赤い靴をもう一度⑤

「お兄ちゃん! お兄ちゃん! おじさんが目を覚ましたよ。早く来て!」


 自分たちを殺そうとした男が目を覚ましたことの一体何が嬉しいのか、とオーレは思う。

 しかし、妹の方は目を大きく見開き、くるくると表情を変えながらオーレの周りを飛び跳ねていた。

 

 ただ、それでもどこか陰のある少女の様子に、オーレは気付かずにはいられなかった。

 

 気分的なものではない、もっとはっきりとした顔色の悪さ。

 病気なのだろうか、とオーレは思う。

 妹はサヤ、兄はケイジと名乗った。二人は、3年前に両親を強盗に殺されて以来、自分たちだけで生きてきたのだという。


「おじさんも、どうしてサヤたちを殺そうとしたのかわからないけど、もう危ない薬なんて打っちゃダメだよ。生きてれば、きっといいことあるんだから」


 生きてれば。


 その言葉に内心で強く反発する自分がいた。

 復讐の機会も贖罪の機会も失われた今、自分にはもう生きている意味など何もないとしか思えなかった。オーレがそんな風に考えていると、兄の方がこう言った。


「サヤ。ちょっと、このおっさんと話があるから、ちょっと先に帰っててくれないか?」


 サヤと呼ばれた少女は、少し不思議そうな顔をしたものの、時間を確認して思ったよりも遅い時間だったことに気がつくと、「じゃあ、先に帰ってご飯作るね!」と慌てて帰路についた。


「なんか、今すぐにでも死にたいっていうような顔をしているなおっさん。俺は、別に助ける必要はないって言ったんだ。だけどさ、サヤは助けるって言って聞かなかった。余計なことをしたか?」


 オーレには、答えられなかった。

 代わりに、別の質問をする。


「さっきの子は、何か病気でもあるのかい? 工場でうずくまった時の様子、変な咳をしていた。それに、気丈に振る舞ってはいるが、異常に顔色も悪い」


 その質問に、ケイジはぐっと唇を噛み、「あと保って1ヶ月なんだとさ」と答える。


「ほんとは、ゴミ漁りにも露店にも、ついて来させる気はなかったんだ。料理だって……。だけど、一度言い出したら聞かなくて。ほんとは、眠れなくても横になってるのが一番なのに」


 ――生きてれば、きっといいことあるんだから。

 聞けば陳腐に響くその言葉は、きっと、あの子なりの願いなのだと思った。


 どうあがいても1ヶ月後にはこの世にいないと宣告されている12歳の少女にとって、自ら寿命を縮めようとしているオーレは見過ごすことのできない存在だったのだろう。


「別に、感謝して欲しいとは思わない。生きれるんだから生きろとも言わない。こんな狂った世界で生きてても仕方ないっていう気持ちもわかる。それでも、サヤはアンタを助けたいと思ったんだ。だから、それに何か意味があったら嬉しいとは思う」


 意味か、とオーレは思う。

 愚かな自分には、結局、家族を救うことも、復讐を遂げることも、何もできなかった。

 それでも、自ら命を止めない限りは、いつまでも人生は続いていく。

 何の意味も見出せない中で。


「何があったかは知らないけど、アンタ、睡眠都市から来たんだよな。いくつか聞きたいことがあるんだ」


 用事がある、と言ってケイジはサヤを先に帰してここに残った。

 一体何の用なのかとオーレは思うが、ケイジが訪ねてきた内容は、さらに奇妙なものだった。


 ケイジが取り出したのは、ボロボロの紙に描かれた地図とメモだった。睡眠都市内の幹線道路や目立たない路地裏のこと、スラムからほど近い場所にあるカジノの中の様子について。


 わかったらでいい、とケイジは言ったが、確かに、睡眠都市内に暮らしていたとしても、意識して記憶していなければとてもわからないような情報ばかりだった。


「聞きたいこと、って。何でこんなことを?」

「おっさんは、夢を見せるマッチのことを聞いたことがあるか? 睡眠都市の支配階層が持っているって噂の」


 それは、オーレも聞いたことがあった。

 睡眠都市には、無眠者以外にも眠らぬ人種が存在している。


 俗に高等遊眠と呼ばれるその社会階層の人間は、人工的な手術によって知能を保ったまま眠らない身体を獲得しているのだという。一説には、眠る機能を剥奪され、睡眠不足にともなう不具合を体内の耐性で強引に抑えている無眠者とは違い、高等遊眠はイルカや鳥などの一部の動物と同様に部分的に脳を眠らせることができるらしい。


 その高等遊眠が、戯れに全球睡眠をとる際に用いる睡眠導入のための道具。それを使ったものは、本当に幸せな夢を見るのだという。


「ここのカジノの経営者は、定期的にそのマッチを景品として出すらしいんだ。しかも、それが1年に3〜4回の頻度で盗まれてる。もちろん、逃げきれた犯人はいないっていう話だけど」


 そんな情報をどうして口にするのかといえば、その目的は一つしかありえなかった。


「盗むつもりなのか? そのマッチを。妹のために? だが、睡眠都市ではそんな簡単に盗みが成立することはないぞ」


「そうだな。そうなんだけど、ただ、これまで盗んだ奴は、全員がカジノの外までは持ち出すことに成功しているんだ。あれだけセキュリティには厳しい睡眠都市で、どうしてそんなことが可能だったんだと思う?」


 睡眠都市が慢性的な計算リソースの不足に悩まされているのは事実である。

 加えて、睡眠都市の犯罪発生率は決して高くはない。

 だから、警備ネットワークの警戒度合いは常に最高状態に設定されているわけではない。それでも、いざ事が起こってしまえば、計算リソースの優先度は急激に高まるはずだった。


「しかも、カジノのような場所なら尚更厳しい警備が行われているはずなんだが……」


 そもそも、マッチが景品として出されている点も、何かおかしかった。


 高等遊眠の使うマッチは確かに高価なものではあるが、有眠者にしてみればただ珍しいという以上の価値はなく、カジノの景品としてどれほど喜ばれるかも怪しい。


 高等遊眠であれば、通常のルートから購入するだろうし、有眠者は価値を感じない。そして、無眠者は喉から手が出るほど欲しかったとしても、そもそも大抵のカジノは無眠者に対して入場規制を行っている。


 夢想通貨スレプト カレンシーを扱えない無眠者には、カジノに出入りして遊ぶなどということ自体が夢のようなことだ。しかし、それでもなお無眠者がカジノからマッチを盗み出した事例がこれほど多く発生しているということは……


 ――わざと盗ませている?


 そう考えて、白昼夢からブラウザを立ち上げて件のカジノの入場規制を確認してみれば、確かに、そこでは無眠者の制限を行っていなかった。


 およそ人気テーマパークと同程度の入場料(それにしてもケイジたちの稼ぎからすれば半月分ほどになってしまうのかもしれないが)を払いさえすれば現金でも入場が可能であり、これは睡眠都市内の娯楽施設としては異例の措置だった。


「やっぱり、アンタもそう思うか? このカジノの経営者は、高等遊眠の中でもとびっきり悪趣味で有名なんだと。わざと盗ませて、自分の私設ボディガードの連中に盗人を捕まえさせるゲームをやらせてるって考えると、全部説明がつく気がしないか?」


 説明はつく。しかし、それは


「わかってて言っているのか? それは、警察にも任せない私刑を行うということ、つまり」


 捕まれば死かそれ以上の……。

 それでもオーレには、ケイジが止まる気がないことはわかっていた。

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