雨が降る

 ラブホのベッドで眠る彼の、とびきり不細工な寝顔が撮れたことがある。

 私の彼氏は国民的アイドルユニットのセンターを務めている。うまく隠し通せていると思っていたのか、黙認されているとわかっていたのか、仕事の用事と言って出かけてはファンや業界関係者の女と寝るのが一度や二度じゃなかったことも知っていた。別にそのことに対して怒ったわけではない。アリバイ工作に加担したグループのメンバーを問い質しては平謝りされることが幾度となくあった。

 それでも私は、断じて怒ってなんかなかった。あのとき事を起こしたのは、ただの気まぐれだ。


 女と連れ立って歩く彼の写真が週刊誌に載せられていた。もちろん私はそんなヘマはしない。私は女にしては背が高い方で、2人で外を歩くときはいつも性別の断定がしづらい格好をしていたからだ。写真の女はわざと見つかるよう仕向けたに違いない。

 それで、自分が本命だと信じて疑わなかった大手スポンサーのご令嬢が大層お怒りのようで、これからご機嫌取りに行くらしい。メンバーから小耳に挟んだ概要はそんなところだ。

「俺も……、あまりよくは思ってないよ。けど、仕事の一環だから……堪忍してやって」

「あぁうん……私は大丈夫、なんだけど。……今は本人が心配、かな」

 あいつもだいぶ滅入ってるだろうから、会ったときにでも話聞いてやって、と心底申し訳なさそうに言われて電話を終えた。

 ……まぁその写真すらも、私が出版社にけしかけたようなもんなんだけど。


 その日2人を見かけたのは、本当に偶然だ。たまたま出版関係の友達と用事があって渋谷を歩いていた。彼がその近辺でファンの女と会う約束をしていたのは知っていたが、まさかこんなにあっさりと見つけるとは思わなかった。

 現行犯で浮気の現場を見ていることよりも、少しは変装とか考えたりしないのか、と、2人の浅はかさに腹が立った。むしろ女の方は、あえて見つかるためにやっているに違いないと思った。

 用事はすでに終えてディナーの店を探していたところだったので、同じ方向に歩くよう誘導すると友達も気付いたようで、私に耳打ちしてきた。

「ね、ね、あれさ、あのアイドルの……」

「ん……だと思う」

「国民的アイドル様が、こんな街中で女連れて歩いてちゃダメっしょ」

 あ〜あ、ファンだったのに!と心底愉快そうに笑って、無音カメラアプリのシャッターを押した。

 彼女は、私が彼と付き合ってることを知らない。普通、真っ当な恋人ならば、相手のアイドル生命を思って人違いの線を押し通して止めるだろう。

 思わずニヤけてしまいそうになるのを、口の中を噛み締めてこらえる。

「やばいの撮れちゃったね。それ、載せるんだよね?」

「まぁね。これでボーナス出たら焼肉でも行こ!」


 そこからの流れは、前述のとおりだ。

 彼の専スレはものの見事に炎上していた。2台持ちのスマホを利用して、あたかも食われた友達から画像を送られてきたかのようなトーク画面を偽造、いつか撮った不細工な寝顔と共に投下する。おもしろいくらいにスレの流れが加速した。ツイッターでは、自分が彼女だと名乗る捨て垢が事務所のアカウントに罵詈雑言を吐いたり、彼の写真やLINEのスクショ、女の子に接触をはかる裏垢までも晒していた。

 彼の不細工な寝顔は、偽装トークと一緒に専スレに晒してすぐにスマホから消した。その写真を撮ったときはきっと、そんな一面も可愛いだとか、そんなことを思っていたはずだった。本当に、全員、馬鹿な奴ら。

 ……ああ、馬鹿なのは私もか。別に自分こそが彼の本命だと思っていたわけではない。他のメンバーの公認だからと言って、本命とは限らない。そうわかっていたはずなのに、それでもどこかで彼が最後に戻ってくるのは私の元であるはずだと思っていた。


 大雨が降っていた。今頃は、お偉いさん方に挨拶まわりでもしているだろうか。

 ツイッターの荒らしが落ちついてきたあたりで、ようやく、少し悪いことをしたなぁと思い始めた。湿気で曇った窓に指で落書きをしていると、インターホンが鳴った。画面に目をやると、ずぶ濡れの彼がいた。

 バスタオルを持てるだけ持って、慌てて下へ降りる。エントランスを出た先にいた彼に、いつもの勝ち気な面影はなかった。

「……」

 ひどく憔悴しきっている彼の姿を、綺麗だと思ってしまった。

「おかえり」

 帰るあてなんて、一体どこにあるというのだろう。


「……どこで、間違っちゃったんだろうな」

 風呂上りの彼が、今にも消え入りそうな声で呟いた。温めたばかりのミルクを彼の前に置く。どう答えるのも野暮な気がして、何も言えなかった。

 浮気が嫌ではなかったと言えば嘘になるが、仕方のないことだと割り切っているつもりだった。アイドルとして活動していくために必要なことで、すべてが終わった時、最後に戻ってくるのが私の元であれば、それで構わないと思っていた。スキャンダルも炎上も罵声も、すべて勝気に笑い飛ばしてしまうとばかり思っていた。こんな姿が見たかったわけではなかったのに、抜け殻のような彼の姿を、ひどく愛おしいと思った。

「こんなことになっても、お前だけは変わらないんだな」

 彼は自重気味に笑って、私の髪を掬った。何もかもに絶望して憔悴しきった時に会いたくなるのは、結局私なのだ。思わず笑みが溢れる。その表情は彼の目には、恐ろしい怪物のように映っただろうか。

 私は彼のことを、アイドルになる前から知っている。あの頃はもっと、恋愛って綺麗なものだと思っていたし、世界はもっとキラキラしていた。彼の言う変わらないというのがその頃からを指しているなら、私はひどく変わってしまったと思う。

 きっとほとぼりが覚めれば彼らはすぐにトップアイドルに返り咲くし、過去のスキャンダルなんて笑い飛ばすどころか、それすらも売名の手段として、さらなる高みへと上り詰めるだろう。


「……すきだよ」

 彼の薄い唇に指を這わせてそっとくちづける。目を閉じていると小さく嗚咽が聞こえて、思わず彼を抱きしめた。

 後戻りができないところまで来てしまったことは、彼もわかっているはずだ。そばにいるだけで笑えていたはずなのに、ずいぶんと遠くへ来てしまった。彼のどんな悪事も見て見ぬふりを続けて、私は都合のいい彼女を演じる。彼が輝くことをやめて最後に眠りにつく場所が私の元ならば、それこそが私たちの愛が本物であることの証明なのだ。

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短編 @baratabe

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