぽんぽんと相棒の神経を逆撫でする言葉を吐き出し続ける。


「いやらしい身体見せつけて歩きやがって……お前だって本当は期待してんじゃねぇのか? グチャグチャに犯されたりするのをよォ」

「……ねえ、銃はない? こいつ、今すぐぶち殺したい」

「気持ちは分かるけど、パパに怒られるって……」


 殺気を剥き出しにしながら物騒な発言をする相棒をどうにか宥め、男には一発拳骨を喰らわせて、部屋へと戻った。途中、後ろをついてくる相棒が小さく鼻をすすった。気まずくなって、口を開いた。


「ごめん、気付くの遅くって」

「……そうだよ。もっと早く来てくれなきゃ……」


 振り向かないまま差し出した手を、白い手がゆっくり握る。頼りない、子供みたいな手だと思った。相棒はアンバランスだった。仕事のときには顔色ひとつ変えず、冷酷すぎるほどの正確さで標的の頭を撃ち抜くのに、そうでないときはどこにでもいそうな普通の少年だった。少年と呼べる歳の人間はそれなりに組織の中にもいるけれど、その中でも彼はひときわ「普通」に近く、それゆえ異質で、だから愛された。その普通が、本来俺たちのような殺し屋に備わりっこないものだと皆知っている。だから、それに焦がれて止まないのだ。


「――嘘。来てくれてありがとう、相棒」


 少し間が空いてから、小さく相棒が笑う。その声に心底ほっとした。部屋に入って鍵をかけて、プラチナの髪をドライヤーで髪を乾かしてやる。細くて柔らかい髪に熱風を当てながら、聞く。


「……ああいうの、結構あんの?」

「時々ね。あんなに強引に来られるのは、久しぶりだよ」

「美人は苦労するなあ」

「そうだよ。苦労してるんだ」


 髪を乾かし終わると、相棒はごろりとベッドに寝転がった。瞬きが多くて、眠たいようだ。ベッドは十分な広さがある。彼の隣に横になると、白い手が伸びてきて、髪の毛をわしゃわしゃと雑に撫でてきた。仕返しに、俺も整えたばかりのそいつの髪をボサボサにしてやると、プラチナの毛玉の中からくすくすと可笑しそうな笑い声が聞こえてくる。俺も一緒になって笑った。そのうちに、相棒は静かになる。どうやら眠ったらしい。毛布を肩までしっかりかけてやって、それから窓の外を見た。見渡す限りの暗緑色の森が眼下に広がり、その隙間から頼りない獣道がちらちらと覗いている。本当に、それだけしか分からない。十二年ここにいても、これ以上のことは何も分からなかった。

 

 ――ここではないどこかへ逃げようなんて、夢のまた夢だ。そんな夢を、俺は、俺たちは、見たりしない。俺たちが見る夢はいつだって、自由で無責任な、眠りの中の幻だけだ。相棒は、どんな夢を見ているだろう。幸せな、夢だといいな。起こさないようにそっと一度その頭を撫でて、俺も眠ることにした。


 俺も夢を見られたらいい。あたたかい場所。おかえりと迎えてくれる人。そんなものが、当たり前のようにある夢を。

 

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