第52話 頂上の城

 クローズド・ロウェル・シティの上層。最上階にある大きな城の一室で、ネネは天蓋付きの大きなベッドのシーツを引き裂き、黙々とつなぎ合わせてロープを作っていた。部屋の中央には大きな天蓋付きのベッドが置かれ、埃一つない白い床に敷かれた絨毯には豪勢な刺繍が施されている。天井に吊るされるのは煌びやかなシャンデリアで、部屋の中は美しい調度品が並んでいた。


 パーティーのあと、気が付けば上層に連れてこられ、この部屋に閉じ込められていたネネは、知らない間に着替えさせられ、着心地の悪い質の良い白いワンピースを着せられていた。扉には鍵がかけられており、窓から脱出を試みたが、窓を開ければそこに広がっているのは雲海だった。雲の上に立つ城の最上階からは下層どころか中層も見えない。それでもネネは諦めず、窓から脱出するために、部屋中の布をかき集めてロープを作っているのだった。


 窓の外では日が沈み、いまにも夜がやって来そうな仄暗さだ。ベッドのシーツでは足りず、カーテンを引き裂いて長いロープが出来上がった時には、もう完全に日が沈み、夜になっていた。


 ベッドの足にロープの先をくくりつけ、開いた窓からロープを投げながら、ネネはスーたちの身を案じていた。ルルが聞いた不気味な声や、パーティーの後、どうなったのかが気がかりだ。


「……とにかく、ここから出なきゃなにも始まらないわ」


 窓から垂れ下がったロープの先は雲海の下に続き、見えなくなってしまった。ロープが地面についているとは思えないが、それでもじっとしているわけにはいかず、ネネは小さく息を吐いて両頬を叩き、気合を入れると、ロープを掴み窓から飛び出そうとした。


「ネイチェル様⁈」


 聞こえた声にネネが振り返ると、扉を開けたセリルが今にも窓から飛び出そうとしているネネに驚愕の表情を浮かべていた。ネネが慌てて窓から飛び出そうとすると、セリルが慌てた様子で窓際に駆け寄り、ネネの身体を抱き留める。


「なにをやっているのですか⁈」


「離して‼」


「馬鹿なことは止めてください‼」


 セリルがネネを無理やり部屋の中に入れる。部屋の中に座り込んだネネは、セリルのことを睨みつけた。セリルはパーティーの時の女性的なドレスではなく、エルの制服を着ている。


「死ぬおつもりですか⁈」


「死ぬわけないでしょう。ここから逃げようとしただけよ」


 自分を睨みつけるネネにセリルが悲しそうな表情を浮かべた。


「どこに逃げると言うのです」


「スーたちがいる場所。あなたがいない場所」


「ここはクローズド・ロウェル・シティの頂点ですよ。降りるなんて不可能です」


「降りてみせるわ」


 攻撃的なネネの言葉にセリルが顔をしかめ、小さくため息をついた。そしてしゃがみ、座り込んでいるネネと視線を合わせる。ネネは目を逸らした。


「ネイチェル様……お父様に、この国の国王に会っていただけませんか」


「嫌よ。私はそんな名前じゃない。私はネネ・コルスティンよ」


「……どうかわかってください、ネイチェル様。私を憎むお気持ちはよくわかります。憎んでくださってかまいません。ですが、あなたの命を救うには、あなた方を下層に逃がす以外に手がなかったのです」


「母さんは私に『セリル・イントレイミだけには見つからないで』って言って死んだわ。だからずっとエルから逃げて来た。あなたたちは私たちを下層に落とした。それがいまさらなに? 父親が死にそうだから戻って来てくださいって? 冗談はよしなさいよ」


「……」


 セリルは悲しそうな表情を浮かべ、そっとネネに手を伸ばす。ネネは躊躇いなく、セリルの手を叩き落とした。


「触らないでよ」


「……私は、マリア様にとても良くしていただきました。下層生まれで周囲に虐げられるエルの見習いに、マリア様はとても優しくしてくださった。だから、どうしても助けたかったのです。でも、あの頃の私には王妃の命を覆す力などなかった。私はあなたに幸せになってほしいだけなのです」


「幸せ?」


「なんの危険もない、何不自由のない場所で、幸せに、安全に生きて欲しい。亡くなったマリア様の代わりに。もうここにあなたの命を脅かす者はいません」


「私の幸せを勝手に決めないで」


 ネネが冷たく吐き捨て、立ち上がった。


「私の幸せは私が決めるわ。安全とか、安全じゃないとか関係ない。私の生き方をあなたに決められる筋合いはない。私はたとえ良い環境とは言えなくても、スーとルルとメリアと一緒に暮らす日々が一番幸せなの」


 セリルが暗い顔をしながら立ち上がる。ネネは自分よりも背の高いセリルの顔を真っすぐ見つめ、言った。


「お姫様なんて、クソくらえよ」


 セリルがネネの顔を見つめ、小さくため息をつく。


「わかりました。でも、これだけはお願いです。国王はいつ病に殺されるかわかりません。一目だけでもいいのです。国王に、あなたの父親に、会ってくださいませんか」


「……いいわ」


 ネネはしばらく考え込んだのちにそう答え、セリルが安心したように息をついた。

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