5

 不幸中の幸いである。最初に暴れた男と、喧嘩になった何人かが怪我を負ったものの、死人は出なかった。テントは無くなったが、そこで火は消し止められた。隣の煉瓦造りの建物は延焼しなかった。数年前の北ドイツの大火のような事になれば、ヤンもトマーシュもボヘミアにはいられなかっただろう。

 からくり座は、しばらく姿を消した。燃え尽きたテントの後は空き地のまま放置され、誰かが買い取ることもなくそのままだった。観客の前には、誰も、どの人形も、姿を見せなかった。

 もっとも、地下に潜って行方不明なわけではない。ほとんどの劇団員は、プラハ市内の人形劇団に雇われるか、他の街へ出て行くかしていた。ボヘミア中に広がる人形劇の情報網の中では、皆、どこにいるかを互いに知っていた。

 姿を見せず沈黙していたのは、ヤンとトマーシュだけだった。しかし、二人が再起を賭けて準備をしていると皆信じていた。火災から逃れた人形と大道具小道具類は、からくり座の馬車の荷台ごと、そのまま女優の邸宅に預かってもらっていた。ヤンとトマーシュも寝室を借りて住まわせてもらっていた。


 ココンとクリードラは、修理屋がジョルジュの元まで持ち帰った。さらによそで買い付けた自動人形もジョルジュに預けられた。外見はそれぞれの個性を残したまま、頭の中も、四肢も中身は総入れ替えだ。ジョルジュと修理屋によって、別の人形に生まれ変わった。

 それでも、ジョルジュの人形は別格だ。ココンもクリードラも新しい部品に交換し、細部まで調整された。踊りも、跳躍も、楽器もできる。自分だけで、どこまでも歩いて行けるはずだった。試しに動かしたまま放置したら、三日は連続稼働できた。修理屋は長いことからくり座にいて、ヤンとトマーシュの要求しそうなことはわかっていた。いずれ芝居全部を操演者なしで行うと言い出すだろう。トマーシュはもっと激しい演出を考案するだろう。性能の全てを晒すつもりはなかったが、耐久性も格段に向上させた。

 しかしながら、攫われそうになり、火災に包まれた影響があるのか、ココンには、かつての滑らかな動きは見られず、硬かった。

「何か、動くことを拒否しているように思えませんか」

 修理屋は、ジョルジュに問うた。

「人間的な見方だな。意思があるようではないか」

 ジョルジュはそう答える。修理屋は、ジョルジュが目指しているのは正にそれではないかと思ったが、敢えて訊くことはなかった。

 やがて三ヶ月が過ぎ、プラハからヤンとトマーシュがやって来た。修理屋は玄関の外に、二人を出迎えた。

「お二人とも、お元気そうで何よりです」

 ヤンは二人分の肉体の幅を維持していたし、トマーシュは引き締まった体を維持していた。それぞれに変わらぬままの姿で安心した。

「お前さんも元気そうだな」

「元気なのは私だけじゃあない、ジョルジュ先生も元気ですよ。それに、人形たちもね」

 修理屋の案内で、二人はジョルジュ邸に入っていった。以前来た時の変わらぬ、多数の人形と人形の部品が出迎えてくれる。客間に飾られている人形には、見覚えのないものもあって、聞けばパリの職人から購入したとか、自作の人形だったりする。

「動くのですか」

 その人形へのヤンの質問に、ジョルジュは否と答えを返した。動くものについては、すべての技術をココンとクリードラに注いで改良も続けているから、新作を作る余裕はないという。

