俺の席の隣

柊ユキ

俺の席の隣

 俺の席の隣には彼女がいる。たった一言を伝えられなかった彼女が。今日も俺は一言を口に出す。

「――。――」


  ♢♢♢


「Hello everyone. I am glad to see you.カナダから帰ってきた安藤エミリです。カナダ人と日本人のハーフで、カナダには小学校から行っていました」


 彼女が教室に入ってきた時も驚いた。転校生なんて知らなかったから。それも金髪青眼の帰国子女なんて。けど、今は綺麗な発音に動揺を隠せない。

それに。それにだ。彼女は可愛かった。列の最後尾からでもよくわかる。


「よろしくお願いします」


 丁寧なお辞儀。長いストレートな金髪が揺れる。


「突然ですが、みなさん。エミリさんと仲良くしてあげてくださいね!」


 その言葉を合図に教室を拍手が包んだ。

 そして、先生は俺の隣。不自然に増えていた机を指差す。

 その瞬間。俺は、そういうことだったのかと、遅くも理解した。


「よろしくね」


 席に着いた彼女は優雅に手を振り、可愛らしい笑顔を見せる。机同士がくっついているから彼女との距離が近い。俺は心臓が跳ねるのを感じた。それだけのことで意識をしている自分が馬鹿らしい。


 逸らした目線を戻すと、彼女は少し口角を上げていた。次の瞬間。彼女は俺との距離を詰め。耳元で「チュッ」と音を鳴らした。


「⁉ え、え? え……?」


 状況を処理できず頭の中が真っ白に。顔は真っ赤に染まっていたと思う。


「そんなに恥ずかしがられると、私も恥ずかしくなるんだけど……」


 彼女は視線を下に向けていた。


「転校生があの馬鹿にキスした‼」


 響いた大きな声。それが誰のものなのか。動揺しまくった俺には見当がつかない。


「ち、違う! キスはしてないっ! 耳元で音を鳴らしただけ! カナダでは普通に!(あんまりしないけど)挨拶だから!」


 俺は、彼女の小声を聞き逃さなかった。


「日本人はしないって知ってるけど、少しからかおうと思っただけだから!」


 立ち上がって抗議する彼女。けれど、教室内には動揺が残り続ける。


「とりあえず、みんな。一回落ち着こうね!」


 担任の先生が場を鎮めた。同時に彼女は力が抜けたように腰を下した。その視線はさっきよりも下を向いていた。


「文化の違いだってあります。自分と違うからと言って距離を取るのではなく、お互いに話し合って理解を深めましょうね。起立、礼は省略」


 先生が教室から出ていくと、教室は騒がしくなる。


「ごめんなさい。調子に乗ってしまって」


 彼女は申し訳なさそうにしていた。


「気にしないで。嫌、ではなかったから」


「そう言ってもらえるととっても嬉しい」


 それが、俺と彼女――エミーとの出会いだった。


  ♢♢♢


 エミーが日本にきてから一ヶ月。灰色の世界が急に色づいたようなひと月だった。


「――ねぇね」

「うん?」


 夕陽が差し込む中、俺たちは誰もいなくなった教室で話していた。


「あのね。少し。早いような気もするけど」


 その言葉を境に雰囲気が変わる。

 エミーと目が合う。ひと月経っても、気恥ずかしくなって、目を逸らしてしまいそうになるのは変わらない。でも、今はダメだと思った。


「伝えたいことがあるの。君に」

「うん」


 喉を鳴らす。


「まだ、出会ってすぐだし、お互いに相手のことを理解できていないことも多いと思う。けど、私は――」


 一度ためて。


「――私は、君のことが好き」


 俺はそれに応えられなかった。ヘタレな俺は、考えてしまった。エミーのことが、あのキスの日から好きだったはずなのに。


  ♢♢♢


 次の日のホームルーム。


「安藤エミリさんですが、ご両親の都合でカナダに戻ってしまうことになりました」


 トラックに轢かれたような衝撃を覚えた。


  ♢♢♢


 別れから半年。中学三年生になってしばらく。あのひと月の記憶は今も鮮明に覚えている。あのエアキスの記憶も。

 俺の席の隣は相変わらずの空席。けれど、いるんだ。彼女が。そして、俺は一言を口に出す。


「またね。エミー」


『好き』という言葉は封印した。また会う時まで。

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俺の席の隣 柊ユキ @hiiragiyuki

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