第44話 セーブしますか?

 翌日の早朝。

 村の門前に村人全員が集まっていた。

 俺とカーマインは大きな鞄を背負っている。

 今日、俺たちは旅立つ。

 緊張もするが、楽しみでもあった。

 カオスソードの世界を旅するというのは、ファン冥利に尽きる。


「リッド」


 バイトマスターが俺の肩にポンと手を置いた。

 大柄の男性。

 俺が知っている彼の最初の顔は怪訝そうな顔だった。

 そして怒り、憎しみ、嫌悪。

 様々な負の感情がバイトマスターの顔に出ていた。

 だが今はまるで父親のような穏やかな表情をしている。

 優しくも逞しい、そんな顔だ。


「あの悪童が立派になったもんだな。最初はなんてクソ野郎だと思ったもんだがよぉ」

「あの時はすみませんでした」

「いいってことよ。人間、過ちを犯すもんだ。それでも反省し、償い、成長して、今じゃ村の中心人物になってやがる。俺もおまえを信頼してるぜ。それは誰でもないおまえ自身が努力して得たもんだ。忘れんなよリッド。おまえはどん底から這い上がってきた、立派な人間なんだってことをな」


 バイトマスターは豪快に笑い、俺はそれに笑顔で返した。

 この世界の父親のような感じがする。

 もしかしたらバイトマスターも俺をそんな風に見ているかもしれない。

 そうだったらいいなと思った。


「気をつけてけ。死にそうなら逃げろ。いつでも村に帰ってこい。ここはおまえの家なんだからよ」

「……はい!」


 俺は大きく頷いた。

 バイトマスターは嬉しそうにニカッと笑う。

 バイトマスターが下がると共に、前に出てきたのはエミリアさんだった。

 彼女は俺の耳元に顔を寄せると小さく呟いた。


「で? ロゼとしたの?」


 なんのことかと思ったが、すぐに思い当たった。

 俺はなんだか気まずい気持ちになり、目を伏せてしまう。


「なんだ、しなかったのね。あの子、本当に肝心な時にダメよね」


 はぁ、と嘆息しエミリアさんは肩を竦めた。

 エミリアさんの口ぶりからどうやら彼女はすべてを知っているらしい。


「わたしがけしかけたわけじゃないわよ。恋敵に塩を送るわけないでしょ?」

「恋敵……? って、え? それって、まさか」


 今までだったら気にもしてなかった言葉だ。

 だがロゼの一件で俺は恋愛関係の言葉に過敏になっていた。

 だから気づけたのかもしれない。


「こんないい女、他にいないわよ。ほんっと、鈍感にもほどがあるわね」


 やれやれという感じで話すエミリアさんを前に、俺は罪悪感を抱いた。

 俺のような人間に好意を寄せてくれる人がいるとは思ってもみなかった。

 でもそれは、俺を好きだと言ってくれる人を卑下することでもある。

 それはしない。してはいけない。

 と。

 不意にエミリアさんはそっと俺を抱きしめた。

 甘い香りと柔らかな感触が俺の思考を埋め尽くす。


「もっと自信を持ちなさい。わたしが好きになった男なんだからね」


 エミリアさんはすぐに俺から身体を離し、そして頬にキスしてきた。


「あああああーーーっっ!!!」


 ロゼの叫びが聞こえたが、エミリアさんに動揺はない。

 俺は動揺していたけど。

 一瞬で動悸が激しくなる。

 ドキドキを超えて、ドコドコと聞こえてくる。

 俺の周りの女性はどうしてもこうも魅力的な人ばかりなんだ。


「いつでも帰ってきて。ううん、いつか追いつくから……だから待っててね」

「……わ、わかった」


 どういう意味なのかはよくわからなかったが、俺は首肯して返した。

 エミリアさんが下がると同時に前に出てきたのはロゼだった。

 すれ違いざまロゼはエミリアさんに舌を出し、エミリアさんはふんと鼻を鳴らしていた。

 仲がいいのか悪いのかわからない二人だ。

 ロゼがちょこんと俺の前に立っている。

 何を言うでもなく、俯いたままだった。

 それが十数秒続いた後、ロゼは意を決したように顔を上げた。


「あたしも行きたい」

「ごめん」


 即答した。

 予想していたからだ。

 恐らくロゼもだろう。

 だから二人に動揺はなかった。

 まるで予定調和のようなやり取り。

 ロゼは苦笑し、俺は目を伏せる。


「だよね。うん、わかってたよ。一緒に行ったらリッドの足手まといになっちゃうもんね」


 それに彼女には家族がいる。

 ならば離れるべきじゃない。


「……ごめんな」

「ううん。いいの。リッドはそういう人だもん。あたしが何を言っても、決めたことは突き進む。だからみんなよりずっと先にいて、みんなを守れる。そんな人だから……だから、あたしは……ずぎに……なっだんだもん……」