「あなたの夢とやらの実現を見てみたくてな。ココンとクリードラの改良、他所の工房の人形の手入れ、辺境にいてもな、すべてを注いできたよ」

「感謝しております。遠く離れていても、あなたが心血を注いでこられたのは、人形の動きを日々見ていれば分かります」

「すべての人形が自律して動く、自動人形オートマタによる人形劇――」

「からくり座の座長として、わたしの夢はそのとおりです。世界を驚かせ対し、大いに稼ぎもしたい。ところで、ジョルジュ殿、あなたは何を夢見ておられる?」

「あの人形たちが、わが夢のすべて。あなた方の夢の実現が私の夢だよ」

「はぐらかされるな、ジョルジュ殿。一緒に人形劇を作っていても、トマーシュの見る夢と私の見る夢は異なります。各々、実現したいことがある。あなたはこの人形で何をされたいのでしょうか?」

 ジョルジュの答えはなく、それ以上はヤンも追及しなかった。踊り子の間で、以前と同じようにトマーシュの踊りに合わせた動きを確認して、納得して帰ることにした。

 もう二週間ですべての人形を動かせるという。その約束に合わせて、ヤンは興行再開の日取りを決めた。


 修理屋が人形たちとともにプラハに戻ってくると、ヴァーツラフ広場には新しいテントが建てられていた。火事の焼け跡は、両隣の建物の壁からもきれいに無くなっている。広場に面した入り口には、大きな看板が掲げられていた。

〈からくり共和国〉、新たな公演の名前らしい。

 その看板のを見上げて、先にプラハに戻ったヤンとトマーシュが話し込んでいた。

「〈共和国〉とは刺激的だな。城に目をつけられないか」

「さんざん議論したじゃなですか。人形劇団ごときに目を光らせたりしてませんよ。それより危険なのは——」

「本物の急進派が客席に紛れて」

「また暴動になるかもしれないですね。むしろ集会所にされてしまうかもしれない。その可能性があると睨まれたら、やはりプラハ城からも」

「じゃあ、なんでこんな名前にするんだよ」

「座長が言われたとおりですよ。刺激的じゃあ無いですか」

 修理屋が近づいて挨拶する。

「看板の名前なんかよりよほど刺激的ですよ、人形たちは」

 ココンの不調には触れず、修理屋は自信たっぷりに言い切ってみせた。すべての自動人形オートマタにジョルジュの手が入っている。〈からくり共和国〉は無敵だと確信していた

 ヤンもまた、自信たっぷりであった。新作を準備していたのだった。第一作の続編を公開するつもりらしい。奪われたクリードラの心臓を取り戻すために、ココンが錬金術師を追って旅する劇だ。街の閉塞状況の中で追い詰められていった物語は、一転して異郷をどこまでも旅する世界に解放された物語である。

 それは、人形が、自分の顔を手にいれる物語でもあった。


 十分に準備期間をとり、十分に観客を待たせてから、〈からくり共和国〉は開幕した。

 最初の上演を深夜にもってくるとは、座長も大胆だとトマーシュは思う。金曜日の深夜一時三十分に上演開始。観客は一時間前にはテントの中にひしめいている。満員だ。深夜の常連客の顔ばかりではない。子供こそいないが、普段は夜の部や昼の部に見かけていた顔も多い。女優ももちろん貴賓席に着席している。

 万が一のアクシデントの備えも、人形劇の準備も完璧だ。


 舞台の裏には、人形たちが並べられている。ちょうどその時、からくり座の人間は、たまたま誰もその場にいなかった。

 顔の無いココンは、眼鏡をかけてクリードラの顔を見る。

 ふっくらと丸い顔、大きな瞳、髪は茶色に変わって、肩に届く長さ。


(わたしも、自分の顔が欲しい

 それから、自分の言葉が欲しい)

(探しに行きなよ)


 人形どうしの、人には聞こえない会話が、ココンとクリードラの間で交わされる。

 ほかの人形たちも、ココンの背中を押す。

 ココンは並んでいる小道具から、絵を描くときに使うフェルトペンを探した。見つけると、眼鏡を外して、白い顔に自分の顔を描いた。

 落書きのような顔。

(幼児の画力だね)

