赤い靴をもう一度⑥

 それから、ケイジは毎日のようにオーレのところを訪れて自分の逃走経路についての意見を聞いた。


 オーレは、白昼夢を立ち上げて可能な限り最新の三次元情報を確認し、ケイジに教えてやる。代わりに、オーレが不便をしている身の回りのことを手伝ってもらった。

 オーレの財産は、ほとんどがを買うために使われてしまっていたが、残った分を注ぎ込んで逃走用のバイクを準備し、変装用の服や偽造のIDカードなどを用立てた。


 オーレの有眠者としての身分証明のおかげで、これまでの無眠者とは比べものにならないほどの情報を活用できていることは間違いなかった。しかし、それでも、果たしてこのスラムまでマッチを持って帰ってこれるかどうかは微妙なところだった。


 自分一人で夢を見るだけならば、極端な話、隙をついてマッチを擦ればいいのかもしれない。命を捨てる覚悟があれば、それでも構わない。


 しかし、目的は、サヤに夢を見せることなのだ。

 なかなか決め手が見つからないまま日々が過ぎ、サヤの体調はますます悪くなっていた。


 当初サヤは、ケイジが来るのにくっついてオーレの病室を訪れ、睡眠都市の話を聞きたがった。学校の話、公園や遊園地、ショッピングモール、無眠者には簡単には出入りできない洗練された白亜の世界。


 無邪気な様子で夢のような街の話を聞くサヤの脳裏には、ありえたかもしれない、兄とともに睡眠都市で安全に暮らす夢が浮かんでいたのかもしれないと思う。


 しかし、ある時から、サヤはぱったりと病室に顔を見せなくなった。


 足のないオーレには、足場の悪い廃墟を通ってサヤのところに行くことはできず、それ以来、サヤのあのくるくると表情の変わる笑顔を見ることもなくなっていた。


 そんなある日、朝早くに病室を訪れたケイジは、意を決したような表情でオーレに告げた。


「今夜、やるよ。サヤの体調も限界だ」


 決して、決め手が見つかったわけではなかった。

 オーレはこれまでの何日間も、確証がない、と言ってケイジを思いとどまらせてきたが、もう限界なのはわかっていた。


「なあ。ここまで手助けしておいてなんだが、本当にやるのか? 無眠者のきみたちにとって、夢というのが本当に大切なものなのはわかる。それでも、今すべきなのは、病気のサヤと一緒にいてやることなんじゃないのか?」


「……はっ、一緒にいて、それで俺に何ができるんだ?」


 ケイジは、吐き捨てるように言った。


「サヤが苦しんでいる時、苦しみながらも頑張って笑って、ぜんぜん平気だよって顔してる時、俺は何をしてやることもできない」


 オーレは、何も答えられなかった。

 何もできない無力感。

 生きているうちに、何がしてあげられたか。

 それは、譫妄状態で徘徊を続けている中で何度も自問したことだった。

 ケイジは、絞り出すように言葉を吐き出していく。


「なあ、アンタも変な薬を打ったんだから分かるだろ。俺たちの生活がどんなものなのか。生まれてから一度も本当に休めたことなんてなくて、どんなに身体がボロボロでも、意識だけは失われることなく苦しみ続けていて、

 分かるか? 俺たちの夜の長さが。

 仕事でくたくたになって家に帰ると、次の日に備えて横になるんだ。もちろん、眠ることなんてできない。それでも意識を失わずにじっと目を閉じて、少しでも身体が回復するように祈る。

 なるべく余計なことを考えないように羊の数を数えて、眠りの神様に祈りを捧げて、でも、そのほんの三時間程度の休憩がどれほど長いか。安らぎでもなんでもない退屈な時間が毎日やってくるんだ。……だからさ、せめて、……せめて最後くらいは幸せな夢を見ながらゆっくりと眠らせてやれる瞬間があってもいいって、そうは思わないか?」


 オーレは、何も言えなかった。

 ただ、事前の打ち合わせ通りに有眠者の身分を使って作った偽造の証明書とレンタルバイクの受け取り証。そして、今持っているだけの現金を全てケイジに渡す。


 ケイジは、現金については受け取れないと固辞していたが、オーレから「遠慮するのと、妹に夢を見せるのとどっちが大事なんだ」と諭されると、おとなしくそれを受け取った。


「無茶はするなよ」

 と、オーレが言う。

「無茶言うなよ」

 と、ケイジが答える。


 それ以上、二人はもう何も言わなかった。

 ただ、もう二度と会えないかもしれないという思いを込めて拳と拳を軽く合わせた。


 別れの挨拶だった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ケイジの後ろ姿を見送ったオーレは、古びた靴のつま先に隠した、真っ赤な粉の袋を取り出す。


 赤い靴ロデスコの結晶だった。


 ――次に打てば、もう命はない。死ぬまで徘徊を続ける運命に成り果てる。

 

 医師にはそう言われた。

 

 それでも、オーレには止まる気はなかった。


 白昼夢を起動する。

 赤い靴ロデスコを打ち、眠ることができなくなっても、元々有眠者であるオーレには白昼夢を見ることができる。


 ケイジがいくら策を練ろうとも、睡眠都市の中でカジノで盗みを働いて、スラムにまで逃げおおせるとは思えなかった。

 しかし、セキュリティの要である集合夢意識に不具合があれば、無事に逃げ出せる確率は大幅に高まるはずだった。


 本来、集合夢意識には眠った人間しかアクセスすることはできない。


 覚醒した人間がアクセスを試みれば、脳の五感情報に働きかけて内側から強制的な睡眠状態にさせられる。しかし、そこでアクセスした人間が赤い靴ロデスコを打っていればどうなるか?


 本来は接続できない状態のシステムに、意識を保ったまま接続できたなら。

 かつてエンジニアとしてシステムの構築に関わったオーレには、それがある種の管理者権限として機能することを知っていた。


 それはおそらく、高等遊眠がだった。


 足のない自分には、一緒についていくことはできない。だから、せめて、この睡眠都市の根幹を成り立たせるシステムに干渉をし、少しでもケイジの戦いがうまくいくように手助けをするだけだった。


 全身が激痛に苛まれ、意識が覚醒度を増していく。

 こんなことは、何の罪滅ぼしにもならない、ただの自己満足だというのはわかっている。

 それでも、オーレは、赤い靴ロデスコを打ち、集合夢意識の中で踊り続けた。

 

 教会に赤い靴を履いていった少女に、天使は非情な罰を与えたという。

 ――お前は、死ぬまで踊り続けるがいい。

 

 望むところだ、とオーレは思う。

 

 踊り続けろというのなら、踊り続けてやる。この身が朽ち果てるまで。

 もう、何も迷いはなかった。


         @


 目を覚ませば、幸せが待っているはずだった。

 4歳になる娘と、同い年の妻。

 仕事でくたくたになりながらも、家に帰れば暖かな安らぎが待っている日々。

 何もかも失われてしまった日々。

 オーレには、病床のサヤにせめていい夢を見せてやりたいと願ったケイジの気持ちが、痛いほど理解ができた。

 それがたとえ自己満足に近い感情だったとしても。

 

 ――いい夢みろよ。

 

 そう呟き、オーレは、集合夢意識の情報の奔流の中で、いつまでも、いつまでも踊り続けた。



      (了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヒュプノポリス〜夢がリソースの睡眠都市。眠らぬ人種「無眠者」は、都市を追われ夢を求めて抗い続ける〜 我道瑞大 @carl

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