 ロゼは大粒の涙を流していた。

 嗚咽を漏らしながら、必死に言葉を紡いでいる。

 幼馴染の、俺を好きだと言ってくれた人の涙を前にして、俺の胸は激しく締め付けられた。

 抱きしめたいという衝動を必死で堪える。

 それだけは絶対にしてはいけない。

 後ろ髪を惹かれ、足を止めては前に進めなくなる。

 村に残りたくなってしまう。

 それに、俺はロゼの想いに応えられない。

 気持ち的にも、俺のやるべきことを考えても。

 だから俺はただロゼを見つめることしかできない。


「……ぐすっ……ご、ごめん、泣くつもりじゃなかったのに……」


 ロゼは袖で涙を拭い続ける。

 けれど次々に溢れる涙を止めることはできなかった。

 俺はそんなロゼを見ていられず、思わずロゼの頭を撫でた。

 思いを伝えるように優しく。

 何度目のやりとりだろうか。

 気づけば俺たちの間で、決まりごとのようになっていた行為。

 ロゼは気持ちよさそうに目を細める。

 次第に彼女の涙は止まった。

 俺はロゼの頭からそっと手を放す。


「行ってくる。いつか帰るから」

「…………うん。待ってるから」


 ロゼがとてとてと俺のもとへ駆け寄り、そしてぼふっと抱き着いてきた。

 旅立つ父親に抱き着く娘のような純粋な所作に思え、俺は思わず慈愛の笑みを向けた。

 視界の端に、ロゼのお父さんが殺す勢いで俺を睨んでいる姿が見えたが、気づかなかった振りをする。

 俺はロゼの頭を再び撫でた。

 大丈夫だと言い聞かせるように。

 不意のことだった。

 だから心の準備ができなかった。

 ロゼは顔を上げ、そして。

 俺にキスした。

 唇に伝わる柔らかな感触。

 オリヴィアさんとのキスは事故だったが、今度はロゼが自らしてきたもの。

 恐らくこれがリッドのファーストキスになるのだろう。

 そんなどうでもいいことを考えていたのは、異常に動揺していたからかもしれない。

 心臓がうるさいほどに叫び、顔が熱くなる。

 ロゼがそっと顔を離すと、俺は思わず言った。


「お、おまえ」


 驚きのあまり俺はどもっていた。

 恐らく今の俺の顔は赤くなっているだろう。

 そんな俺の顔を見ているロゼの顔もまた赤くなっていた。

 二人して上気させた顔のまま見つめ合い。

 そしてロゼは悪戯っぽく、にひひと笑った。


「いつものお返しだよっ!」


 茶化すような、誤魔化すようなロゼの言葉に、俺は毒気を抜かれた。

 ああ、そうか。

 ロゼはいつもこんな気持ちだったのか。

 悪いことをしたなと思うも、同時にこうも思う。

 悪い気分じゃないなと。


   ●〇●〇


 全員と別れを告げた俺は、カーマインと共にシース村を旅立った。

 いつまでも手を振る村人たちに、俺も何度も振り返っては手を振り返す。

 やがてみんなの姿が見えなくなる。

 寂寞とした思い。

 こんなに胸が締め付けられるとは思わなかった。

 五年過ごした村は、いつの間にか俺の大事な場所になっていたらしい。

 この世界はゲームに似た世界だが、ゲームではない。

 実際に存在する、現実の世界なのだ。

 だがゲームと似た世界でもある。


 ここまではただのクソモブのリッドとして。

 だがここからはゲーマーでありプレイヤーの俺として進もう。


 カーマインを見ると、慎ましい笑顔を返してくれた。

 これからは彼女と共にこの残酷で絶望的な世界を生き抜こう。

 そして世界を救うのだ。

 ロゼをエミリアさんをバイトマスターを村のみんなを守るため。

 カーマインをオリヴィアさんを、そしてこの世界を守るために。

 なによりも。

 高難易度の死にゲーを完全クリアするために。

 ノーコンテニュー、ノーデス、最弱キャラでのクリアをするために。

 俺は突き進み続ける。

 そう。


 ここからが本当のゲームスタートだ!

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死にゲーの序盤で滅ぼされる村のモブだけど、全力でバッドエンドを回避する! 鏑木カヅキ @kanae_kaburagi

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