 くすくすと、クリードラの笑い声が聞こえる。

 眼鏡をかけ直して、鏡の前に立って顔をたしかめる。たしかに幼児の画力でも、これが今の自分の顔だ。

 フェルトペンを持ち直して、鏡の上に文字を書く。人間たちへのメッセージだ。

 開演三分前、深夜一時二十七分。


 最初は、自動人形オートマタすべてが舞台に上がる踊りからだ。ココンとクリードラの踊りをアレンジして、バックで他の人形たちも参加するようにした。上からの人間の操演は一切ない。最初から、すべて人形任せの一幕だ。

 トマーシュは舞台を離れて、下手の客席側から見ていた。向かいにヤンがいて、舞台正面の最後尾の一段高いところ、貴賓席に女優がいるのが確認できる。

 修理屋が弾くギターの音を追いかけて、舞台の幕がそろそろと上がる。

 自動人形が全員、背中を向けている。純白の揃いの緩やかな衣装。そこに後ろから人形たちの間を割って、主役の人形が登場する。

 クリードラだ。大きな瞳で強い視線で客席を見る。ゆっくりと身体を揺らし、両手を広げて、くるりと輪を描いてみせる。

 ココンはいない。

 上手の舞台下で演奏する修理屋はもちろんすぐに気づいたが、クリードラの動きを見ながら、ギターを弾き続ける。舞台の左右いっぱいにステップを踏んで動き回っては、ほかの人形に支えられながら後方へ一回転。柔らかさと素早さの切り替えが、調整した自分で驚くほどだ。下手のトマーシュが動いた。ココンを探すのは、任せればいい。

 トマーシュは、静かに舞台の裏に回った。自動人形がすべて舞台に上がり、劇団の人間もいないので、空間が広い。立てかけてある鏡に何か書かれているのを見つけて、近寄った。

 幼児の画力の丸顔と、メッセージの言葉が残されていた。


「わたし は 自分の顔 と 自分の言葉 が 欲しい」


 トマーシュは、テントの裏手から外へ出て、ヴァーツラフ広場に回った。少し先に、旧市街のほうへ歩いていく、裸足の人形を見つけた。

 ココンだ。しっかりとした足どりで、石畳の上を歩いて遠ざかっていく。自らの意思をもった、人形劇の舞台の外でも自律して歩いていく人形。これが、ジョルジュの目指した夢なのだろうか。

 去っていくココンを見て、トマーシュは見逃すことにした。どこまで歩いていけるのか、見たいと思った。

 テントの中から、拍手喝采の音が漏れて来る。クリードラの踊りが終わったのだろう。女優が出てきて、トマーシュの隣に並んだ。

「ココンはいないの?」

 どこかの脇道に入ってしまった彼女の姿は見えない。

「行ってしまいました」

「追わないなら、わたしが引き受けるわよ」

 言い捨てて、女優はココンを追いかけていった。追いかければ、旧市街の路地に隠れて見失ったとしても、いずれは見つかるだろう。女優はココンを見つけても、からくり座に返すつもりはないだろう。共演すると言っていたか。

 自分も追いかけるべきで、女優より早く捕まえて、この後の人形劇に使うべきだろう。トマーシュにもそれが正しいことだと分かっていた。遅れてヤンも現れた。見逃したといえば、座長に怒られるだろう。ヤンは自分で世の中を驚かせたいのだ。しかしトマーシュは、去ってゆくココンを見て、自分たちの都合よりも、もっと刺激的なものが見られると思った。


 深夜のプラハの路地を、ココンは一人歩いていく。

 人間の可視光域を超えた視覚で、ココンは世界を捉えていた。

 敏感な聴覚で、近づいてくる足音や声を捉えていた。

 記憶しているプラハの地図を参照して、自分がどこに立っているかも分かっていた。

 センサーやメモリーから溢れてくる情報――身体の内外から溢れてくるものが統合されて、ココンの意識を形成する。

 自分の欲しいものを求めて、ココンは歩いていった。


       了

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ヴァーツラフ広場、からくり座、深夜1時27分 渡邉 清文 @kiyofumi_w

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