第53話 国王ゲイム・ノア・クロウディア

 ネネは険しい顔をしたまま「こちらです」と手を差し伸べるセリルを無視して歩き出した。セリルがネネのあとを追いかけてくる。


「……ネイチェル様」


「その名前で呼ばないで」


「……では、ネネ様」


 ネネが振り返ってセリルを見た。


「私は、セリル・イントレイミは、なにがあってもあなたの味方です」


「……」


 ネネはなにも答えず、ただじっと黙っていた。するとセリルが「案内します」と言ってネネを先導し、ネネは黙ってセリルの後を追いかけた。


 セリルに案内され、ネネは城の廊下を歩き、城の最奥にある王の寝室の前へとたどり着いた。大きな扉が閉ざされた部屋の前で、セリルは小さく息を吸って吐く。ネネよりも緊張しているような面持ちで、セリルは扉を叩いた。


「セリル・イントレイミです。国王様。入ってもよろしいですか」


 しばらく待ったが返答はなく、セリルは「失礼します」と一言断ってから扉を開け、ネネを中に入れた。

部屋の中は様々な薬の臭いで充満していた。それに混じってすえた臭いがして、その臭いは人の死に際の臭いなのだと、ネネは嫌というほど理解する。母親の死に際を思い出すような臭いだった。


「国王様。起きておられますか?」


 部屋に入って動けなくなってしまったネネの横を通り過ぎ、セリルが部屋の中央にある大きなベッドに近づいていく。人間の気配が感じられず、静まり返っており、まるで時が止まったような部屋の中、そのベッドの上には、確かに人間がいた。


「……だ……」


「国王様。会っていただきたい者がおります。少しだけお時間をいただいてもよろしいですか?」


 掠れた皺枯れた声がセリルに応え、セリルは立ち尽くしているネネに手招きした。ネネが恐る恐るベッドに近づき、ベッドの中を覗き込む。そこにはやせ細った老人がいた。頭髪は抜け落ち、肌は青白く、皺だらけの手足は骨と皮しかない。身に着けた白い服はブカブカだ。


 国王、ゲイム・ノア・クロウディアは、いまにも世界の境界を越え、向こう側に連れていかれてしまいそうな雰囲気を醸し出していた。


「っ……‼」


 ネネが小さく息を呑んだ。ゲイム・ノア・クロウディアの虚ろな瞳は光を灯していない。


「国王様。あなたの娘です。あなたが愛したマリア・コルスティンの娘。ネイチェル・ノア・クロウディア。ネネ・コルスティンです」


 セリルが優しく声をかけると、王は瞳だけを動かしてネネを見た。そして、大きく目を見開く。瘦せこけた顔では見開かれた目が酷く強調され、とても不気味に見えた。ネネが一歩後ろに後退る。


「……ああ……」


 掠れたうめき声のような声を上げ、王がネネに手を伸ばす。震えながら伸ばされる、頼りない、骨と皮しかない手に、ネネが思わずその手をそっと握った。手は力なく、ネネの手を握り返す。


「……マ……リア……マリ……ア……」


 王はネネの手を握りながら、涙を流し始めた。ネネは少々困惑しながらも王の手を振り払おうとせず、王の手を握っていた。


「マリア……リア……」


「国王様。お身体に障ります。もう、お休みください」


 セリルが諭したが、王はネネの手を離さずに泣き続ける。セリルがそっと王の手をネネの手から離し、降ろすと、王はようやく泣き止み、また、静かに目を閉じて眠り始めた。ネネは呆然と自分の父親を見つめる。


 その時、王の寝室の隣の部屋から、赤ん坊の泣き声が聞こえた。


「行きましょう、ネネ様」


「……い……」


 ネネを促して歩いていこうとしたセリルが王の掠れた声に立ち止まった。ネネが王の声を聞こうと顔を近づける。


「すまない……ネイチェル……」


 聞こえた声にネネが目を見開いた。駆け寄って来たセリルが「なんと?」と王に問いかけたが、王はもうなにも答えず目を閉ざす。ネネが王から離れ、王に背を向けて歩き出し、セリルは王がなんと言ったかわからないまま、ネネの後を追って部屋を出た。


 大きな扉が閉まっていく。隣の部屋からは赤ん坊の泣き声が聞こえ、パタパタと侍女たちが慌ただしく隣の部屋に入っていく姿が見えた。ネネはなんとなく、隣の部屋で泣いているのがマーサ姫であり、腹違いの自分の妹であることを理解していた。


「王は、なんと?」


 セリルがネネに問いかけるが、ネネは首を横に振り、答える意思がないことを示した。


「……なにを言われたって、あの人を許そうとは思わないわ。父親だとも、思えない」


 そう言うと、ネネは隣の部屋の扉を見た。


「……王が死んだら、姫はどうなるの?」


「マーサ姫はまだ赤子であられます。すぐに権威を背負わされるには、幼すぎる。王を無くしたこの国がいったいどうなるのかはわかりません。下層の人々の不満が溢れ、この国が崩れ去る可能性もあります。そうなれば、マーサ姫がどうなるかは、誰にもわかりません」


 セリルが悲しそうな表情を浮かべながらそう言い、ネネは神妙な顔つきで「そう」と呟いた。


「マーサ姫にも会われますか?」


「いいえ。会ったところで、何になると言うの」


 ネネが王の寝室に背を向けて歩き出す。セリルは黙ってその後を追った。

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少女は空からやってくる 柚里カオリ @yuzusatokaori

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